10月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2004年10月31日

”数字パズル”

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今日は10月24日のパズルの解答です。多分合っていると思いますが、この解答に導いた手順を紹介します。
当初は、セルの数が81あり、既に分かっている数値が27ですので、未知数が54、この54の数値を確定する為、一つの行及び列と一区画の合計が全て45になることと、同じ行、列、区画には同じ数値はないことを条件に方程式でも作れるのかなと考えてみましたが、27の方程式では不足で、ヒロパパの持っている加減乗除的な数学の知識では無理だと諦めました。
次に取った方法は、空欄になっているセルに許される数値を、そのセルが所属する行、列、区画の数値を参照して書き出してみることをやってみました。次に書き出した数値の中で、行または列で一つしか存在しない数値がもしあれば、そのセルの数値がそれであることが確定することになります。この結果が上の画像です。
今回の問題では、1列・3行目の列でみた"2"と、2列・4行目の列でみた"9"及び5列・2行目の行でみた"9"がそれぞれ一つしかなく、このセルであることを確定でき、列の場合は行、行の場合は列の同じ数値を消してゆくことが出来ます。これを繰り返していって解答をだすことができました。今回は素直にこの操作の繰り返しで解答を出すことが出来ましたが、もし、条件がおなじでどちらかが特定できないときは、複数個の仮定をして、同様な操作を繰り返すことになります。
さて、こんな問題をどうやって作るのかな?と考えてみたものが下の画像です。
同じ行、列及び区画に同じ数値を入れてはいけないという条件で、規則的に数値を並べたものが@の表です。例とした表は1行目の左から右に1,2,3・・と並べてありますが、これを右から左でも、上から下でも、下から上でも、ルールを決めて並べてゆけば同じです。この表を基本にして、その後、一区画の3行または3列の範囲内での行または列の入替え(A)や、行または列全てを含めた3区画を同時に入替え(B)、これらの組み合わせ(C)は、必要な条件を満足することになります。この手順で作った表の適当な数値を残したものが、問題となります。ただ、どのセルを隠し、どのセルの数値を表面に出したら、今回の様な手順で解答を導き出すことが出来るのかルールがまだ解明できていません。続けて考えてみます。

”干し柿と萱葺きと生垣”

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干し柿、それに萱葺き屋根をバックに一寸色づいた紅葉、日本の秋を代表する景色です。しかし、この萱葺き屋根も殆ど見ることができなくなりました。ヒロパパが小さい頃暮らした田舎でも、この夏訪問した折、ただ一軒残っていた萱葺きの家が新地(さらち)に変わってしまって残念な気がしました。勿論、風景としてみているのと違い、実際そこで保守をしてゆきながら暮らすことは大変なことと理解できます。
写真は、東山植物園内の、白川郷から移設した合掌造りで、部屋は一般公開されていますが、見たところ前の持ち主の方かどなたかがお住まいのようでした。干し柿はその方がお作りになったものでしょう。
現在日本で一番多く萱葺き屋根が残っている地域は、京都・、美山町だそうです。ヒロパパの行ってみたい場所が又一つ増えました。
初めて粗大ごみを出してみます。
自治体によって違いがあるかもしれませんが、ここ名古屋市では、まず、粗大ごみ受付センターに連絡します。実は、連絡する前に、ごみの名前(今回だすものは、ヒロパパのおばあちゃんが使っていたマット、石油ストーブ、座椅子)と、その寸法を計っておきます。これをセンターに連絡した折同時に伝えると、受付番号と処理手数料の金額(今回は250円×2と500円)を教えてくれます。この金額の処理手数料納付券を近くのスーパーやコンビニで買い求め、この券に受付番号を記載して取り付け、収集日に合わせ集積所に出しておくことになります。収集日は月一回、この日の1週間前が受付締め切りですので、この日を逃すと1ヶ月遅れとなってしまいます。
初めてだった為これだけ調べるのに約半月かかってしまいました。でも一応期限に間に合い、めでたく来週処理できそうです。
誰だ!「ヒロパパも”ナマ粗大ごみ”として一緒に処理してもらえよ!」なんて言っている人は!。
2004年10月28日

”2004年新潟県中越地震そのニ”

まだ余震が続いていて、死者:34名、避難者数:10万人以上、被災者の皆様は大変不安な日々を送っています。ヒロパパも直ぐに飛んでいって何かお手伝いしたい、そんな衝動に駆られています。
被災地は、電気、ガス、水道、道路、・・等々ライフラインが寸断され、避難所となっている公共の建物でも食糧、ミルク、おむつ、薬、トイレ等々足りているものが何も無い状態で、支援物資が集まっても配付する手段がない、ガレージや車の中で過している人も多い、死者の中には、避難中の車の中の窮屈な生活でのエコノミークラス症候群での死亡もあり、悲惨です。これから寒気、一体どうするの?と心配です。
今回の地震も、先日の台風での避難勧告や避難指示の出し方でも、”国を含む市町村の対応の遅れ”が気になります。地震や台風で被災したあとでは、現地の市町村は組織的に動くことができない、”市町村”での支援決定が遅れる場合は”県”が等、誰が何をどのように・・(所謂5W2H)のシナリオを確立しておくことが必要です。多分、落ち着いてからのコメントは声をそろえて、「ハザードマップやプランは作ってあった、ただ、まさかこれほどひどいとは思わなかった・・云々」、こんな言葉しか聞こえてこない、こんな感じがします。台風銀座であり、地震大国の日本は、今迄経験豊富です。”過剰支援で困る人は居ない”をモットーに、ライフラインが切れ、その地区が壊滅状態になった場合を想定した支援対策をまず作ってみたらどうでしょうか。
それにニュース映像を見ていて、今回の被災地に自衛隊員の姿が少ない、支援依頼をしていないのか?は分かりませんが、こんなときこそ自立できる、税金で養っている自衛隊をイラクではなく国内でもっと使うべき、と思います。
もう一つ、小泉首相や官房長官の動きも、陣頭指揮ではなく、専門家?まかせ、”全部まるなげ”、責任は取らない、少なくとも、専門家と同席して、首相として決定すべきことを即断してゆく、こんな対応がとれないのかなと、・・・情けナーイの一言です。
なにかこの頃のヒロパパはコンプレインばかり、不安・不満が溜まってきているのかな?。
ただ、行方不明だったご家族のうち優太ちゃんだけでも助かったとのニュースを聞いて、今後ご家族も大変でしょうが、4日間もよくがんばったねと声を掛けてあげたくなってしまいました。また、海外でもニュースが流れている様で、ヒロパパにも海外から安否を気遣う電話がありました。皆さん、電話をありがとうございました。

”1920年代の日本とその後”

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10月16日19日20日、それに昨日(10月25日)話題にしましたヒロパパの父親の航海日誌について、この時代(1920年代)はどんな時代だったのだろうかと、手元にあった年表(「日本史年表・地図」吉川弘文館、児玉幸多偏)を覘いてみました。
大まかには、第一次世界大戦(1914〜1918年)も終った直後であり安定した時期と見られるが、約20年後の太平洋戦争(1941〜1945年)に至る様々な要因が生れている時代であった、と思われます。
日本は、明治初期の千島列島、1895年(明治28年)の台湾、1905年(明治38年)のカラフト、1910年(明治42年)の韓国、以上の併合と、1920年には常任理事国として国際連盟加入、同じ年、マリアナ、パラオ、マーシャル、カロリン諸島の委任統治等々、一番、帝国主義が華やかな時代だった様です。
でも、不況は慢性化しており、しかも1923年(大正12年)の関東大震災、それに、日本やロシア、ドイツ、フランス、イギリスの中国大陸の利権拡大の争い、特に日本は、満州での勢力拡大、シベリア出兵、遼東半島・山東出兵、ワシントン軍縮条約(1922年)の成立、満州事変(1931年)と翌年の満州国成立、1937年からの日中戦争、引き続いて1941年12月8日(米国では12月7日)の太平洋戦争に突入することになります。
確かに、ヒロパパの父親の写真帳には、日中戦争の発端となったロ溝橋での鉄道爆破の写真や、統治下にあった南洋諸島の行事、それに各国に建立した日本式神社の写真をいっぱい見ることができます。
これらの動きは、全て「国益」という概念のもと、その土地の民族や文化を無視して行われているものもあり、今現在も何ら変わっていない、こんな失敗の例が多くあるのに、・・・情けない、悲しいですね。

”82年前のハワイ”

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81年前の台湾、香港に続いて、今日は82年前のハワイです。
写真(上、中)は、イオラニ宮殿の前に立つカメハメハ大王の銅像で、ヒロパパも見覚えがあります。化粧直しがあったにしても、82年前と変わりないですね。
カメハメハ大王の像はハワイには三つ、前述のオアフ島のホノルルと、ハワイ島のヒロと生誕地のカバアウだそうです。カバアウの像は、当初ホノルルに立てられる予定でヨーロッパへ発注したが、途中船が沈んでしまった、あわてて追加発注して、ホノルルに立てた、後に船を引き上げ、カバアウに立てた、・・こんな経緯みたいです。三つとも、右手を前に差し伸べ、左手に槍?を持っている、同じようですが、まったく同じなのかどうかは定かではありません。
下の写真は、真珠湾のハワイ港です。
今のこの地域はビル群でいっぱいと思います。ただ、ヒロパパが訪れたとき、ハワイでは住宅地では椰子の木より高い建物は禁止だ、とガイドさんが言っていました。景観を守る為には必要なことですね。
さて、父親の日記より、その頃のハワイでは、日本人労働者の賃金が1ヶ月;26ドル〜32ドル、ホノルルの全人口7万人に対して日本人が3万人(全島24万人に対して11万人)、オアフ島の交通手段は、車が6千台〜8千台、電車、馬車あり・・こんな記録も読み取れました。

”新潟県中越地震”

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昨日18時過ぎ最大”震度6強”の”新潟県中越地震”発生!。台風の被害に加えて悲惨です。「地震・雷・火事・おやじ」の一番こわいものの地震、上越新幹線も創業以来始めての脱線事故、まだ余震が続いています。政府は対策室を立ち上げ支援、復旧の全力を上げています。でも、小泉首相は、米国パウエル長官との会合を予定を変更することなく実施、後でいろいろ言葉だけで言い訳をするのでしょうが、国内よりも米国の方を優先か?、一寸気になる行動です。
実はヒロパパは、写真の数字パズルを解いている最中でした。ゆらゆらと船に乗っている気分、あれ地震かなとそれ程気に留めなかったのですが、テレビにテロップが流れ、それからは地震のニュースばかりになっています。今後も調査が進むにつれ被害状況も増えてくるのではと思われます。台風も、異常気象も、地震も、地球は怒っているんだぞとの警告なのではないでしょうか。
さて、写真の数字パズルは、雛壇さんからの出題でした。ルールは、各行、各列、それに各3×3の区画には、1から9の数字を一回しか使うことができない、既に分かっているマスの数字を除いて空欄に入る数値決めろ・・というものです。ヒロパパは既に解答を雛壇さんに送ってありますが、もし皆さんでしたらどの様な方法で答えをだしますか?。後日ヒロパパが行った手順を紹介します。
2004年10月23日

”街中もすこし紅葉”

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台風23号は大きな被害をもたらし、復旧作業が大変、ボランティアでお手伝いしたけれど、足手まといになりそう・・。台風24号は、いまのところ日本列島にある高気圧が割れないでいる為、まだ西に進んでいるみたいです。今回の台風23号は、岐阜県から長野県への途中、所謂、波消しブロックと同じような北アルプスや中央アルプスにぶつかって、しかも陸上ということで海上にあるときのようなエネルギー補給もなく、暴風雨圏が急に減衰したみたいです。
それでは、日本に台風が来る前に減衰させる為の奇案です。
今回の23号と同様、南太平洋にあるうちに”進路に3−5キロの高さの波消しブロックを並べ、海上にシートを敷いてエネルギー補給を断つ方法”とか、誰かが言っていました”台風にも目がある、目に目薬を点すみたいに大量のドライアイスで冷やしてやったらどうかな”、・・・どちらも理論的には可能性はあっても、実現はむりですね。台風を人がコントロールできるようになったら、多分地球の絶妙なバランスが崩れる、やはり今までと同じように自衛せざるを得ないのでしょうね。
さて、初冠雪とか山の紅葉のニュースが流れていますが、写真は、街中でも一寸色づいたナンキンハゼです。今年の紅葉は、台風で葉っぱをとばされたり、気温が高かったり、雨や湿気が多く、綺麗に色づくかどうか心配ですが、これからの天候次第、期待していましょう。

”やまごぼう”

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先日酒粕を買ってからヒロパパは漬物に凝っています。酒粕が残ったこともありますが、酒粕だけではなく味噌漬けにも手を出しています。漬けるものは野菜に限らず、魚、肉までも試しています。
さて、先日近くの産地直送の八百屋さんによりましたら、「やまごぼう」がありました。早速漬物にと購入して洗ったものが写真です。しばらく陰干しし、今回は味噌漬けです。後でインターネットで調べてみましたら、忘れるくらい長期間、水に浸けあくを抜くこと・・なんて書いてあり、たかが1時間程度水に浸けただけでは足りなかったかなと分かっても後の祭り・・でした。
「やまごぼう」という名前で植物図鑑を引くと6月13日話題にしたヒロパパの言う「インク草」が出てきます。さて、本当の名前は?とよくよく調べてみましたらキク科の「モリアザミ」が本当の名前でした。名前の通りアザミであり、野原で見つけた場合、ノアザミ等の普通のアザミと区別かつくかどうか・・多分引っこ抜いて見ないとわからないかもしれません。今後、アザミを見つけたらた、又楽しみが増えました。

”アメリカンリーグ最終戦”

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今日は、台風23号も過ぎ去り秋晴れの良い天気が戻ってきました。今年は、日本への上陸が10回目、今回の台風23号は、超大型で、強い台風(超大型とか猛烈なとかの言葉の定義は、ここをご覧ください)で、死者・行方不明者の数が現在34名、平成に入ってから最悪とのことです。多分、今後もこの数は,調査が進むにつれもっと増えるのではないかと思われます。今年の台風は強風による被害もさることながら秋雨前線の活動が活発化した多量の雨による水害が大きな原因です。
いつも不思議に思うことは、台風が台湾の東(ひがし)の洋上に来ると今まで進んでいた西よりの向きを申し合わせた様に北から北東に変え日本に向かってくる、理由は、中国大陸と太平洋上の高気圧の谷間が日本列島に沿って延び、各台風は自分の進むべき道はここ、と決め込んで襲ってくる、台風の時期に丁度この気圧配置になる可能性が高いのか、台風がこの気圧配置を作るのか、それに前線が出来上がる、どちらにしてももう少しおとなしくなって欲しいものです。

さて、写真は、今NHKで放映している、アメリカンリーグ最終戦のボストン・レッドソックスとニューヨークヤンキースの模様です。現在6回の表、8対1でレッドソックスが勝っていますが、もし、このまま進めばベーブルース(バンビーノ)の呪いから解放されレッドソックスがワールドシリーズへ進出となります。ただ、昨年の最終戦ではレッドソックスが有利に進めていた試合を逆転されていますので、今年もどうなるのか?、しばらく見ることにします。

さて、写真の映像は、前にも話題にした、「バーチャル広告」が相変わらず埋め込まれている様子です。放映中に、アナウンサーは度々「この映像はMLB国際映像をもとに作成されています」とのコメントを流していました。今迄入れていなかったこのコメントの意味するとこるは、”広告が入っていることについて、NHKの責任ではありません”と言っているのかな・・と邪推しています。この広告を入れていることにより放映権の買収価格がこんなにセーブされているんだよとか、我々の受信料金はこんなに公明正大に使っているんだよとか、こんなことをNHKはもっと公表し周知すべきと思います。
でも、先日依頼ヒロパパは、この件に関して何もクレームは言いません。何故言わないかは、ご想像にお任せします。

”81年前の香港”

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昨日に引き続き、旧い写真を紹介します。81年前の香港です。かなり見難い写真で申し訳ありません。上の写真は、ビクトリアピークへ登るピークトラム、下の写真は、このピークから眺めたの風景で対岸が九龍です。

ヒロパパは、仕事で北京へに出張する際、その頃中国とは国交が無かった為、まだ英国領の香港を経由地しなくてはならず寄ったものです。ただ、なかなかビザが下りず約2週間足止め、これが功を奏しての香港見物でした。
その頃は、香港島と九龍との間には地下鉄は無く、船で渡ったことを覚えています。香港島では、ビクトリアピークに登ったり、タイガーバウムガーデン(今は「オー・ブンホウ(胡文虎)ガーデンズ」と言うみたいですが)を見たりと、この時も遊ぶことに熱心でした。

写真を見る限り、81年前は、ただの丘陵地帯や古めかしい港町で、現在の高層ビル群の眺めは想像できないですね。
勿論ヒロパパが行ったときはもう高層ビル群で、そういえば、香港空港に着陸する際、ビルの中で働いている人が真横に見えるくらいのビルの谷間に着陸、一寸怖かったことも思い出しました。それに、九龍の街中を散歩していたとき、英国の老婦人がヒロパパにヘルプ、良く良く聞いてみたら乗っていたローバーミニのエンジンがかからないとのこと、空気を吸いすぎてかからないみたいだったので、2・3回エンジンを回し動かしてあげたとか、暇にまかせて「飲茶」のお店に通ったとか、遊びすぎてお金がなくなり送ってもらったとか、・・楽しい思い出ばかりです。

”81年前の台北市内”

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10月16日話題にしました、父親の訓練航海の記録とアルバムから、今日は台湾の話題です。尚、掲載した写真、旧く見難くくて申し訳ありませんが、大正12年(1923年)1月20日〜22日に撮影されたものと記録から読み取れました。
一番上の写真は、台北新公園とのタイトルから、現在も台北駅の南、中正記念堂の北西にある新公園と呼ばれている公園と思われます。二番目の写真はその公園の噴水、只ヒロパパは覚えていません。
3枚目は台湾州庁、4枚目はその台湾州庁が見える位置での市内の様子ですが、さて、台湾州庁の建物が何処にあったのか、今もあるのか・・も、ヒロパパは良く分かりません。
一番下の写真は、1992年10月当時の国慶節でイルミネーションで飾られた台湾総督府です。隔世の感があります。
もし、新公園や州庁の現在をお分かりになる方がいらっしゃいましたら、落書帳にご掲載ください。

”ツリークライミング”

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「ツリークライミング」!、一寸お洒落な言い方ですが、所謂「木登り」です。一昨日の「森を守る会」の作業が終わってから、会員の一人が、ツリークライミングのプロで、その方のデモンストレーションを見ることができました。この時のデモは、枝にロープ一本をリング状に垂らしての昇り降りでした。多分林業に従事されている方たちのツリークライミングは、縄梯子や幹にロープを巻きつけたりと、いろいろな方法でその樹木にあわせた昇り方で枝払い等の作業をしているのでしょう。
デモでは、まず、丈夫な枝を見つけ、ここに重り(ショットガンって言っていました)のついたワイヤーを投げ引っ掛ける、これに太いロープを結びつけ交代させ、最終的にこのロープに沿って、片足で身体を持ち上げる、こんな動作を繰り返して一見容易く登っていました。見たところ、一番重要なポイントはロープの結び方の様でした。
ヒロパパも小さい頃は良く木登りをしました。勿論ロープを使わず、素手でつかまって登れるところまでです。樹木に登ることは、高いところから遠くを眺め、餌を探したり危険を予防したり・・これは本能かもしれませんね。でも、高所恐怖症の人も居る、木登りの人はお猿さんの子孫、高所恐怖症の人は穴熊の子孫?かもしれません。

”ハンノキ湿地で樹木調査”

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昨日は、「森を守る会」の臨時活動日でした。活動目的は、9:30からお昼までの、樹木の調査です。
エッ!ヒロパパはそんなに樹木について詳しかったっけ!、との疑問?・・ごもっともです。皆様と同様(失礼!)、桜、柳、杉、松の区別はつきますが、それ以上の区別、例えば、桜であれば染井吉野か大島桜か等々とか、松であれば赤松か椴松か翌檜か等々の区別は殆どわかりません。ということで、足手まといにならないように、自分の勉強の為におとなしくして参加してきました。

場所は、通称「ハンノキ湿地」の周辺です。何故ここがこの様に呼ばれる様になったかは、写真の手前の潅木が、湿地帯を好む「ハンノキ」だからとのことです。

調査は、会員の著明な植物学者のご指導のもと、湿地と両側の傾斜地を含む代表的な地域を選び、南北に100メータの基準線を作り、この両側2メータ(計4メータ)の帯の範囲に育っている樹木と、その範囲に覆いかぶさっている樹木を調査しました。この調査の方法は”帯状調査(ベルト・トランセット)”と呼ばれているそうですが、その地域の特徴をみて、最適と思われる基準線の長さや幅の広さを決めてゆくそうです。

さて、調査項目は、調査対象の樹木(今回は樹高;1.5メータ以上全て)に番号を割り当て、この樹木の位置、樹木の名前、幹径(または周囲長)、樹高、最初に分かれている枝までの高さ、根本から幹がいくつ育っているか、これらを、3・4人のグループに分かれ担当した区画で克明に記録してゆきました。我がグループが担当した区画は、樹木がそれ程多くなく約1時間半で作業は終わりましたが、ただ、樹木の名前が良く分からない、これについては、樹木に番号を付けてありますので、後から同定していただけるとのこと、安心して?マークを記載してしまいました。

そこで思い出したのが、幹の太さの測り方です(2004年4月30日掲載)。今回は1.2メータから1.3メータ程度(胸の位置)で、とのこと、そうかこれが「目通りxx」かと、納得です。それに樹高の計り方は、今回は附近にあった竹ざおに8〜10メータの印を付け、それ以上の高さは、全て目測です。今回の調査でヒロパパ達のグループでは、樹高;約25メータ、幹周囲;約1メータの立派な木がありました。

今回の調査結果は、植物学者の方がまとめ、何年か後に、又同じ調査をして、どれが育った(または枯れた)とか、外来種が増えている(または減っている)とか、湿地が狭まり(または広がり)木の種が変わっているとか、これらの変化を確認して、この変化が良いのか悪いのか、等々環境変化の基礎データとなるのでしょう。

ヒロパパにとっては初めての経験で、興味津々の半日でした。

”将校勤務録”

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写真は、一昨日の押入れの整理で発見したものの一つ、厚さ4cm近くの「将校勤務録」(写真の赤い冊子)です。中身を確認しましたら、ヒロパパの父親が、大正11年6月26日から翌年2月8日までの約7ヶ月間、横須賀を出航し、東回りで地球をひと回りした練習航海の時ののもでした。この頃父親は、海軍兵学校を出て間もない時期(23・4歳)でしたので、多分幹部候補生として参加した時のものと思われます。参加した艦は、「磐手」、「出雲」、「浅間」の3隻、父親は「浅間」に所属したと記録から確認できました。勤務録は、「浅間」に装備されている大砲等の兵器や機動性能、陸や他の船の遠景、航海中の感想等々、ことこまかに細かい文字でびっしり埋め尽くされていました。暇を見つけ少しずつでも読んでみようかな!・・と思っています。同時に見付かったアルバムにはヒロパパが行ったことのあるホノルルやアメリカの西海岸、それに香港、台湾の基隆がありましたので、80〜81年前の風景を楽しんでみます。
面白かったことは、父親が書いたものは横書きで左から右と今と同じですが、印刷された文字は右から左だったり、左から右だったり、外国名を漢字で表現してあったり、表紙には、部外秘:「本人現役ヲ退クトキハ希望ヲ以テ本人ヨリ又本人死亡ノトキハ所轄長又ハ遺族ヨリ之ヲ海軍省ニ納付ス可シ」なんて書いてありました。返すのを忘れていた?と思われますが、忘れていたから日の目を見た・・良かったです。

”部分日食”

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昨年の11月24日には皆既日食が見られましたが、昨日は久しぶりの部分日食でした。写真は、あわててボール紙に針穴を開け、約1メータ程度離して置いた紙に映した太陽を撮影したものです。やはりフォーカスが合わず、撮影の難しさを実感しています。
今回の部分日食は、北海道では約38%が欠けたとのことですが、ここ、東経137度、北緯35度での欠け具合は写真の程度で、11時半から12時半の約1時間見ることができました。今後の日本で見られる日食は、2007年3月19日に部分日食が、2009年7月22日に沖縄で皆既日食が見られるとのことです。この時はもう少し増しな撮影が出来るようになっっていないと・・?。
参考;日食については、東京天文台のホームページで詳しく知ることができます。

訂正(10月16日追記);
前述の「東京天文台」は、現在「独立行政法人・自然科学研究機構国立天文台」と名称が変更されているとのコメントをZundAn様からいただきました。お詫びして訂正いたします。ZundAn様ありがとうございました。
2004年10月14日

香港の東京ホテルと上海の辰己屋旅館

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久しぶりの秋晴れ、湿度も低く、今日こそはと、衣類、寝具等、夏から秋冬へ模様替えです。そこで押入れの中からあらゆるものを出して天日干し、順に奥に行くに従って妙なものが出てきました。大きな昔風のトランクがゴロゴロ、木枠にテント布と皮で作られた頑丈なものです。中を開いてびっくり、ヒロパパの父親の、軍服、帽子、襟章・肩章、写真帳・・でした。前々から金鵄勲章等の小物は見つけ整理してあったのですが、ついでに、これらも虫干しすることにしました。
写真は、トランクの一つに貼り付けてあったホテルのラベルです。多分大正末期から昭和初期と思いますが、香港に東京ホテルが、上海に辰己屋旅館というのがあったみたいですね。

”信書”!?って何。

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先日近くの郵便局から海外へ小包を出してきました。この時、郵便局の人との会話です。

「手紙は入っていないですね?」
ヒロパパはまたか、いつも聞かれるが、と思いながら「いいえ、入れてあります」
「小包に手紙を入れることはできません」
「何故小包に手紙を入れてはいけないの?」
「郵便法で決まっているから」

結局は、手紙をいれてもいい”EMS”で送ることにしたのですが、また何故何故?が頭をもたげてきてしまいました。
”何故小包に手紙をいれてはいけないのー!”
まず、郵便局員の言っている手紙とは法律での「信書」のことで、この「信書」の定義は「信書に該当する文書に関する指針(平成15年総務省告示第270号)」によって規定されている内容により判断している・・みたいでした。この指針では、2項「基本的な考え方」に、基本的通信手段を全国あまねく公平に提供する云々、信書の秘密確保云々、等々、これも小包に信書を入れてはいけない理由にはならない文章が並んでいるだけで疑問に応えてはくれていない・・、どうも郵政省時代の独占主義が残っていて、手紙=信書の集配だけは、他の民間宅配業者にその業務を譲りたくないだけ?、又は、手紙を一通一通別個に送ってもらった方が一括して小包としてより収入が多い?、こんなことなんでしょうか。
この部分は、郵政民営化によってどのように変わるのかな?または変わらないのかな?

そこで、これからの自衛手段です。
小包の中に入れる通信文の内容は、挨拶とか送付目的であって、「信書」ではなく「添え状」であること(添え状は信書ではない)、封筒にいれる場合は無封とする、もし、本当の手紙(信書に相当するもの)を送りたい場合はCDに入れて同梱する(CDやFDに記録したものは信書ではない)、こんな準備をしておけば、「手紙が入っていますか?」に対して「入っていません」と答えても大丈夫です。
また、郵便局員が言っている「手紙」の概念と我々の「手紙」の概念が違う、我々は「添え状的なもの」も「手紙」と判断している、こんなところにも問題が潜んでいる・・と印象を受けました。
ちなみに、日本・ハワイ間の5Kg以下の小包料金は、航空国際小包(信書同梱不可)で¥10,150、EMS(信書同梱可)で¥8,200で、EMSの方が確実に早く送付できる様です。

参考;
EMS(Expree Mail Service)とは、国際速達書留郵便で、速達であり書留であること以外に、個々の荷物に個別番号が割り当てられ、インターネットでこの番号を元に荷物の状態が確認できるものです。ヒロパパが出した荷物も、昨日宛先に到着したとの記録を確認することができました。

”猿の腰掛”

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写真(上)は、10月10日の「竹炭を焼く会」の時、竹やぶの中の、どんぐりの倒木にしがみついていた「サルノコシカケ」です。直径14センチ余り、厚さが5センチ程度、漢方薬として煎じて飲もうか!と採って(”盗って”ではありませんよ)きました。漢方薬の会社の宣伝では有効成分を抽出して云々・・、ある本に因ると、健康を害することはないが云々・・結局良く分からない、という結果です。多分、効くと思って飲めば効くのでしょうね。さて、このサルノコシカケを持っていた「きのこの図鑑」で引いて見ましたが、見当たらない!?、良く良く見てみましたら、正式には「コフキサルノコシカケ(マンネンタケ科)」と言うみたいで、サ行ではなく、カ行を調べなくてはならなかったみたいです。図鑑を調べるのも一苦労です。
下の写真は、10月7日の取材散歩の時撮った「カワラタケ(サルノコシカケ科)」です。これも、抗癌剤として一世を風靡したが、現在は単独では有効でない・・とのことです。
やはり、きのこは、八百屋さんで売られているものだけを食する、これが安全みたいですね。
2004年10月11日

秋の味覚”栗”

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昨日の栗ご飯の栗はもしかしたら近くにあった栗の木から採った?、写真は、それを茹で上げたものです。まるまると太った見事な栗で、虫が穴を開けたものもっぱいありましたが、二つに割ってスプーンで掻き出し、美味しかったですよ。
さて、街中で良く見かける天津栗は皮が簡単に剥けるのに、日本の栗は皮を剥くのが難しいですね。調理の仕方が違うのかなと思っていましたら、天津栗とは種が違うとのことでした。まず、外側の硬いオニガワは、底の部分を包丁で削り、トップに向かって剥ぎ取ってゆく、でもまだシブカワは残っています。さて、シブカワを取るのはどうするか?は、すり鉢に水を入れ、これにオニガワを取った栗を入れかき回す、これでシブカワも取れた美味しい栗の出来上がりです・・てなことみたいです。

”栗ご飯”

kurigohan
今日は月一回の「竹炭を焼く会」の会合日です。朝9:30から作業開始、近くのハチクを切り倒し、枝を払い、同じ長さに切断し、これを二つに割る、この作業を言われるままに実施です。一体何を作るのかな、竹炭には長すぎるし、と思い聞いてみましたら、屋根の材料だそうです。半分に割った竹を交互に組み合わせ、所謂トタン屋根風に仕上げるのだそうです。トタン屋根的にする為には相当量の材料が必要となり、今日はその1/5程度しかできませんでした。
さて、前回(9月12日)作った竹炭用の竹はどうなったのかなと見てみましたら、既に炭に変わっていました。一度炭焼きを見てみたいなと期待をしていたのですが、火入れから蒸焼で一昼夜、となると全工程付き合うのは無理かな?。
今日も作業を昼頃終え、皆で昼食です。先月から分かっていたのですが、栗入り炊き込みご飯、自分達で作った土製のかまどで、煮炊きし、おこげもいっぱい、美味しかったですよ。それに味噌汁も最高でした。来月は、煮込みうどんとのこと、なにか食べ物につられ参加しているみたい・・。

ススキと同様秋を代表する野草
”セイタカアワダチソウ”

seitakaawadatisou
この時期何処ででも見られる「キク科アキノキリンソウ属セイタカアワダチソウ」(10月7日撮影)です。ものすごく生命力が強く種子でも地下茎でも繁殖し、特に地下茎は他の植物が育たない物質を分泌し、付近一帯を制覇してしまう、こんなことで嫌がられていますが、良く見るとなかなか綺麗ですよ。
似た仲間に、もう少し早く花が咲き、花がもこもこしている「オオアワダチソウ」と、この時期花がばらばら付いている「アキノキリンソウ」があります。

”金木犀”

kinmokusei2004
またまた台風、今度は22号、中心気圧;920hPa、愛知県・静岡県に上陸しそうで、昔の伊勢湾台風みたいにならなければいいのですが。ハリケーン、サイクロンといろいろな名前で呼ばれていますが、この頃の熱帯低気圧は強力です。やはり、地球環境全体のバランスが崩れかけているのか・・心配ですね。
でも、植物達はちゃんと秋を覚えていてくれています。
写真は、近くで咲き始めた「金木犀(モクセイ科)」(昨日撮影)です。昨年はどうだったかなと、アーカイブスを覘いてみましたら、10月1日に同じ話題を、10月2日に中国茶の話題を載せていました。明日襲ってくる台風で散ってしまわなければいいのですが・・。

”アレー!堤が崩れてる”

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昨日と今日は好天気、明日からまた下り坂とのこと、この際とばかりに市内の森の散歩です。
行った先は、森を守る会で7月4日9月5日に整備した「天白湿地」です。9月に行った折には、附近は「きのこ」だらけで、「きのこ」を調べてみようというのが本当の目的だったのですが、この時期には「きのこ」は殆ど無く、鳥の声を聞きながら、「天白湿地」に行って、唖然!、作った堤が崩れていました。写真の中央部分、土嚢が切れている部分がそれです。崩れたというより意図的に崩されたもので、チラッと聞いた話ですが、湿地に水を溜めることに反対している個人?またはグループがいる、その方々が堤を崩している、みたい?です。
こんなことを続けずに、その方たちと交流が持ち、本当はどのようにしたら好いのか話し合えばいいのに、なんて思っています。

”これ何ーに?”

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地下鉄の駅の改札口で、写真の様な化学実験装置のおばけみたいなものがありました。小さい字でフランスの作者名がかいてありましたが、何の説明もなく、ガラスチューブの中を青い色をした液体が常時流れていました。さて、すこし眺めて、両側の数字から、「オー、これは時計か!」と気がつきました。
写真左側が”分”で、右側が”時”を表す、青い液体の溜まった部分がその時の時刻を表す、従って写真の状態(左が空で、右の一番下に青い液体が溜まっている状態)は丁度1時を示していることになります。
実は、ここに到着した時刻が12時40分頃で、最初に見た時は、左のチューブの3/4位まで詰まっていて、右のチューブは空でした。そのうちに左のチューブの液体ががだんだん増えて、丁度1時ごろ写真の状態になりました。従って、20分位この周りをうろうろ・・、誰ですか暇ですねーと言っている人は。
ただ、全体の液体が全てつながっている訳でなく、左のチューブに液体を適量いれてゆき、満タンになるとスイッチでそこの液体を抜き、右の方に適量の液体を入れる、これを繰り返し、右のチューブが満タンになると、再度最初から同じ動作を繰り返す、こんなことを電子制御しているのではないかなと思って見ていました。本当は、昔の水時計みたいに、”水の流れ落ちる量だけで時刻を示す”なんて方が趣がありますが、これではディスプレーの効果が薄れるのかな?。参考までに、インターネットで調べましたら、同じ様式のものが、金沢の香林坊にもありました。

”環状サブウェイ”

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写真は、明日からの名古屋市内地下鉄の路線図で、地下鉄車内で撮ったものです。真ん中の環状になっている部分が日本で初めての、環状地下鉄”名城線”です。今迄、新瑞橋という駅から八事、名古屋大学までが切れていたのですが、明日10月6日からつながり立派な環状線となります。鉄道マニアの方達は、多分一番電車に乗るとか該当区間の番号の若い切符を買うとか、準備をしているのではないかと思いますが、ヒロパパはそこまでのマニアではありません。
前にも話題にしたことがありますが、ここ名古屋は私鉄が2社(名鉄と近鉄)ありますが市内を縦横無尽に走っている訳でもなく、それにJRが東京の山手線の様に走っている訳でもなく、市内は、市営の地下鉄か市営のバスが主な移動手段となります。でも、この6系統の地下鉄でほぼ行きたい場所に行けます。
将来は、ドイツのフライブルグみたいに昔の路面電車やトランジットモールを復活させ、市内に入る自動車を極力減らす移動システムが出来上がれば最高なのですが。
もう一つ、写真の右端に、「2005年3月開通」と但書きがありますが、地下鉄東山線の終点から万博会場を結ぶ「リニモ」(リニアーモーターカー)も既に記載されていました。万博の宣伝も兼ねているのでしょうが、気が早いですね。

”どんぐり人形”

donguriomocya
昨日の区民祭りの会場での森の会展示コーナーで、ベテランがどんぐり人形や葉っぱの虫の作り方を子供達に教えていました。雨降りでお客さんが少ないのが幸いして、子供達がゆっくりと楽しんでいました。どんぐりの人形は一つ一つ表情豊かで可愛いものばっかり、いろいろ特技を持った人がいるものですね。

”気持ち悪い毛虫なんて言わないで!”

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今日は「森を守る会」の定期活動日です。例によって小雨の中(どうして活動日は雨になるの?といつも不思議ですが)、平和公園の通称ハンノキ湿地で、3が月程前に竹林を伐採し整備した土地の、再度芽を出した小さい竹の伐採です。午後までの予定がお昼近くなって土砂降りの雨で早々に切り上げることになりました。
同時に今日は「千種区区民祭り」がここ平和公園で行われており、雨の中一寸寄ってみました。祭りの会場は雨の為地面はどろどろ、お客も少なく展示されている方も暇そうでした。我が「森を守り会」も展示場所を確保し、活動の写真、どんぐりや竹を使ったおもちゃ作りのコーナー、それに蝶の標本と幼虫の展示を行っていました。
写真を、「気持ちの悪い毛虫!」なんて言わないでください、9月27日9月29日に話題にしましたタテハチョウの仲間の「ツマクロヒョウモン」の幼虫なんです。幸運にも1匹いただいてきました。餌はパンジー、後1週間程度で「さなぎ」になり、その後1週間で羽化するとのことです。2週間程度様子をみて、羽化したら逃がしてやることにします。さて、えさのパンジーを買ってこなくては・・。

”黒曜石と水質”

suisitsukensa
今日から相当長期間にわたる観察を始めます。といっても只単にほっておいて気が向いた折眺め変化があったらその時の変化を記録するだけなのですが・・。
一体何の観察?、写真をご覧ください。水の入った試験管3本に、左が備長炭の小粒を、真ん中は黒曜石の小粒、右は水のみです。この3本の中の水が今後何時どのように変化するか、数ヶ月で変化が現れるのか、半年・一年かかるのか一寸今は予想できません。気長にほっておくことにします。
ヒロパパの部屋には産地から採取してきた黒曜石がころがっており、この黒曜石の効能の一つ、水質改善が本当かどうか確かめてみることにしたわけです。
まず、初期条件を同じにする為試験管の3分間の熱湯消毒を行い、水は水道水、備長炭と黒曜石はさっと同じ水道水で洗ったものです。もしかすると、もっと雑菌を含んだ川や池の水の方が結果が早く分かるかもしれませんが、ひとまずこの状態で続けてみます。また変化がありましたらご報告しますが、何ヶ月先のことになるのやら・・。
追記;イチロー選手の年間安打新記録達成、技術力と精神力、すごいです、たいしたものです、ヒロパパも嬉しくなってしまいました。

”セセリチョウ”

sesericyoh
今日から10月、すこし暑いのですが良いお天気、あわてて洗濯、布団干しですか?。
先月27日29日に紹介しました蝶の仲間、アゲハチョウ、シロチョウ、シジミチョウ、先日のタテハチョウの仲間はある程度想像できますが、さて、セセリチョウの仲間はどれ?・・ということで、今日はセセリチョウの写真を撮ってきました。
多分何処でもご覧になれる、蛾に似た蝶ですが、蛾ではありません。他の蝶との区別は、身体も翅も小さめ、翅は他に比べ三角形に近い姿です。写真は、「オオチャバネセセリ」です。(先日の本が役立っています。)