2012年4月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2012年4月30日

”昨年蒔いた鬼胡桃、生長しています”
(growth of Oni-gurumi;walnut)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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昨年一時観察を始めていた鬼胡桃の葉っぱの生長の様子を再度スタートします。
実は、昨年発芽して観察していたものが2012年1月11日の話題その後枯れたのか枝を落としまま、只、新たに発芽したものがいっぱいあり、この1・2週で写真の様に大きくなりました。
現時点までは、葉っぱの生長過程は発芽したもの全てが昨年と同様、まず2対+1が3枝、その後3対+1が3枝、現時点ではここまでですが、さてこの後はどうなるのでしょうね。
もし、4対+1が3枝、その後5対+1が3枝等々であれば、鬼胡桃は一生懸命計算しているのでしょうか、可愛いものです。多分この1・2カ月でわかるのではと楽しみにしています。

それにこの鬼胡桃の「芽鱗痕(がりんこん)」の可愛い顔も楽しみです2010年3月28日の話題

それに公園の鬼胡桃はすでに雄花・雌花を咲かせています。今年もノチーノ造り2011年6月15日の話題に挑戦してみようかな。

”国民の祝日とご家庭内の祝日”
(national holidays and peronal celebration-days)

アルバムへのリンク;「戯言」

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今日は「昭和の日」、「昭和の日」があるということは大正の日、明治の日、平成の日、江戸の日・・?では同じ系列ではないので孝明、仁孝、光徳の日と命名するのかもしれませんが、こんな祝日があってもしかるべき、ということで現在、祝日法又はそれに以降に決められた祝日をもう一度洗いだしてみました(掲載したリスト)。

ありました、現在の12月23日の「天皇誕生日」が”平成の日”に相当する祝日で年号が変われば”平成の日”と命名されるかもしれない、それに”明治の日”に相当する祝日が明治節に由来する現在の「文化の日」、只、”大正の日”に相当するもの又は江戸時代以前の同様なものは見当たりませんでした。

それにしても、「成人の日」や「春分の日」、「こどもの日」等の古来からの暦や風習に因るものの、「昭和の日」や「天皇誕生日」の様な天皇制に由来するもの、「体育の日」等の大きなイベントに由来するもの、それに「みどりの日」や「海の日」の様に無理やり理由づけした?ものと様々、祝日の理由づけを詳しく考えると面白いですね~。

これらより重要な祝日は、夫々の皆さんのご家庭の個別の記念日で、ご家族の誕生日、結婚記念日、もしかしたら初デート記念日等々たくさん作ってご家庭内でお祝いをする、多分これがご家庭の絆を深める上で一番重要な”ご家庭内祝日”なのでは、残念ながらヒロパパん家はバラバラですが・・。

先日他界した当家のおばあちゃんの命日(4月18日)は、親父の命日と同じ、この日は親父・御袋があの世で又再会する約束した日、不幸とか供養というよりもしかしたら祝日と考えてもいいのかも、その方が気分が安まります、自己満足ですが・・。

”電話が通じない!、でもすぐ直りました”
(repair of communication line)

アルバムへのリンク;「戯言」

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今日からゴールデンウィーク、5月1/2日を有休にすれば全部で9日間、春たけなわというより多治見市は30度を超す真夏日だったみたいですが行楽には最適、皆さまはどこかにお出かけですか?。
勿論ヒロパパも!と云いたいところですが、毎日おばあちゃんへのお参りと御線香、それにモゴモゴと口ごもりながら御経の真似の毎日が続いています。只、年金生活で毎日が日曜日ですので、いつも通り皆さんの邪魔にならないように御出掛は出来るかぎり週日としているのですが・・。

それにこの1週間、様々なトラブルが発生しています。そのうちの一つ、インターネットが繋がったり繋がらなくなったり、それに固定電話の雑音が激しく、掛けた電話も途中で切れる始末、この忙しいのに!と・・今朝NTTへ連絡です。
まずは電話機の問題?、モデムの問題?、それとも通信回線?、どちらかをはっきりさせておかないと、もしかしたら相互に繋がっているものの原因に各社はしそう、ということで電話(固定電話)だけにつなぎ直してノイズが出ていることを携帯電話で固定電話に電話したりとかして確認してからの連絡でした。

それにしてもNTTは素早いサービス体制、連絡を入れたのが9時半、サービスマン到着が10時半、嬉しいですね。
まずは電話機そのものの確認、ノイズが聞き取れるが電話機本体では無い、次に壁のモジュ―ラージャック部分を確認、ここに別の受信機を接続して・ここでもノイズが聞き取れる、次は屋外壁に取り付けられている配線ボックスを確認、ここも問題なさそう、次に電柱によじ登ってここに付いている配線ボックスを確認(掲載した写真)、最終的にこの配線ボックス内で接触不良?等の不具合があり、配線し直して完了でした。
修理料金は?、連絡した折り予め周知があり、室内だったら有料、屋外だったら無料でしたので勿論無料でした。

現在はモデムを含めつなぎ直して正常に動作しています、良かった・・。

お話が変わりますが、時々いろいろな勧誘の電話が掛ってきます。ヒロパパは電話番号を電話帳に載せてはいない、それなのに電話が掛ってくる、特に光通信等の拡販が盛んみたいで、言葉巧みに大手の通信会社の名前をかたり、ヒロパパが何処の通信会社を使っているか分かっているみたい、それにヒロパパの名前まで知っている電話もあった、この様な電話があった場合、ヒロパパの応対は聞き取れなかった振りをして「会社名、電話番号とお名前をもう一度・・」、ところが電話番号を云わないケースが殆どで、何故って聞くと発信専用だからとの回答、そんなときはあまりお話をせずに切ることにしています。
拡販で電話を掛けてくる皆さんはそれなりに成績を上げようと頑張っているとは思いますが、一方的に電話を掛けてきてマニュアル通りの喋り方をして、これでは成約できる確率はものすごく低いと思われますがどうなんでしょうね。それにもっと心配なのは、名簿を何処から仕入れているのか、特に名前まで知っているとするとどこからか個人情報が漏れている?、騙されないようにしないと!。

参考;掲載した写真の電柱のラインは、一番上がある会社の光通信のライン、その下がNTTの光通信ライン、サービスの方が触っているラインが通常の電気通信ライン、通常はこのライン経由で電話機一つに一回線づつ各家庭に配線されていることになります。それとヒロパパは、8Mb/sのADSLを利用、多分光に変えても早々速まるわけでもなさそう、それにこのHPをアップロードする時間;30秒程度が例え15秒になろうと大きな影響はない、一番安価であろうと信じて光には変えず今でもこれを利用しています。

”昔、テニスは裸足で?、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.6”
(playing tennis with no shoes)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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掲載した写真は若い頃の当家のおばあちゃん、ラケットを持っての記念写真は、正確な時期は分かりませんが皆さんの顔立ちからみて、おばあちゃんが、昭和1年~昭和3年頃の平野高等女学校(現在の岡谷東高校)又は諏訪高等女学校(現在の二葉高校)でテニス選手として活躍?していた時のものと思われます。よくよく眺めてみますと、アレ!、皆さん裸足です、昔は又は田舎だったから?テニス(軟式と云っていました)は裸足でプレーしていた、丈夫な身体になることが良く分かります。
上・右の写真は、真ん中のお二人が誰かは分かりませんが、左がお父さん(ヒロパパのおじいさん)、右が若い頃のおばあちゃんで一緒に登山、多分八ヶ岳のどこかとは思いますが、お父さんとよく登山したよ!の言葉通りで、これも身体が丈夫だったからなしえた事と思います。

下の写真は、メモには昭和4年4月、ヒロパパのおじいさんとおばあさんそれに6人の兄弟姉妹(ヒロパパの従兄妹達に断らずに掲載してしまっています、お許しを・・)、現在只お一人、末っ子のおばさんがご健在、97歳です。
それにしても、当家のおばあちゃんの家系、特に女性は皆さん長生きでした。長女の方は104歳でお亡くなりになられた等等長寿の家系であることは確かです。

それでは人の寿命って何に因って決まってくるのでしょうね?。よく言われている「心拍数;20-25億回」とか、「テロメア(染色体の先端の繊維芽細胞)が分裂するたびに短くなり約50回で寿命を迎える」とか言われていますが、どちらにしても、まずは健康を保っていれば細菌等の外からの攻撃を防御出来る、多分裸足でテニスとか登山、それに冬は諏訪湖での下駄スケート、それと前向きで明るい性格、これが102年の寿命の根源と考えています。
ヒロパパも幼児期は田舎で泥まみれで遊んでいた、だからスギ花粉なんて全然怖くない、だからと云ってヒロパパは長寿であるとは言えませんが。

それでもやはり、おばあちゃんの寿命をもっと伸ばす為にヒロパパが出来た事はなかったのか?、骨折手術を行ったこと、それに老健に入ったこと等の選択が本当に正しかったのか等々ヒロパパ自身回答が見つからない問題点として残ってしまいそう、一応自分なりには努力はしたよって考え慰めてはいますが。

”退院後の老健での生活、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.5”
(my mother has been enjoying her life at Rouken)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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動物とのふれあい広場の風景;2011年10月13日

昨日の話題に続きです。「特養」か「老健」か迷ったあげく「老健」への入所を決め、2010年10月から老健での生活が始まりました。期間は今年3月16日A病院に入院するまでの15カ月を、一時期短期入院もありましたが老健で過ごしたことになります。

老健での生活は、食事、入浴、毎日の体操、定期的なリハビリやカラオケ大会等スケジュール化されているものは勿論ですが、シーズン毎のイベントや外部からの催し等、ヒロパパが訪問する毎にいっぱい出会いました、これ以外もたくさんスケジュールされていて後述したリストアップしたものはこれの一部ですが。。
下記はこのHPで話題にした老健での出来事をです。おばあちゃんにいとって楽しかったのではと考えています。
それにしても、これらをこれほどの頻度で準備して実施してはこの老健のスタッフの皆さんは大変なのでしょうね。

老健でお世話になりました全ての皆さま、
当家のおばあちゃんはしっかりと楽しんでいました、
これからも頑張ってください、それにありがとうございました。


以下老健での話題を古い順に列記いたしました。
2010年9月8日の話題;「各老健の調査」
2010年10月1日の話題;「退院後の施設決めた」
2010年10月6日の話題;「老健ってこんなことろ」
2010年11月7日の話題;「秋の大運動会」
2010年12月4日の話題;「和太鼓の演奏」
2010年12月22日の話題;「クリスマスパーティ」
2011年1月19日の話題;「移動理美容車」
2011年2月9日の話題;「新年会」
2011年2月23日の話題;「お雛様」
2011年4月15日の話題;「パズル作成開始」
2011年4月18日の話題;「パズル完成」
2011年4月21日の話題;「パズル試用」
2011年5月27日の話題;「聴力検査」
2011年7月23日の話題;「夏祭り」
2011年7月27日の話題;「力士来所」
2011年8月3日の話題;「パイン三姉妹」
2011年8月27日の話題;「花火大会」
2011年10月5日の話題;「大運動会」
2011年10月13日の話題;「動物とのふれあい広場」
2011年11月7日の話題;「短期入院」
2011年11月17日の話題;「短期入院の様子」
2011年11月28日の話題;「退院」
2012年1月28日の話題;「新年会」
2012年3月16日の話題;「緊急入院」

最終的には、3月16日A病院に入院してからほぼ1カ月の4月18日午前1時34分に他界、診断書には「心臓弁膜症」による「急性心不全」と記載されていましたのでこれが主原因だったのでしょうね。只これ以外胸・腹部に水が貯まるとか肺腫瘍その他脳委縮等もみられたとのこと、102年と8カ月の生涯からすると大往生と考えることにしています。
尚、A病院は、骨折時手術したDNA病院とは異なり、当家のおばあちゃんが健康診断に4週に一度通っていた病院で、ヒロパパも安心して看て頂いていた病院です。

A病院の担当していただいたU医師、それに看護士の皆さまやその他のスタッフの皆さま、
安らかな最期をお世話いただき誠にありがとうございました。


ヒロパパは、これからも続く法事や届け出等の事務的な処理、その他諸々が続きますが、がんばりますね!。

”退院後の生活は何処で、老健?、特養?、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.4”
(Which is the best, Roken and Tokuyou)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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今日は、2年前(2010年)8月の骨折事故・手術の後、リハビリ等を行いながら病院生活を続けていた期間中(入院期間は41日でした)の特に退院後の予定についての打合せを入院してから19日目に実施しその話題です。
掲載した表は、骨折してから続けていた日記の一部です。

まず、病院に長期間滞在できるわけでもなく90日が限度?、現状の医療制度ではこの期間以上になると病院の収入が減る?、それに、病院そのものも機能分化していて、急性期病院、一般病院、回復期リハビリ病院、療養型病床群、ホスピスなど症状に応じてそれぞれ入院するべき病院が違っているみたい、この入院した病院は多分一般病院?と思っています。

この打合せのまとめ役はこの病院のケースワーカーの方、参加者は、担当のH医師、T苑(ショートスティ、ディサービス、配食サービス、ヘルパー派遣で利用していた施設)からその施設に併設されている「特養(特別養護老人ホーム)」のマネジャー;Kさん、それに今まで御世話になっていたケアーマネジャーのMさん、その他リハビリでお世話になっていたYさん(理学療法士)でした。

この時のおばあちゃんの状況は、骨折前の自立して生活が出来る状態でもなさそう、しかも住み家がバリアーフリー的な構造になっている訳でもない、とすると、一般的な知識として仕入れていた「老健(老人健康保健施設)」か「特養」に入らざるを得えない、只「特養」は待ち行列が長く簡単には入れそうもない、自立して生活できる状態に復帰することを目的としている「老健」はどうかなとヒロパパは考えての参加でした。

推測ですが、ケースワーカーの方は、ヒロパパからの希望で「特養」に入りたいと言われる場合を想定して、特に「特養」のマネジャー;Kさんも含めた、Kさんは多分同一グループのショースティ施設で起きた骨折事故の責任を感じ、もし「特養」に入りたいとヒロパパが表明した場合これに応える覚悟で参加していた、従って、打合せは、ヒロパパ以外は「特養」への移動に導こうとの雰囲気でした。
話し合いでは、将来の予想のアドバイスも無い(分からないから?とは思いますが)、ヒロパパが分からないなりに結論を出さなくてはならない、従って、前述通り「終の棲家」的な「特養」より、リハビリを繰り返し自立した生活を営むことに期待し、会議の雰囲気に反し「老健」を希望しました。この時「特養」のTさんからは「自己満足」との言葉や、自分がその特養の責任者であり、入れてあげられるからみたいな態度を感じてしまいました。

最終的にはヒロパパの希望通り退院後は「老健」に移ることにしましたが、さて、この判断は、昨日の手術する・しないのはんだんと同様、妥当だったのかどうか・・・・両方を経験した訳ではありませんので比較はできませんが、入所を決めた老健(愛知県豊明市)での生活は多分前述の特養での生活より楽しかったのではないかなと自分には言い聞かせることにしています。

もうひとつ、病名が当初は「左大腿骨頚部骨折」だったものが、いつもまにか「左大腿骨転子部骨折」に変わっていました。この違いについては調べて分かりましたが(下記参照サイト)、X線写真では区別付かない、開いてみて初めて分かるものなのでしょうか?、大きな違いは無いと判断していますが、どうなんでしょうね。

関連話題;
2010年9月8日の話題「退院後の施設見学開始」
2010年9月14日の話題「病院での歩行訓練開始」

参考サイト;
「大腿骨骨折 手術 入院 期間等ー松本・相沢病院」

”2年前8月の骨折直後から手術まで、当家のおばあちゃんの記憶ーNo.3”
(operation of my mother's broken bone)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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昨日に引き続き、今日は2年前(2010年)8月の骨折事故について、病院への搬送直後の医師との打合せ、手術、病院内での生活ををまとめてみました。

搬送された病院は名古屋市緑区にあるDNA病院(良くない話題ですので実名は避けました)、何故この病院なの?については、ショートスティ先の担当者いわく「契約しているから」とのこと、へー・・契約しているんだ!と驚き、マー、緊急事態発生時、その時から探し始めるよりは準備してあった方が良い、どの様な契約内容かはわかりませんが、これについてはこれで良しと考えています。

下記は、搬送直後、おばあちゃんをベッドに寝かせ、丁度その日当直だったと思われる外科のH医師との会話です。
まず医師は「左大腿骨頚部骨折」と診断、次に出てきたのが「手術をしますか、しませんか、もし手術をしないのであればこのままお帰り下さい」と事務的で感情のこもっていない言葉に、当然手術をすることを考えていたヒロパパにとって驚きの言葉でした。その後ヒロパパは手術を希望する旨を表明をした途端、今度は手術することに伴ってのリスクについてを、医学用語又は病名?を使って長々と喋り出し、ヒロパパからのそれぞれについてリスクの確率はとの問いに答える訳でもない、勿論その医師が当家のおばあちゃんの様子を分かっている訳ではないので答えられないことは理解できるにしても一般論としての高齢のものに対するリスクの説明があってもしかるべきと思いながら、そうかこれは”責任回避の会話”だったのかと後から気が付いた次第です。

さてここで、この時点で手術をしたことは良かったのか悪かったのか?、ヒロパパその時点での判断はリハビリをすれば再び歩けるようになる、又は痛みがとれることを期待して手術を希望したのですが、術後の話題で2010年8月26日の話題、手術は成功ではなく終わったと表現した、これは最終的に歩ける様にはならなかったし、しかも痛みも取れずじまい、ということでこの表現は最適だったのでしょうね。
それでは手術をしなかった場合はどうだったのでしょうね、症状は同じでも寿命は延びたということであれば「手術をしない」という選択肢があったのかもしれません・・・が、比べることも出来ず、医師からはこの事に関する説明も無く、この時のヒロパパの判断はこの時点では妥当であったと自分に言い聞かせています。

さて以前、医師のコミニュケーション能力不足が話題になったことがあります。ヒロパパのおじいちゃんは医師であり、従って従兄弟には医師がいて普通に会話ができているのにH医師は何故?、夜勤中で疲れていた?、でも日中、病院内で出会って当方からの会釈にも反応が無い、外科医なので腕が良ければそれで良い?といっても手術は終えたにしても歩け又た痛みが取れた訳でもない、手術のテクニックが本当に良かったの?と疑いたくなってしまいます。
ということで、ヒロパパに何かあった場合、例え外科的な症状でなくてもこの病院は利用しないことにします。
「梅ちゃん先生」(NHK)みたいな医師が多くなれば・・・思いだしました、サキちゃん(現在医師を目指している方です)も将来「サキちゃん先生」って呼ばれる様になるのでしょうね。

医師に対する印象は最悪でしたが、その他、看護士、介護士、理学療法士の皆さんの対応には満足しています、お世話になりました、それにありがとうございました。

さてこのDNA病院での入院生活は8月24日から10月3日までの41日間だったのですが、15日目の9月7日にはもう退院後の予定の打合せを実施させられました。病院も利益を生む為患者をクルクル入れ替えることに専念している、何か割り切れない思いをしながらでしたが、明日はこの時の打合せ内容を話題にします。
実はこの席でヒロパパの感情を逆なでするような発言があり、昨日も今日も明日も、あまり愉快な話題では無い、明日で不愉快な話題はおしまいにしますので、お許しを・・。

細かい日付等は、骨折事故発生日(2010年8月23日)から亡くなるまで(2012年4月18日)パソコン上で日記を付けていて、そこから拾い出しています。只、パソコンのハードディスクの故障で消えてしまった部分もありますが。

”2年前8月の骨折直前直後の様子、当家のおばあちゃんの記憶ーNo.2”
(care-schedule for my mother, just before and after her's broken bone)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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昨日に引き続き当家のおばあちゃんの記憶として、今日は2年前(2010年)8月の骨折事故の直前直後の、おばあちゃんに対する介護・行動の内容を返りみて、これに間違いが無かったのか等の検証をすると同時に、読者の皆さまでもし同じ状況の方がおいでになりましたら、参考にしていただく為めまとめておくことにしました。
ご存知の如くヒロパパは介護士ではありません、従って素人が介護をする場合についてのみですが・・。

掲載した表は、骨折事故発生月(2010年8月)の介護スケジュールで、この時にはシュートスティ等の依頼先の予約が必要だったため既に11月までの3か月分を作り上げてありました。
骨折事故は8月23日、今となっては手書きのスケジュールの全て(後述)がCANCELL、その文字が痛々しく感じています。

月間の介護スケジュールは、●週2回のデーサービスの利用と●月一回5日間のショートスティの利用、それに●4週に一度検診の為の通院、これを基本としていました。

デイサービスではカラオケやゲームを楽しんだり入浴したり、しかもお友達も出来、それほど嫌がるわけでもなく通うことができていました。

自宅での生活、特に食事については、夕食は●配食サービスを利用しヒロパパの担当、朝・昼食はヘルパーの方の●在宅サービスとヒロパパが半分づつの回数を担当していました。

ヘルパー、デイサービス、ショートスティ、配食サービルの利用はヒロパパの負担を軽くするための措置で同一の施設にお願いしていました(名古屋市天白区のT苑)。 果してこの措置が良かったのか悪かったのかについては、話し下手のヒロパパが一日中傍にいてもそれほど刺激が無い、他の方やお友達との会話、それにカラオケ等で一日中自宅に居るより刺激が多いはず、ということでこの措置は妥当だったと自分には言い聞かせていはいますが・・・。

さて、骨折事故の発生はショートスティ中で2010年8月23日2010年8月24日の話題の真夜中、本人が自分自身で動きベッドから降りた又は落ちた、この時衝撃で骨折したと推定しています。
ショートスティ先の担当者2名が付き添って病院に搬送、ヒロパパが搬送先病院に到着した時(午前1時頃)その担当者から、「ベッド下でうずくまって痛がっていた、朝まで待とうととも思ったが連れて来た」との発言がありました。この時、多分骨折したとの明確な判断はショートスティ先では出来なかったものと考えられます。
それでは、ショートスティ先で、この様な事態が発生した時、状況判断とその時の行動の手順はどの様になっているのでしょうね、もしかしたら痛がる本人を朝まで待たせることも行動手順になっていたのかなとも受け取れる発言に少し驚いたことを記憶しています。
それにもう2年近くなるのに、その時の状況の説明がヒロパパにはない、多分真夜中のことで見回り時に発見した為でその事しか説明できない、だからなのかなとは考えていますが、ショートスティ中であり何らかの状況説明があってしかるべきと考えると、なにか物足りない気持ちのままです。裏返すと、本人自身が勝手に起こした骨折で自分達は何ら責任を負わないよって云っているのかな~?。
それに、事故発生以前のとある時のショートスティ迎えに滞在階にヒロパパが行った折、その方がショートスティ中の方か特養への入所中の方かは定かでありませんが、ベッド下でうずくまっていた方がおられた、近くのスタッフに声を掛けましたら、いつもこうだからとの応答でベッドに戻す操作をするわけでもなかった、これでいいのかなとの心配をしたことを思い出してしまいました。

既に本人は居ないのですが、今後の改善とヒロパパの気持ちの区切りをつける為、当時の説明の依頼をお願いしてみようかと考えています。

もうひとつ、この様な施設は、病院に搬送せざるを得ない事象が発生した場合、監督する該当部署(名古屋市内の施設ですと名古屋市健康福祉局介護指導課企画係)へ速やかに報告する義務があります。
これについては事故発生の翌日24日に受理しているとのことの確認はとれました。

明日は、搬送直後の医師の応対、手術後の病院でのリハビリ、入院中の退院後の予定の打合せ等の話題とします。
今後数日はこの様な話題になりますが、ヒロパパの記憶の為ですのでお許しを・・・。

”誕生日のお祝いの記憶、当家のおばあちゃんの”
(memories of my mother's birthday and related)

アルバムへのリンク;「家族・親族」

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当家のおばあちゃんの記憶として、まず誕生日のお祝いでこのHPで話題にしたものをリストアップしてみました。

掲載したものは、このHPで話題にしたつい最近(昨年の9月18日の102歳)の時のケーキですが、一番古いものが94歳からの記録がありました。いつもお孫ちゃんのアキちゃんファミリーの参加があり、おばあちゃんも楽しんでいました。

以下そのリストアップしたもの、クリック(日付を)してお楽しみください。
2011年9月18日の話題;102歳の誕生日祝い、丘の上の洋菓子屋さんで・・
2011年8月31日の話題;102歳の誕生日、結婚式の写真と当家のスタートは昭和10年9月19日
2011年8月29日の話題;みつるの人生アルバム、改訂
2011年8月25日の話題;親父の戦死時(海軍甲事件)報道
2010年8月31日の話題;101歳の誕生日、お見合い写真と病室で小さなケーキを食べながら・・
2010年8月16日の話題;101歳の誕生日祝い;直後ショートスティ先で骨折、早めにお祝いをしておいて良かった・・
2009年8月31日の話題;100歳の誕生日、100歳万歳
2009年8月29日の話題;明治42年8月31日の新聞
2009年8月18日の話題;親父の軍服、虫干し
2008年8月30日の話題;白寿のお祝いの金太郎飴
2007年8月31日の話題;98歳の誕生日、女学校の頃はテニスの選手だったみたい・・
2006年8月31日の話題;97歳の誕生日、昭和9年の上高地・河童橋と五千尺旅館
2006年8月25日の話題;おばあちゃんのお箏の修復
2005年9月24日の話題;愛知万博に車いすで
2005年8月31日の話題;96歳の誕生日、愛知万博開催中
2004年8月31日の話題;95歳の誕生日、お祝いのオカメインコの佐代子ちゃんと同居開始
2003年8月31日の話題;94歳の誕生日、還暦・古希・喜寿・・・呼称と年齢の理由

”当家のおばあちゃんが他界しました、満102歳でした”
(my mother died apr.18, she was 102 years old)

アルバムへのリンク;「家族親族」

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当家のおばあちゃん;ヒロパパのおふくろが4月18日に他界いたしました。
満102歳と8カ月、明治42年8月31日に生を受け、明治、大正、昭和、平成と1世紀を超えて頑張ってきた、周りでは、白寿を超え、茶寿、皇寿や珍寿を狙ってはいた、このところの様子では来月13日の母の日まではガンバレ~と考えていたのですが・・。

この数日以来、声掛け、手を握る等の外部からの刺激に対して反応が鈍くなり、でも一生懸命呼吸しながらでしたが、18日になった途端、呼吸、脈拍が不安定になり午前1時半、接続していたモニターがピー・・・、皆に身守れながらの最後でした。
後から気付いた事ですが、日付が18日に変わった途端に何故?、ということは18日になるのを待っていたのでは、それは・・・親父の戦死した日が昭和18年(1943年)4月18日2011年8月25日2011年8月18日2011年8月14日の話題)、この時から二人の間で既に約束を取り交わしていたのか、それともいつも親父との間で交信をしていて、待ちあわせは4月18日だよと決まっていたのか、真実はヒロパパが親父・おふくろのところにいった時に聞いてみないとわかりませんが・・・。

ヒロパパは、幸か不幸か喪主になるのは初めて、まずは通夜、告別式それに火葬、初七日を済ませ、現在自宅に祭って、これでおふくろを親父の元に送り届ける第一段階の道筋を作ることができたと思っています。

式は、おばあちゃんの住まいの近くの葬儀会館「ティア相生山」での実施でした。
何故ここで?は、生前、おばあちゃんは自分でここの会員になっていた、多分この時を考え、残されたものの煩雑さを少しでも避けるため決めたのでは、ということで何の迷いも無くお願いした訳です。
とにかくヒロパパにとって慣れない複雑な式次第を順序立ててその都度のタイミングを含めてご指導いただいた、この葬儀会館の皆さま、特に笑顔が素敵な藤原真也(まや)さん(実名、写真は無理やりお願いして掲載しました)、「お世話になりました、どうもありがとうございました」。何も褒めるところが無い場合、「笑顔が素敵ですよ」って云うみたいですが、藤原さんは、よく見掛ける事務的でマニュアル通りの接し方とは違い、身近さ感じる会話と対応で、気分が安まりましたよ。もしかしたら「ティア相生山」の看板娘?なのでしょうね。

それにご参列頂いた皆さま、どうもありがとうございました。
特にAkiちゃんファミリィ―の今度6年生になったサクちゃん、おばあちゃんに対する思い出の素晴らしいお手紙をありがとう!、あまり涙を見せないヒロパパも、その優しい手紙に感動して涙をこらえることができませんでしたよ、おばあちゃんもサクちゃん達と会うのをいつも楽しみにしていました、本当にありがとう・・。

ヒロパパがおばあちゃんの周りをウロウロしだしてから、当初は介護度認定は・・とか、老人保健施設での活動、その後、通所看護、骨折事故になってしまいましたがショートスティ、入院・手術、その後の老健暮らし、それに今回の入院まで、あらゆる皆さまにお世話になり、言葉には表せない程感謝の気持ちでいっぱいです。
追々、このHPに記載されている内容をまとめながら、皆さまには御礼させていただくこととしています。

重ねて、皆さまどうもありがとうございました。

現在、おばあちゃんは自分の住まいに戻って親父の仏壇の近くに祭られています。
まずはヒロパパにとっては初めてですが該当するお経を挙げる?、出来るのかな~・・、それに届け出等の事務的な処理と、骨折した時関連話題;201年8月31日のまま時間が止まったおばあちゃんの部屋の整理整頓をすることになります、頑張らねば・・。

余分?なお話し、スケジュール設定時に起った問題点の一つ、お葬式に設定した4月20日は友引、”葬式の風習の一つで友引の日は通夜やお葬式は縁起が悪いから避けるの?”がありました。
結果として、20日友引の日にお葬式を決行しましたが。
それでは、何故この様な風習が存在するのかについては、”友引は共引き等を意味し周りの人も一緒に連れてい行かれてしまうから”との考え方があるみたい、従ってこの日にお葬式等を実施する皆さんが少ない、それではと火葬場等は従業員の定休日を固定する為この定期的に巡ってくる友引の日にした、火葬場が休みで有ればお葬式をすることが出来ない、この考え方が巡り巡ってますます友引の日に通夜・葬式をすることが少なくなったみたいです。
只、今回は仏式でしたが、この仏教と大安・仏滅・友引等の六曜とは無関係、因って寺院は無関係、気にする人も勿論おられて当たり前、火葬場、斎場等がお休みでなければあとは参列する皆さまの気持ち次第、幸いにして名古屋市の火葬場はお休みでは無い、ただ、もし気にされる方の為には”「御供人形」(掲載した仏像、でも仏教とは無関係)と、いつもベッドにおいて遊んでいたくまちゃんのぬいぐるみをお棺に一緒に入れましたよ”ってお断りをしておきました。

”緊急事態発生!、このHPのアップデートを数日以上お休みします”
(a emergency has arisen)

アルバムへのリンク;「家族・親族」
緊急事態が発生してしまいました、緊急事態の内容については又後日として、多分2・3日~1週間程度このHPのアップデートをお休みさせていただきます。

”四葉のクローバー、それに五葉も六葉も!”
(a four-leaf clover and five-leaf,six-leaf more)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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クローバーが生えている場所に行きあたると必ず四葉はないかな?と探すのが癖となっています。
いつも通っている当家のおばあちゃんが入院している病院で、見舞いが終わると少し付近を散策し、今日は四葉のクローバーを見つけました。左の写真には二つあります、探してみてください。面白いことに、目が四葉のクローバーを探す目になっているのでしょうか、この頃は有無が直ぐに分かるようになりました。
実はそれ以上に、今日は珍しく五葉も六葉(右の写真)も見つけられました。

何故葉っぱが多くなるかについては、例えば突然変異、遺伝、物理的影響、諸説あるみたいですがどれも正しいとしても、たくさん見つかるわけでもない、やはり摘んで押葉にして幸運を待つこととして、摘んで古い電話帳に挟みこんでみました。
電話帳の何処に挟みこんだと思いますか?、ページで言うとラッキィーナンバーの奇数ページ、111ページ、333ページ、555ページ、777ページ、さてその次は999ページ、あれ!この頃の電話帳は薄くなっていて999ページはありませんでしたが、後から探す場合も見つけ易いのでこうすることにしています。
ということで該当ページを開いてみましたら、昨年収集したものがありましたので、デザインしたカードと一緒に100円ショップで売っているセルフラミネートに入れてブックマークにでもしてみようと計画中です。

これだけたくさん見つかったのだから、良い事がいっぱい起るよ・・・て信じています。

”都会の中のオアシス、それに山吹の花と実”
(a kerria)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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今日は久しぶりに「くらしの森(名古屋市千種区、平和公園南部緑地)」に入っての保全作業でした。
ご覧ください、周りは都市部に囲まれているにも関わらず、少なくともここを散策する時はハイヒールやサンダルは避けた方が良い程手付かずの自然が残っている貴重な場所、木々は新芽を出し始め、桜や桃、つつじも乱れ咲き、シジミチョウ、それに特別出演?のたぬき君ものそのそと散歩をしていました。
写真・上は通称;なか道の桜と唐竹林、実はこの唐竹林の中には、数ヶ月前から、まだ床しかできていませんので建築中?、唐竹を紐で括って組み上げたものがありました。これだけのものは多分小学校高学年以上の皆さんかな、作った皆さんは将来一級建築士を目指しているのかもしれません。構造は高床式ですので夏は涼しそう、いつ完成させるのでしょうかね~、それか、完成する前にここを管理している名古屋市が取り払ってしまうのかな、でも邪魔になったり危険が伴う訳でもなく、完成するまで待ってあげて!って云いたい気持ちです。

さてもうひとつは山吹、この山吹で連想するのが、太田道灌さん(室町時代)のお話しで(真偽のほどは分かりませんが)、

鷹狩りの帰途にわか雨にあって、みすぼらしい家に蓑を借りようと立ち寄った、応対した少女が黙って山吹の花を一輪差しだした、その時は意味が分からず、帰ってから、後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王(かねあきらしんのう、平安時代)が詠んだものに「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」があることを家臣から進言され、自分の無知さを恥じその後歌道に精進した

こんな逸話を思い出します。
それでは写真の山吹は実が出来ないの?、何故?・・・山吹だって実は出来るはず、もし園芸種的なものだったら別ですが・・・、それに兼明親王が詠んだ「七重八重」が八重咲き山吹を表しているか、それとも一重咲き山吹が咲き乱れている様を表しているのか、この写真のものは一重咲き、インターネット上でも小さな硬い実の写真がある、従って実が出来るはず、自分で確かめるにはこれに実が出来るかどうかを確認すれば解決の一端にはなる、同時に八重咲き山吹に実が出来るかどうかも確かめれば良い、この様な方針で進めることに・・・・と思いましたが、同じ疑問を持った方がちゃんと確認をされていました(下記参照サイト)。
結論として一重咲きにしても八重咲きにしてもどちらも種子が出来る、只一重咲きは硬くて小さいし、八重咲きは枯れた花弁に隠れて確認し難い、その為に兼明親王は丁度あった八重咲きの山吹を見て実が出来ないと勘違いしたのでは、この様な推測をすることにしました。

参考サイト;
「サイエンスCAFE、花と実と大田道灌」

”静止衛星と太陽光発電”
(the stationary satellite and the apace elevator)

アルバムへのリンク;「戯言」

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掲載した画像は何?、ご推察通り人工衛星の数々です。
参照サイトは「JavaScriptで人工衛星の位置を表示する」(ココをクリック)というサイトで、最少間隔約1秒で夫々の人工衛星の位置(地表に投影した位置)を表示してくれます。画像では国際宇宙ステーションだけラベルを付けていますが日本が打ち上げた「だいち」、「ひまわり」等の気象衛星・地球観測衛星、それに通信・放送衛星も載っています。
日本が打ち上げた衛星は、「はやぶさ(小惑星;イトカワの探査機)」等の探査機を除いても多分100台以上?、これに打ち上げ国の数を掛けた数だけありそう、現在運用中のもの・運用が終了したもの、時々落ちてくるもの等々素人では良く分からない状態ですが、ものすごい数の衛星が高度が違うにしても地球の周りをうろついていることになります。

何故こんな話題を今?、とある国の衛星打ち上げ実験?の失敗、数週間前の宇宙エレベータ構想のニュースに触発され、衛星ってどんな動きをしているのかなの復習をしてみました。

まず衛星がいっぱい並んでいる場所があります。左右の枠の数値で赤道上であることが分かり、これらの衛星は動く気配が無い、そうかこれが「静止衛星」なんだということがわかります。

でも静止衛星は静止している訳ではない、地球の自転と同じ向きと速さで動いていて(勿論地殻の変動等で微調整が必要ですが)地上から見た場合同じ位置に見えるだけ、それに通信・放送衛星からの電波を受けるには静止衛星であればアンテナの向きを固定できる、だからなのですが、それでは何故静止衛星は赤道上なの?・・・不思議ですよね。

まず全ての衛星は遠心力と重力が釣り合った位置を周回させている、これは燃料等推進力を使わない為ですが、これを実現するには必ず赤道と交差する周回路となる、ただ 地球の自転周期(23時間56分04秒)と同じ速度で飛行させる為には、赤道上の高度;35,786kmしかない(静止衛星以外は200km~400km程度で周回周期はもっと早い)、これが理由となります。

実は日本の上空どこかにでも静止衛星は実現できますが、実現させる為には重力に打ち勝つ為に相当な推進力とその制御が必要となる、そんな燃料を積み込む訳にはゆかない、実用性に欠ける、これが日本の上空に静止衛星が無い理由です。

それでは静止衛星は現在何個あるの?、どれ程まで投入できるの?は、円周軌道の長さ(赤道上の地球の半径;21.385kmと円周軌道の高さで計算してみてくださいね)と衛星そのもの大きさ(大きくても数10m)でぶつからない程度はその軌道に投入できることになります。ただ、衛星の機能を増やしていることや運用済み等でデブリ(debris;宇宙ゴミ)になること防ぐため現在200個程度としているみたいです。

それでは「宇宙エレベータ」って何?、前述の静止衛星からロープを垂らし、ロケット等を使わずこのロープを伝って物を安価で運搬する、この様な構想で、世界各国で研究を進めているみたい、面白いですね(宇宙エレベータをキーワードで検索してみると面白いニュースが見れますし、宇宙エレベーター協会なるものもあります→後述参考サイト)。
ヒロパパの期待としては、静止軌道上に太陽光発電のパネルを投入して、銅線では重すぎるので導電性が良い軽くて強い素材(カーボンナノチューブはどうかな?、高層では極低温だから導電性が増す?、地表に近い部分は冷やす)を開発して大容量の電力を地上の基地局(基地局は海上が最適)に送る、誰かは考えているとは思いますが実現したいですね。ただ電力は無線でも送ることができますので、東京スカイツリーの展望台みたいな観光施設かな?。それに赤道上に高層からケーブルがすだれみたいに垂れ下っている様子を想像すると面白い、ただ飛行機にとっては邪魔・危険、又はのれん分けして飲み屋に入るみたい?、ですかね~。それに「ジャックと豆の木」のお話しの作者(有名なバージョンはジョセフ・ジェイコブス)はこの宇宙エレベータの構想を持っていた?かもしれません。

余分なお話しですが、衛星の軌道にはこの「静止軌道」や極地を通る「極軌道」(国際宇宙センターはこの軌道です)がありますが、GPSみたいな位置情報の為の衛星には2012年1月25日の話題、数機を投入したにしてもある程度狭い範囲で必ず一機存在するようにしたい、その為の「準天頂軌道」というのがあり、「みちびき」はこの軌道上に投入されています(詳しくは、「JAXA、準天頂衛星とは」を参照してください(ココをクリック)

空を見上げて肉眼で衛星が全て見える訳でもなく日食みたいに太陽が隠れる訳でもありませんが、高層にたくさん飛んでいることを想像すると面白い・・・。そういえば来月(5月)21日は25年振りの金環日食が見れるそうです、次回は18年後とのこと、ヒロパパは18年後は無理、今回は是非見ておかなくては、何を準備しておこうかな・・・。

参考;国際宇宙ステーションは高度;約400kmを時速;約28,000kmで90分掛けて地球を一周しています。これに対して静止衛星は 前述の高度を時速;10,800kmで一日掛けて地球を一周し、高度が低ければ周回回数は多く高度が高くなれば周回回数はもっと少なくなることになります。

参考サイト;
「宇宙エレベーター協会」

”変われば変わるもの・・、大狭間湿地への通路”
(a route to Ohazam-damp area)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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写真は大狭間湿地(愛知県豊明市)に通じる散策路で、上2枚が昨日撮影したもの、下2枚は昨年8月7日の丁度この大狭間湿地の開放日2011年8月7日の話題に撮影したものです。
昨年は、夏の開放日に備え場所の確認の為たびたびここを通っていて、何か工事をしている、お聞きしてみましたら、丁度この散策路の西側は豊明市営勅使(ちょくし)墓園があり、この暮園の拡張工事とのことで、既に完成していました。

工事前の散策路の様子は、この散策路の入り口から突きあたりまでの西側にはびっしりメダケ(女竹)で覆われていましたが、今は、工事に因りこのメダケの林が1/3から1/4に減ってしまいました。工事があると分かっていたら撮影しておいたものと思われますが、もう”後の祭り”、残念です。

多分豊明市も工事をした担当業者にもこの散策路の変化についての記録や写真は工事エリアからの範囲外ということで無いのでしょうね。
難しい課題とは思いますが、工事にしても建造物にしてもあるポイントに変化を加える場合、そのポイントだけでなくその周辺に対する影響も良し悪しは別としてもシュミレーションしておくことが必要と思います。
竹の仲間は水分をよく吸い上げます。ここのメダケ(メダケはササに分類されていますが)が少なくなったことによる大狭間湿地の周りの林の植生の変化、それに湿地そのものの変化もまずは数年かけて観察してゆくことをしたいですね。

”今日出会った花達”
(flowers in spring)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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今日は暖かかったですね~、桜は散り始めて水面には花筏が流れ、燕が飛び交い、モンシロチョウがひらひら、それに練習中の鶯の囀りも聞くことができました。
掲載した写真は全て今日出会ったもの、左上・下は、梨の花と桃の花、右・上はアケビ(ミツバアケビ)、右・下は柳の花です。

さて、桃の花は少しピンク掛ったりで分かるものの、それでは梨と桜の花はどうやって区別するの?、咲く時期が桜より少し遅いこともありますが、実は撮影した場所がおじいさんの梨畑で2008年9月5日の話題見掛けたもので確実、だからですが、もしこれを知らなかった場合はヒロパパにとっては判別が難しそうです。それにこの梨畑には「新水」、「幸水」、「豊水」それに「新高」の四種類植わっているとお聞きしていましたが2010年4月12日の話題どれがどれやら見当もつかず、情けなカ~です。
以前、この梨畑でご夫婦で枝の剪定をしていたのを見掛け2006年1月18日の話題、その後、実は当家のおばあちゃんが入所していた老健でお会いして「どうなさったのですか?」に対して「おばあさんがここに入所している」とのこと、偶然同じ老健だったのですね~、驚きました。
おばあさんが入所して、この梨畑の手入れも2008年からはままならずもう梨の出荷はされていないみたい、でも花だけは毎年綺麗に咲いていました。

左・下の桃は、同じ老健の庭に植わっているもので、花はまるで「花桃」みたいに花弁や枝に因ってピンクと白色が混ざっている、綺麗です 2009年4月13日の話題。さて、果実は梅みたいに小さい、多分スモモの一種と思っていますが、これもあてになりません。

右・上の「ミツバアケビ」は同じ老健の裏の林にあったもの、昨年に比べ多く咲いている、もしかしたら今年はアケビの当たり年かもしれません。でも当家のおばあちゃんは既にここを退所して入院中、たまたま今日はこの老健の最後の支払いに訪れただけ、残念ながら今年の秋にこっそり林に入って収穫とはゆかなくなってしまいました。

右・下のヤナギの花、「コゴメヤナギ」?、「ウンリュウヤナギ}?名前も定かではない上に、ヤナギの仲間は雌雄異株、これが雌花なのか雄花なのかも定かではない、6月頃「柳絮(りゅうじょ)」2008年6月7日の話題が飛べば雌花、これは大狭間湿地(直近の話題;2012年2月28日の近くで見掛けたもの、確認の為に見に来ることを覚えておかないと・・・でも忘れてしまいそう・・・。

”五重塔と相輪”
(a five-storied pagoda and it's Sourin)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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写真は八事(名古屋市昭和区)にある興正寺の五重塔です。
1808年の建立されたものとのこと、1808年とは江戸時代・徳川家斉の時代で、間宮林蔵が樺太海峡を発見した年でもあります、ということはさておいて・・・何故日本には五重塔が多いのかな~、勿論三重の塔もあることは分かりますが奇数で偶数のものは殆ど見ない、それに基盤が正方形であり、中国や東南アジアで良く見られる六角形や八角形のもの(昭和塾堂;2009年1月29日の話題、北京・天壇;2003年12月3日の話題のものが日本には少ない、これも不思議です。

さて高い塔そのものは、鐘楼も含めて宗教的にもランドマーク的な意味合いがありこれは西洋でも同じ2011年6月28日の話題、もうすぐ開放される東京スカイツリーも宗教的な意味合いは無いにしてもシンボルとしての意味は十分にある、宗教、文化を含めて世界の高い塔やビルを高さや建築材、目的等で分類してみると面白そうです・・・が、これをして何か役立たないの?って云われてしまいそうですね・・・。

もうひとつ上を見上げて、塔のてっぺんに丸いものがくっついている、その先端が曲がっている、これ何だっけ?と御神籤売り場のお嬢さんにお聞きしてみましたが思いだせないとのことで帰宅してから調べてみました。
結果、心柱の頂部にある青銅製あるいは鉄製の飾り全てを「相輪」といい、「相輪」は七つの部分からなり、下から「露盤(ろばん)」、「伏鉢(ふくばち)」、「受花(うけばな)(請花(うけばな))」、「九輪(くりん)」、「水煙(すいえん)」、「竜車(りゅうしゃ)」、「宝珠(ほうじゅ)」と呼ばれている、受花から宝珠に至るまでは管(さっかん)が心柱の周りを覆って取り付けられている、それに相輪の形はインドのストゥーパ(仏塔)を象徴化したもので、ストゥーパの円筒形の台基が露盤として表され、墳丘が伏鉢、平頭が受花、傘蓋(さんがい)が九輪、そして傘竿(さんかん)が管に相当するとのこと、特に「宝珠」は仏舎利(お釈迦様の遺骨)を納めるところで一番重要な部分とのことでした(Wikipedia、及び下記参照サイトより)。
耳慣れない単語ばかりで、とても覚えきれないのですが・・。

実はこの時見上げて不思議に感じた事は、この五重塔の「宝珠」は先端部分が曲がっている、まさか風になびいて曲がったことは考えられないし、この曲げ方の角度とかこの意味している事は何なんでしょうね?、通常橋の欄干で見られる、この「宝珠」が変化した「擬宝珠(ぎぼし又はぎぼうしゅ)」は先端が曲がったものは見掛けない、インターネットで他の五重塔の画像を調べても「宝珠」の先が垂直か曲がっているのかよく分からない、今度また興正寺に行く機会があったらお聞きしてみることにします(忘れなければです)が、多分仏教の世界の奥が深い世界が広がっていてヒロパパには理解不能かもしれません。

追記(2012年5月);「宝珠」の先が曲がっている原因が分かりました
興正寺のお坊さんにお聞きしてみましたら、いつかは聞き忘れましたが雷が落ちて曲がったのだそうです。先端なので直し難い?からそのまま、それにしても雷の力ってすごいですね。

参考サイト;
「やさしい仏教入門」

”ネパールの太鼓;マダル、
それにそろそろ身の回りの整理に取り掛からなくては・・”
(Madal, a drum from Nepal)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

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またまたとんでもないものが我が収集物に加わりました、写真・左の太鼓、これはネパールのもので名前は「マダル(又はマーダル・Madal)」、ご想像通り徳林寺の春祭り2012年4月8日の話題で、ネパールの出店で購入したものです。
音程に因ってたくさん有るようですが、お店にあったのはこの大きさのものだけ、いつもの通り、本体をジロジロ眺め、一方の打面の黒い部分(「ガブ」といい、鉄粉と米粉を練り合わせもの)が少し欠けているのを見つけ真剣に値引き交渉をして購入・・・チュウニング(丸い輪っかを上下させる)してポンポン・・・なかなか良い音が出ました。

太鼓と云えば打楽器の代表格ですが、オーケストラでつかわれるドラム、ティンパニ、ゴング、日本では和太鼓、アフリカのジャンべ(又はジュンべ)等々世界各国で様々でリズムの基本、珍しいものが各国にありそうです。

掲載した写真の右のもの2種類は、竹で出来ている楽器、真ん中がフィリピンの民族楽器「バリンビン(Balingbing)」、右はインドネシアの民族楽器で「アンクルン(Angklung)」です。
「バリンビン」は、真ん中の帯を上下させ音程を調節でき、しかも手元の穴をふさいだり開放したりしてビン・ビーンと奇妙な音を出すことができます。
「アンクルン」は、インドネシアの民族楽器で、手元には3種類の音程しかありませんが、コロコロと心地よい響きです。
これらは全て本場で作られた本物ですが、ヒロパパが真似て作ったベトナムの「クロンプット(K'lon-Put)」2012年2月14日の話題もあり、部屋の中はこんなものでいっぱい、それでは演奏をしてみなさい!といわれても残念ながらちょっと音を出して楽しむだけ、困ったものです。

実は、これらのヒロパパの宝物(と自分で思っているだけです)を、そろそろ整理しておかないと後してが大変(後ッて何?はご想像ください)、ということで、音楽をやっている息子のKutsuboに引き継いでもらうことにしました。

これからもヒロパパから「挙げるよ!」って云われたら、これの一端と思って喜んだ振りでも結構ですので快く受け取ってくださいね。

”お釈迦さまと、無憂樹と印度菩提樹と沙羅双樹”
(Buddaha and his related 3-trees ;Asoka tree, Bo-tree and Shorea robusta)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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掲載した画像は、とある寺院で見掛けたお釈迦様の一生を描いたものの一部、全部で数十枚ありましたが、特に生誕の時、悟りを開いた時、それに入滅時の3枚(と思っていますが書かれている文字はタイの言葉で解読できず、描かれている内容からの判断ですが)です。

下の看板は、東山植物園の温室内のもの、ここに植わっている仏教三聖樹の説明です。

やっとこの二つの情報がヒロパパの頭の中で一致しました。

まずお釈迦様は母親の摩耶夫人がお産のために実家へ里帰りする途中にルンビニ(藍毘尼、現在はネパール) の花園の無憂樹(マメ科)の下で休んでいた時に夫人の脇の下より姿を現し誕生した、釈迦はこの世へ出てすぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出した、それに花まつりに甘茶をかけるのは、釈迦が誕生した時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来し、これが日本ではアマチャを掛けて祝うようになったとのことです。
花まつりという呼称については、ドイツで留学中の僧侶たちが行った行事が由来との説もあります。
掲載した額には、歩き回った跡に蓮の花が咲いた事は描かれていますが、竜は描かれていない、タイではこの伝説は無いのかもしれませんね。

さて「菩提樹」は寺院等ではお釈迦さまがこの木の下で悟りを開いた由来でよく見られる樹木ですが、「菩提樹」は中国原産のシナノキ科で、お釈迦様が悟りを開いたと云われるものは「印度菩提樹(クワ科)」で別の種だそうです。

さて入滅した時に周りにあったのがインド原産の「沙羅双樹(フタバガキ科)」で白い花が咲き直ぐに散りそれで遺体を被ったとのこと、確かにこの白い花が散っている様子が描かれています。
それでは平家物語の冒頭の”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、・・・”で直ぐに散ってしまうことから盛者必衰で有名、これと同じかな?と思っていましたが、実際にはこの「沙羅双樹」は日本の気候では温室以外は育ちにくい(無憂樹も印度菩提樹も同様ですが)、ということは別のもの、どちらも別名「紗羅の木」と呼ばれている多分「夏椿(ツバキ科)」ではないかとの説も見つけました。

さて、この三つの聖樹;「無憂樹」と「印度菩提樹」と「沙羅双樹」の実物を見れるのがこの近くでは東山植物園、訪問の折り温室に足を運んで頂ければ見ることが出来ます。

”今日は花まつり、1年がかりの宿題を三つも今日片付けました
●写真をお渡しできました、●梵鐘を撞いてみました、●白花姫立金花の花確認できました”
(the Buddha's birthday festival;Hana-matsuri at Tokurin-ji)

アルバムへのリンク;「お祝い・お祭り」、「子ども達」、「植物・花ー春」

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お天気最高、桜も満開、タルチョが青空をバックにヒラヒラ
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全員で力を合わせてエイ!、子ども達も梵鐘を一生懸命撞いていました himeryuukinka120408
シロバナヒメリュウキンカ、開花確認

今日はお釈迦様の誕生日、花まつりですが、以前話題にした徳林寺の花まつり2012年3月26日2012年4月1日の話題)の最終日、これに行ってきました。

実は1年がかりの懸案事項が三つあり、これを片付けることができました。

●まずその一;昨年のこの徳林寺の花まつりに訪れた際2011年4月3日2011年4月4日の話題)、境内で可愛い坊やに出会い、写真を撮り、昨年の期間中にお渡ししようと思っていたのですが昨年はお会いできなかった、今年こそはと今日訪れた際、関係されていると思われる方にお聞きしてみましたら、なんとお聞きした方がその坊やのお母さん、坊やの名前がM.M.ちゃんということも分かり、昨年の写真をお渡しすることができました、良かったです。
それに今日も写真を撮ってしまいましたので、お聞きしたe-mail ads.宛に撮影したものをお送りしますね。
お子さんは4人、今度小学校6年生になったしっかりものの長女を筆頭に力を合わせて皆さんでお母さんのお手伝いをしていました、ご苦労様、それに頑張って!。

●そのニ;ここ徳林寺の梵鐘を我が手で撞いてみたい、それに近くで鐘の音を聴いてみたいという望みを今日叶えることができました。
強く撞いて大きな音を出すのは控えましたが、梵鐘を撞くのはこの歳になって初めて、なかなか心地よい響きでした。それにしても撞いた後、梵鐘にそって手を添えてみましたら、細かな振動がずっと長く続いている、多分これを「オクリ」2010年11月21日も話題)と云うのでしょうね。

●次に、その三;毎年この時期出会いを楽しみにしている徳林寺近くの森の中で、今年になって初めて、多分この二・三日以内に咲いたものと思われますが「シロバナヒメリュウキンカ」(昨年の話題;2011年4月10日の開花を確認することができました。
何故、誰も訪れることが無いこの谷筋で、園芸種が殆どと考えられるこれが育っているのか、多分小鳥たちが種を運んできた?、夏になると休眠しますので花は今週当たり、葉っぱを含めてこの数カ月間だけしか見ることができませんが、今年も元気な姿を見ることが出来て安心しました。
只、この谷筋は昨年に比べて足の踏み場もないほど倒木が増えていて歩くのに一苦労、でもこれは人の都合だけですので、整理整頓なんてとんでもない、気にしないことにします。

”この美人、ヒロパパのお知り合いの方なのです”
(Who is this pretty lady?, 这个漂亮的女人是谁?)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

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今日は美人特集、掲載した写真は、原宿・秋葉でヒロパパが撮影した・・・のではなく、今日e-mailで本人から送られてきたものです。本人にお断りなく掲載していますので、もしかしたらダメッて云われ近日削除の可能性もありますが・・。

さて彼女は、現在大活躍中のスタイル抜群のモデル兼女優かな?、どちらにしても?マークがくっついてはいますが、ヒロパパが存じ上げている方で、勿論この方もヒロパパを知っているし、もしお会いすればご挨拶も世間話もする、このHPにもたびたび登場している・・・さてどなたでしょうか?、・・・後日回答をさせていただきます。

”今年の桜、名古屋地方は今日満開!”
(the cherry blossoms are at their best)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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今日、ここ名古屋地方は気象台から「桜が満開ですよ!」って発表がありました。行ってきましたよ、山崎川河畔の桜見物にです、ユキヤナギ(雪柳)や菜の花もいろを添えて見事な春の風情、でも肌寒かった~。
それにこの頃日本でも流行ってきたのかな?、多分結婚式の記念撮影のお二人(下の写真)、古式ゆかしい衣装でこれも又良し、勝手にヒロパパもカメラマンに加わり載せてしまいましたが、お祝いだから許してくださいね。

さて、このHPでの桜の話題を見返してみましたらあるはあるは・・・いっぱい出てきました。
ということで今までの桜に関する話題を列記してみました。

2005年4月7日の話題;桜の不思議、梅や梨等との花の違い、一斉に咲き始める理由、サクランボが出来ない理由
2005年4月10日の話題;染井吉野と大島桜
2006年4月3日の話題;山崎川河畔の桜
2006年4月19日の話題;「花筵(はなむしろ)」、「花筏(はないかだ)」、「花吹雪(はなふぶき)」
2007年4月3日の話題;山崎川河畔の桜、メガネを落とした中学生
2007年4月4日の話題;やこちゃんの大好きな八幡山古墳の桜
2008年4月3日の話題;山崎川は市内を水源とする唯一の川
2009年4月7日の話題;山崎川河畔の桜、桜を好む日本人
2010年3月31日の話題;アンナも桜が好きみたい、それに茎生花
2010年4月11日の話題;春うらら、平和公園の桜、それに目に優しい色は?
2011年4月7日の話題;桜が取り持つ世界との友好、ポトマック河畔やハドソン河畔、ソウル市内、南京等々
2011年4月13日の話題;相生山緑地の桜
2012年3月31日の話題;相生山緑地の桜、開花宣言

それにいつも通り桜と雪柳の花言葉を調べてみました。
桜は、「心の優しさ、精神の美、優雅な女性」、それに雪柳は、「愛らしさ 懸命 殊勝 静かな思い」との記述がありました。

それでは、皆さまは春の桜を何回見ていますか、生まれたての時もお母さんに抱かれて見ているから歳の数だけ、とすると当家のおばあちゃんはベッドを窓際に移動させ外を見回せば102回となりますが、103回目は無理かも・・・現在はそんな状態が続いています。ヒロパパも後数回かな~?。

”ふきのとう、花言葉は「愛嬌」”
(the flower stalk of a butterbur)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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清楚で清らか、でも煌びやかであり可愛い、花言葉は「愛嬌」だそうですが、写真は「ふきのとう(蕗の薹)」、蕗の花茎です。この写真の状態では遅いのですが、早い時期の軟らかいうちの天ぷらは最高、それに蕗の葉柄も美味しい、そこであくの除去から天ぷらや蕗味噌、油いための料理レシピの説明と云いたいのですが、ヒロパパはそんな能力はゼロ、残念ながらですが・・。

さて、写真の「ふきのとう」、花を咲かせるだけの目的で花茎を伸ばすのは「つくしんぼ」2012年3月14日2012年3月22日の話題)と同じ?、でも「つくしんぼ」は胞子をばら撒くのに対して、これは種子を作る目的で花を咲かせる、他にも花と葉っぱが別々に生長するのは「ヒガンバナ」2011年9月29日2011年10月12日の話題)もあるからそんなに珍しくはない・・・のでしょうね。

只「ふきのとう」は雌雄異株だそうです。この雌雄異株?ということを知り、それでは雄花と雌花とどう違うのかな、インターネットからは分かるにしても実際見てみたいと、咲いているのを見つけて覗きこんでみた訳です。
写真のものは雄花で先端に出ているのが雄しべみたい、付近にたくさん「ふきのとう」がありましたがほぼこの写真と同じで、花弁が退化して糸状になっている雌花は見当たらない、一生懸命覗きこんでみましたので見落としたことではないと思いますがまたまた気になることが増えてしまいました。

それに先日話題にした「ヒサカキ」2012年4月2日の話題も雌雄異株、この雌雄同株や雌雄異株は進化の過程ではどちらかが早い・遅い又は最初からどちらも等々これも気になります。

それに蕗の英語名の「butterbur」ッて?、蕗の大きな葉っぱを使って昔バターを包んだとの記述も見つけました。葉茎も含めて料理して食べることもできますが、朴葉2011年2月12日の話題みたいに何かを包む使い方もありそうですね。

”新しい中国語のテキスト”
(our new chinese text)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

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我が中国語サークルでは今週から新しいテキストを使用し始めます、といっても今までのテキスト2010年1月15日の話題もまだ少し残っている、ヒロパパにとっては三冊目なのですが・・。

今までのテキストは中国で発行されたもので文法を含め正確無比のもの、これに対し新しいテキストは日本国内で発行されたもので会話中心、その第一課の自我介绍(自己紹介)を参考にしてヒロパパの自己紹介をしてみますね。

大家好!首先,我来做一下自我介绍。
我姓(什么什么;苗字のみ),叫(什么什么;フルネーム),(什么)是(什么)的(什么)(文字の説明),・・・・
我是日本人(我来自日本、我从日本来、我是从日本来的)
我的爱好是听音乐
现在我靠养老金生活
(”什么什么”は”何々”と云う意味でヒロパパの実名が入るのですが)

一応最低限これだけを覚え四声を含め正確に発音できれば自己紹介はできる、頑張らねば・・。

面白いのは、例えば文字の説明で異なった云い方があり要注意です。
日本語で「野原」は中国語では「原野」で文字の順番が逆になる単語があること、それに片仮名や平仮名のお名前の方がそれをどの様に表現し説明するか、これはニックネーム的に中国語で表現できる新しい名前を考案せざるを得ないのでしょうね。

講義中に講師からは「背一下」、暫くして「记住了吗」の言葉が飛び出てきます。これは「暗記しなさい!」、「覚えましたか!」と云う意味、記憶能力が衰えているヒロパパにとっては辛い々々言葉です。

”春の嵐、前が見えないよ~!でしたね”
(a spring storm is raging)

アルバムへのリンク;「戯言」

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今日は一日中春の嵐、発達した低気圧が日本列島を襲い、北陸では最大瞬間風速が40m/s前後で台風並みだったとのこと、ここ名古屋でも土砂降りで前が見えない、竹が折れそうなくらいなびいてしまっている、予めの天気予報で分かっていましたので、我が家では植木鉢は隅っこに寄せての避難対策でした。

そこで中学校時代の理科?の復習、
●今回のは温帯低気圧、勿論台風になる熱帯低気圧という現象はある、温帯低気圧と熱帯低気圧の違いは?、
●そもそも低気圧と高気圧の違いは?、
●温帯低気圧と熱帯低気圧があるということは「寒帯低気圧」と呼ばれるものはあるのかな?、
これらを正確に理解できれば気象予報士になれるかな~・・・。

●まず「熱帯低気圧」とは、熱帯や亜熱帯の海洋上で発生する低気圧で暖気塊のみ、後述する「寒冷低気圧」が寒気塊のみと同様一種類の気塊で出来あがっている、これに対して「温帯低気圧」は暖気と寒気で出来あがっている、従って前線を伴う場合が多い(天気図、気象庁HPより転載)、熱帯でも温帯低気圧が存在するのだそうです。
●低気圧と高気圧の違いは?について、もうこれはご存知、一気圧=1013hPa以上又は以下で区分けする?のではなくて、周りとの相対的な差のみで高気圧とか低気圧とかと表現する、それではお天気の様子は、気圧が低ければそこに流れ込み流れ込んだものは上昇する、気圧が高ければそこから流れ出て流れは下降する、上昇すれば気温が下がり雲が出来雨になる確立が高い、従って曇り空、雨降りになる、下降すれば気温が上がり雨や雲が出来にくい、従って晴れる、大まかにはこれで良いと思われます。
●それでは寒帯低気圧ってあるの?について、この言葉自身は無いみたい、でも高緯度の地域でも低気圧はある、只、内容・構成は温帯低気圧と同じ、従って「温帯低気圧」又は単に「低気圧」と表現するのだそうです。
それに「寒冷低気圧(寒冷渦)」という単語がみつかりました(前述)。これは高層での寒気塊のこと、ただその影響については難しそうです、ということはヒロパパの気象予報士はやはり無理でした。

”ヒサカキを暫く観察してみようかな”
(observing of Hisakaki)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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先週話題にした「ヒサカキ(姫榊)」2012年3月28日の話題、今年こそは実が生るまで観察してみよう、その為には雄株、雌株、両性株を花が咲いている内に区別をしなくてはと、近くの緑地でそれぞれを探してみました。

掲載したものは、今回出会ったものです。
それにしても「ヒサカキ」は一杯ありましたよ、どうしてこんなに強いのでしょうね。
一説では、葉裏の陥没した位置に気孔(陥没気孔というのはそうです)があることで乾燥に強い、それに生育環境が広い、もうひとつ、性転換の能力も備えているとのこと、生命力が強さはこれらの理由からなのでしょう。
今の時期は花を付けているので直ぐ分かる、見掛けるたびに花を覗きこんで、これ雄株、これ雌株、これ雌雄同株等々を確認し、花が無くても区別できるように印を付け(内緒ですよ)、暫く観察することにしました。

掲載した写真の右端のものは、雌花と両性花が同じ木に見られました。
これが見られたものが、雌株か両性株かの確認をし忘れていました。もし雌株とすれば、両性花と見えても形だけの雄しべなのかもしれませんし、両性株とすれば雌花だけが何故?、それに 花弁の色が違うのは何故等々、またまた深みにはまってしまいそうです。

”徳林寺の花まつり”
(the Buddha's birthday festival;Hana-matsuri at Tokurin-ji)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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今日から花まつり、徳林寺(名古屋市天白区)に行ってきました。

初めて鐘楼に昇りセットされた梵鐘を拝見、撞いてはダメとは書いて無い、こっそりと撞いてしまいたい、そんな衝動に駆られてしまいますが、グワァ~~ンと鳴ればこっそりとなんてとんでもない、仕方なく周りを廻って指先でコンコンだけ、今度「撞いてもいいの?」って聞いてみます。

境内にはネパール物産のお店が例年通り開店中、もうお店のご主人と顔なじみになってしまいました。
まず購入したのが、チャイ、昨年と同じ「マサラチャイ」と今年は「イラムティ」それに「ジンジャ―ティ」もありましたのでまずはこの3種類を購入してきました。

それでは「マサラ(スパイス)」って何が入っているのかな?、ラベル(下の写真)から7種類入っている?、シナモン、八角(スターアニス)、生姜(ジンジャ―)、ローリエ(ベイリーフ;月桂樹の葉を乾燥させたもの)、クロ―ブ(丁子又は丁香、フトモモ科、開花前の蕾を乾燥させたもの)は想像できるにしてもその他が分からない、スパイスとして使われている「カルダモン(ショウガ科の多年草、乾燥させた種子)」、「サフラン(アヤメ科の多年草、雌しべを乾燥させたもの)」、「オルガノ」等々無理しても名前を覚えて次の機会に確かめてみます。

それに「イラムティ」、このイラム(Ilam)はネパールの最東端の標高;約1,350mの紅茶の産地の地名で、インドの有名な紅茶の産地ダージリン(Darjiling)に接している、多分まだ飲んではいませんが、美味しいのではと期待して楽しむことにします。ラベルには「Autumn Flush Tea」と書いてありました、ということは昨年の10月頃の3rd Flushのものみたいです。

もうひとつ「ジンジャ―ティ」も、これを飲み続ければ元気になれそう・・。

直前の話題;
2012年3月26日の話題