2011年8月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2011年8月31日

”今日、当家のおばあちゃんは102歳になりました
今年は結婚式の時の記念写真です”
("a commemorative photograph of my parents' marriage ceremony")

アルバムへのリンク;「祭り・お祝い」

kekkonsiki19350919

8月31日は当家のおばあちゃんの誕生日で、今年で102歳になりました。ということで今日の話題は当家のおばあちゃん、いつもながら話題にするよッっておばあちゃんに断っている訳ではない、でも、ま~イイかッ!としています。
昨年は”お見合いの写真かな?”でしたので2010年8月31日の話題、今年は、先日以来、我が父親も話題にしたこともあり2011年8月25日2011年8月18日2011年8月14日の話題)、結婚式の時の記念写真としました。この写真は一昨日の話題の母親の「人生アルバム」2011年8月29日には勿論既に掲載済みです。
結婚式の日付は昭和10年(1935年)9月19日、父親は明治33年(1900年)4月生まれですので当時満35歳、母親は明治42年(1909年)8月生まれで当日は満25歳ということになります。

父親の住居は、長野県諏訪郡長地村(おさちむら)東山田(現在の下諏訪町)、母親は隣の集落の同村中屋(なかや、現在の岡谷市長地鎮・おさちしずめ)、相当前から決まっていたが父親の戦地出張等で結婚式は遅れたとのことです。
母親曰く、この頃だったからでしょうが、海軍兵学校卒(第50期)ということもあり村内では優秀で親孝行で等々評判の良い人物で知れ渡っていたとのことです・・・誰ですか、ヒロパパと大違いだ!って云っている人は?。
その8年後に戦死なんて、この時は想像すらしなかったのでしょうね。

さて、父親の服装はこのころの軍服の正装かな?、多分今も当家で保管してある軍服2009年8月18日の虫干しの話題と同じものと思われます。この軍服は冬用で、ラバウルへ行った時夏用を持って行ったからこれが幸い残ったものと思われます。

旧いアルバムを見ていると、人物は勿論ですが撮影した土地や背景等の変化の有無もなかなか面白く興味がわきます。自分の分も大切に写真を保管しなくっちゃ・・。

”カマキリ君、今日のお客様”
("a mantis and his compoud eyes")

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

kamakiri110830_2

kamakiri110830_1

我が庭への今日のお客様、カマキリ君です。
いつもはシジミチョウやアゲハチョウ、トンボそれにダンゴ虫のホットスポットになっている我が庭に、多分カマキリ君は初めての来訪と思われます。何かを美味しそうに食べていました、アブラムシかな?。

何時も目を合わせている様な偽瞳孔は以前話題にしたことがありましたが2008年9月28日の話題、角度を変えて撮影してみましたら、やはり”いつも見つめ合っている”みたい、仲良くなれそう~。

それにしても複眼って不思議です。聖徳太子みたいに一度に10人のお話を理解できるのと同じで、このカマキリ君達は脳みその中で複数の目の数の外界が見れている?、もし複眼の一つ一つが人の目の様な映像となっているとすると、数万個の画像が一枚のディスプレーに表示されるのと同じことになる?、まさかそんなものではないとは思いますが、どの様な映像となって見えているのかを見て見たいですね。
脳細胞の解析が今後進めばヴァーチャル的にディスプレー出来る時代がくるのではと期待しています2008年12月11日の話題

それにしても昆虫達の複眼は、以前話題にしたハナアブの複眼みたいに模様がみられるのもありで(下記参照)見ているだけでも楽しいね。

話題が変わりますが、今日新しい日本の総理大臣が決まりました。管内閣の総辞職、与党の新しい代表の選出、それに今日の国会・両院での総理指名選挙で、野田圭彦氏が95代内閣総理大臣に指名されました。
それにしても我が国の総理大臣は何故こんなにクルクル変わるの?、誰が何時どれ程の期間でその間の政策はなんて覚えられない程の多人数、政治を職業とする皆さんは、政治はそっちのけ、一度は総理大臣という名前を自分の名前の前に付けてみたい、その後も元総理大臣と呼ばれたい、その為に権力闘争・足の引っ張り合いをしている?、全員とは言わなくてもそんな考え方で政治をしている人がいるみたいな気がしてしまいます、悲しいですね~。

関連話題;
2009年4月27日;モンシロチョウの複眼
2008年7月21日;カメラ目線のゴマダラカミキリムシ
2008年4月14日;モンキチョウ
2007年6月14日;ミツバチの複眼
2007年6月8日;オオハナアブの複眼、不思議な模様

”みつるの人生アルバム”
("album of Mitsuru's life")

アルバムへのリンク;「戯言」

lifealbummitsuru110829

毎年8月31日が近付くにつれて少し忙しくなります。理由は今度の8月31日は当家のおばあちゃんの102歳の誕生日で、これにタイミングを合わせ、当家のおばあちゃんの人生アルバム(掲載した写真、「みつる」とはおばあちゃんの名前です)を改訂してゆくことと、親戚縁者の住所録も改訂してゆくことを毎年行っているからなのですが。

3年前の白寿のお祝いはレストランの一室を借り御ごちそうを食べ、それに金太郎飴を作りお祝いをした2008年8月30日2008年8月31日の話題)、2年前は、総理大臣から銀杯を頂いた2008年10月1日2008年9月31日の話題) 、昨年は早目に誕生日会を行い2010年8月16日2010年8月31日の話題)、その後骨折して2010年8月24日の話題)現在の老健暮らし、さて今年は・・・皆さんが集まれる近々の日曜日に、老健から連れ出し、車いすが入れる小さなケーキ屋さんの喫茶室でも借りて行おうかと計画をしています。

それにしても102年間の人生アルバムは、年々孫・曾孫が増え大きく成長している、おばあちゃんの兄弟姉妹で亡くなる方もおいでになる、当然ながら表紙は改訂で済むにしてもその他のページ数が増加の一途、項目だけですが「誕生」、「学校」、「娘時代」、「結婚」、「父親」、「新婚時代」、「育児・子」、「父親の戦死」、「その後の生活」、「叔父・叔母・従兄妹」、「甥・姪」、「孫・曾孫」、「お友達」、「趣味」、「旅行」、「米寿」、「白寿」、最後に「家系図」に分かれ、それぞれの付属する資料も含め30ページ以上になってしまいました。

実は先日以来探している我が父親のラバウル視察時の生前の最後の写真も2011年8月14日2011年8月18日2011年8月25日の話題)、このアルバムにまとめてしまうかと計画をしていたのですが、残念ながらまだ見つかってはいません。

さてこのアルバム、何故こんない熱心にまとめているのでしょうね?。
考えてみましたら、当初は自分自身でも気が付かなかったのですが、おばあちゃんの為というよりヒロパパ自身のルーツ探しの為が気持の底にあるみたい・・・ということは、ヒロパパの自分の人生を生きているうちにまとめ、これに加えれば良いことになる、このHPの話題は2003年の退職後からですので、誕生から退職前までの概略をアルバム風にまとめあげてみようかな?・・・出来そうかな~不安・・・。

”7年前の水道水”
("a examination of water")

アルバムへのリンク;「戯言」

watertest110828 suisitsukensa

7年前の水道水???、掲載した左の写真は、7年前黒曜石の効能を確かめようと保管しておいた水道水、右の写真は7年前スタートした時の写真です2004年10月2日の話題
実は今月20日の雨花石を話題にした時、そういえば黒曜石の効能をテストしていたんだということを思い出し、慌てて部屋の中を捜索、誇りまみれの試験管をキッチンの流しの下から探し出すことができました。

7年前との比較は、
●まず蒸発してしまったのか全てで水道水が減っている、この原因は、それぞれの混入した炭(備長炭)や黒曜石の違いではなく、密閉した訳ではない為コルク栓からの蒸発と考えられます。只残念なのは黒曜石を放りこんだ試験管の水が全て無くなってしまった、これでは黒曜石の効能を調べたいという当初の目的は達成できないことになってしまった、残念です。
●それでは、炭と水道水のみの比較は、水道水のみの試験管は変色していること、炭の場合は変色はしていない、この変色の成分は分かりませんが変色したことが水質悪化とすれば、水質悪化は炭を入れたことにより進行が鈍化?していると想像できます。ただどちらも浮遊物が散見されます。この浮遊物が何なのか?、それに水質成分の細かな分析は?、といわれてもその方法も試薬もなくヒロパパには難し過ぎる、諦めることになりそう・・・このごろこんな事が多くなっている・・・歳ですかね~。

”花火大会”
("a fireworks display at Rouken")

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

roukenhanabi110827_2

roukenhanabi110827_1 roukenhanabi110827_3

今日は隅田川花火大会、それに阿佐ヶ谷では阿波踊り、名古屋では「どまつり(にっぽんど真ん中祭り)」、ヒロパパが関係する地域ではお祭りが盛んです。

掲載した写真も花火大会、皆さまからは「何処のお祭り、規模が小さいみたいだけど?」と言われそうですが、そんなこと言わないでくださいね。
花火の内容は、手持ち花火は勿論、打ち上げ花火やナイヤガラの滝あり、しかもファイヤーダンスもありで規模は小さくてもみんなで楽しめた花火大会、主催者は我がおばあちゃんが入所している老健で、ここ花火大会が今夜行われ、ヒロパパも楽しんできました。

多分、準備が大変だったのでは、花火の用意から始まり、駐車場での開催だった為車を一か所にまとめたり、車いすの入所者を観覧席に導いたり、風向きによって観客席を変えたり、ファイヤーダンスも多分1カ月以上前から練習したりで、老健の職員の皆さまの苦労は大変だったものと思われます。

皆さま、おばあちゃんも喜んで楽しんでいましたよ、ありがとうございました。

”夕焼け空のポツポツ?”
("a flight of bat around a river")

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

koumori1108

この頃、というより"暑くなってから特に"が正確ですが、我が部屋の近くの用水路(藤川)の上空に、夕方になると必ず黒いポツポツが数十匹飛び回っています。お分かりの通りこれ哺乳類で唯一飛ぶことが出来る「蝙蝠(こうもり)」なんです。
この蝙蝠君達、何処にお住まいかは分かりませんが、この用水路に生息している昆虫を毎夕食時、食べに来ているのですね。蝙蝠君達は鳥類の滑らかに飛翔する様子と異なり、急旋回、急降下、急上昇を繰り返し昆虫を追っかけて(と云っても追っかけている昆虫はヒロパパの目に見えているわけではありませんが)飛んでいます。

蝙蝠の仲間は大きくは2種類、オオコウモリとココウモリの仲間がいて、オオコウモリは視覚によって捕食する、ココウモリは超音波を発しこの反響で障害物を避けたり獲物を捕まえること(エコーロケーション;反響定位といいます)をしている、ここで見掛けているのはココウモリの仲間の一つと思われます。

それにしても見事が飛翔能力、カメラのスポーツモードを使ったり流し撮りしたり感度を上げたりして撮影を試みたのですがうまく撮れない、不満足ながらですが掲載した写真になりました。話題が適当ではありませんが戦闘機がこれだけの機能を持っていたら空中戦でもミサイルが飛んできても負けないのではと思われます。

それでは何故この蝙蝠君達はエコーロケーションの能力を身につけているのか?、昼行性動物や夜行性動物との棲み分けで「夕暮れ行性」(ヒロパパの造語です)で生き続けてきたことが一番の基本で、この為視覚ではなくエコーロケーションの能力を身に付けたのでしょうね。

それではエコーロケーションの為にどんな音を出しているのでしょうね。
インターネットから人の可聴域に変換した音を聞くことができますが、パルス状の超音波をFM変調的に発し、これの反響音やドップラー効果音を聞き分け対象物との距離を判断しているとのことでした。
それではとヒロパパのいつもの癖で?、部屋の中で前に板状のものを置いて「アッ・・・アッ・・アッ・アッ・アッ・アッ・」と叫んでみましたら、一応はその板状のものが近くにある場合と遠のいた場合とでは反射音が違う、只可聴域の声では細かい物体の反射は皆無にちかく、やはり超音波の方が多い、ヒロパパの声にもし超音波が含まれていてもそれを聞きとる能力もなく、ヒロパパはやはり昼行性の動物であることを実感してしまいました。

さてこうもりは「蝙蝠」と書きます。この漢字は中国語でも同じで、この発音が幸福が行き渡る意味の「遍福(bianfu)」と同じため、こうもりは縁起の良い幸せをもたらす動物として大切にされているのだそうです。
そういえば吉祥文様に、鶴・亀・鯉・鴛鴦・龍と同様、蝙蝠も良くお目にかかりますね。

参考サイト;
エコロケーションについて

”山本五十六元帥の戦死時(海軍甲事件)の報道、
それに我が父親の生前最後の写真”
("need freedom of the press")

アルバムへのリンク;「戯言」

19430419asahisinbun

19430422asahisinbun

探し回っている我が父親の生前最後の写真について、その後ラバウル海軍航空隊視察時の山本長官を別の角度から撮影した写真が、以前掲載したもの以外に新たに2枚見つかりました。
その新たに見つかった写真を拡大してみた結果、今まで我が父親かなと考えていた方は実はそうではなく別の方であることが明確になってしまいました(関連話題;2011年8月14日2011年8月18日の話題)

さて山本長官や我が父親を含めた参謀の皆さまがお亡くなりになられたこの海軍甲事件について、当時の報道はどうだったのでしょうね?・・ということで当時の新聞を図書館で調べてみましたら、面白い記事に出会いました。

以下箇条書で、
●昭和18年(1943年)4月18日;海軍甲事件が発生した日、但しこの年月日の公表は後々になってのお話ですが。
●昭和18年(1943年)4月19日(左の画像);ブエノスアイレス発・ワシントン来電=米海軍省18日発表で「ショートランド上空で空中戦」との報道が同年同月19日の朝日新聞夕刊にありました。
記事の内容での「P-38戦闘機」、「ショートランド上空」、「日本爆撃機隊」等から、これが前述の海軍甲事件を米国が発表したものと受け取れます。又この記事を書いた朝日新聞は、この情報が山本長官の戦死に関るものとは受け取っていなかった又は分かっていたとしても大本営から詳細の報道を規制されたのではと想像できます。
現在の推測では、米国はこの頃日本軍の暗号解読に成功していて、この空中戦で山本長官機及び参謀長機を撃墜した事は分かっていたと思われますが、この空中戦での成果を山元長官機撃墜と具体的に取り上げ大きく報道すると暗号を解読している事が分かってしまう、従ってただ単に空中戦があったとの報道内容に留めたのではと思われます。又、時差を考えると米国の発表は海軍甲事件発生の直後と思われます。
●昭和18年(1943年)4月22日(右の画像);日本での公表は3日後の21日で2011年8月14日の戦死電報の日付)、翌日22日に報道され国内に周知された。

戦時中のこのころの報道に目を通すと、連戦連勝、病院船を攻撃する敵国の卑劣な行為、全国民一丸、士気昂揚、大勇猛心、壮烈・・・・と国民を鼓舞する言葉や不正確な内容を含んでいる、多分新聞記事や放送内容には検閲又は自主規制があり、自由にものを言う事が出来ない時代だったのではと思われます。

それに、今我々が正確であると信じている報道内容がもしかしたら間違っていることもあり得るかもしれない、全てを疑うことは疲れてしまいますが、オヤ?と思われるものは”良く吟味して”が必要になるのでしょうね。

追記(2011年8月26日);日付に間違いがありました。海軍甲事件の日本国内向け公表は、大本営発表が昭和18年5月21日、新聞報道が翌日の5月22日ですので発生後約1カ月以上経ってからということになり、文中の”4月22日”及び”3日後”は誤りです、失礼をいたしました。

”パイン、今年も根っこを出してくれるのかな?”
("a sprout of pineapples")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

pineapple110808 painapple110824

パイン、今年も根っこを出してくれるのかな?・・・と今年送っていただいたパイナップルの2011年7月21日、2011年7月28日の話題)、切り取った葉っぱの部分を食べる毎に水に浸けて様子をみています。
現在17本ある内、新しい芽?と思われるものが出てきているのが5本(左の写真)、既に全てが枯れた?と思われるものが6本、葉っぱが緑色で生きていると思われるが新芽らしきもの等の変化が無いものが6本、ただ根っこは全てで出てきていない、こんな状態です。

昨年の記録を見てみましたら2010年7月1日2010年7月12日2010年7月18日の話題)、約2週間で芽が出てきて、その後約1週間で根っこが出てきていますので、これからは新芽が出てきたものについて発根を期待しています。
只、最初に発芽したものは今月8日だった、既に2週間経っているにも関わらず発根していない、どうしてなんでしょうね?。
昨年との違いは、昨年は発根するまでは室内に置いたのに対して今年は全て外に出しておいた為暑過ぎたからか?、それとも食べる部分を多くする為、けちって葉っぱの下ぎりぎりで切った為根っこになる生長点を無くしてしまったのか?、それとも冷蔵庫の入れていた期間が長過ぎたのか?、既に枯れてしまったものは諦めるにしてまだ緑が残っているものについては、もう少し様子を見ることにします。

さて昨年のものは順調に生長しています(右の写真)。
来年、それとも再来年になるのでしょうか、真中から花柄が伸びてきて花を見ることができるのは・・と期待を込めて世話をすることにしています。

”くらしの森A1ポイントを変更します”
("shifting new A1-point fron old")

アルバムへのリンク;「風景・自然」

a1np-e20110804web
2011年8月9日撮影の定点景観撮影”新”A1ポイント;里山の家
a1p-e20110509web
2011年5月9日撮影の定点景観撮影A1ポイント;里山の家

定点撮影の整理を徐々ではありますが進めています。

掲載した画像は、どちらもくらしの森(名古屋平和公園南部緑地)のエントランスエリアとして決めたA1ポイントで、上が今回のもので新A1ポイント、下が5月に撮影したもので従来のA1ポイント、御覧の通り撮影した位置が異なります。

この定点景観撮影を始めた当初は、工事前の予想として駐車場を含めて大幅な工事を想定して従来のA1ポイントを決めたのですが、実際は駐車場はそのままで、旧里山の家があったエリアのみの工事になった、ということで少し時期が遅くなりましたが、今回初めてA1ポイントの撮影位置を道路際約100メータ北にずらし東方向に撮影することにした次第です。

それでは旧里山の家の時代のこの周辺の画像は無いのか?・・いいえ撮影位置・角度が違いますが、変化が見られる毎に撮影し「定点撮影画像」の「スペシャルポイント」としてアップロードしてありますので2009年3月13日の話題、そちらを参照して頂ければと思います。

それに今回から今までのスポット撮影数枚をパノラマ化して掲載させたりとの変更を計画しています2009年8月16日の話題

現在の景観画像のページは、1ポイントにつき基本は最古画像と最新画像の2種類として最新画像を撮影の都度入れ替える、一部は最古画像と中途画像を残し最新画像のみ入れ替える、この様な操作を繰り返すこととしています。

”絵合わせパズルの新作”
("new picture arrangement puzzle with octagon")

アルバムへのリンク;「趣味。好み」

octagonpuzzle110822

octagonpuzzletemplateweb

新しい絵合わせパズルに昨日より挑戦していました。今度のパズルは正八角形を利用したもの、只、正三角形や正四角形それに正六角形のように平面充填(同じ多角形で平面を全て埋め尽くすこと、この3種類しかない)は出来ない、従って正八角形と正方形の組み合わせになりますが、出来あがったものが掲載した写真のものです。

前回の正六角形のものと同様2010年5月26日の話題、まずパソコン上で基本となるテンプレートを作り、これに出来る限り同じパターンが出来あがる様記号を附し、その上で出来る限り最小数の変更画像を配置してゆく、作成方法は同じです。実物は右側のテンプレートのものです。

さて、このパズルの難しさの程度はどうだったのでしょうね?。

結論からすると失敗作です。
まずピース数が少ないこと、写真のものは8ピースですので、最大8回置いてみれば何処かが直ぐ分かってしまうこと、それに参考とする周辺に配置した図が多すぎてこれも一目瞭然、実は前回の正六角形のものより図形を多くして難しくしたかったのですが、残念・・・。
改善策としては、このままでも正方形のピースを中心部は残したにしても予め貼付せずフリーとしておくことも考えられます。次回作る時はまずはこの改善点から試してみますね。

このパズルやその他風景画のパズルは、当家のおばあちゃんの前頭葉の活発化の為と銘打って(効果はいまいち分かりませんが)いつも老健訪問の折り実施しています。感心な事にお茶やお菓子を食べるのはさておいても出来ずに投げ出す等もなく楽しんでいるみたいですので、今回のものも前回より簡単とは思いますが2010年4月21日の話題、パズルを解いたという達成感を味わってもらえればと持参することにしています。

関連話題;
2010年7月4日;絵合わせパズル・ギフト用
2009年3月28日;サッカーボールと準正多面体

”雨花石”
("yuhuashi from Nanjing")

アルバムへのリンク;「戯言」

yuhuashi_1 ukaseki_2

yuhuashiuneartharea

掲載した写真の石は「雨花石(うかせき、yuhuashi)」、メノウや水晶、オパール、虎目石等の変種で、半透明のものから不透明なものがあり縞模様が綺麗です。
何故急にこの話題には?、我が中国語サークルの高講師が急な用事で先月帰国し、先日再来日した時のお土産として頂いたものです。

さてこの「雨花石」は何処で採れるの?は、高講師の故郷である中国・南京で、そもそもは南京市内の雨花台(Nanjing, yuhuatai、南京南駅の近く)だった、ところがもうそこは採り尽くし、現在の主な産地は南京周辺の「六合(luhe)」や「儀正(yizheng)」だそうです(下の地図)。この「雨花石」は長江の流れに乗って角が取れ丸く磨かれ南京近くに溜ったもの?、もしかしたら長江の岸辺を散策していれば拾うことが出来るのかな、そんなことは無いか!。

そういえばこのHPの話題で昆虫とか植物の話題は多いの対して地層とか鉱物の話題は数えるくらいしかない(下記)、地層や地質、それに石・鉱物は全ての基本であることは確かであることは分かってはいるのですが、興味があるにしても余りにも知識が無さ過ぎることが原因で話題にすることすら出来ない、少しずつでも知識を仕入れる努力をしてみますね。

関連話題;
2010年9月16日;これダイヤモンドかな?
2007年7月5日;綺麗な石ころ
2005年12月25日;マッツ・ジョナサンのガラス製置物
2005年1月6日;ナザール・ボンジュック
2004年10月2日;黒曜石の効能
2004年8月18日;黒曜石

”アップルミントの香り、抽出出来るかな?”
("extraction of a applemint's perfume-ingredient ")

アルバムへのリンク;「戯言」

perfumebyapplemint110819

エチルアルコールと精製水、それに濃い緑色の液体、化学実験を始めたのかな?。

今月初めに話題にしたアップルミントの開花に目を付け2011年8月2日、常連客のシジミチョウさん達には申し訳なかったのですが、花を付けるたびに花を含めた先っぽを約30本摘んで一昼夜乾燥させ、ペットボトルに詰め込み、そこにエチルアルコールを流し込んで約2週間、出来あがったものが濃い緑色の液体です。小さな霧吹きの容器は、この原液を精製水で3倍に薄めたものです。
いったい何のつもり?、実はアップルミントの香り成分を抽出することができないのかなと、予め何の予備知識も勉強もせずの、化学実験まがいのことをやってみました。

結果はどうだったのでしょうね?・・・まず香りはほのかには漂ってはきますが直ぐに無くなってしまう、それに緑色の色素成分(クロロフィル?)が吹きかけた部分が乾燥した後も僅かですが残ってしまう、このままでは”まだダメ!”の状態です。

次のステップは、ろ過し個形部分を取り除くことを試してみます。さて何を使ってろ過するの?、何時も使っているコーヒ―フィルターを使ってみます。でもそうこうしている間に香り成分が全て飛び去ってしまう可能性もありますが・・・難しそう・・・。

”これ同一人物かな?親父かな?”
("this person mey be my father")

アルバムへのリンク;「戯言」

hikaku oyaji

先日14日の話題の続きで我が親父の生前最後の写真の捜索について2011年8月14日、古いアルバムからの写真を持ち出し比較してみました。
選んだ写真は、正装したものは除外、比較したい画像と同じ第三種軍服のもので(右の写真、この写真が何時、何処で何のため撮影したかは説明がありませんので不明ですが)、まず顔の部分だけをトリミングし、次に同程度の粗さに加工して、目で判断してみました。

昭和18年4月は親父は43歳、それほど顔かたちに変化はないはずですが、撮影した角度の違いや視線の方向の違いがありますので不確実、でも期待を込めて見るせいなのでしょうか、顔の輪郭、眉毛や耳の様子が似ている感じがしています。

インターネット上では、山本長官のラバウル視察の写真を、先日掲載した写真以外もう1枚見ることができます。そちらにも親父に似た人物が写っている、ただ拡大してみましたら違うみたいでした。
それでも必ず撮影担当の方が随行していたはず、とすればこの時の写真は戦後意図的に廃棄されていなければもっと多くの枚数存在していても良いはず、残っているとすればそれは何処に保管されているのか・・・まずは、「防衛省防衛研究所図書館(東京都目黒区中目黒)の史料室」に保管されているかな?、ということでそこにお聞きしてみましたが、書籍のみで写真類は無し、あと期待できるところとして、「山本五十六記念館」(新潟県長岡市)、「文藝春秋社」(ここは山本長官の戦死に報いる書として昭和19年に「噫 山本元帥」を発刊)、又は新聞社(特に「毎日フォトバンク」)に問い合わせをしています。
キーワードは「山本長官のラバウル視察時の随行した参謀全員又は一部が写っている写真」となりますが、気長に待つことにしています。

”今日の
「シラタマホシグサ」と「ナガバノイシモチソウ」”
("today's Shiratamahoshikusa & Nagabanoishimichisou")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

shiratamahoshikusa110817

nagabanoishimochisou110817

写真は、「シラタマホシグサ」(大狭間湿地)と「ナガバノイシモチソウ」(長葉石持草自生地、どちらも愛知県豊明市)の今日の様子です。
「シラタマホシグサ」はまだ蕾の状態であと2・3週間程度すると湿地一帯が絨毯状態となるのが見れる、9月の公開日が楽しみです。
「ナガバノイシモチソウ」は午後だった為花は閉じてはいますが、特徴ある捕虫葉が輝いていました。でも一見したところ捕虫葉に捕まっている昆虫はいないみたい、栄養は大丈夫かな?・・モウセンゴケの仲間の捕虫は、サプリメント的なものと聞いたことがありますので、早々心配することはなさそうと考えています。

それにしても、先日の公開日(下記参照)は、予め成長状態を見ながら決めているとは思いますがまさしくジャスト・タイミングで、数多くの生物を見ることができました。これらの世話をしている皆さんに感謝です。

関連話題;
2011年8月6日;「ナガバノイシモチソウ」自生地公開日
2011年8月7日;大狭間湿地公開日

”定点撮影と山崎川の源流地域”
("a source of Yamazaki-river")

アルバムへのリンク;「戯言」

a27p-n20110804web a28s-w20110804web

a27a28pointaddmemo

今月上旬撮影した定点撮影の画像を少しずつ整理しています。
掲載した画像は定点のA27ポイント(上・左)とA28ポイント(上・右)のものです。ご覧の様に、「ただ単に樹林が写っているだけではないか、な~んだ」とお思いでしょうが、ここは名古屋にとって重要な地域なのです・・と勝手に決めつけています。

この付近は、雨降りの日は勿論ハイヒールはダメ、運動靴でも泥だらけになる様な散策路で、名古屋市内にもこの様な手づかずの自然が残っていることが特徴の一つ、それに貴重な鳥や両生類が生活をしている地域、その上ここは名古屋でただ一つの市内に源流を持つ川;山崎川の水源地帯の一つなのです。

分水嶺(下の画像の赤色線)の西側から浸み出している水は、まずハンノキ池へ、その後猫が洞池に集まり、満水時、余水吐2008年10月7日の話題から矢田川に流れる場合もありますが通常時は山崎川に流れ込み、地下鉄本山駅までは暗渠(ヒロパパの小さい頃はここは開渠でよくオハグロトンボを捕まえて遊んでいた小川だったのですが)、その後は開渠で途中瑞穂競技場の桜の名所を通り名古屋港に流れ込んでいます。

もしここが先日話題にした「カシナガ」の被害2011年8月10日の話題が拡がりコナラ等が枯れてしまうことになると保水能力が落ちバランスが崩れることになる、従って樹木が生い茂ったこの風景がいつまでもこのままで変わらないことを確認する意味で定期的に撮影を続けている、A27やA28ポイントはこの様な理由から定点として決めたポイントなのです。

さて画像も少しづつ変えています。今までは最終画像はスポット撮影のものとパノラマ画像に編集したものが約半分づつだったものを、出来る限りパノラマ画像として編集し広い範囲を連続して見れる様にしておこうと考えています。これにより画素数が多く必要になりますが先月のこのHPの寿命を延ばそうとの工夫で2011年7月10日の話題少し余裕が出来、又ある程度は定点定期画像閲覧のページは容量を固定化して考えられる、今後はヒロパパの寿命かこのHPの寿命かどちらが早いのか競争になりそうです。

もうひとつ、下の地勢図には現在の守山区が合併されるまで名古屋市の最高標高地点(104.9m)だった二等三角点があります、見つけてみてください(現在の名古屋市最高標高地点は守山区東谷山で198mです)。

”「伊吹」と「梨」”
("Ibuki & a pear garden")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

ibuki110803_1 ibuki110803_2

nashi110803

写真は「イブキ(伊吹、ヒノキ科ビャクシン属)」と「梨」です。

この「イブキ」、持ち主の方(90歳以上)にお聞きしましたら、子どものころからこの状態、とすると樹齢は150年~200年以上、もしかしたらもう500年以上かなと思えるほどの大木です。
それにしても見事、太い捻じれた枝、不規則な円錐形の樹冠、天然記念物に指定されてもおかしくないと思われますが、インターネット上の全国巨木リスト(下記)にはリストアップされていません、残念!。

もうひとつ下の写真は「梨」、まだ小さい上、アレ!、黒く変色したものもある、今年はどうしたのでしょうね?。

さて今日の話題、何故この「イブキ」と「梨」を組み合わせてあるの?、実はこの「イブキ」も「梨」も同じ方の持ち物、ご伴侶のおばあさんが施設に入所して、後継者もいない状態でおじいさん一人では面倒見切れず荒れ放題、しかも昨年はイブキと梨類の2年毎の赤星病で被害にあった、今年はこの赤星病の被害は無いにしても、4年前までは美味しい梨が食べられたのに残念です。

実は、ある日当家のおばあちゃんが入手している施設を訪問した際、そこでばったりとこのおじいさんにお会いして、「アレ?、どうされたんですか」に対して「おばあちゃんが入っている」とのこと、偶然ですね~、当家のおばあちゃんと同じところにおいでになった、驚きました。

それにしてもこの「イブキ」も大切にしたい、それに梨園もなんとか世話をして美味しい梨を収穫できるようにしたい、なにか良い手立てはないものでしょうかね~。

関連話題;
2006年1月18日;梨の枝の剪定
2006年5月14日;残すのはどれ?
2006年9月6日;梨の収穫
2007年6月9日;大きくなりました
2008年9月5日;おじいさんの梨畑
2010年6月8日;赤星病

参考サイト;
「全国の巨樹・巨木→樹種別・地域別リスト・Map版」→「ビャクシン」

”何故終戦の日が8月15日なの?
それに我が親父の生前の最後の写真?”
("this photograph is my fater's final photograph")

アルバムへのリンク;「戯言」

adm_yamamotoatrabaule_1

senshirenrakusmall

日本で終戦の日(太平洋戦争が終わった日)は一般的には明日の8月15日を指している、それでは何故8月15日なの?を考えてみました。

まず昭和20年(1945年)当時の歴史的な出来事として(Wikipediaより)
●7月26日;ボツダム宣言にて無条件降伏を要求
●8月6日;米国が広島に原爆投下
●8月8日;ソ連が対日宣戦布告
●8月9日;米国が長崎に原爆投下
●8月14日;御前会議によりボツダム宣言受諾を決定、連合国に通知
●8月15日;正午に全国民に向け玉音放送
●9月2日;降伏文書に調印、即日発効
●1951年9月8日;サンフランシスコ平和条約調印、翌年4月28日発効にて連合国との戦争状態は正式に終結
前述の歴史的な出来事より、例えばボツダム宣言受諾を決定した8月14日とか、降伏文書に調印した9月2日を終戦の日とすることもありえたとは思いますが、後に制定された給付金や交付金の支給に関する法律の終戦の基準を8月15日としたこともあって、玉音放送のあった8月15日を日本では終戦の日と呼ぶのが一般的なったみたいです。

さて先日より太平洋戦争中の出来事について調べている事があります。
掲載した写真は、山本長官がラバウル島を視察した際、海軍航空隊員らに訓示しているもの、期日はここでの滞在が昭和18年4月3日~18日の間とのことでこの期間内、長官の最後の生前写真です。
皆さまもご存知のように山本長官は、4月18日「い号作戦」の現地視察と激励を目的に一式陸攻2機に参謀を含めて分乗し、ショートランド島に行く途中、暗号を解読されていてブーゲンビル島付近で米軍のP-38戦闘機と遭遇し、長官搭乗機はモイラ岬のジャングルに墜落し搭乗者11名全員死亡、参謀長搭乗機は被弾炎上し海上に不時着、12名の搭乗者の内3名は助かった、これを海軍甲事件と呼んでいます。

実はヒロパパの親父は参謀の一人としてこの時2番機に乗っていて助からなかったうちの一人、このラバウル島視察時の写真に我が親父が写っていてもいいはずとこのころの写真を調べていた訳です。
掲載した画像は良く見かけてはいましたが、両端がトリミングされ見えなかったものが多かったところ、偶然もっと広い範囲が写っているこの写真を見つけ、よくよく見てみましたら・・多分・・「C」が我が親父に似ている、ということで当家のおばあちゃんにも確認してみましたが同意見でした。顔が少し見えているだけですが現時点では親父の最後の生前写真としています。さてそれではA、Bの方はどなた?、多分Aの方は宇垣纏参謀長?、Bの方はまだ未調査で分かりません。

下の電報と手紙は戦死した事を告げたもの、電報の日付は5月21日ですので約1カ月後やっと公表されたことが分かります。
ヒロパパはこのころはまだ乳呑み子で記憶が無い、でも当家のおばあちゃんの苦労がここから始まったことになります、おばあちゃんには感謝ですね~。

関連話題;
2009年8月18日;軍服の虫干し
2008年11月3日;金鵄勲章
2005年1月27日;ブーゲンビレアとブーゲンビル島
2004年11月4日;「旭日章」と「瑞宝章」
2004年10月20日;81年前の香港
2004年10月19日;81年前の台湾
2004年10月16日;将校勤務録


追記(2011年8月15日);山田洋二監督作品で「母べえ」という映画がありましたね。戦争中2人の子どもたちを育てながら生き抜いたお母さんの物語で、その中で思想犯としてとらえられていたお父さん(父べえ)が獄中で亡くなったとの電報があった、その時の電文は多分掲載したものと同じ様な電文だったのではと想像しました。
当時の、空襲警報のサイレン、その後のB29の爆音、それに灯火管制(我が家では電灯に風呂敷を被せて)等、ヒロパパもおぼろげながら記憶に残っています。

このHPをご覧の皆さまは、この様な経験をなさった方は少ないとは思われますが、誰しもこの様な悲しい経験はしたくない、させたくない、そんな思いでいっぱいです。

”アオギリの実と種子”
("the nut of Chinese bottle tree")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

aogiri110805

先日、自分で決めていた観察用標準木が伐採され落ち込んでいたのですが2011年8月4日の話題、観察用を付近の都市公園にある3本のアオギリに切り替え、種子の観察を続けています。
ここのアオギリは、先日のものに比べ花の数が少ないこと、しかも花が木の梢付近にしか付いていない、もうひとつ年に因っては花を付けないものもある、気まぐれみたいですが、そのうちの1本の梢に花を見つけましたので望遠で撮影してみました。

シャンデリアの状態のままのものや既にシャンデリアの筒が開き種子が見えているものがご覧いただけると思います。
一つの実の中には種子が4~2個程度、この種子が必ず心皮の縁に両方に分かれてくっ付いている、多分枯れて種子を飛ばす場合、ボート形の心皮のバランスがこの方が良く、遠くへ飛ばすことが出来るからと勝手に理由づけをしていますが、植物はそれぞれ巧妙な仕組みを備えていて子孫を増やしている、これもそのうちの一つとすると感心してしまいます。

さてアオギリについての今後予定は、枯れた種子を拾ってコーヒーみたいに炒って粉にして飲んでみること、それに来年の初夏、雌花が生長してシャンデリア状態になる過程を観察すること、まずはこの二つを忘れないようにしないと・・。

”蓮の花が綺麗です、それに中日友誼蓮”
("a loyus, Cyunichi-Yugi-Ren")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

yuugihasu110804

onihasu110804 onihasuhaura

この暑い最中、蓮や睡蓮の花が綺麗にさいていました、東山植物園の風景です。

そのなかの一つに「中日友誼蓮」と立て札の立っている蓮を見掛けました。これ何?、「友誼蓮」は友好を示す蓮で、「中日」で「日中」ではないから中国から贈られたことを意味する、只、もし中国(大陸)からだったら「中日友谊莲」と簡体字で記載してあるはず、これは繁体字で記載してあるので、もしかしたら台湾から来たのかな、そういえば台北市内の植物園には綺麗な蓮があったからここから贈られてきたものかな?・・等々疑問が生じ、忙しい時期と思いながら東山植物園にお聞きしてみました。

分かりましたよ!、さてどんな結果だったのでしょうか・・・。
まずこの「中日友誼蓮」は「ちゅうごくゆうぎれん」と読み日本語であり中国語ではない、この名前は所謂園芸品種と理解すれば良さそうです。
そうですよね!、ここは日本、従ってこの植物園にある「中国産植物園林」直近の話題;2011年4月30日の植物の補足説明として中国語が記載されている例はあったにしても中国語だけの表示はしないはず、考え過ぎでした。

それに、この園芸品種にこの様な特別の名前を付けている由来を知ることができました。
その由来は、1963年大賀博士と坂本裕二さんが大賀蓮の実を友好と平和の象徴として中国に送った、その実を中国武漢の植物園で中国古代蓮(大賀博士が、戦前中国旅大市近郊の普蘭店より出土した種子を発芽育成した品種)と交配させこの「中日友誼蓮」を作り日本に送られてきた、これがそれで、国内各地でも見られるとのことです。多分中国ではこの蓮の名前は「中日友谊莲(zhong-ri-you-yi-lian)」と表記されているものと思われます。

蓮の話題をもうひとつ・・・オニバス(写真はパラグァイオニバス)も花を咲かせていました。
このオニバスは小さなお子さんが乗っても沈まないので毎年イベントで使っているもの、今年その「乗ってみよう」のイベントを実施したのかどうか定かではありませんが、浮力が不足する場合は葉っぱの下に何か?を敷いて浮力を増してイベントを行うのだそうです。
それにしてもこのオニバスの葉っぱは面白いですね。舷縁みたいな縁と、葉脈が空洞になっていてこれで浮いている、しかも葉っぱの裏には棘がいっぱい、そのうえ成長途中では良く見られる心形とか耳形とかの葉っぱですが生長するにつれまん丸になる、これも不思議です。

ヒロパパはいつもの通り、不思議がっているだけでその先に進まない、困ったものですが・・。

”暑中お見舞い申し上げます”
("a summer greeting card")

アルバムへのリンク;「戯言」

syocyumimai110810

皆さま、この場をお借りして、暑中お見舞い申し上げます。

写真は、当家に頂いた暑中見舞いの手づくりの素敵なカードとこれも手づくりの可愛いお人形(箱も手づくり)のセット、世の中には秀でた方が居られるものですね~、心が和みます。

ここ名古屋地方は連日の猛暑日、この頃の猛暑や、急激な天候の変化、ゲリラ豪雨、ステルス雷雨、竜巻・・・等々、他の天体と比べ「マイルドな地球」が気象に限ってみてもネガティブ・スパイラル・ループに入り込んでいるみたいな気がして、気分が滅入ってしまいますね。
気象だけでなく経済情勢についても政治情勢についても変化が激しく、同じネガティブ・スパイラル・ループに入り込んでいるみたい、例えば、●福島原発の冷却水ポンプが原因不明の停止、●熱中症の患者が頻発、 ●円相場($)との為替レートが、78円台にとどめようとの円売りドル買い介入も虚しく今日76円50銭~70銭、最高値は今年3月17日の1$;76円25銭の記録を更新するのかな?、●金が1g;4391円(東京工業品取引所、昨日の2012年6月物)で今までの最高値は1982年9月時の4326円、これも記録更新しそう、●株価も9,000円(国内指数)を割っている、●農産物の国内自給率も40%を割り込んでいる、●イギリスで暴動が拡がっている、等々数え上げれば限がない程の不安なニュースが流れて気分が安まらない・・困った世の中です。

でも、こんなことでへこたれていては・・頑張りましょうね。

”カシナガを撃退出来れば良いですね!”
("rejection against Kashi-no-nagakikuinushi")

アルバムへのリンク;「戯言」

kashinagablock

b6p-e20110809web

kashinagahigai201108 kashinagahigai201008

写真の張り紙「カシナガブロックを塗布しました」というのは、先週の定点撮影の定点を周回している折りあちこちで見掛けましたものです。
この張り紙が貼付されてるのはコナラの木が殆どで、根元から高さ4・5メータ程度のところまで透明のペンキ的なものが塗られている、これを「カシナガブロック」と呼んでいるものと思われます。

それでは「カシナガブロック」ッて何?、張り紙の説明から「カシノナガキクイムシ」の防除の為で、成分はアクリル共重合体、農薬ではないとのことですので殺虫成分は含んでいないもの、目的は「カシノナガキクイムシ」が入り込むのを防ぐと同時に、入り込んだものが外に出るのを防ぐ為で所謂ハエ取り紙やゴキブリホイホイの粘着成分みたいなものを樹皮に塗布したと理解しています。
「カシノナガキクイムシ」が何かは以前話題にしてありますので下記を参照していただければと思いますが、「カシノナガキクイムシ」が羽化して飛散する時期が初夏をピークとした5~10月とのことですので、「カシナガブロック」が塗布された枯れたコナラに羽化した「カシノナガキクイムシ」を見ることが出来るかもしれない、それに「カシナガブロック」が塗布された健康なコナラにこれから入り込もうとしている「カシノナガキクイムシ」を見ることが出来るのかもしれない、付近に行った折注目してみます。

それではこの「カシノナガキクイムシ」によるナラ枯れの程度はどれ程拡がっているのでしょうね。
掲載した写真は、定点撮影の折り撮影した東山スカイタワーから東側の眼下に広がる森の一部で、一見豊かな森に見えるこの地域もナラ枯れの被害は拡がっています。

下の2枚の画像は前掲したエリアのほんの一部で、左は今回撮影した画像、それを元にナラ枯れしたものを直視と双眼鏡等を使って確認し、赤丸・黄色が枯れている事を確認したもの、確認できたものだけでも50個以上(本数は多分50本以上)ありました。赤丸は昨年の画像にも見られるもの、黄色は昨年の画像では確認できなかったもので今年になって枯れたと思われるものです。
右の画像は、昨年8月上旬撮影したほぼ同じエリアで2010年8月14日の話題、矢印は昨年は枯れた状態であったものが今年の写真には見られないもの、多分人為的に散策路や道路際のものを自然倒壊の危険を避ける切り倒したと思われます。

この画像のエリアでの「カシナガブロック」を塗布した本数と個体の詳細は現在未調査、又推定として全てのナラ類に「カシナガブロック」を塗布した訳でもないと思われますが、来年の同時期、まずは塗布したものの被害が無いことの確認と、その上で、今回と同じ様な観察をして、もし黄色丸が減少傾向で有れば将来的にも効果があるものと推定できることになります。

定期的な定点撮影の目的の一つ、景観の変化は、例えばくらしの森の工事による人為的な変化と同時にこの様な自然的な変化も観察できることになります、定点撮影は続けられる限り続けてゆくことにします。

関連話題;
2010年8月14日の話題「カシナガの被害」
2010年2月16日の話題「ラッピングされたコナラ」
2010年1月31日の話題「切り倒されたコナラのやま」
2010年1月27日の話題「切り株を見てみました」
2010年1月26日の話題「切り倒されたシンボルツリー」
2009年9月9日の話題「カシノナガキクイムシの被害」

参考サイト;
「通信販売・イ―ライフ;カシナガブロック」

”「夜来香」と「夜香木」”
("Yelaixiang and Ya-kou-boku")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

yelaiixiang110807 yakouboku110807

syokubutuen110807

「夜来香」と「夜香木」、似た名前で、名前の通りどちらも花期には甘い香りが漂って来るもの、写真・左が「夜来香」で特に夜間強く感じる、右が「夜香木」で夜間しか香りを出さないものです。
「夜来香」は中国語での発音は「ye-lai-xiang」でその発音そのものを「イエ・ライ・シャン」と和名にしたもの、それでは「夜香木」は、中国語での発音は「ye-xiang-mu(イエ・シャン・ムー)」で和名がこれかなと思いきや、これの和名は「ヤコウボク」です。

どちらも東山植物園(名古屋市)の温室に植わっているもの、実は、昨年夏この「夜香木」が、夜開花し、その夜開花したものしか芳香を発しない(前夜開花したものはその翌朝以降もう香りを発しない)とのことを知り2010年8月17日の話題、ではその香りを経験するには夜間、閉園している最中に温室に忍び込むしかないのでは・・・なんて考えていましたが、植物園の皆さまは考えてくれている・・・それはこの5~7日と今週末12~14日を「ナイトズ―&ガーデン」と銘打って夜8時半まで開園している、それではと7日(日)に「夜香木」の香り目当てに植物園のエリアだけでしたが行ってきました。

屋台村もあり、昼間より来園者は多いのではと思われるほどなかなかの賑わいでした(下の写真)。

それでは目的とした「夜香木」の香りはどうだったの?、傍で説明に当たっていたボランティアの方も含めて、この夜は開花が少ない・無い?(写真のものはこの日の夜咲いたものではない)、従ってその日は香りも感じることが出来ず仕舞い、残念・・今度の夜間開園日にもう一度行ってみようかな・・。

それにしても花が香りを発する目的は勿論昆虫を誘って受粉を促す為ですが(関連話題;2011年8月2日 、咲いた後短時間だけしか香りを発しないのは何故?、例えば蓮の花もその一例みたいですが、香りに誘われ昆虫達は次々に開花したばかりの花に移る、ということはやはり自家受粉による劣性遺伝を避けることを目的にしていることが考えられます、もしそうだとすると素晴らしい仕組みですね。

”毛虫・いもむしが嫌いな方は今日の話題は読まない方が良いのかも・・
見事な造形美、蛾の幼虫”
("mey be the plastic arts")

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

aoiraga110804 hiroheriaoiraga110804

gayoucyu110804_1

8月上旬のこの時期は、定点景観撮影のタイミングで、先週全ポイントを撮影終了、現在画像の整理をしています。その話題は後日として、いつもの通り撮影ポイントを周りながらの途中で見掛けたもの(場所は東山総合公園植物園正門近くの散策路)、その一つが掲載した写真です。どちらも見事な造形美、すごい!。

実は、写真下の毛虫を見つけ、これ何の幼虫かなとカメラを取り出し撮っていた時丁度おばあちゃんと小学生(低学年?)とそのお母さんの三人連れが通りかかり、おばあちゃんが「何かいるよ!」、お母さんはヒロパパが撮影しているのを見て坊やに「あなたも調べてみたら!」といって写真を撮っていました。
ヒロパパはこれを聞いて嬉しくなってしまいました・・何故かって・・この様な状態の時良く見かける風景は「キャー!、気味悪い」の言葉でその場から遠ざかる人が多い、ところがこのご家族は違う、嬉しくなってヒロパパがニコッ、そのおばあちゃんもお母さんもニコッとご挨拶、素敵なご家族に囲まれて多分この坊やは観察力の鋭い、何故何故を繰り返す探究心豊かな大人に成長するのではと思われます。多分Tさん家もこんな環境だった?、従ってSちゃんもMちゃんも優秀なお子さんで育ったのでしょうね2011年3月19日の話題

さてこの毛虫は一体何は、当然ながら(お恥かしながらですが)その場では名前が分からない、何時もの「幼虫図鑑」(下記)でしかも名前では検索できず写真を一個一個探して見つけましたよ。

結論から、この3枚の写真には4種類の蛾の幼虫が居ます。
上・左は「アオイラガ」、上・右は「ヒロヘリアオイラガ」、下の写真はアベマキに群がっていた左(一匹のみ)は「カクモンヒトリ」、右の三匹は「クロツマキシャチホコ」です(と思っています)。

これも恥かしいお話ですが、当初「アオイラガ」を見掛け「ワーすごい」と撮影していた最中、傍でもう一匹みつけもしピントが合っていなかったまずいなとたまたま撮影したもの、幼虫図鑑ではまず「アオイラガ」を見つけ、その説明の中に同じ様なものに「ヒロヘリアオイラガ」が居るとのこと、何が違うと読んでみましたら頭部近くのとげに先が黒いものがあるのが「アオイラガ」、だいだい色があるものが「ヒロヘリアオイラガ」との説明に、もう一度撮影したものを確認してみましたら、なんと二つ別のものを写していた、偶然ですがラッキィーでした。
「クロツマキシャチホコ」と「カクモンヒトリ」も、全身が赤褐色の幼虫もいましたので当初2・3齢幼虫の違いかなと思いながらこれも調べてみましたら、左のものはどうも違うみたい、ということで一匹だけは「カクモンヒトリ」としました。

多分正解と思っていますが、間違っていたらごめんなさいです。それにこの名前をいつまで覚えていられるかどうか、忘れてしまったらこのHPを開いて思い出すことにします。

”大狭間湿地の公開日、豊明市(愛知県)の”
(" today is the open-day of Oh-Hazama-damp area at Toyoake-city ")

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

ohhazama110807_1 ohhazama110807_2

昨日の話題の、豊明市(愛知県)にある「長葉石持草自生地」の年一回(3日間)のオープンと同時に、以前場所を確認しておいた2011年6月23日の話題同じ豊明市にある大狭間湿地も昨日と今日オープンしていて(ここは9月にもオープン日があり年4日)立ち寄ってみました。
「長葉石持草自生地」は勿論この長葉石持草がメイン、これ以外サギソウやシラタマホシグサですが、ここ大狭間湿地の特徴は湿地を好む多様な生物がいっぱいで、今の時期はミミカキグサ、ミズギク、サワヒヨドリ、スイラン、ミソハギ、サギソウ、モウセンゴケの花や、ハッチョウトンボやヒメタイコウチ、メダカ(ニホンメダカ)等々を見ることが出来ます。
でもここの一番の目玉は、今年は少し遅れているとのことですがシラタマホシグサの群生だそうです。今日はまだ蕾状態でしたが、多分9月のオープン日(第二土・日)には湿地一面がシラタマホシグサの絨毯となるのが見れるのではと思われます。

ここの広さは2,290平方メーターで水源はわき水のみとのこと、心配な事は周りに開発の波が迫っていて(左の写真、背景と右の写真の導入路の脇の竹林の伐採)、わき水が少なくなったり昆虫達が住めなくなる様な環境にならなければ良いのですが。

ここは昔は田圃、その後40以上前から休耕田となり湿地に変化したとのことです。
土地は私有地で豊明市が借り上げている状態で、買い上げるにしても予算不足で現在は不可能、それではと寄付金の募金活動も始めたとのことでした。そこで少額でしたがヒロパパも寄付金箱に入れさせていただきました。

寄付金を募る為には広く市民に知ってもらわなくてはならない、その為には公開日が年4日では少なすぎるかもしれない、公開日を増やしてたり、学校関係の校外学習に使用してここの利用頻度を増やして知名度を上げることも考えられる、それにより寄付金も増えるのでは、只、公開日を増やして訪問人数が増えれば湿地の荒廃につながりかねない、難しいところです。
現在は、ホシザキ電機(株)からの寄付金で遊歩道としての木道整備等が行われている、これを完成させることが先決なのでしょうね。理想としては「高床式遊歩道」にしたいですね。

”長葉石持草の花、それに今日は広島原爆の日”
("a flower of Nagaba-no-Ishimochisou")

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

nagabanoishimochisou110806 nagabanoishimochisouaka110806

nagabanoishimochisousiro110806 sagisou110806

今日から3日間豊明市(愛知県)の長葉石持草自生地がオープンしています。
昨年自生地にたまたま巡り合い2010年10月13日の話題、先月花が咲き始めた事は分かっていたのですが2011年7月17日の話題、今日やっと近くで見ることができました。同時にサギソウもいっぱい咲いていましたし、展示してあった白花長葉石持草(千葉県のものとのこと)も見ることできました。

この赤花の長葉石持草は世界広しといえども豊橋市(愛知県)とここ豊明市にしか自生していないとのこと、それではこの長葉石持草の花は他のモウセンゴケ科の花とどう違うのかな?と、以前撮影した東海小毛氈苔2008年7月1日2008年5月10日の話題)と比較してみました。
花弁は5枚、色は濃いピンクでほぼ同じですが、長葉石持草は花柄につく花の数が少ない事、花柄が独立して根元からも伸びていはいない、雄しべや雌しべの形が違う、素人目にはこの様な違いがありましたが、全体の特徴はやはり捕虫葉の違いですね。

花期が終わると種子の収集、散布、湿地の保全、水源の管理等々管理している皆さまの作業は苦労が多そうです。只、マニアの盗掘や人が入り込んでの湿地の荒廃を防ぐため高い金網のヘンスで囲わないと自生地を維持できないという状態は悲しい気がします。

話題が変わりますが、1945年8月6日は、広島が米国の原爆により被爆し放射線がばら撒かれた日、極端な表現ですが今年3月11日の東日本大地震の福島原発事故は、東京電力及び政府の原子力政策により福島県に放射線がばら撒かれた日、放射線がばら撒かれたことからみればどちらも同じ、広島では当初20万人を超える方が、現在27万5千人もの一般人が原爆によって亡くなり未だに後遺症に苦しんでいる方がたくさんおいでになるのに戦争犯罪として裁かれた訳もない、ヒロパパは福島原発事故を人災と考えている、従って犯罪行為であり当然裁かれてしかりと思っていますが、もし裁かれることはないとすれば何故なんでしょうね、不可解です。

”箸工房ヒロパパ、久しぶりのオープン”
("open of HiroPaPa's atelier of chopsticks, after a long time.")

アルバムへのリンク;「戯言」

myhashi110805

昨年店じまいした「箸工房ヒロパパ」2010年9月10日の話題、その後も時々臨時オープンしておりましたが2011年3月10日2011年3月2日の話題)、今日久々に2時間だけですが臨時オープンでした。
場所は中村保健所、参加された皆さまは約4・5十名、アドバイザーは正式の先生役のKさんとヒロパパで、鉋を使った事がある方は数名のみ、「折れちゃった!」、「うまく削れない、凸凹がいっぱいになったよ!」、「きしめんみたいに平たくなったけどいいの!」、持ち端が「ひし形だけどどうしたら正方形になるの!」・・・等々大変な状況で、約2時間でしたが汗(冷や汗かな?)を流しながら奮戦してきました。
お箸づくりを済ませた方は次に箸袋づくりで、多分今日夕食時ご家族の皆さまの前で自慢話、苦労話にお話がはずんでいるのでしょうね。

さて中村保健所ッて何処とインターネットで探して、なーんだ中村区役所の傍だ、ところがところが縮尺の違う地図で見たのが失敗、バス停で云えば多分3・4停留所位の遠さで、30分前に到着予定のつもりが5分前に到着、幸いにも間に合ったのは良かったのですが、これからは良く調べてゆくことにします。

”アレーッ、ウッソー、ドゥシテ~、ソンナ~、
ヒロパパの落胆の叫び”
("a cry with some discouragements")

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

aogiri110803_2 aogiri110803

odometer110803

ヒロパパの落胆の叫び・・ちょっと大げさですが・・、先月より観測対象としていた青桐の巨木が切倒されてしまいました。
ヒロパパの部屋の付近には、これ以外の青桐が複数本ありますが、これだけ多くの花を付けているものは無く、これを標準木としてこれから観察してゆこうかなと考えていた矢先、しかも、雌花の状態2011年7月14日の話題からシャンデリアの状態になる2011年7月26日の話題過程を今年は見ることが出来なかった、来年こそはと意気込んでいた最中でしたので残念で残念での気持ちからこんな叫び声を心の中で叫んでしまいました。

切り株はまだ新しく表面に樹液がにじみ出ている、年輪を数えてみましたら15年程度、持ち主の方は何故切り倒してしまったのでしょうね。空き地で家が建っているわけでもない、しかもその空き地の北側で影になるわけでもない、青桐は桐とは違いますが、建材、タンス、茶器、箱、下駄、はし、楽器に利用できるので持ち主の方は切倒した青桐を乾燥させこれらに利用する、これを期待して・・落胆の叫びは今日だけとし、これからヒロパパ独自の青桐の新しい標準木を又探すことにします。

尚、青桐はアオギリ科で、雌雄同株、カカオやコーラノキも同じ科、大きくはアオイ科(ハイビスカス、フヨウ、オクラ、ワタ、ケナフ、バルサ、バオバブ等々)と同じ仲間に分類される場合もあり、成長が非常に早いので庭木や街路樹等で良く見掛けることができます。又、花言葉は「秘めた意思」、ヒロパパみたいに強い意志を心に秘めてはいるが表面的にはそれほど表さないとか好意を心の中では持っているもののなかなか相手に伝えられない、この様な方はいっぱいいそうですね~。そのような方はソッと青桐の種子2008年9月13日の話題でも相手にお渡ししてみたら秘めた意思が伝わるかもしれません。それに、「桐」はゴマノハグサ科で全く別種です。

もうひとつ今日のヒロパパだけのローカルニュース、下の写真は、この青桐を見ようと車を走らせていた際の我が愛車の距離計で、丁度11,111Kmとなり車を止め記念撮影でした。
この我が愛車は乗り始めてから丁度満2年になり2009年8月12日の話題、年約5,550Kmは皆さまから比べれば少ない方ではないかと思っています。今でも新車状態?、大切に乗っています。

”パイン三姉妹のご紹介”
("the three sisters of pineapple")

アルバムへのリンク;「戯言」

pine3shimai

ご紹介しま~す、パイン三姉妹で~す。
今日当家のおばあちゃんが入所している老健で見掛けたパイン三姉妹、一番上はもう年頃の長女、髪の毛を少し茶色に染めて、これ所謂”肉食系”かな?、二女はまだ夢見るハイティーン、もう一人は上の二人のお姉さんからいつも手厚く可愛がられている?末っ子の小学生です・・と想像しました。
このパインの飾りは、この老健の事務の、これまた可愛い・素敵な皆さんが、たまたまあったパインに食べる直前にデザインし飾ったものとのこと、ここの皆さんは、先日の夏祭りの鎧兜やその他新年会での鳥居等々なかなかのデザイナーでありテクニシャンの方が多い、すごい!・・。
つい先日はパイナップルの盛り付けについて、さすがプロという一品に驚いたばかりですが2011年7月29日の話題、皆さんの頭の柔らかさを見習わなくては、ヒロパパ家のパインも2011年7月28日の話題こんな飾り付けをしてみようかな。

さて、この老健に関するこのHPでの話題を下記してみました。ヒロパパが訪問した時のものだけで、実はこの老健のスケジュールを見ますと他にいっぱいイベントがある、当家のおばあちゃんは幸せものと思いますよ、ヒロパパも引き取ってくれないかな~。

関連話題;
2011年7月29日の話題「プロのパインの盛り付け」
2011年7月27日の話題「放駒部屋の力士の皆さんが来所」
2011年7月23日の話題「楽しい夏祭り」
2011年7月17日の話題「近くの長葉石持草の自生地」
2011年6月2日の話題「リニア鉄道館にハイキング」
2011年2月9日の話題「新年会」
2010年12月4日の話題「桶狭間太鼓の演奏会」
2010年11月7日の話題「大運動会」
2010年10月6日の話題「老健、居心地よさそう」
2010年10月1日の話題「入所先きまった」

”我が家のアップルミントが咲き始めました”
("a flower's fragrance and a butterfly")

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

yamatoshijimiapplemint110802

我が家の庭一面に伸び放題のアップルミントがやっと花を付け始めました。当初は株が多分5・6個だったものと記憶していますが、この数年伸びるに任せて庭一面に拡がってきています。

実は毎年花の咲くのを楽しみにしています。何故かって?、花が咲くと何処からとなく昆虫達が集まってくるからで、多分開花時期に香りが一番強くなる為と思っていますが・・。
常連客は写真のシジミチョウ(ヤマトシジミ)、それに時々アゲハやアシナガバチもやって来てくれます。

ここは生垣に囲まれていて直ぐに見える場所ではないので昆虫達は香りを感知しているのでしょうか、人の場合は鼻を近づけてやっと分かる程度、そうであれば昆虫達の臭覚は大したものです。

さてここからヒロパパの悪い?癖がスタート、「蝶さん達はどんな香りを何処で感じその感度は?」との疑問が頭をもたげてきます。
●「何処で感じているか?」については、触角と口吻であることは確実みたい「ぷろてんワールド」→「体のしくみ」より)
●それでは「香りの成分は何?」については・・・アップルミントの香り成分はとインターネットを検索してみましたがまだ見つかっていない、それではアップルミントというからには林檎の香り成分と同じかなとこれを切り口に調べてみましたら、エステル類/アルコール類/アルデヒド類/酸類が含まれているとのことですが・・これも詳しすぎ・専門的すぎて良く分からない、ということで香り成分については林檎の香りのどれかの複合的なもの、
●次に感度はについては、皆目良く分からない
・・そんな結果でした。

ただ蝶達は、視覚や学習能力も高い、従って一度見つけたらその場所を覚え、この香りも含めた訪花行動を起こしているみたい2010年6月27日の話題及び「成広島大学・大学院生物圏科学研究科」→(「成虫の採餌行動に関る物質」より)、同じ個体が同じ行動をしているのかどうかを観察するのは難しそうですが、毎日チラッと庭を眺めながら楽しんでいます。

”「清明上河圖」って何?、昨日の続き”
("what's 清明上河图qing-ming-shang-he-tu、No.2")

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

shinmeijyougazu_1

台湾の王小姐から頂いた「清明上河圖」の資料について、王小姐の「もっと勉強しなさい!」という叱咤激励に応えるべく少しづつ取り組んでいます。
掲載した画像はそのほんの一部、「虹橋(hongqiao)」と呼ばれている部分です。この解説には、今までは橋を造る場合は支柱を河の中に立てていた、これに対してこの「虹橋」は支柱なしで橋を作っている、この時代にこの技術が確立していた証拠として重要とのことです。日本国内では橋げたはあるにしても岩国市の錦帯橋、それに大月市の猿橋みたいな刎橋(はねばし)と作り方は似ているみたいな気がします。

さて「清明上河圖」について、インターネット(特に、北京の故宮博物館、無為庵乃書窓―下記)からの情報ですが、そこから読みとった内容を箇条書きにしてみました。理解違いがあるかもしれませんが・・。

●「清明上河圖」とは、北宋時代(960-1126)に流行した画題で、多くの画家の皆さまが同じ画題で描いている。
●中でも有名なものが、張擇端作と云われている「清明本清明上河図」
●その後、清宮廷画院の画家五名─陳枚、孫祜、金昆、戴洪、程志道が、乾隆元年(1736)に合作したものは「清院本清明上河図」と呼ばれている。
●現在約70点の模倣作品があり、主要なものは北京・故宮博物館の収蔵されている。
●中国最高の傑作図巻と云われ、宋・明・清時代の特徴的な風俗─踏青(taqing、春郊外を散歩する意味)、芝居などなどの娯楽や風景、生活が描かれ、その時代の社会風俗研究には必要不可欠な研究材料の一つとなっている。
●画題は、北宋の都・汴京(bianjing、現在の河南省開封の古名)の汴河両岸と城門内外の都市生活風景を描いた図巻で、35.6×115.2cm(清院本清明上河図の場合)の絹本に墨画淡彩で1640人を超える人物と200匹を超える動物の他に、車と船がそれぞれ20あまり、各種の家屋が30余棟描かれている。
●画法は、西洋画の影響があり、街道筋の建物は全て透視法の理論に従って作画され、その他、橋、家屋、人物、いずれも明るい色彩と細やかさできっちりと描かれている。
●「清明上河圖」の「清明」とは、描かれている時期が二十四節季の一つ「清明節」の時期であること、それに画題が明・清の時代的背景に基づいている、これによる名前との説があります。

「清明上河圖」の全体像の概略については、今日のところはここまで、でも少し分かってきた感じがします。王小姐から一人前として扱ってもらえるため頑張らねば・・。

関連話題;
2011年7月31日の話題

参考サイト;

無為庵乃書窓