2012年5月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2012年5月31日

”梅蜂蜜”
(Ume-Hachimitsu and nocino)

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先日のノチーノの仕込みに続き、毎年作っている「梅蜂蜜」も仕込みました。
仕込んだというと大げさですが、ただ単に購入した梅と蜂蜜、それぞれ1kgを瓶にドバッと入れただけ、いたって簡単、でもこれからの夏バテ防止には、栄養ドリンク以上にヒロパパには効果ありと自分で信じています・・・信じる者は救われたい・・・ただそれだけの一心ですが。

掲載した写真の右のものは、5月29日仕込んだノチーノです。もう黒に近い深い緑色に変わっています。多分何かが酸化した、何かと何かが化学変化を起こた等々と思われますがヒロパパは化学式を書ける訳でもなく、詳細は、もし分かったら追記するとして今日はお許しを・・。

梅蜂蜜は、梅がシワシワになったら取り出し、2~3倍に薄めて冷やして飲む、又は炭酸を加えて飲む、これが最高、それに取り出したシワシワの梅は再度砂糖を加えて煮込み、飴玉的に頬張る、これも又楽しみです。
さて残った種は、乾燥させ植木鉢の表面の飾りに、このように「何でもかんでも徹底的に利用してしまおう」これヒロパパの主義主張ですが、ご存知の通りヒロパパはいいかげんなな人間でそんなに厳格な人柄ではありませんね。

”双葉山かな?
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.14”
(this photo mey be Futabayama)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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誰だって、ヒロパパだって可愛い頃があったんだよ!、今では想像できないけれども・・・ということで掲載した写真は当家のおばあちゃんの小学校入学の記念写真で大正15年(1916年)4月、秋山冩眞舘(下諏訪立町警察上、現在は存在していませんでした)と印刷された封筒に入っていました。
可愛い?、いたずら子みたい?、それともきかんぼう?、やはり小学生そのものって顔をしていますね~。

現在当家のおばあちゃんの遺品の整理中、父母の旧い写真をこれまたよれよれになったアルバムや封筒から引っ張り出して奮闘中、着々と進んでいる・・・というより大掃除のとき畳裏に敷いた古い新聞についつい目がいってしまうのと同じで見入ってしまい事が運ばずの状態です。

これ以外にも面白い写真がいっぱい出てきます。
掲載したもう一枚は、場所も日付も分かりませんが、お相撲さん達(お相撲さんが3人と一人は親方?)と一緒の写真、勿論親父も写っています。
よくよく見てみるとそのお相撲さんの内のお一人は(坐っている方の左から2番目の方)双葉山見たいです。それではあとのお二人は、69連勝を阻んだ安芸の海かな?でもそうでもなさそう、このころ有名なのは羽黒山とか玉錦かな?、それに親方は誰?よくわかりません。
双葉山(1912-1968)は大分県出身で第35代横綱、1936年から1939年までで69連勝を果した不世出の横綱、相撲の神様、昭和の角聖と呼ばれた力士で、もし69連勝中でしたら昭和12年~昭和14年の年代となります。
それでは撮影場所は、背景にはトタン屋根の建物、植物はニセアカシヤ?、それに土嚢が積まれた崖、もし国内であればこの様な背景での撮影はありえないのでは、外国でとすれば南方系の植物が見当たらないということは日本と同緯度の中国で、このころの親父は武漢三鎮(漢陽・漢口・武昌)あたりに赴任していたはず、だからその辺りということにしました。

そうですよね~、こんなことばかりしていたら整理が進まないのは当たり前ですね、でもこれからも旧い面白い写真が出てきましたらここで紹介します、楽しまなくっちゃ・・。

”ノチーノ、今年も仕込みました”
(stocking of nocino )

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ノチーノ(nocino)、イタリアの真っ黒い食後酒、今年も仕込んでみました。

本場物は、アルコール度が40度以上で高ければ高いほど良い、今の時期又は6月中旬程度までの包丁で切れる軟らかい時期の胡桃の果実を四つ程度に割って浸けこむ、浸けこんだ後は毎日でも出来る限る瓶を振ってかき混ぜる、約2カ月したら胡桃を取り除き今度はスパイスを加え(スパイスは何を加えるかは各家庭で違うみたい、クロ―ブやシナモン等が普通?)又1~2カ月、その後ろ過してシロップ等甘味を加えてやっと飲める状態になるとのことです。

さてヒロパパの今回のノチーノは、35度のブランディに最初から梅酒と同様氷砂糖を同量加え、後の工程は本場ものの真似をしようと考えています。飲めるようになる時期は少なくとも半年後から1年、それまでの変化を楽しみ事にします。

それにしてもこの鬼胡桃、発芽を促し葉っぱの数を調べたり2012年5月17日、これを里子に出したり、「木の実しおり」を作ったり2012年1月29日、等々楽しまさせてもらっています。
ことしも発芽したものが10本以上、これから里親を探し始めなくては・・・。

「ノチーノ」の関連話題;
2011年6月15日2010年12月1日2010年8月6日

”命名書と〇〇
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.13”
( my mother's naming ceremony sheet)

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当家のおばあちゃんの遺品の整理を少しずつでも進ませないとと、毎日数時間ずつですが頑張っています。そんな中、今日も面白いものを発見です。

掲載した写真がそれ、多分ヒロパパのおじいちゃんが書いたと思われる、当家のおばあちゃんの命名書です。
和紙に書かれた、細かく折りたたまれたこの命名書の表書きには何が書かれ、又何が包まれていたのかと思いますか・・・それはなんとおばあちゃんの「〇〇」(写真のしなびたもの)なんです。誕生日が明治42年8月31日ですので、多分「御七夜」までに命名している、とすると遅くとも明治42年9月上旬までにこの包みが作られたことになる、「よくま~一生大切の保管していたものだ」と驚くと同時に、書かれたいた紙はくずれたりほつれたりしている訳でもない、和紙というものはものすごく丈夫なんだとこれも改めて驚きです(墨で書かれていたからということも考えられますが)。

書かれていた文字は漢字で「美鶴」となっている、あれ?、平仮名だったはず、しかも表書きも名前は平仮名、しかもおばあちゃんの姉妹は全て平仮名、100年前は漢字表記でまず命名し、通常は平仮名を使用していた?、これの正解は何?について本人にもう聞くすべはありませんが・・。

さてこの命名書と「〇〇」をどうやって処理したら良いのでしょうね?、多分お葬式の時一緒にが通常の考え方と思いますが、もう遅い、となると歴史的文化遺産として後世に残す?、それとも納骨時に?・・・さてさて今度お坊さんにお聞きしてみます。

それにしても「〇〇」をお守り・記念として残しておく習慣は何時頃から始まったのでしょうね、それに日本だけ?海外の国でも同じ?、これについては我がお孫ちゃんのHaちゃんはドイツ生まれ、Naちゃんはアメリカ生まれ、彼女らに聞いてみるとわかるのかもしれません。

もうひとつ「〇〇」で思い出しました、従兄弟のMaちゃんはさい帯血バンク(下記)で活躍中でした。
臍帯血には「造血幹細胞」がいっぱい含まれている、骨髄と同様、移植して白血病などの重い血液の病気や遺伝病治療に役立てることができるとのことです。医学も段々進歩していますね~、是非帯血バンクの活動にご協力を・・・。

参照サイト;
「東海臍帯血バンク」

”トウカイコモウセンゴケ、今年も花が・・”
( a flower of Toukai-Ko-Mousengoke)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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「トウカイコモウセンゴケ(東海小毛氈苔)」のピンク色の小さな・小さな花が咲き始めました(モウセンゴケの花は白色)。花期は丁度この頃から8・9月頃までで、花柄に連なった蕾が日を変えて?次々咲いてゆくのせしょう、只、何故かは分かりませんが花は午後になると閉じてしまう、午前中早い方が見頃です。

今日は花のお話ではなく、特に葉っぱ(捕虫葉)の写真に注目です。
今までもモウセンゴケの仲間を話題にしてきましたが(下記)、この仲間は先端が球計の腺毛を葉っぱに付けて、これに粘液を分泌して昆虫を誘ったり、捕まえたり、消化したりしている、只、写真の腺毛は若い?、これから粘液を分泌するのでしょう。
それではこの粘液の成分は?と調べたくなってしまいますが、世の中には同じ疑問を持った方がおられ、既に分析ずみでした(モウセンゴケについて、下記参照サイト)。

それではモウセンゴケの仲間はどうやって子孫を増やしているのか?、コケと云う名前が付いているから苔と同じ?、・・ではなく花が咲くと言うことは種子が出来る、この種子はものすごく小さく見つけにくいとのことがこの種子が発芽するケースと株分けして増えるケースがあるそうです。

トウカイコモウセンゴケの話題;
2006年6月22日2008年7月1日2009年2月21日2009年5月2日2009年5月12日2011年5月10日
ナガバイシモチソウの話題;
2011年5月25日2011年6月9日2011年7月17日2011年8月6日2011年8月17日

参照サイト;
「モウセンゴケの捕虫・消化・吸収」

”アメリカフウロ”
( a carolina geranium)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」、「ボランティア」

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今日はボランティアで柿畑の雑草刈り、半日汗を流してきました。
この柿畑は、個人の所有地、只、今まで世話をしてきた方が高齢となりしかも後継者がいない為、行政に対して公園的な使い方をしても構わないという約束で現在メンテナンスを続けている場所です。柿の種は分かりませんが甘柿とのこと、収穫時期は又子ども達と一緒に柿狩りのイベントを開催できそうです。でもヒロパパ個人としては渋柿も欲しいな~、何故かって?、干し柿を作りたいからなんですが。
これからも秋に収穫できるまで繰り返し下草刈りが必要になりそうです。

柿のお話はさておいて、小さな野草を話題にしてみました。
何処の道端でも見られる、葉っぱの切れ込みが深く、枯れて先が紅葉したみたいな野草、これは生命力抜群の北米原産の帰化植物;「アメリカフウロ(又はアメリカフウロウ、亜米利加風露)」で、花期が長い為(4月~8月)、花も果実(種子)も同時に見ることが出来ます。
面白いのはその果実(下右の写真)、鋭いとんがり帽子の基部に五つの黒い種子を付けています。この形も最高に面白い!、これに加えて成熟するととんがり帽子が縦に裂け反り返りそこにくっついている種子を自分で飛ばすのだそうです。
どれ程の距離飛ばすことができるのでしょうね、鉢植えした後、部屋の中で大きな白い紙の上に置いて観察すれば分かるかも?、でも転がる、それだったらスプレー式の接着材でも塗っておけば・・・なんて考えていますが、読者の皆様の「それを調べてどうするの?」って言葉が聞こえています。

”さくらんぼと桑の実、美味しそう!”
(cherry and mulberry)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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美味しそうな「さくらんぼ」と「桑の実」、ついつい手を伸ばしそうになるのをこらえ観賞だけにとどめましたが・・・。
「さくらんぼ」は塀があるわけでもなく手を伸ばせば届く範囲、でも多分同じ敷地内のお家の所有物みたい、桑の実はそのお宅の隣の公園に植わっている桑の木、どちらにしてもむやみやたらにもぎ取られないのは嬉しい限りです。

さくらんぼは、来月、さくらんぼ狩りで山梨までのお誘いがありますのでその時にはたらふく、それに桑の実は・・・内緒ですが・・・人知れず収穫できる場所を既に見つけてあり、そこの桑の実は多分来週か再来週あたり熟しそう、そこで小鳥たちと競って収穫をしようと狙っています。
桑の実を収穫してどうするの?、目的は桑の実ジャム、以前も作ったことがありましたが2008年5月26日の話題これが又美味しいんですよ。
指が紫色に染まってしまいますが、水洗いし、果茎を取り除き、みじん切りしたレモンの皮とレモン汁を1/4程加え砂糖をまぶし一晩、果汁が浸み出た頃を見計らい、その後煮詰める、これで出来上がりです。

さて「さくらんぼ」はどの桜の木にも生ればいいのですが、残念ながらそうはゆかない、木の種類としては「桜桃(おうとう)」と呼ばれ、中国語でも「樱桃(yingtao)」で同じです。それに日本の産地は山形が72%でトップ、それに青森、山梨が8%と6%と続くそうです。山梨は葡萄も桃も産地、今度のさくらんぼ狩りが楽しみ~!。

”二重瞼のシロツメクサ”
(an uncommon marking on leaves of the white clover)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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この頃は散歩中クローバーを見掛けると上からジロジロ眺めるのか習慣になっています・・何故って?、先日、四葉、五葉、それに六葉のクロバーを見つけたこと2012年4月16日の話題に刺激されてのことですが、今日は四葉のクロバーは見つからずでした。
只、面白いものを発見、それが掲載した写真(左)です。

見慣れているクローバーの葉っぱは円形の白い紋様が一つか又は殆ど見えない程度(真ん中・右)、この紋様が外側にもう一本追加されている葉っぱのクローバーを発見、見渡したところではこの付近ではここだけ、以前のこの紋様を話題にしたことがありましたが2008年6月14日の話題二重のものは初めて、可愛く見せる為付けまつげと二重瞼に化粧した?・・冗談ですが、これどうしてなんでしょうね?。

クローバーの仲間はいっぱいですが、これらは「シロツメクサ(白詰草・マメ科)」で同じ種、それでも葉っぱの紋様が違うということは、人でいえば顔が違うということと同じなのでしょうね。でも紋様が違うということは基本的にはDNAが違うことになる、種子が突然変異して、それから伸びた匍匐茎(ほふくけい・地下茎と異なり地上を這って節から不定根を伸ばす、苺もこの一例、竹は地下茎)経由で生長したジェネット全体が同じ様相を呈している、この様な想像をしています(丁寧に抜き取って調べれば分かるかもしれませんが・・)。

以前寒葵の葉っぱの紋様を話題にしたことがありましたが寒葵は葉っぱの模様からは種の特定が出来なかった(下記)、これと同じのだろうと考えておくことにしています。
でも寒葵の模様は、珍しいものはマニアにとっては貴重種、そのうちこのシロツメクサも紋様によっては話題になるかもしれませんね。

カンアオイの関連話題;
2008年4月23日2008年4月10日2006年6月8日

”♪金襴緞子の帯しめながら・・・♪
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.12”
(a obi made by Kinran-Donsu)

アルバムへのリンク;「ファミリ―」

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当家のおばあちゃんの遺品の整理を少しずつ続けています。
現在は、着物を除く普段着から余所行きのおしゃれ着が中心で、帽子、ショール、上着、ズボン・スカート、ワンピース、その他詳しい名前が分かりませんが諸々をそれなりにグループ分けして、身内を総動員して見てもらい、使えそうなものは形見として引き取ってもらう、利用価値がないものは廃棄という作戦です。
衣類の廃棄は名古屋市では燃えるごみで出せますので簡単、それに不要な家具類は粗大ごみとして、不要な家電製品は引き取り先に連絡して処理できる、それなりに大まかな作業手順が見えてきています。

さて着物類はまだ箪笥の中で手を付けていませんが、箪笥ではなく押し入れの中を整理していましたら出てきた大きな風呂敷に包まれたもの、何故これだけ別個に置いてあったのかは不明ですが開いてみましたら一着分の「麻の布地」と帯が包まれれていました。
その帯(掲載した写真)、これ、童謡の「花嫁人形」で謡われている「金襴緞子(きんらんどんす)の帯」なんでしょうか、艶やかなデザインと刺繍、同時に出てきた「麻の布地」は昭和初期から10年代前半のものであることは記載されている文字から分かりましたので、多分当家のおばあちゃんが若い頃もしかしたら結婚式の時身に着けていたもの?、これから古い写真を参考に調べてみることにします。
もしこの当時の着物も出てくれば、すでに保管されている親父の軍服と一緒に我が家の歴史的文化遺産?として、写真を含めて後世に残すことになりそうです。

さて「金襴緞子の帯」って何?、どうも「金襴」と「緞子」って違うもの見たい?、これは「金襴」なの?「緞子」なの?よく分かりませんが、相当な貴重品みたいなことはヒロパパでも分かる程の見事な帯です。一応着物類の整理を始めるまで防虫剤を加えて箪笥の中に仕舞い込んでおくことにしました。

さてさて、この帯を見た途端、童謡の「花嫁人形(蕗谷虹児;作詩、杉山はせを;作曲、大正13年) 」を思い出してしまうヒロパパは相当歳をとってしまっている証拠なのでしょうね。
この蕗谷虹児さんの詞の「金襴緞子」ッて何?、「花嫁御寮」って誰の事?、「文金島田」ってどんな髪型?、「鹿の子」ってどんな布?、それにどうして泣いているの?等々、これらの昔の童謡の意味についての疑問にいつも応えてくれているサイト(下記)に詳しく載っていました。他の童謡についても詳しく易しく解説してありますので参考になります。

参照サイト;
「池田小百合 なっとく童謡・唱歌」ここから「花嫁人形」を選択してご覧ください

”どんぐりの木が大きくなりました、参加した子ども達もおおきくなったのでしょうね”
(acorns and children grow very quickly)

アルバムへのリンク;「森づくりの会」

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先日(20日)のどんぐり畑の様子
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2006年11月、どんぐりを拾って育てようイベント
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2008年12月、育てたどんぐりの苗木を植えようイベント

くらしの森(名古屋市平和公園南部緑地)にあった以前畑として耕作していた地域の、森に戻す活動で一つにどんぐり畑があります。

このどんぐり畑には子ども達と一緒に、まずどんぐりを集め2006年11月18日の話題、それぞれのご家庭で発芽させ育て、2年後これを直植えし2008年12月7日の話題、下草刈りをしながら育てている、掲載した写真は先日(20日)の様子、発芽してから6年、もうヒロパパの背丈を越えるものもあり大きくなりました。

どんぐりを集めたのが2006年、掲載した集合写真の子ども達は大きくて小学校6年生、この時からもう6年経過、ということはここに写っている皆さんの中には既に大学生になっている人もいる、その後10年~20年すると、皆さんは自分の子ども達と一緒に、「このどんぐりの木はパパ・ママが子どもの頃植えたものなんだ!」と喋っているかもしれない、そんな様子を想像すると楽しいですね~。出来たらもう一度皆さんに集まってもらって同じ様に並んで記念撮影できたら楽しいのですが・・・。

”金環食、見ることができましたよ”
(an annular eclipse at Nagoya Japan)

アルバムへのリンク;「戯言」

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金環日食見れましたよーーー!、皆さんのところでは如何でしたか。
昨晩は早々に就寝、朝6時頃起床、カーテンを開け・・・アレー曇り空、それでもと時々空を見上げながらでしたが雲が切れる気配も無い、今回は諦めかなと覚悟をしていたのですが、なんと7時過ぎに日差しが戻りその後暫く太陽が顔を出してくれていて、既に始まっていた部分食から、中心食の7時29分半~7時33分半までの4分間弱、それに食が終わるまで、十分に確実に見ることができました、神様・仏様・キリスト様への神頼み2012年5月4日の話題を神様皆さまが聞き入れていただいたのか、慌てて作っておいた観察器具を取り出し(関連話題;2012年5月1日2012年5月3日2012年5月4日楽しむことができました、ラッキィーです。

でも日食って本当に不思議ですね~、地球には月があることも、地球と月それに太陽との距離と月と太陽の大きさ、これらが運行の周期性で部分食になったり皆既食なったり金環食になったり、たまにハイブリッド食となったり、これらが周期的に巡ってくる(周期性については下記参考サイトの「サロス周期;saros cycle」をご覧ください)、単純には約18年と10日程度;正確には6585.3212日に同じ条件の日食(月食も同じ)が起こる確立が高い、これら全ての絶妙なバランスがあるからこその日食と考えるとますます金環が愛おしくなります。

この周期性が変わっていないということは、人類が生まれてからこの方天体は繰り返し同じ周期性で運行している、この周期性を元にして生命が存在している、1年周期の1年生草本はこの周期で生命を引き継いでいる、屋久杉みたいな1000年以上のものもあれば、当家のおばあちゃんの100歳前後の寿命にしても、このそれぞれの周期性との関連があるのでは?、と考えるのは考え過ぎなのでしょうか。

それに今回の金環食を利用して、「ベイリービ―ズ」や「中心食限界線」を観察して分かっている月の大きさやクレーターの高さ(下記参照サイト)から太陽の大きさ(地球の約109倍)を正確に計ろう等々(太陽はほぼ球体、表面はコロナ、彩層、光球等でこれらの大きさを計ることになりますが)のプロジェクトがあったみたい、それらの成果も楽しみです。

さて次回の天体ショーは来月6月6日朝から午後にかけて金星が太陽表面をゆっくりと通過する、これを見逃すと次回は105年後、人類の寿命からすると我々最後の金星の日面通過、この方が貴重な現象かもしれませんね。

参考までに、太陽・月・地球の運行について、「サロス周期」以外に、紀元前から「メトン周期」とか「カリポス周期」、「ヒッパルコス周期」と呼ばれている暦に関係する周期性が唱えられています。

参照サイト;
「日食とサロス周期」
「月面地図」

”モンキアゲハ”
(Mon-Ki-Ageha;a swallowtail butterfly)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

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今日は、この頃の少しゆとりが生まれ生活に乗じて久しぶりの森づくり活動に参加してきました。
作業内容は、地面を被っている枯れたシダ類を除き、常緑樹を間引きして地面まで日光が届く様にすること、伐採した樹木は土砂崩れを防げる様に急斜面に堰として並べる、この様な作業でした。
これで又新しい芽生えを期待できるのでは・・。

それにしても、暑くも無く寒くも無く、桐の花を初めとする甘い香りが漂い散策には最高、作業後は数時間森の中をうろうろしてきました。
掲載した写真はそんな中見掛けたアゲハ、最初はヒラヒラと飛んでいて、その内、田起こししたばかりの田圃に降りた!、しめたとばかりに近づいてみましたが、只、少し動くと逃げて行ってしまう、ところがこちらがじっとしていると又同じ場所に来て止まってくれる、この時をねらってやっと撮影したものです。

さてこのアゲハは何?、調べてみましたら「モンキアゲハ(紋黄揚羽)」、飛んでいる時も紋が見えていますので他のアゲハに比べれば分かり易いアゲハです。

でもこのモンキアゲハの紋は白色に見えるけどどうして”紋黄”になったのかな?、これも調べてみましたら、羽化した当初は紋は白、そのうち黄白色に変わり標本は黄色に近くなっているとのこと、名付け親は標本を基本にしたのか?、ということはこの個体は羽化したばかりなのかもしれません。
それにこれ雄かな雌かな?、紋の後ろの三日月状の赤い斑点が小さく見えていますので多分雄なのでしょう。

それに、この個体はここで羽化したのでしょうか、食草はミカンやサンショウの仲間の植物とのこと、カラタチはこの付近(平和公園南部緑地・くらしの森)には一本しかありませんが、苗木で柑橘類を増やしているはずですので、将来はアゲハ天国が期待できるかもしれません。

”吊唁(diaoyan)/お悔やみの言葉、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.11”
(a condoence to our bereaved in Chinese)

アルバムへのリンク;「家族・他」

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我が中国語サークルの高講師から、遺族に対する中国語でのお悔やみの言葉をいただいてしまいました。吊唁(diaoyan)がそれ、しかも日本語の訳まで付けて頂き(下記)嬉しい限りです、高さん、ありがとうございました。

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少しお話がそれますが、日本では火葬が多い、それでは世界各国ではどうなんでしょうね。
宗教や文化の違いで種々様々、まず仏教・ヒンドュ―教では火葬、儒教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教では土葬が基本とのこと、それにチベットの鳥葬、ブータンの散骨、インドの水葬、エジプト・アンデスそれに日本でも奥州藤原氏のミイラ、その他風葬、樹木葬、粉末状にして散骨等々様々、現在は用地的な意味から火葬が多くなっているとのことです。それに天皇家は今までは土葬だったのが、今上天皇からは火葬とする予定とのことです。
法的には日本では遺体に傷を付けたりする行為があれと罰せられることになりますが、その他については大々的に実施と云う事が無ければ罪に問われることは無いみたいです。
もうひとつ現在は宇宙葬がありますね。このビジネスをしている企業のHPを覘いてみましたら、無重量体験をして地球に戻ってくるタイプ、地球を周回して流れ星で帰ってくるタイプ、月を周回させ最後は月面に落とすタイプ、太陽系を宇宙旅行するタイプがあり、重さに因って異なりますが1g(1名分)で無重量体験;12万円から太陽系を宇宙旅行;180万円とのこと、地上でお葬式をあげる費用と同じくらいかな~?。
それではヒロパパはどうするの?、これは遺言ではありませんが、処理がしやすい通常通りの火葬でいいよ!。

”五つ珠算盤、これ歴史的文化遺産?、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.10”
(a soroban; one of the traditional japanese abacus, is this a cultural heritage?)

アルバムへのリンク;「家族・他」

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当家のおばあちゃんの身の回りの荷物の片づけをちょっとづつ進ませています。

さてどの様に整理してゆくか・・頭の中では、後世に残す歴史的文化的遺産(ちょっと大げさ)、そのまま利用できるものは、形見として親族・お友達の皆さんのお渡ししたりそのまま保留したり、利用できないものは廃棄処分にする、この分類をそれぞれ、衣類、装飾品類、写真その他古い書類・本、趣味の道具、その他にあてはめてゆけば簡単とばかりに初めてはいます。
それでも、とにかく1世紀に渡る種々雑多なものが溜り溜っていて判断に迷うものがいっぱい、先が思いやられる毎日です。

写真の五つ珠算盤は歴史的文化遺産?、それとも使えないから廃棄処分?、現時点では四ツ珠算盤は購入できても五つ珠算盤は特別発注?、とすると結局は歴史的文化遺産として後世に残す事にしようかな・・とか、以前話題にした親父の軍服2009年8月18日の話題や勲章2003年8月16日2004年11月4日の話題)それに将校勤務録2004年10月16日の話題)は多分歴史的文化遺産として残す、それではお箏は?2006年8月25日の話題、現在も興味のある人は使えるから形見として親族のどなたかに渡す、この様にある程度判断できるものはまだ良いにしても、それでは何棹もある箪笥の中身の衣類はどうするの?、洋服類は遺産として残すものは無しとして誰かに形見として引きとっていただくき、それを除きあとは廃棄処分、それでは着物(和服)はどうするの?、多分80年以上前の大正・昭和初期のものが多いとすると遺産として残すものもありそう・・・それとも現在は着物を着る人が少なくなっていて引き取り手がいないとすると目をつぶって・心を鬼にして廃棄?、この様に迷うものがいっぱいです。

さてさて、遺産として残すとしてもヒロパパが存在する内はいいにしてもヒロパパが逝った後誰がそれらを引き継ぐかという問題も残ってしまいます。多分数百年保存すれば歴史的という言葉が生きてくるものとは思われますが、7・80年~100年では歴史的遺産としては新し過ぎなのかもしれません。
悩みながらですが、でもなんとかしなくっては!、それに自分自身のものはどうするの?、ヒロパパにとっては宝物ばかり、でも他人には何の価値も無いものばかり、残されたものに迷惑がかからないようにそろそろ廃棄してゆかなくては・・。

余分なお話し、「そろばん」は漢字で書くと「算盤」、何故「算」を「そろ」と読むの?、調べたところ「算盤」は中国語で「算盘(suanpan)」又は「珠算(zhusuan)」で、この「suan」を「そろ」と勝手に読んだという事みたいです。
もうひとつルーツは?、現在の算盤は室町時代に中国から伝来し、当初は天珠(5の位)が2個、地珠(1の位)は5個、それに珠は楕円形だった、日本に伝来し珠が菱形に変わった、その後室町時代?に天珠が1個に、その後昭和12年頃から現在の四ツ珠が普及し出したとのこと、それでは中国での天珠2個と地珠5個は何故必要だったのかな~、これもいろいろ調べてみましたら、4に1を加えたら天珠を下すことを手順で覚える(暗記する)こと、それに10進法以外の計算にも使っていた?との説明もありました。
それでは中国の算盤は何処から?、紐を使った算盤に似たものがペルシャあたりに存在したとの説も見つけました、いろいろ調べてゆくと面白いですね。

”鬼胡桃の葉っぱの枚数、その後”
(growth of Oni-gurumi;walnut, again)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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昨年蒔いていた鬼胡桃が発芽し2012年3月17日の話題、再度生長葉っぱの生長を観察していましたが2012年4月30日の話題、新しい発見がありました。

現在までの経過は、発芽から枝が3本づつ生長して、第一グループの3本は葉っぱが2対+1の5枚、第二グループの3本は3対+1の7枚、今回やっと第3グループの一本のみ生長して葉っぱの枚数が4対+1の9枚であることが確認できました、規則正しく予想通り、何か嬉しくなってしまいますね~。
枝の長さはほぼ同じ長さ、只、葉っぱの面積は今までと逆で梢に行くほど小さくなっている、もしかするとこの時期は、枝一つについて葉っぱ枚数に関らず葉っぱの合計面積は同じ、これは概算で計算は出来そう、でも葉っぱをちぎる訳にもゆかないので写真を利用して計算?・・ちょっと工夫が必要そうです。

多分第3グループまでは多分この予想は当たっているものと思われますが、さて第4グループが枝3本でそれぞれの葉っぱの枚数が5対+1の11枚かどうか、結果は6月末又は7月当たりに分かることになるかも、楽しみです。

”テントウムシ、やはり益虫でした”
(a ladybug)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

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散策中、道端の雑草で見掛けた天道虫(てんとうむし)、カメラを取り出し撮影、自宅に帰りパソコンに移し拡大して見てみましたら、撮っていた時は気が付かなかったのですが、なんとお食事中で、しかも周りには美味しい食べ物が(アブラムシの仲間)がいっぱい、どうりで直ぐに逃げなかったはずです。
「天道虫」は益虫と云われていますが、害虫とか益虫とかは人が勝手に決めつけているだけ、人以外の生物にとっては人は最悪の害獣と認識されていることなのでしょうね、もっと謙虚にならなくては・・・。

お食事はアブラムシ(多分「ワタアブラムシ」)を生きたまま丸かじり、この「ワタアブラムシ」は食草に因って身体に色が変わるみたい、「天道虫」は真っ赤なマントを着て危険だよ、美味しくないよと誇示しているのに対して、保護色的な意味があるのでしょうね。

さて天道虫は何故この名前なの?、一説では「飛び立つときに木の枝先などに登る、この習性を天への道を教えてくれる虫」だからこの名前になったと云われています。

それでは英語での名前は?、「ladybug」や「ladybird」で、「ladybird」はまだ良いにしても「ladybug」はもしかすると天道虫を嫌っている人が命名した?、それで「レディのお化け」とした、そうであればちょっと可哀そうな気もします。

もうひとつ中国語ではを調べてみましたら、「瓢虫(piaochong)」とか「红娘子(hongniangzi)」と呼ばれています。「瓢」は「ひしゃく」の意味ですので形からの名前、もうひとつの「红娘子」は文字通り「紅色の女の子」、こちらの方が夢がありますね~。

”まだまだ必要、東日本大震災・被害地への支援”
(needs more helps for strickenareas of Higashi-Nihon megaearthquek)

アルバムへのリンク;「東日本大震災」

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荒浜(宮城県亘理町)の慰霊碑
訂正;写真の慰霊碑は亘理町の荒浜ではなく仙台市の荒浜でした、お詫びいたします
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一階部分が空洞化した住宅と、重機・農機具の瓦礫の山

まずは、昨年3月11日発生した地震による東日本大震災被災により被災された皆さまに対して、今回の災害をヒロパパは決して忘れることはありませんし、いつも皆さんの傍に居ることを宣言させていただくと同時に、特にお亡くなりなった皆さまに哀悼の意を表します。

もう一年以上経過してしまいましたが現状はどうなの?・・・・ご覧ください一階部分が津波におそわれ全て空洞化した住宅(このお宅の皆さま、ご無事だったのでしょうか?、それにここでこの写真を使わせていただいたことをお許しいただければと思います)、しかも手前の住宅は土台だけを残して跡形も無い、周りの瓦礫は一応それぞれの空き地に集められているもののその処理を手助けする国内の自治体もまだ少ない為ままならない、この掲載した写真はそれでもまだましのほうで福島第一原発の周辺地域は被災した当時のままの状態、勿論被災された皆さまの生活も元に戻っていない、それに比べヒロパパは節電等は気にしているものの普通の生活を送ることが出来ている、この状態を被災された皆さまには申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

これらの写真は、中国サークルの優等生であるSaさんが仙台市や亘理(わたり)町(宮城県の南部沿岸、阿武隈川の河口地域)に1週間のボランティア活動をされ、その時撮影したものを見せて頂きました。
実は、Saさんに、この写真や頂いた情報をこのHPの話題にしたいとお願いしてみましたら、Saさんからのご返事で、

ぜひ、話題にして下さい、写真付きで、どうぞ。
今は、命にかかわる緊急の支援では無くなっていますが、
立ち上がる力を、横から支えてくれる人がいるということは、 力が出ると思います。
立ち上がっていく人が増えると、周りの人にも、良い刺激になり、仕事が出来る人が増えそうな気がするのです。
その為にも、ボランティアに参加する人と、支援金が、未だ未だ必要になります。
一人でも多くの方にお知らせするのが、見て来た者の使命かと思っています。


なんと暖かい、それに素晴らしいご返事を頂き、Saさんの心の広さに敬服・感動、ここでご紹介させて頂くことにした次第です。

Saさんの支援の一部だけでもご紹介させていただきますと・・・

Saさんご一家の義援金の送付先は
「国際協力NGOセンター(HP ads.;http://www.janic.org/) 」
で、ここからは常時活動報告がメールされてくるそうです。

それに今回のボランティア活動は、ご自分でインターネットから
「東北教区災害ボランティアセンター(HP ads.;http://otera-vc.jimdo.com/)」
に申し込み参加されたそうです。
今回は、宿泊施設の提供、寝具から、シャワー、台所、ストーブも使用でき、しかも各地のボランティアセンターまでの自動車(搭乗者無制限の保険付き)もレンタル可能だったとのこと、衣・食・住、それに現地での移動手段も含め全てを自前で用意しての活動参加を考えがちですが、これですと最小限の準備だけで(最小限の準備とは、長袖・長ズボン・防塵マスク・帽子・安全靴若しくは長靴・セーフティインソール(踏み抜き防止中敷)・厚めの革手袋 ・対粉塵ゴーグル・雨ガッパ 又は ポンチョ等です)気軽に活動に参加できることになります。
まずは前述のHPにアクセスしてみてください。

さてSaさんの今回の活動とその印象を失礼とは思いますが箇条書きで以下・・・、
●テレビで見ていたのに、現場で見ると、常磐線の線路は砂をかぶり曲がったまま、ぞっとするような異様な空間で、心にずっしり来た事、
●宮城県南部沿岸部は、農業地帯で、 ボランティアは、農業を再開する方々が、家を直し、田畑のガレキや草を除き、 ビニールハウスを作り、稲の苗床をハウスに運ぶのを手伝った、家の床下の泥出しや、汚れた壁を剥がしたり、壁板を打ち付けたりなどの大工仕事は、主に男性が担当、Saさんはハウスの組み立て、ハウスの底面の整地(石がごろごろ・・・で、除去作業)、苗床のハウス内への運搬、田畑の草刈、瓦礫の除去、それから、仮設住宅集会所でのお茶会に参加した事、
●それでも、ビニールハウスを建てて、農業を再開しようとされている方々は、意欲的で明るく、農業を再開しようと、懸命に頑張っておられた事、
●現地は、ほんの表面を掘っただけであっという間にガレキの山、ガレキは、ガラス片、皿の破片、波板や木切れ、ハンマーからチェーンソウまで、まだまだボランティアの力を必要としている事、
●被災者の皆さまはボランティアでの支援は受けれたとしても、多くの方は、資金も家も無し、又その場所に住む決断も出来ない、仕方なく留まらざるを得ない仮設住宅でも新しいコミュ二ティもこれから、まだまだ不安定な生活を強いられている事、
●今回お会いしたボランティアの皆さんは、北海道から富山、千葉、東京、静岡、愛知、京都、大阪、兵庫、山口、大分から、皆さんと交流が出来、支援したいと思っている人が、こんなにいる、日本人、凄いよ!と、心温まる日々だったこと、半数が年金生活者?、若い方も大勢、交通費・食費は自分持ち、彼らには頭が下がる思いだった事、
●ボランティアに参加して役に立ったかどうか不明なるも、再興中の方々から直接お話が聞け、いい人たちにも出会え、実り多い、貴重で感謝の1週間だった事、
この様なことをSaさんからお聞き出来ました。

さて、ヒロパパは先月までは介護・見守りの為に自主規則?として行動範囲は片道1時間以下としていたことがありましたが、まずは来月中旬以降はこの自主規制を外せることになりました。今回のSaさんの支援活動を見習い、活動を開始しようと考えています、頑張るぞ―!。

Saさん、貴重な情報を本当にありがとうございました、いつも行動力・決断力に感銘しております、言葉足らずが種々あろかとは思われますがお許しを・・・。

”鯨尺、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.9”
(a scale of Japanese length unit; Syaku)

アルバムへのリンク;「家族・他」

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皆さまのご家庭にも、とくにおばあちゃんがお元気なお宅には必ず1本や2本あると思いますが、写真は竹製のものさし、”センチ”の表示と同時に”尺、寸”の寸法も計れるもの、表面は変色し汚れもあり、両端は目盛も薄れ丸く消耗した年代物(多分昭和20年代以前)で趣きも最高、多分当家のおばあちゃんが和裁等で何かを作っていた時使っていたものと思われます。

想像するに和裁で使われたとすると大工さんが使っている「曲尺(かねじゃく)」とは違い「鯨尺(くじらじゃく)」、比較してみましたら確かに1尺=38cm程度(正確には37.878・・・割りきれず・・・cm、参考までに曲尺での1尺は約30.3cm)でした。

現在はメートル単位が殆どで、ヒロパパは尺貫法で表現することはもう殆ど無い、懐かしい感じがします。
メートル法は、まずフランスで、振り子の1/2秒の長さから始まり、次に地球の北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の一を1メータとした、その後メートル原器に、少し飛ばしてしまいますが現在は「協定世界時に同期した光周波数コム装置」」(詳しくは 産総研該当ページ・下記を見て下さいね)になっている、それでは尺貫法の由来は何?、これが今日のメインテーマです。

まず、「尺」、「寸」、「丈」って何?、漢和辞典の文字の意味から拾ってみましたら全て身体に由来する長さから(下記)、例えば「尺」は手を広げた場合の親指と人差し指(中指までとの説もある)の長さとのこと、でもヒロパパの実測値は約20センチ、昔の人は手が大きかった?、それより最初は20cm程度であったにしても環境の要求により(税の取り立てとか大きく見せようとか)徐々に長さが変わってきたのでしょうね。ということで「一寸法師」君は、生まれた当初は2cm程度だったのがその後3.8cmまで生長した?、冗談ですが・・。

syaku


同様に、日本・中国には、円周を表現する単位;咫(「あた」又は「さか」)が有ったんですね。多分古代の出土品にはこの文字が使われているのでは、一例として八咫鏡は径が2尺を意味するみたいです。
考えてみると、これら長さにしても時間にしても考えてみると面白い、幸いにして尺貫法にしてもメートル法やヤ―ドポンド法にしても10進法、只時間は12進法や24進法、ただ単に人が決めただけで絶対と云うものではない、各国の各文化でいろいろな単位がある、気にしてゆきたいと思っています。

余分なお話しですが、鯨尺がなぜこの名前かは当初鯨の髭で作られていたからとのこと、それに鯨尺の5寸毎に刻まれている三重丸の印とセンチ側の半分の同様な印は何?、目安としてあった方が分かり易いことは確か、この名前は?、竹尺のメ―カでは「丸点」とか「星」と呼びただ習慣的に使っているのみで、その由来についてはメーカでは気にしていないみたいでした。どこかの博物館で古代からのスケールでも展示してあれば、その履歴だけは分かるかもしれませんね。

参照サイト;
「産総研・光周波数コム装置を利用し「波長」を高精度化」

”いづれ菖蒲か杜若、その2”
(Which is which?, Ayame or Kakitsubata, No.2)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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今月8日話題にした「いづれアヤメかカキツバタ」について2012年8月8日の話題、花全体の大きさ、花弁の形、葉っぱの形等々区別する部分がありますが、花だけ見ただけでも区別できる様一応整理してみました。

まず何処で見掛けたかで区別する、水辺であれば「杜若(かきつばた)」か「花菖蒲(はなしょうぶ)」か「黄菖蒲(きしょうぶ)」、花弁の真ん中に白い筋状の模様があるのが「杜若」、黄色い筋状の模様が「花菖蒲」、花弁全体が黄色いのが「黄菖蒲」、もし水辺ではなかった場合、「菖蒲(あやめ)」(以下表現で混乱しそうなので漢字で「文目」と記載します)か「一発(いちはつ)」か「ジャーマンアイリス」か「ダッチアイリス」、「文目」は黄色い網目模様があり舌状の突起が無い、「一発」は花弁にとさか状の突起がある、「ジャーマンアイリス」は大きめな花で色とりどり、花弁にブラシ状の突起がある、「ダッチアイリス」は舌状の突起は無く網目模様も無い、・・・この様な違いで区別できるかどうか、これから実践してみます・・・が、ちゃんと分かるかな?、どうなんでしょうね。

さて経掲載した写真は、「文目」と「ジャーマンアイリス」、それに8日掲載した写真は、#1;「文目」、#2;「文目(白花)」、#3;「杜若」、#4;「黄菖蒲」です。

それに「アイリス」と云う名前はこれらアヤメ科の総称とのこと、「ギンヨウアカシア」や「フサアカシア」を「ミモザ」と云うのと同じ意味みたいです。

”お経のテープが見つかりました、
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.8”
(a casset tape of sutra)

アルバムへのリンク;「家族他」

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当家のおばあちゃんの持ち物をちょっとづつでもと片付けていますが、あるんですね~いろいろ面白ものを発見しています。
掲載したものは、押し入れの中を片付けている最中みつけたもの、黒塗りの小さな箱に金色の卍マーク、これ何か分かりますか?、なんとカセットテーププレイヤーで、同時にお経のカセットテープを見つかりました。
何故おばあちゃんがこれを持っていたのか、多分親父の供養のため使おうと考えていたのかと思われます。

でも嬉しいですね~、今日はヒロパパの口モゴモゴのお経を止めにしてこのテープでお経を唱えてもらいました。
中身は3人のお坊さんの読経で、多分ヒロパパの口モゴモゴよりもづっと御利益があるものと思うことにしています。

さてこのカセットのお経の中身は?、表面には「般若心経」、「本尊上供」、「大悲心陀羅尼」、「甘露門」、それに「永平寺」と記載があり、「般若心経」は分かるにしても、それ以外のお経の意味することが分からない、それにお葬式の時頂いた「曹洞宗日課経大全」のどの部分かもまだ分からない、「永平寺」と書いてあるので宗派が同じ、多分大きな違いは無いはずと明日以降も繰り返すことにしています。

お経は難しい・・・全部とは云わなくても一部でも真面目に読み解けば新しい人生が開けるのかもしれませんね。
それに卍の意味することも、現在地図上では寺院を示していますがその文字の由来をたどってゆけば面白そうな事実が浮かび上がってきそうです。

”改装中!、東山動植物園”
(reform plan of Hgasiyama-park)

アルバムへのリンク;「戯言」

saiseikeikaku20120511

東山動植物園(名古屋市千種区)は、現在「再生プラン」(詳細は下記サイトを参照)の為の工事が徐々に行われています。
掲載した写真は東山スカイタワーから西側を見た、定点撮影で先日(5月8日)撮影したもの、定点撮影のポイントは有料地域には設定してありませんが、、丁度真下の東山動物園の正門付近を拡大して、昨年同時期のものと比較してみました。

既にペンギン君達の住み家は移転済みで跡形も無い、それに大きな空き地が出来ている、この空き地は、再生プランに因ると将来象さん達の住み家になるみたいです。

動物園と云えば旭山動物園(旭川市)が有名で、アザラシ館、ほっきょくくま館、ペンギン館等々展示方法に工夫があり、これが人気の秘密みたいです。
動物たちにとって、この展示方法の良し悪しは?、もしかしたらアザラシ君達も、熊君達もペンギン君達も、緊張したりストレスがかかったりよりも水槽越しに人を見て興味津津、遊んでいるのかもしれません、そうであればお互いに楽しい事は確かです。
それに対して、東山動植物園の再生プランが完成した後はどうなっているのでしょうね、楽しみです。

それに植物園内も徐々に変わりつつあります。
也有園に今年秋完成予定で茶室が出来るみたいです。ヒロパパは茶道をたしなみませんのでここを利用することはありませんが、金属(釘等)を一切使わない木造建築とのことで、白川郷から移設した合掌造り、それに開園当初からの温室と同様、将来に残す建築物となるのでしょう。
只一つだけ、植物園内に二階建ての、どこかの住宅メーカの住宅展示場みたいな家屋が建っています。さて、これが植物園にある目的は何?、無理やり想像すると自然と共生する構造を備えた住宅?、流行りのスマートハウスの機能を持っている訳でもなく、それに喫茶スペース等に使われる訳でなくただ単に見学するだけ、やはり展示・宣伝目的だけ?、とするとそこにあること自体不思議な感じが残るのみです。

もうひとつ、撮影した「東山スカイタワー」、この名前がもし「東山スカイツリー」だったら、もしかしたら「東京スカイツリー」の名前も無かったのでは・・・余分なお話ですが。

参照サイト;
「東山動植物園・再生プラン」

”枯れてしまったアベマキ”
(withered and died a Japanese oak)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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b8p-w20120508web
今回(2012年5月8日)のB6ポイント(一粒荘跡地周辺)
b8p-w20090504
2009年5月4日のB6ポイント

何の変哲もない「アベマキ」二本の写真ですが、右の「アベマキ」は元気、でも左の「アベマキ」は葉っぱが出ていない、枯れてしまったみたいです。
定点撮影時の巡回路になっている駐車場から東山植物園正門への歩道にあり、通りすがりにいつも見ている「アベマキ」で、昨年8月に蛾の幼虫で話題にしたもの2011年8月8日の話題、両方とも”カシナガブロック(商品名)2011年8月10日の話題”で保護されていたはずなのにカシナガ(カシノナガキクイムシ)からはブロック出来ていても昨年見掛けた「カクモンヒトリ」や「クロツマキシャチホコ」からは身を守ることができなかったのかな~?。
ここは人通りのある歩道ですので、突然の倒木による怪我を避けるため早々に伐られる運命にあるのでしょうね。

下二枚の写真は定点撮影;B6ポイント(一粒荘跡地)のものですが、3年前同期のものと比べると伐採に因り明らかに地表まで日光が届くようになっています。伐採されたものは幹の太さから長くても50~60年?、この様にナラの仲間の新旧交代がこの付近では多い、でも人でも動物でも植物でも生物全体で新旧交代は自然の摂理と考えるべきなのでしょうね。

”♪でんでん むしむし かたつむり♪”
(a snail)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

katatsumuri120509

好き嫌いがはっきりと分かれる?、又は好きと云う方は少ない?かもしれませんが、このHPの特徴でなんでも話題にしてしまう、ということでお許しを頂ければ・・・写真は今日見掛けた「カタツムリ」君です。

カタツムリは陸上に上がった巻貝の仲間で、以前話題にしたナメクジちゃんは 2011年10月10日の話題、カタツムリ君達から甲殻が退化した仲間とのことです。

そういえば蛍は巻貝を食べて大きくなる、特に近くの相生山緑地(名古屋市天白区)のヒメボタルは陸上の巻貝の仲間(「キセルガイ」や「オカチョウジガイ」) を食べているとのこと、ということはこれらもカタツムリの仲間かな?・・ソーみたい、これもカタツムリの仲間と分類しているそうです。

それでは、”カタツムリ君、殻をとったらナメクジちゃん”、これは間違い、カタツムリ君の殻は身体の一部で海の中の貝と同じで殻を取ったらほぼ生きて行けないとのことです。
それではナメクジちゃんは、ヤドカリみたいに空の殻を見付け身につけたらもっと頑丈になると思われますが、この習性はない、それぞれの皆さん面白いですね。

もうひとつ、カタツムリ君はナメクジちゃんと同じ雌雄同体、だから自分勝手に子孫を増やせるの?、これも間違い・・必ず相手が必要でお互いに両方が卵を産むのだそうです。これ、植物の雌雄同株とは違うと考えていいのでしょうね。

思いだしました、昆虫食?ではありませんがフランス料理のエスカルゴ(リンゴマイマイの仲間)、食べた事はありますがそれほど感動するものでもなかったとの記憶でした。でも管理され養殖・料理されたもの以外のカタツムリ君は寄生虫の宿主になっている事が多いとのことで注意した方が良さそうです。

”いづれ 菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)”
(Which is which?, Ayame or Kakitsubata)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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昔からの諺で、「いづれアヤメかカキツバタ」があります。これは「どれも優れていて選択に迷うこと」の例えですが、現在咲き誇っている菖蒲(あやめ)や杜若(かきつばた)、それに花菖蒲(はなしょうぶ)について、どれがどれ?、特に花が散ってしまうとヒロパパにとってもう殆ど区別が分からなくなる、咲いているうちに花と生えている場所で区別したいと頑張ってみました。

掲載したものは何?についてはクイズにしますが、その特徴は、

菖蒲(あやめ);野原にあり、花弁に網目模様があり、花弁の色は紫色か白色が基本ですが園芸種ではその他もある。

杜若(かきつばた);水辺にあり、花弁の真ん中に白い細い筋模様がある

花菖蒲(はなしょうぶ);水辺にあり、花弁の真ん中に黄色い細い筋模様がある

これで区別をしてみようと考えています。

それにしても園芸種がいっぱいあり過ぎる、しかもここで話題にあげていない「キショウブ」は花弁が黄色いから、それにサトイモ科の「ショウブ」は花が違い2011年6月1日の話題茎に芳香があるから直ぐ分かるにしても、「イチハツ」とか「アイリスの仲間」になると花期が違うみたいですが、現時点ではヒロパパにとってもう殆ど区別が不可能、でもまずは基本の菖蒲(あやめ)と杜若(かきつばた)と花菖蒲位は分かるようにしておかないと頑張ってみます。

さて「菖蒲」と書いて「あやめ」と読んだり「しょうぶ」と読んだり、これも不思議です。
漢字の元は中国語、ということで中国ではどう書くのかな?、中国語で菖蒲(changpu)は日本語での「しょうぶ」の事、「あやめ」は「水菖蒲(shuichangpu)」又は「溪荪(xisun)」、「かきつばた」は「燕子花(yanzihua)」、それに「かきつばた」の文字「杜若」は中国語ではduruoと発音し「ヤブミョウガ」のことと辞書には載っていました。「あやめ」を「菖蒲」と書いたり「かきつばた」を「杜若」と書いたり、ますます混迷しています。

もうひとつ、「いづれ 菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」ってどこから来たの?について、平安時代、源頼政が鵺(ぬえ)退治に成功して、菖蒲前(あやめのまえ)という美女を賜わることになった、上皇は同じような美女一二人の中から菖蒲前を見付け選ぶよう命じ、その時よんだ和歌「五月雨に沢べのまこも水たえていづれあやめと引きぞわづらふ」に因るという記述をみつけました。美女がご褒美なんてとお怒りになる方もおいでになるとは思いますが、大昔のお話として、ここでまたマタ疑問、「鵺(ぬえ)」ッて何?、「夜」に「鳥」を組み合わせた文字で梟的なものかなと思いましたが、インターネットで検索してみましたら、梟的なものでは無く、日本独自のもっと怖い空想上の怪獣みたいでした。

”ニセアカシア”
(acasia;Nise-Akashia)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

niseakashia120507
「ニセアカシア(ハリエンジュ)」
hitotsubatabo120507
街路樹の「ヒトツバタゴ」

定例の年4回繰り返しているくらしの森とふれあいの森(両者とも名古屋市千種区)の定点撮影を、連休中を避け今日から実施です。
このHPの該当ページは、契約容量不足のためこの頃更新しておりませんが、画像だけは残しておこうと、撮影を続けています。

さて、春たけなわですね~、森に入ると春の甘い香りが漂ってきます。その甘い香りの一つに「ニセアカシア(ハリエンジュ)」(掲載した写真)があります。
この「ニセアカシア(マメ科ハリエンジュ属)」は、1873年(明治5年)に渡来して、生長が早く(根粒菌との共生による)荒れ地でも育ち、河川敷や海岸に植樹され、昔は薪として利用していた、ところが化石燃料の多用でこの様な利用も無くなり放置され、その結果、森の保全活動を行っている皆さんからは嫌われものとなっている、理由はそこの植生を乱すからみたい・・・考えてみると人の勝手な振る舞いに影響されているだけ、反省しなくっては・・。

それではニセ(似せ)ッて何?、”ニセ”があるということは”ホン〇〇”があるのかな?。

当初はこの「ニセアカシア」を「アカシア」と云っていた、只、その後渡来したミモザと呼ばれている「ギンヨウアカシア」や「フサアカシア」(マメ科アカシア属、2008年3月27日の話題)と区別する為「「ニセアカシア」とした、とのことです。

でも歌謡曲でも蜂蜜でも全てこの「ニセアカシア」の事、
もし白秋さんが
♪この道はいつか來た道、ああ、さうだよ、にせあかしやの花が咲いてる♪、
とか、西田佐知子さんが
ニセアカシアの雨がやむとき♪
とか、
この蜂蜜は”ニセアカシアの蜂蜜”
とかになるとせっかくのものが名前だけで風情が失われたり格が下がる感じがしますね。

ここで提案です。
”ニセ(似せ)”とか”マガイ(紛い、疑い)”とかの命名は止めにしたら、それなりに特徴があるのだから・・・、従って属はどうでも「ニセアカシア」は「アカシア」でも構わない、それとも「ニセアカシア」というのは止めにして「ハリエンジュ」の名前を広めてしまう、こんなこことも考えられますが、「ハリエンジュ」に変えるとなんとなくしっくりしない、やはり「アカシア」、慣れなのでしょうね。

別のお話し、現在、街路樹として植わっている「ヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)」がまるで雪が積もった様な様子で満開です。
ヒロパパの近くでは名古屋市天白区の天白警察署の付近、飯田街道交差点までで見ることができます(掲載した写真、2006年5月12日の話題)、参考までに。

”血脈(けちみゃく)、難しい仏教のお話し
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.7”
(do you know Kechimyaku)

アルバムへのリンク;「ファミリィ―」

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四十九日まで自宅に鎮座している我が家のおばあちゃん、祭壇には御骨や遺影、御花、供用物その他諸々が飾られたいますが、その中の一つに「血脈(けちみゃく)」があります。
多分「血脈」ッて何?という皆さんが多いのでは、恥ずかしながらヒロパパもその中の一人、その意味することもその上その読み方すら知らなかった、それではまずいと大凡ながらその意味を理解することにしました。

結論としては、「お釈迦様から伝えられる心が今に至った証で、戒名を授かった場合、故人はその末位に名を連ね、お釈迦様に繋がり、成仏できる」というものです。

まずは包みを解き、中に入っていたものを広げてみました(掲載した写真)。
広げたものを模式的に描いたものが下の図で、確かに一番上に「釈迦牟尼佛大和尚  (しゃかむにぶつだいおしょう)」、その次に「摩訶迦葉大和尚  (まかかしょうだいおしょう) 」、「阿難陀大和尚  (あなんだだいおしょう) 」、「商那和修大和尚  (しょうなわしゅだいおしょう) 」、・・・・と大和尚さんが脈々と繋がり、途中「大鑑慧能和尚(だいかんえのうおしょう)」で二つに分かれ、「永平寺道元和尚」で又一つになり、その後、歴代の和尚(多分ここにも有名な大和尚さん達がいっぱい?)と「現住堂頭和尚」が当家の菩提寺(曹洞宗)の和尚の皆さん、それに最後の「帰戒新人」が当家のおばあちゃんでそこにおばあちゃんの戒名が記載されている、又その繋がりが元に戻っている、この様な表でした。

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それでは、最初の空白の部分は誰?、想像では「過去七仏(毘婆尸仏、尸棄仏、毘舎浮仏、倶留孫仏 、那含牟尼仏、迦葉仏、釈迦仏)」と云われている仏様達で、何代かに渡っての和尚さん達からの御教えを受け、今回当家のおばあちゃんは巡り巡っているラインに導かれ成仏できる、この様に理解しています。

それにしても仏教の世界は難しい、前述の仏様や大和尚の皆さんお一人お一人を理解できていない、それに途中で何故二手に分かれ又一緒になっているのか分からない、それに当家のおばあちゃんは何代目なの?等々分からないことだらけ、これでは仏式でお葬式をした意味が無いのでは・・と避難を浴びそうですね。

”日食観察、何を作ろうかな?、その2”
(test-looking methods for an annular eclipse, No.2)

アルバムへのリンク;「戯言」

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昨日の続き、金環食撮影の為に、我が家にあるヒロパパのおもちゃ箱から今度は携帯用の顕微鏡を寄り出し工夫をしてみました。

まずは望遠鏡でもあればこれを使って投影したものが見れる、只、双眼鏡はあっても天体望遠鏡は手持ちが無い、さてどうしようか・・・そうだ!、顕微鏡は逆から見れば望遠鏡(正しくはレンズ間の距離は異なりますが)・・・ということで接眼部分を太陽に向け対物部分を市販の飲料物の空容器につなげ、見る為にカッターで切りこみを入れ、内面を黒く塗りつぶしで作り上げてみました。

映った画像はどうだってのでしょう、昨日のものに比べ焦点は合っている、ということで大きな暗箱を角度を調節したり持ち歩くよりづっと楽チン、一応これで観察、撮影することにしています。

後は最小限、金環食が見れる時間帯の5月21日7時29分~33分の4分程度、太陽が顔を出してくれること、これだけは神のみぞ知る、それでは神様・仏様、それにキリスト様とお願いしておくことにします。

”日食観察、何を作ろうかな?”
(test-looking methods for an annular eclipse)

アルバムへのリンク;「戯言」

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今月21日の金環食について詳しいデータは入手できましたが2010年5月1日の話題、さて素人がそれなりにどうやって撮影するか?を参照したHPを見ながら考えてみました(掲載した画像)。

左・上下はピンホールを利用してスクリーンに投影したものを撮影する方法、右・上は鏡を利用してスクリーンに投影したものを、右・下はただ単に遮光グラスをレンズの前に取り付けただけ、まずはこれを試してみました。

下の写真は、大きな段ボールの箱を持ち出し、暗箱にする為内面を黒く塗りつぶし、ピンホールを開け、カメラ穴を開け、太陽の方向に向けスクリーンに映してはみましたが、実は、どれもこれも遮光グラスで直接目で見た様には見えない、大凡は分かるにしても、馬鹿チョン・カメラでは絞り等の調節もままならず、だめだったら、最小限これらの方法での画像は残すにしてももう少し工夫が必要そうです。

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”これスプーン?、フォーク?、何と云う名前?”
(Ramenfork from Sugakiya)

アルバムへのリンク;「戯言」

ramenfork

このスプーン?、それともフォーク?、これ何ーに?。
今日もいつもの通りの朝寝坊で朝食と昼食を兼ねたブランチを御昼近くとって、さて午後遅くになるとやはりお腹がすく、飛び込んだ先が、買い物ついでにスーパー内に店開きしているスガキヤで、店内はこの時間帯誰もいない、頼んだのが写真の冷やしラーメン;480円です。

今日の話題は、このラーメンの味が美味しいとか不味いとかのお話ではなく、一緒に付いてきたこの奇妙な食器のスプーン?、フォーク?のお話です。

食べた後、お店の方にこの食器の名前は何?って恐る恐るお聞きしましたら「ラーメンフォーク」と云うのだそうです。
帰宅してからインターネットで検索してみましたら、これは有名な一品みたい、驚きました。

ことの発端は、ラーメンを食べる時はお箸とレンゲが普通、スガキヤではコストと環境への配慮から割り箸の消費を減らそうと考えこのラーメンフォークを導入した、ところがそれほど浸透しなかった、それでもと改良を重ね現在のデザインに(写真のもの)、改良した時点でニューヨーク近代美術館(MoMA)のショップでも取り扱ってもらえるようにとの意図もあり、丁度その担当者の目に止まり、現在売り筋商品の一つになっていて一本;14$?で売られている、とのことでした。

以前、「箸工房ヒロパパ」で話題にしたことがありましたが2010年4月14日の話題)、箸工房の話題;2010年9月10日、食べ物を口に運ぶ道具として、ビールスープや味噌汁の様に器に直接口を付けて以外、直接手づかみ、アジアでの箸、それにナイフ・フォーク・スプーンがありますが、このラーメンの場合は刺す・切るという動作は殆ど無い、只スープを麺と一緒に口に運ぶことを想定して、多分フォーク部分は先は尖らしてはない、間隔は麺の太さ(約2mm~1mm)に合わせ、本数はすくえる麺の量で決めてあるのでしょうね。

さてこれをスパゲッティを食べるとき使ったらどうなるのでしょうね・・やはりラーメンだから、ラーメン専用・・只、ヒロパパは知らなかった為写真の様にお箸も一緒に手にとってしまいました、「すみませ~ん」。

”5月21日朝、金環日食が見れます”
(an annular eclipse at Nagoya)

アルバムへのリンク;「戯言」

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既にご存知とは思いますが、金環日食を5月21日早朝見ることが出来ます。
ということでヒロパパの住んでいる地域での見え方・時刻を緯度・経度・標高を国立天文台の該当ページ(下記)に入力してデータを拾ってみました(掲載した表と図、全て該当ページより転載)。

これによると、部分食の開始が6時17分50秒で終了が8時57分14秒までの2時間39分24秒、この間、中心食は7時29分33秒から7時33分26秒までの3分53秒、最大食分が0.951とのこと、楽しそうです。

小さい頃、ガラスに蝋燭で煤を付けてとか感光したフィルムを重ねてとかで見た様な気がしますがこれは危険が多いみたい、可視光線の透過は少なくなっても紫外線や赤外線を通してしまえば目に悪いことは確か、やはり確実に透過性をテストした日食グラスを用意することになりそうです。
それに日食グラスを付けたにしても望遠鏡で覗くのも危険、以前部分日食の時に丁度曇り空だった2009年7月22日の話題とかピンホールを利用するとか2004年10月15日の話題、これ以外鏡を利用するとかいろいろな方法がありそうです。詳しくは「国立天文台・日食を観察する方法(ココをクリック)」に詳しく説明してありました。

以前も話題にしましたが、月の大きさと太陽の大きさ、それに太陽との距離、月の公転軌道の傾きと偏心、これらの絶妙なバランスで必ず新月で発生するわけでもなく皆既食になったり金環食になったりと、考えてみると不思議です。

でも最大の問題は当日のお天気すよね、ちゃんと太陽は顔を出してくれるのでしょうか。
この日が晴れなのか曇りなのかは、少なくとも週間予報を参考にせざるを得ない、5月15日頃以降の天気予報を気にしておくことにします。

参考までに、今までの及びこれからの日食の発生を解説したサイト「黒い太陽にロマンを求めて」(下記)がありました。

関連話題;
2005年4月8日の話題2005年4月7日の話題「ハイブリッド日食」
2003年11月25日の話題「皆既食」

参考サイト;
「国立天文台・日食各地予報」
「黒い太陽にロマンを求めて」