2012年6月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2012年6月30日

”突然見知らぬお宅への訪問、
お会いしたのは、エゴノキに住居を構えている猫足家の皆さんです”
(ego-no-nekoashi-aburamushi)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

egononekoashi120629

変てこなタイトルになっていますが、エゴノキの虫こぶ;「えごのねこあし」の住民?にお会いしたく、「えごのねこあし」をカッターで半分にきって見てみました。ルーペで見ないとはっきり分からない小さい体長数ミリ以下の黒いものがウジャウジャ、マクロで撮って拡大したものが掲載した写真です。翅があるもの無いもの両方ですが、多分これが「エゴノネコアシアブラムシ」さん達と思われます。

インターネットからの情報に因ると(下記参照サイト)、この時期(初夏)、翅のあるのは雌で「アシボソ」に飛んでゆく、そこで無性生殖で翅の無い雌を増やし、秋、翅のある雌が生まれエゴノキに飛んでゆく、その後エゴノキで雄と雌を産み、初めて有性生殖し卵をエゴノキの新芽に産みつけ越冬する、春になると「えごのねこあし」が膨らみ、この中で翅のある雌が成長する、この様なサイクルとのことです。
この為「エゴノネコアシアブラムシ」は必ず「エゴノキ」と「アシボソ」の両方が必要になる、どうしてこの様な生き方を選んだのかは分かりませんが、見掛けた場所の「アシボソ」を徹底的に壊滅したら又は「エゴノキ」を伐採したら「エゴノネコアシアブラムシ」は生きてゆけない?、どれ程の移動距離なのか分かりませんのでそんなことはしませんが・・。それに「エゴノネコアシアブラムシ」の皆さんは「アシボソ」と「エゴノキ」を他の植物と分けて明確に区別・認識している、色、形、匂い・・何なのでしょうね。

余分なお話し、エゴノキを漢字で書くと「斉墩果」と書くのだそうです。もし漢字検定試験に出題されても読める人はいるのかな~?。
では何故この文字なの?、どうしてこの文字を充てたの?、中国語ではどんな名前?・・又調べてみますね。

関連の話題;
2012年6月23日「支え合い?、エゴノネコアシアブラムシ」

参照サイト;
「NATURE PERSON」

追記(2012年7月9日);「猫足星雲」
さそり座にある散光星雲、別名「彼岸花星雲」(NGC6357)と呼ばれている星雲、「えごの猫足」に似ているのかな~?。

catspawnebulas


”論語の教科書、大正15年の?
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.20”
(a old textbook of lunyu=the nalects of Confucius)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

rongo120628

おばあちゃんの遺品整理、種々雑多なものが見つかります。先日の標準軍歌集2012年6月27日の話題に続いて今日は教科書として使ったと思われる「論語」の小冊子の話題です。
発行が大正15年4月1日(1926年、この年の12月25日から昭和1年です)となっていますので、おばあちゃんが17歳以降の時のもの、とすると平野高等女学校(現在の岡谷東高校)又は諏訪高等女学校(現在の二葉高校)の時代に勉強していたものと思われます。一部虫食いでボロボロの部分があり、鉛筆でメモも書かれていたりのものですが、これも当家の歴史的文化遺産として保管することになりそうです。

それでは皆様は学校で論語そのものを勉強した事はありましたか。ヒロパパは漢文の授業があったことは記憶にありますがその中身が何であったかはとんと記憶にない、多分成績は悪かったのではと思われます。
参考までに巻頭の「學而(がくじ)第一」の最初の一文を下記しましたが、この部分だけはヒロパパでもおなじみ、只、関連する儒教の経書で四書(ししょ)(「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」)だけでも読破していたらヒロパパはもっと幸福な人生を送れたのかな・・とも考えられますが・・、誰ですか「おまえが読破してもどうせ”論語読みの論語知らず”だよ」って云っている方は!。

もうひとつ現在ほとんど使われていない単語として「發兌(はつだ)元」という単語が使われています。
「発行」とか「発刊」とかと同じ意味ですが、これらの使い方の違いは何でしょうね?、又疑問が増えてしまいました。
さらに發兌元の「古今書院」の住所が「東京市外西大久保」と記載されています。現在の新宿区大久保辺り(早稲田大学近辺をご想像ください)が東京市に編入されたのが昭和7年、これからすると確かに「東京市外」という記載は正確、これは納得です。

参考;「學而第一」の最初の一文

子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

先生がいわれた、
学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。
・・・そのたびに理解が深まって向上していくのだから。
だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。
・・・同じ道について語り合えるから。
人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね。
・・・凡人にはできないことだから。
「論語の世界」より

”各国の国旗、昭和16年(1941年)当時との比較”
(some old and new national flags)

アルバムへのリンク;「戯言」

kokkioldnew120628

昨日の話題の「標準軍歌集」の続きの話題です。この歌集の裏表紙の背面には当時の各国の国旗が印刷されていました。そこで比較の為現在ほぼ同じ地域で使用されている国旗を羅列して比較してみました。

簡単のため、一部違っていてもほぼ変わらないもの(アメリカ→星の数が当時48が現在50に変わっている、ブラジル→星の配置や数が違う、トルコ→月の位置と傾きが違う、フランス、タイ、日本は同じ)を除き、現在見慣れない国旗があり、その1941年当時のソ連、ドイツ、イタリア、満州、支那、蒙古の国旗を取り上げてみました。

これらは当時の世界情勢が反映されている、現在のロシアは当時はソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の時代、同じくドイツはヒットラー、イタリアはムッソリーニの時代(1925年~1945年)、それに満州が国として存在し、中国も中華民国と中華人民共和国、内蒙古も混沌としていた時代であり、国旗の変化でもそれを肯ける、以下何故その国旗が使われていたかの概略です。

ソ連;ソビエト社会主義共和国連邦時代(1922年~1991年)の国旗、ゴルバチョフ大統領が辞任し現在の15の主権国家に分かれた1991年まで使われていた。

ドイツ;この国旗は1933年~1945年、ナチスドイツ(社会主義ドイツ労働党)のヒットラーが政権を掌握してた当時のハーケンクロイツ旗で、その後1919年から使われていたヴァイマル共和国時代の現在の国旗に戻った。

イタリア;1861年~1946年イタリア王国時代に使われていたデザインで、イタリア三色旗(Tricolore italiano)にサヴォイア家の紋章を配したもの、その後現在のものになった。

満州;現在の中国東北部と内モンゴル東部にあった国、1932年に建国、中華民国の五色旗を元に制定され1945年満州国崩壊まで使われていた。

支那;1912年孫文らが組織した中国国民党のシンボル、その後1949年中国共産党に敗れた中華民国政府が台湾に、現在も台湾で使用されている。

蒙古;正式には1939年現在の内蒙古と中国東北部の一部に樹立された「蒙古聨合自治政府」の国旗、1945年崩壊するまで使用されていた。

それぞれの歴史的背景の詳細をここで記述するのは無理ですが、特に日本を含め東アジア地域が太平洋戦争が終わった1945年(昭和20年)を境に大きく変動した事を改めて認識することが出来ます・・・温故知新、過ちを繰り返さないことですね。

”「標準軍歌集」、太平洋戦争中の
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.19”
(a old war-songbook at Japan)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

gunkasyu120627web

このところの当家のおばあちゃんの遺品整理は少し中だるみの状態、衣類・寝具関係は一応すんだものの部屋の中はまだ廃棄物予定物がいっぱい、粗大ごみは引きとり依頼をすれば済む、焼却廃棄は出せば済む、他の方にお渡しするものも一応段ボールに詰め込んで積み上げてはある、只その次の一歩がなかなか気分的に踏み出せないでいる、それにこの頃は細かいものに移っていますがこれが又大変、一番の原因は意欲が出てこない、これなんですが。

さて、細かいものを整理していると面白いものが出てきて、これに見いってしまうのも進まない一因なのですが、掲載したものはその中の一つ太平洋戦争中に発行された「標準軍歌集」(初版;昭和13年5月、これは改訂三版;昭和16年12月、野ばら社・東京市瀧野川區(現在の東京都北区南部)、定價:50錢)です。
歌詞と楽譜が記載されていて、君が代を含め軍歌が164、それに満州国国歌、独逸国家やナチスの歌等外国の国歌・愛国歌が11、その他喇叭譜、それと軍旗や各国の国旗、今村大佐と云う方の軍歌畫集(掲載したものはその一部)が載っています。

さてページを捲り知っている歌はあるのかなと見てみましたら、有りましたよ、
♪勝って来るぞと勇ましく・・♪の「露營の歌」や
♪ここは御國を何百里・・♪の「戦友」等々、
多分ヒロパパよりお歳をめした方はもっと多くをご存知で有り懐かしさを感じる歌集なのだと思われます。
これ焼却廃棄かな、とんでもない現在のところ我が家の歴史的文化遺産として保存するグループに入れることにしています。

こんなことをしているから遅々として進まない、分かってはいるのですが・・。

”スモークツリーがまさにその様相を呈しています”
(a smooktree)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

smooktree120625web

このところ植物の話題ばかりになってしまっていますが・・・今日は「スモークツリー」、名前通りの様相を呈しています。
一応型どおりのデータとして、ウルシ科ハグマノキ属の日本名では「ハグマノキ」、別名が「スモークツリー」で渡来したのが1870年だそうです。

さて、毎年のことですがスモークツリーだと気付くのがこの様相を呈してから、花が咲いたのかと近づいてみても花がある訳でもない、種子らしきものがぼつぼつと付いているものもあれば全然無いものもある、正確には、この状態で気付くのが既に花が散った時期で、花が散った後花柄(ひげ又は毛根みたいに見えている部分)が伸びてこの様相を呈する、だから煙みたいに見える、この様な理由によるものとのことでした。

詳しく調べてみましたら、雌雄同株と雌雄異株の両方ある、多分種子が付いているのが雌株か雌雄同株、付いていないのが雄株なのでしょう、以前話題にした「ヒサカキ」2012年4月2日の話題と同じみたいですね。
それでは花はどんな花?、インターネットからは拾うことができますが、来年は花期といわれている5月頃から注意をして観察をすることにします。

この木は「スモークツリー」以外に「煙の木」や「霞の木」とか呼ばれていますが「ハグマノキ」の”ハグマ”ッて何?、漢字では「白熊」と書き、仏具(払子ほっす)の先のはぐま(白熊-ヤクの尻尾)に見立てたことに由来するとのことです・・・がここで又疑問、はぐまの漢字に何故白熊と云う文字を当てたのでしょうね、払子に使われているものに白いものが「はぐま(白熊)」、黒いものを「こぐま(黒熊)」、赤いものを「しゃぐま(赤熊)」と云うのだそうですが、それぞれは仏教用語で発音はそのままか訛ってこの発音、但し日本にこの言葉が渡来した時にこの文字を充てたということに現時点では理解しておくことにしています。

”七十二候の半夏生ずの「半夏」って何?”
(a traditional Japanese calender;shichijyunikou)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

hangesyou

1週間後の7月1日は我が歳時記カレンダー2011年12月12日の話題によると七十二候で「半夏生ず(はんげしょうず)」、この意味は、カレンダー曰く「サトイモ科のカラスビシャクが10~15センチの花を付ける頃」なのだそうです。
そこでハタ!と思い当たることが・・・「カラスビシャク」の花を見掛けた、何処では先日作業した柿畑で2012年6月23日の話題、そこでもう一度「カラスビシャク」や関係する植物を確認してみました。
ヒロパパの季節感は、このHPの1年前とか数年前の同時期を振り返りながら記憶を呼び戻す動作を繰り返していますが、ここには無い情報をこの歳時記カレンダーから得ることができ、なかなか役に立っています。

さて「カラスビシャク」と七十二候の「半夏生」との関係は何?、
まず「半夏」とは、サトイモ科ハンゲ属の「ハンゲ(半夏)」又は「カラスビシャク(烏柄杓)」という名前の植物と、それにこれの塊茎から出来た生薬のことで、中国名でも文字は同じ「半夏(banxia)」、ごく似通ったものに「オオハンゲ」があります(文末にその違いを記述してあります)。

只、七十二候の「半夏生」をインターネットで調べてみましたら、”葉っぱが半分白くなる半夏(烏柄杓)”との記述や(wikipedia)、「カラスビシャク」と明確に書いてあるサイトもある一方「暦と天文の雑学」、植物図鑑には「半夏生(ドクダミ科ハンゲショウ属)」と説明してあるのもある、混乱しています。

確かに、ドクダミ科ハンゲショウ属の「ハンゲショウ(半夏生)」(別名;「半化粧」又は「片白草」)は、この時期、白い房状の花を咲かせしかも葉っぱがこの時期だけ半分程度白く変わる、これが七十二候の「半夏生ず」の「半夏」とも考えられる、ということは我が歳時記カレンダーの記述が間違っているのか?とも考えられます。
それに、元々の中国での七十二候ではどうか?、宣明暦では同じ「半夏生(banxiasheng)」で「半夏」は前述の様に「カラスビシャク」のこと、勿論中国と日本でまったく同じである必要はありませんが、もともとは「カラスビシャク」のこととも考えられる、 ここで現時点でのヒロパパの解釈として、
七十二候;「半夏生ず」の「半夏」とは、サトイモ科ハンゲ属の「半夏(別名;烏柄杓)」やドクダミ科ハンゲショウ属の「半夏生(別名;半化粧又は片白草)」がこの時期花を付けることから「半夏生ず」と呼ばれる様になった、
・・・な~んだ両方を入れたのか!、どちらかに特定しなさいよって云われそうですが、ヒロパパの浅い知識ではここまで、こんな解釈としましたが、未だに混乱している事は確かです。

参考;「カラスビシャク(又はハンゲ)」と「オオハンゲ」の違い
この違いは「オオハンゲ」が全体に大きめで特に「カラスビシャク」の様に葉っぱが切れ込みの深い三枚葉に見える一枚葉(掲載した写真、どちらも東山植物園にて)なのでこれで区別できます。


追記(2012年6月30日);
前述では、七十二候;「半夏生ず」に由来する植物を、サトイモ科の「半夏(別名;烏柄杓)」やドクダミ科の「半夏生(別名;半化粧又は片白草)」の両方であると考えましたが、現状ではサトイモ科の「半夏(別名;烏柄杓)」だけと考えておくことにしました。
まずおお元の中国では「カラスビシャク」は文字が同じ「半夏」、それにドクダミ科の「半夏生」は七十二候の「半夏生」の言葉があって初めて命名されたものであること、七十二候の「半夏生」が日本に伝わった時対象をドクダミ科の「半夏生」としようと考えた方がおられる可能性もありますが、多分その頃だって七十二候の「半夏生」の「半夏」が何かを調べた、日本名では「カラスビシャク」であることは分かっていたのでは、従って中国でも日本でも七十二候;「半夏生ず」に由来する植物はサトイモ科の「半夏(別名;烏柄杓)」と理解しておくことにした次第です。尚、日本のドクダミ科の「半夏生」は中国名では「三百草(sanbaicao)」です。

”むしこぶ(虫えい)の不思議”
(a gall on the mugwort)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

yomogikukiwatafushi120623

写真の白いフワフワした球体、ヨモギの幹に付いていたものですが、これ、昨日の「えごのねこあし」と同じ虫こぶなんですね。
インターネットから、多分これは「ヨモギワタタマバエ」が寄生して出来た虫こぶで「ヨモギクキワタフシ」と云うものらしい、ということが分かりました。

それにしても昨日の「えごのねこあし」もその他の虫こぶも同じですが、寄生された植物が何故この様になるのか?、この「ヨモギクキワタフシ」を例にすると、この綿みたいなものが何で出来ていて誰が作ったものものなのでしょうね。寄生した「ヨモギワタタマバエ」が自分の身体から綿を吐き出した?、どうもそうでは無く「ヨモギ」自身が作ったものみたい、それでは「ヨモギワタタマバエ」が寄生すると、どの様な刺激で何故「ヨモギ」がこの様に変化するのか?、不思議です。

例えば「ヨモギ」だけに限ってみても虫こぶとその寄生主をインターネットから拾ってみましたら、あるはあるは・・・
●「ヨモギクキマルズイフシ」←「ヨモギマルフシミバエ」
●「ヨモギクキワタフシ」←「ヨモギワタタマバエ」
●「ヨモギハエボシフシ」←「ヨモギエボシタマバエ」
●「ヨモギハシロタケマフシ」←「ヨモギシロケフシタマバエ」
●「ヨモギハベリマキフシ」←「ヨモギクダナシアブラムシ」
●「ヨモギメツボフシ」←「ヨモギツボタマバエ」
・・・それぞれ寄生する場所も形も違う、タマバエ、ミバエ、アブラムシの皆さんがヨモギの中でバランス良く住み分けている、素晴らしいですね~。

今までは”よもぎ”といえば”よもぎ餅”しか知識がなかったのが、これからはよもぎの見方が変わってきそうです。

もうひとつ虫こぶの名づけ方は分かり易いです。
前述のものを漢字で表現してみました、当たっているとおもいますが・・。
上から順に、「蓬茎丸蕊五倍子」、「蓬茎綿五倍子」、「蓬葉烏帽子五倍子」、「蓬葉白タケマ?五倍子」、「蓬葉縁巻五倍子」と理解すれば分かり易い、難しいものもありますが・・。

参考;よもぎ餅をご自分で作る場合、良く似た猛毒のヤマトリカブトを採集しないようにご注意を!。

”支え合い?、エゴノネコアシアブラムシと
ワルナスビ”
(one of the luose;Ego-no-nekoashi-aburamushi)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

warunasubi120623
ワルナスビ
egononekoashi120623

今日は先月も行った柿畑の雑草刈り2012年5月26日の話題でした。先月やり残したエリアを草刈り機を持ちこんで一応今回は全域仕上げたつもり・・ですが、雑草の生長は早い、従って多分1・2カ月すると元通りになりそうなのです。
でも鈍った身体を自然の中で動かし、しかも作業はそっちのけで面白いものを見つける、こんな楽しみもあります。

写真は今道端でどこでも見掛けることができる「ワルナスビ」、地面に這いつくばって虫めがねで見てみるとなかなか立派なまるでバナナみたいな雄しべです。
この「ワルナスビ」、何故「悪(わる)」なの?、繁殖力が強く一度蔓延ると例え鋤きこんでも小さな地下茎からでも繁殖できること、それに棘がありしかも「ソラニン(ナス科の植物に含まれるステロイドアルカイドの一種)」という有毒物質を含み家畜の餌にはならない、だからとのことです。でも「ソラニン」はジャガイモの小さいものや特に皮にも多く含まれているとのこと、ジャガイモは皮ばかりを食べることはありませんが。

下の写真は、「エゴノキ」まん丸い小さな実が生っていました。それと同時に右の写真、これ花?それにワルナスビみたいな雄しべかな?、それとも実?、一体何?・・・皆さんから教えていただきました・・・これ「えごのねこあし」と云われている「エゴノネコアシアブラムシ」のむしこぶだそうです。たしかにネコちゃん達の肉球にも見え、花や実にも見えます。
この「エゴノネコアシアブラムシ」は「アシボソ」と「エゴノキ」の間を寄生転換している、「エゴノキ」の側芽につくるこの部屋一つ一つにアブラムシが一匹ずつ、それでは入れなかったアブラムシ君達はこの周りをウロウロして空くのを待っているのかな~?。

それに2種類の宿主を寄生転換しているのも不思議です。
細菌類になりますが、以前話題にした「ビャクシン」とバラ科ナシ亜科の間の赤星病にも似ています2011年8月15日の話題
森羅万象、お互いに支え合い助け合いなのでしょうね。

”公園が無くなるの?”
(this park will be destroied)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

kouen120622

fujikawaseisanryokuti

公園を無くすの?、ヒロパパの部屋から一番近い小さな公園、以前オオタカを見掛けたセンダンがシンボルツリーとなっていた公園ですが2007年6月25日の話題、その公園の今日の様子、生垣が根元から伐採され樹木はこの様な状態になってしまいました。
この工事何なんでしょうね?、工事の表示説明には「公園施設の撤去工事」と書いてありますが、撤去した後どうなるかは説明は無い、将来のお話は撤去工事には無関係ですので説明が無いのは当然ですが、デザインを変えた新しい公園として生まれ変わる?、別の建物が建ち公園が無くなる?、それとも空き地のままとか駐車場とか?、多分ここを管理している(いた)名古屋市の土木事務所にお聞きすれば分かる?、でも回答は得られないのかもしれません。
何故かと言うと、この区画の土地所有者が誰かによって将来ここがどうなるかが大幅に変わってくるからなのですが・・もし公共の土地であれば又新しい公園として生まれ変わる可能性を残しているとは思われますが、私有地の場合は、所有者は無税を条件に公園用地として市に提供(貸出)した、今回その契約期間が終わり土地所有者は別途利用目的を計画し公園施設の撤去を市に申し入れた、市の管理から外れる、もしそうであれば公園としての存続は難しそうです。

工事の説明看板からするとどうも後者ではないかと考えています。
樹木の伐採は根元からではない、従って樹木は移植されるかこのままこの地に残るかどちらか、移植されることになるとこの区画がさら地になる可能性もある、さら地になると住宅(お店ではないとおもいますが)が建つ、緑が少なくなることは確かで避けたいとしても個人の経済活動を止める術はない、口を咥えて見ているだけで歯がゆい感じです。

実はこの付近では数年前から多くの生産緑地2005年2月20日の話題が無くなり住宅やマンションに変わってきています。下の写真の川沿いは数年前までは生産緑地だったものが、正面に一部残ってはいますが右方の川沿いにあった生産緑地は全て住宅に変わってしまいました。これは地下鉄が延長され交通の便が良くなったのが原因ですが、この様に徐々に緑被率が下がっていってしまうのは残念ですね~。

追記(2012年6月24日);この小さな公園(名称;相川市民緑地)の概略が名古屋市緑土木事務所に問合せ分かりました。
この土地は私有地、30年前に公園用地として市に貸出した、レンタル料その他税の優遇措置等は不明、今回所有者の希望に因ってさら地で返却することになった、とのことでした。
今日の段階で今まで幹を残していた樹木が根っこから抜かれ、さら地になるみたい、残念な気がします。

関連の話題;
2007年3月16日「高級マンション売り出し中」

追記(2012年6月30日);
遂に、本当に!、さら地になってしまいました(下の写真)。根っこから引きぬかれた、少なくても30年以上育っていた染井吉野やどんぐりの木それにセンダンがトラックに積まれどこかに行ってしまい、御覧の様に何もないさら地に・・・何が建つのかは分かりませんが・・・寂しい・・・。

kouen120629


”台風の後の楽しみ”
(a pleasure after passage of typhoon)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

matsubokkuri120621

台風4号は予報が外れ昨日の話題の御油宿辺りの愛知県東部に上陸、先日お伺いした山梨のさくらんぼ農家に被害が無かったことを祈っています。通常は”台風一過、晴天に恵まれて”なんて表現したいのですが、続いて台風5号も近づいていての雨降り、それでも台風一過の楽しみがあるんです。

さて台風一過の楽しみッて何?、掲載した写真がそれです。
松笠、松ぼっくりですが、通常見られるクロマツやアカマツの松笠に比べ2倍から4倍の大きな松笠で米松の松笠です。特に強風が吹くとたくさん落ちている、雨降りの中人目を忍んで?拾ってきました、何処で拾ったの?は、勿論内緒です。

松は風媒花で松笠になると鱗片が反り返り、そのすき間から風散布性の羽根状の翼を付けた種子が地上に落ちる間に風に乗って散らばる、写真のものは湿っている為まだ閉じていますが、このまま乾燥させると鱗片の間から種子が飛び出てくるものと思います。

さて松の種子は成熟するのに2年掛るのだそうです。確かに松の木には新しい青々とした松笠もありますが一緒に茶色の松笠もくっついているのを良く見かけます。
通常種の成熟が1年周期の植物が多いのに対して松は何故2年なの?、そういえばどんぐりも2年成のものもある(マテバシィ、スダジイ等)、1年はまだ理解し易いのですが、何故3年とかそれ以上ではなく2年なの?、成熟済みの種子を長年樹上に蓄えるのであれば意味はありそうですが短い方が有利のはず・・・多分進化の過程で多年成のものも多く存在したものが淘汰され現在では1年成のものが多い状態となった・・・この様に考えておくことにしています。

関連の話題;
2007年2月9日「美味しそう、エビ天」
2007年3月15日「一旦閉じるともう開かないのかな~?”」
2007年5月30日「メタセコイアの球果」

参照サイト;
「松ぼっくりができるまで」

”姫街道のくり姫ちゃん”
(Kuri-Hime at Hime-Kaidoh)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

kurihimeenakyo120616s

suwahimes

写真は「くり姫」ちゃん、先日のさくらんぼ狩りの途中トイレ休憩した中央高速・恵那SAで出会ったこのサービスエリアのマスコットキャラクターです。
もうひとつ、下の写真も中央道・原SAで出会った「諏訪姫」とその他、これはどこかの会社が売り出しているフィギュアーで、左三体は諏訪姫、一番左がオリジナルバージョン、順にスクール水着バージョン、宴バージョン、その次は上田の小松姫、一番右は下諏訪町春宮の脇を流れる砥川河畔にある万治の石仏2009年10月22日2006年10月20日の話題)の子孫?の阿弥陀万里(あみだまり)ちゃん、ヒロパパはこの分野には詳しくありませんが・・・というのだそうです。

どうしてこんなにお姫様が多いのか?、思い当たるのは、”昔、中山道は東海道に対して姫街道と呼ばれていたからかな”と云うことにしました。

姫街道で有名なのは、東海道では「見附宿」(現在の静岡県磐田市)から浜名湖北側経由「御油宿」(現在の愛知県豊川市、詳細は下記参照サイト)までのルートで、東海道の本道は徳川幕府が安部川や大井川は防衛ラインとして架橋を禁止していた、その為川越しは人足に頼らざるを得ない等で旅がし難かった、これに対して姫街道は女性に皆さんも気軽に旅が出来たことからこの様に呼ばれたとの解説がありました・・・が、ここの姫街道の川越しは天竜川だけ、しかも広重の東海道五十三次の天竜川(見附・天竜川圖)には、安倍川や大井川の人足による渡川と異なり船で川越ししている様子が描かれている、ちょっと違うな?、それでは船より歩きを選ぶ旅人が多かったのかな~?、それに安倍川や大井川にも迂回ルートがあったのかな~?、またまた疑問噴出です。

以前鎌倉街道について話題にした事がありましたが(下記)、姫街道であったということをベースに歩けば又昔の面影を残している場所がたくさん発見できそうです。

さて「諏訪姫」と「小松姫」についての詳細は、インターネットで検索してくださいね。

鎌倉街道の話題;
2010年10月9日「二村山勝地で石碑発見」
2010年11月11日「濃尾平野の昔の海岸線」
2010年11月16日「鎌倉街道、辿ることができるのかな」
2010年11月19日「昔の鳴子宿ってどこかな」
2010年11月20日「神社から推定、鎌倉街道」
2010年11月27日「神社から推定その二、鎌倉街道」
2011年1月4日「鎌倉街道ルート、途中報告」

参照サイト;
「姫街道 旅日記」

”昇仙峡、岩と滝と木々”
(landscape of Shousenkyou)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

syousenkyou120616s

昇仙峡(正式には「御嶽昇仙峡/みたけしょうせんきょう」)、秩父多摩甲斐国立公園の景勝地、日本観光地百選・渓谷の部第一位、平成百景では富士山に次いで第二位、日本二十五勝、平成の名水百選・・等々名前を連ねている景勝地です。
今回のさくらんぼ狩りの途中お昼ごはんで寄ったところですが、団体行動の為チラッと散策しただけ、掲載した画像は、その中でも有名なスポット3か所;仙賀滝と覚円峰と石門です。
特に、雨上りだった為か岩肌の色調が素晴らしい、それに岩の割れ目に根付いた木々の新緑、豊かな渓流はこの時期しか味わえないものでした。

さてさてこの様な地形・景観はどの様にして生まれたのでしょうね?。
この昇仙峡は、「南北4 ~ 5km、東西3 ~4km のほぼ楕円体状のエリアに、新第三紀中新世の黒雲母花崗岩からなり、それが侵食風化されたもの」(インターネットより)とのことです。
それでは規模は違いますが、中国・桂林、アメリカのイエローストーン、トルコのカッパドキア2010年7月31日の話題はどうなんでしょうね。どちらにしても地形的にはカルスト地形、地質は石灰岩の場合もあり凝灰岩と玄武岩の組み合わせありと様々、詳しく調べれば面白そうですが、自然の造形美に乾杯!です。

現在、台風4号(アジア名;Guchol(グチョル))が6月の台風としては珍しく四国/関西地方に上陸するとの予報です。台風5号(アジア名;Talim(タリム))も同じですが夏型気圧配置が多くなっている、だからこの様なコースを辿る、これも地球温暖化の影響なのかもしれませんね。昨日の話題のさくらんぼ畑のドーム型ビニールハウスを含め各地で大きな被害が無い事を願うばかりです。

”さくらんぼ、収穫時期をどうやってコントロールしているのかな?”
(how to cotroll of cherry-harvwsting )

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

cherryfarm120616s

先日のさくらんぼ狩りの続きです。

山梨のさくらんぼ農園は、さくらんぼ畑が全て大きなビニールハウスで被われていて雨降りでも楽しめます。勿論手が届かない高いところにもいっぱい生っていますが、手が届く範囲でもうお腹いっぱいになってしまいました。多分この畑のさくらんぼは今が一番美味しい時期で完熟のもの、だからこの畑に案内された、とするとさくらんぼの完熟時期をどの様にしてコントロールしているのかな~?、ハウスメロンでは種蒔きの時期をづらしながら継続的に収穫できるようにしている事はお聞きした事がありましたが2009年6月13日の話題、想像としては(農園の方にお聞きすれば良かったのですが忘れました)、ビニールハウスを明け閉めしての気温調節により花の咲く時期をコントロールし収穫時期をずらしているのでは、それに生長度合いによって出荷用のもの、オープン農園とするもの等々気象条件を考慮しての緻密な世話が必要なのでしょう。それに来年のことをもう考えておかなくてはならない、その一例が「摘み取るのは実だけにして果枝は残して!」とのこと、見てみましたら果枝の元に花芽が生長し始めていました。
我々は只スポットで食べているだけ、それに比べ果樹園の皆さまは大変だーー!。
下の写真はこの農園で見掛けたもの、葡萄は巨峰かな?、桃、リンゴは自宅消費のものとのこと、美味しい果物がいっぱいで羨ましい限りです。

”四十九日の御挨拶
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.18”
(a greeting card of my mother's Sijyuukunichi)

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6月3日行われた当家のおばあちゃんの四十九日の法要6月3日の話題が済んだことの挨拶状( 掲載した画像)を、葬儀にご参加いただいた皆様やお悔やみを頂いた皆様に、お菓子箱と一緒に、遅くなりましたが今日発送しました。

正直なお話ですが、この様な時の御挨拶はどの様に書いたら良いのか、体裁はどうしたら良いのか等慣れていない、そこで掲載した文章はインターネットで確認しながら作ったものです。
まずカード状の用紙に記載するものであること、横書きであること、それに文中には句読点を使用しないこと、この三つの約束を守りながら、文頭文末に例文に倣っての文章を、真ん中に当家の特殊事情を入れて、適切なカードが無かった為郵便はがきにプリントし、これを白い洋封筒に入れ完成です。
当家のおばあちゃんが4月18日乗車した列車が当日の始発便でしかも浄土行き特急「志なの路」、その列車名に因んでお菓子は両口屋の「志なの路」が含まれているものとしました。

さてさて、ご挨拶も一応一段落、遺品の整理や事務手続きも先が見えてきた感じ、あとはヒロパパがやる気を出しさえすれば済むのですが・・・如何せんまだ力が出ない感じ、頑張らねば・・。

”俳句・・・さくらんぼ、どっちがどっち?、皆目分からず”
(Satounishiki and Takasago,which is which?)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

sakuranbo120616

掲載した画像は「さくらんぼ」、さくらんぼの品種にはリンゴ、桃、梨、葡萄等々の果物と同様品種改良されてたくさんあり国内産で約30種あるそうです。しかもリンゴや梨等の他のバラ科の果物と同様同じ品種では自己不和合性が強い、従って同時に2・3種を同じ敷地内で育てるか又は異なる花粉を人工的に受粉させる、この様にして育てているそうです。

それではこのさくらんぼは何?、スーパーに並んでいるアメリカンチェリーの暗紅色とは異なることは確か、でもたくさんあり過ぎますので、二択としてこれは「佐藤錦」と「高砂」です、・・が、さてどっちがどっち、これクイズとしますね。
ヒロパパは答が分かっているのか?って、勿論分かっています、と云い切ってはいますが、内緒のお話し・・・お聞きしたから分かっているだけのお話しで、実は現時点でも別々に一種ずつ見せられたら分からない状態でもあります。

解答は、左が「高砂」、右が「佐藤錦」です。
では何が違うの?、樹木や葉っぱでの区別は困難至極、どうも果実の色、形で区別しているみたいでした。
「高砂」は紅色が強いこと、それになんとなくハート形をしている、それに対して「佐藤錦」は丸くリンゴ型が多い、しかも紅色が少し弱い、でもでも・・・個体によって違うだろうし、味を比べてもヒロパパにとってはどっちも美味しい、多分代表的な品種(この2種やナポレオン、紅秀峰、紅さやか・・)を並べて味見してもヒロパパの見識では無理なのでしょうね。

急にさくらんぼの話題なった経緯は、実は今日、中国語サークルの皆さんに誘われていた先月から楽しみにしていたさくらんぼ狩りでした。
朝早く土砂降りの中名古屋駅に集合して同じバスに他のグループの方達と一緒に載り中央高速を一路山梨まで、幸いなことに山梨は曇り空でしたが降雨なし、お昼は昇仙峡で「ほうとう」の昼食と散策、その後ワイナリーでワインの試飲を含みさくらんぼ農園で30分間の食べ放題、この様なスケジュールでした。
さて食べ放題;30分間って長いの短いの?、当初は短いのかな~の印象でしたが実際は15分程度でもうお腹いっぱい、いろいろお聞きしながらゆっくりと楽しむことができました。
それではいくつ食べたのか?、種はいつものことながら発芽させてみようと持ち帰えり数えてみましたら約50個以上、従って食べたさくらんぼは多分70個程度はあったのでは? 、すごいでしょう。

それでは本当に発芽するのかな~、農園の方にお聞きしてみましたら発芽する確率は0.1%も無い、しかも佐藤錦の場合発芽してもそのままでは実を付けない、普通はアオバザクラの台木に佐藤錦の枝を接ぎ木して増やしているとのことでした。それにこの農園のさくらんぼの木(桜桃)の樹齢は30年なのだそうです。
一応持ち帰った種は現在洗った後乾燥させ苗床に入れておくこととしますが、どうなるんでしょうね。

”朝市、八事・興正寺”
(a morning market at Yagoto/Kousyouji)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

asaichikousyouji120613

先日13日、当家のおばあちゃんの遺品である着もの関連の整理をお願いしたKさん昨日・2012年6月14日の話題をお迎えに朝早く八事へ、ホテルに到着した際、前の通りが異常に人通りが多く賑やか、一体何?とホテルのフロントでお聞きしましたら、お隣にある興正寺で毎月5日と13日は寺院敷地内で朝市が開かれていて丁度その日だとのことでした。

しめた!とばかりに覗いてみました。
露店の数も人出も半端ではない、野菜や果物、海産物等の生鮮食品、佃煮、漬物、焼き鳥・お菓子、花屋さん、その他仏具等々ありとあらゆるものが並び楽しんでしまいました。
それではヒロパパは何か買ったのでしょうね、少なくて申し訳ないのですが当家の仏壇に飾る為の切り花を少々だけ購入しました。

もうひとつ、この興正寺の五重塔のトップ、宝珠の先が何故曲がっているのか、意図的に意味を持たせて曲げてあるとすればその意味は?と以前から気にしていましたが2012年4月11日の話題、しつこく?この寺院の方にお聞きしてみました。
分かりましたよ!、何だとお思いでしょうか?、曲がったのは自然現象で原因は落雷、意図的なものではないとのことでした。曲がってしまったのは分かっているが、相輪そのもの全部を降ろして直すのは大変なのでしょう、何時からこの状態かは聞き忘れましたが。

それにしても、普通見掛ける避雷針では曲がったものを見たことが無いし他の寺院の宝珠も曲がったものを見たことがない、それではこの宝珠だけ垂直になっていた先端が落雷で曲がった原因は、落雷して先端が熱で溶けて落雷の方向に曲がった?、宝珠の先っぽは避雷針の材質とは違い導電性が低い?、相輪はアースされていない?、どうでも良いことなのですがさらに気になっています。

他の朝市の話題;
2009年4月14日;昼神の朝市
2008年10月17日;高山市・宮川の朝市

”遺品整理その他の先が見えてきた感じがしています
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.17”
(disposing of my mother's kimono and so)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

kimono120614

5日間アップデートをお休みしてしまいました。どこかに遊びに行っていた?、何もかも忘れどこかに遊びに行きたい雰囲気ですが、残忍ながらまだその気分にはなれない、相変わらず荷物整理に精を出していました。
この5日間で当家のおばあちゃんの遺品整理は一歩も二歩も前進し、洋装品関連についてはほぼ完了、和装品関連については、保存すべきもの、他の方にお渡したいもの、布地として利用できそうなもの、廃棄するもの等々のグループ分けが完了し、少なくとも箪笥一棹を減らすことが出来ました。

それにしても和装品関連は難しいですね~。以前話題にした帯を含め2012年5月23日の話題、勿論着物そのものや副飾品等々ランク付けするのがヒロパパには至難の技、そこで今回Kさんに助っ人依頼してしまいました。
Kさん3日間終日の作業を誠にありがとうございました、お疲れが出ませんように・・。

掲載した画像は作業中に出てきた家紋のついた正装の着物、ヒロパパには判断が不可能ですが、Kさんの判断では左の方のデザインの方が旧くて貴重なものとのこと、一応現時点ではどちらも保存するもののグループには入れましたが・・・。
それに右の写真の紅色の小さな箱の様なもの、これ何か分かりますか・・・勿論ヒロパパには分からない、Kさん曰くこれは「筥迫(はこせこ)」と云うもので、江戸時代からの小物入れ、懐紙や鏡、小銭、薬、紅等を入れていたもの、明治時代には胸元に差し込む単なる装飾品となった、それに嫁入り道具の一つであったとのことです。

それではこれらは何時の頃のものか?、確認する為旧い写真を持ち出し見比べです。下の写真・左が結婚式当日(昭和10年・1935年9月19日)の自宅でのもの、右は多分これより数年前のお見合い写真かな?、でもここに写っている着物も帯もデザインが違う・・・残念ながらまだ特定できていません、只一つだけ結婚式のときの写真の「筥迫」だけは写真のものとおなじものかもしれません・・・これについては遊びの世界、楽しみながらにします。

それにしても焼却ごみの量はすごい、通常の45リットル入りのごみ袋に目いっぱい詰め込んでその都度出してはいたのですが多分二十袋以上あったと思われますし、これからも増えそうです。

今後の作業は、まずは四十九日が滞りなく終了したことをお知らせする挨拶状の発送をしなくてはならないこと、遺品整理は、蒲団・箪笥その他家具類の粗大ごみの廃棄や家電製品の引き取り依頼の手続き、手芸品・趣味等の小物やアルバム・日記・書籍の整理等々、先が見えてきた感じがしています、頑張りますね。

”鬼胡桃の枝と葉数”
(growth of Oni-gurumi;walnut)

アルバムへのリンク;「植物・花ー夏」

onigurumi120609web

鬼グルミの生長記録、予想通り?、予想に反して?・・・徐除に難しくなりそうです。

まず枝の本数とその枝の葉数は、
葉数が同数のものが3本づつ1グループで、最初が2対+1=5枚、次が3対+1=7枚、その後4対+1=9枚であることの確認はできました。
それでは次の予想は5対+1=11枚、その後枝を3本づつ増やしながら対数を増やし最終的には10対+1=21枚程度まで生長する?、この様な予想をしながら眺めていましたが・・・初めて第4グループの最初の枝が生長してきて、その葉数が第3グループと同じ4対+1=9枚でした。
これをどの様に理解しておけばいいのかをまとめてみました。
枝3本ずつをグループ分けして考えた場合、第4グループ以降暫く葉数が4対+1=9枚の枝(3本ずつ)の生長が続く、その後5対+1の枝が同様に生長する、この様な予想をして観察することにしています。少なくともサンプル(鉢植えした苗)は13本ありますので、全てが同じ環境で正常に生長して正確に観察できればこれを母集団として統計的にも意味を持ったものになるかもしれない、頑張ってみますね。

さてさて、これが分かったからと云ってどうなるの?・・・その通りですよね~。


直前の話題; 2012年4月30日

”小さい頃の我が家の遊び
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.16”
(playing cards of my family)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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まだまだ続いている当家のおばあちゃんの荷物整理、今日も面白いものを発見です。
掲載した、よれよれで角が磨りきれそうな「トランプ」、それに箱が壊れかけている「百人一首」、もうひとつ新品同様の「いろはかるた」、実は「トランプ」と「百人一首」は家族で遊んでいた記憶のあるもの、多分約60年以上前の昭和20年代のもの、懐かしカ~!。

よくマー保管しておいてくれたものだと感心しながら、さて目をづぶって焼却処分にするか、それとも今後も保管し続けるのか迷ってしまっています。
多分ヒロパパの性格としての「もったいない」精神からすると、そのうち100年・200年後には歴史的文化遺産となることを期待しながら、この状態で保管し続けるのではないかな~、そんなことをしているから家の中にはモノが溢れるんだよって云われそうですが。

さて新品同様な「いろはかるた」、滝平 二郎さん(たきだいら じろう、切り絵・版画作家、921年4月1日 - 2009年5月16日)の切り絵に江戸時代の諺を記載したもので、実はこれは遊んだ記憶が無い?のですが、これもなかなか面白いですね。

「いろはかるた」は江戸時代京都で生まれ、その後東海道を辿って尾張カルタ、江戸カルタとその地で特徴のある「いろはかるた」が生まれていたとのこと、使われている諺からするとこれは「江戸カルタ(又は犬棒カルタ)」みたいです。

その中から面白い諺を拾ってみました。それぞれその意味するところは何か?は、下記参照サイトをご覧ください。
「かったいの瘡(かさ)うらみ」、「子は三界の首枷(くびっかせ)」、「月夜に釜をぬく」、「亭主の好きな赤烏帽子」、「屁をひって尻つぼめ」、「律儀者の子だくさん」、「瑠璃も玻璃も照らせば光る」、「われ鍋にとじ蓋」、「葭のずいから天井を覗く」
さしづめ現在のヒロパパは「葭のずいから天井を覗く」で反省しきり、それに当家のおばあちゃんの一生は「子は三界の首枷」で、子を思う心のため一生自由を束縛されていたのでしょうね、ありがとう・・。

もうひとつ、後述の諺の振り仮名をご覧ください、現在は使われていない旧かな遣いで表してありました。
「芋(ゐも)の煮えたもご存じない」、「良薬(れいやく)は口に苦し」、「老(を)いては子にしたがい」
ヒロパパは旧かな遣いの時代ではなかった、とすると一体いつ頃から旧かな遣いを使わなくなったのかな~と調べてみました。
発端は、昭和21年11月16日第33号の内閣告示;「現代かなづかい」、その後昭和61年7月1日第1号の内閣告示;「現代仮名遣い」で仮名遣いの簡略化を狙って発効された告示があり、これにより学校教育からも旧かな遣いが排除されたのではと思われます。
それではこの「カルタ」が何故新品同様なのかは、戦中又は戦後すぐ購入した?は良いけれど遊ぼうと思い開いてみたら旧かな遣いのものが混ざっていた、これでは教育とならないと考え使わなかった、当家のおばあちゃんがそこまで考えていたのかは定かではありませんが、もしそのように思慮深かったらと思うと感激ですね。

保存するかどうかの結論は、多分保存することになりそう、その時は一緒に高さん2011年12月16日の話題から頂いた現在の中国のトランプ2011年1月18日の話題の「中国皇帝・皇后」のカード、及び「秦潅八?」も一緒にと考えています。それに保管する時には、全てについて云える事ですが、そのものの由来・履歴等の記録も同時に付けておくようにしたい、そうしておけば100年後・200年後の皆さんには一目瞭然、頑張ってみますね。

参照サイト;
「ことわざ辞典」

”我が家の仏壇”
(my family Buddhist alter)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

butsudan120607

我が家の仏壇、今回当家のおばあちゃんがメンバーで新しく加わりました。
仏壇の中は戒名の世界、位牌の時代がかった大きい方「昭洋院殿忠林義鑑居士」が親父、新しい小さい方の「友林寿香信女」がおばあちゃんです。

そもそもこの戒名って何?、何故戒名が必要なの?、亡くなった人だけが死後命名されるの?、戒名が無いと極楽浄土へは行けないの?、戒名が無いとお墓には入れないの?、戒名にも種類がたくさんあるみたい、これの意味は何?等々疑問がわきます。

まず戒名とは、「仏門に帰依した時仏様の戒めを守ってゆきますよ」という証として戒名を授かる、従って生前から戒名を持っていても不思議では無い、所謂クリスチャンネームみたいに洗礼を受けた時から持っている名前と同じと考えても良さそうです。
それでは戒名は必ず必要なの?に対して、仏式で葬儀を行う場合は、この戒名を授けることが常識となっていて戒名が無い事はあり得ない、只、仏教のみで無宗教の方等が仏式ではないい墓地に葬られる場合は無関係です。

戒名の基本構成は、四文字で「友林寿香信女」を例にすると最初の二文字の「友林」が苗字みたいなもので後に続く二文字「寿香」が個人名みたいなもの、最後の「信女」は「位号」といってその方を修飾する部分とのことです。
この「位号」にもいろいろ種類があり、6才~14才くらいの故人には「童子、童女」、幼児、幼女には「 孩児、孩女」、乳飲児には「嬰子、嬰女」、死産児には「水子」、前述以外は、「信士、信女」、「居士、大姉」、「院」、「院殿」となり、この四種類の違いは仏教又はその寺院に対する貢献度の違いだそうです。
ということで親父の戒名を読み解きますと、「忠林義鑑」がおばあちゃんの「友林寿香」と同じもの、これに「昭洋院殿」という「院殿号」がくっついている、インターネットによるとこの「院殿号」は歴代の将軍とか内閣総理大臣経験者とかしか付けていない「号」とのこと、只、現在は仏教もビジネスの時代で、戒名命名の謝礼は「院号」が20万円~100万円程度?、「院殿号」は500万円?とお金を積めば購入できる事もあるみたい、只、戦死した当時の相場にしても我が家にはそんなお金はなかったはず、従ってヒロパパの親父は太平洋戦争中にものすごく高度な貢献をしたんだと認識しておくことにしました。因みにおばあちゃんの今回の戒名は一番安価なものです。

さて宗教についてヒロパパは時々神様・仏様とお願いごとをすることがあっても無神論者にごく近い状態です。
何故無神論者か?、これは、一例として、オーム真理教の信者の皆さんは、洗脳され自由な考え方が出来なくなったのではないか、それに一神教を信じる皆さん(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教等)の異宗教間又は同じ宗教内でも諍いが多い、これに比べ多神教の皆さんはこのような諍いは少ないにしても仏道、神道を守ることが個人の考え方より優先される、この様な様子をみていると宗教って何?と考えてしまうからなのです。

自分の行動・発言は自分の責任であり、自分を信じ経典に責任を転嫁することはしたくない、・・従って無神論者で押し通すことにしています、が、バイブルやお経はいいこと云っていて参考になることは確か、宗教を否定している訳ではありませんのでご理解くださいね。

”金星の太陽面通過、見れましたよ!”
(venus on the sun)

アルバムへのリンク;「戯言」

venusonthesun120606

金星の太陽面通過、昨日の心配もよそに今日は朝から好天気、皆さまもご覧になれたことと思いますがヒロパパも楽しみましたよ。
ただヒロパパは乱視で老眼、金星の視直径(57.8秒)は太陽の視直径(1891.4秒)に対してその100分の三で、ぎりぎり「アッこれだ!」と云う程度、太陽の黒点より大きくはっきりと黒く丸いからやっと区別できる、やはり天体望遠鏡を利用するのがベストと感じました。

実は日食グラスを利用して写真を撮ってみましたが明るすぎて撮影に失敗、掲載したものはインターネットのライブ映像からコピーしたものです。

さて次回の金星の太陽面通過は105年後とのこと、当家のおばあちゃんの寿命が102年だったことを考えると昨日も述べたとおり将来寿命が延びれば2回目を見ることが出来る人がいる可能性は多いにあり得ると考えられます。
それでは100年後の日本は?、世界は?、地球は?、太陽系は?どうなっているのでしょうね。100年以上前のおばあちゃんが生まれた明治42年と現在を比較すると生活環境にしても科学技術にしても大きな差があります。多分加速度的に変化をしてゆくことを考えると、鉄腕アトムの世界やドラえもんの世界が広がっている?、それとも環境破壊が進み急激な気候変化や地震等が多発し大きな災害に悩まされている?、どちらにしても温故知新、江戸時代のリサイクル社会を見習って、今からでも遅くない、人類は自然に対してもっと謙虚に生きることにしなくては将来は無いと思います。

お話を元に戻して、金星の太陽面通過があるということは勿論水星の太陽面通過もあることになります。
ただ水星は、視直径で比較すると、今回の金星が太陽の100分の三に比べて水星は約200分の一程度とものすごく小さい、これはもう天体望遠鏡の利用しかないとのでしょうね。
それにもし火星に人が移住している時代が来れば、水星や金星やそれに地球も、これらの太陽面通過を火星から観測できることになります。現在では地球から外惑星での現象は、月の満ち欠けと同様、その天体の地球の影を観測することになりますが、どれ程の面積が影ができるのか、これについてはプロにお任せということにしておきます。それにしても日食、月食を考えると地球と月の大きさや距離、これらの太陽との距離と太陽の大きさ、これの微妙なバランスについてはラッキィーの一言につきます。

”有効期限が過ぎてしまった、もったいない・・・
「花と緑のギフト券」”
(a coupon for the gift of flowers)

アルバムへのリンク;「戯言」

couponofflower

「花と緑のギフト券」、皆さまも利用された事があるかとは思いますが、掲載したギフト券は当家のおばあちゃんが元気なころ、おばあちゃんに”花でも”と皆さまから頂き、ヒロパパが保管していたものです。
おばあちゃんの老健生活や入院中は居室や病室では花を飾るのは無理、その為一部は使用したものの残ってしまい、お葬式の後、祭壇等に飾ろうと花屋さんに行ってみました・・・が、花屋さん曰く、「どちらも現在使えません」とのこと、調べてみましたら一部は有効期限が切れている、只一部は有効期限の記載が無いのに使えないとのこと、そのお店では詳細が分からず発行元に確認してみました。

以下発行元「(株)日本フラワー振興協会」に対するヒロパパの質問とその会社からの回答です。

Q-①;有効期限が記載されているギフト券が使えない事は当方の手落ちとしても、有効期限の記載のないものが使えないのは何故?
A-①;以前のギフト券は有効期を記載していなかった、ある時期から記載し始め、それまでのものは使えないということを公示していた。公示は法律(下記:注参照)に則りおこなっていて違法ではない。只、有効期限の記載のないギフト券については救済策として有効期限の記載がある同じ価値のギフト券と無料で交換している、この手続きをして欲しい。

Q-②;何故貴社は有効期限を記載することにしたの?。
A-②;マーケットでの流通量を増やす為で、実績として流通量(ギフト券のその会社への回収数)は増えた。

Q-③;加盟店の花屋さんで使えないと言われたけれどそれは何故?。
A-③;たまたまその花屋さんが知らなかった、又は勘違いしているのでは、花屋さんの連絡方法を教えていただければこちらから連絡を入れる。

この様なやり取りでしたが、それにしても悔しい・・・使いだした当初は有効期限が見当たらなかった為安心してゆっくりと必要な時に使おうと考えていた、その後頂いたものでも同じと考え封筒を開かず大切に保管していた、いざ使おうと思って封筒を開けたら一部のものに有効期限の記載があった、こちらが見落としたと言われてしまえばそうなんですが・・・やはり悔しいし送っていただいた方に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そもそもの間違いは、このギフト券を切手や図書券と同じ有効期限の無い有価証券(広義の)と考えてしまっていた為見落としてしまったことが間違いのもとであることは確か、勿論ある期間内で数えた場合流通量が増えることは有効期限が合った方が増えることは確かとも思えますが、もしかしたら発行側はヒロパパみたいな人がたくさん居ることを期待して有効期限を記載することにしたのかとも、腹いせで勘繰りたくなります。

これからは、送った側が口頭で知らせるか送られた側がその時点で注意して記載事項を確認するか、封筒の表面には有効期限についての注意事項の記載が無いことも一つの要因でもあり、加盟店でこのギフト券の販売時に有効期限を封筒上に記載することを義務付ける、こんな提案を発行元にしてみようかな。

さて明日は、金星の太陽表面通過が見れる日です。次回は105年後とのこと、確実に記憶が残るのは現在5歳程度としても次回その子が110歳の時2回目を見ることが出来る、将来寿命が延びること考えられるのであり得るお話しとしておきますが、ヒロパパは絶対無理、是非明日は晴れて欲しいな~、でもまてよ、ヒロパパは「あの世」で銀河鉄道に乗って金星の太陽面通過観察ツアーに参加しているかもしれないですよ。

注;関連する法律
資金決済に関する法律(平成21年6月24日法律第59号)・・・・・・・ 第20条第一項
前払式支手段に関する内閣府令(平成22年3月1日内閣府令第3号)・・・第41条第二項

”あなたは誰?、突然の来訪者”
(Who are you?)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

hiyodori120604

夕方6時、今日は曇り空で薄暗くなった垣根もそもそと動いているものあり、近づいても慌てて逃げる様子も無い、あなたは誰?、何故ここにいるの?・・・・直ぐ分かりましたよ、姓は「鵯」、名は「雛」でした。
何故直ぐ分かったか・・周りを心配そうな声を出しながらヒヨドリが2羽飛び回っていました。ということはこれは巣立ちしたばかりのヒヨドリの雛君、巣立ちしたばかりで自分で食事をすることが出来ない時期、初めて人間を近くで見て興味津津、しかも写真のフラッシュも初めて、周りの親たちは人は危険だよ!ッて学習させている?、それで心配で心配で!の様子、10センチ程度の近づいても暫くこの状態でしたが、その後上手に飛び去ってゆきました、可愛いですね~。

今の時期は鳥たちは巣立ちの時期なのでしょうね、先日、佐渡でトキが昭和51年以来36年ぶりに野生下で巣立ちしたとの報道があり、現在8羽のヒナが誕生したとのことです(参照サイト;下記)。

さて観鳥家の皆さんにとってヒヨドリ君達はスズメ君達と同様あまり観鳥の対象ではないのではと思われますが、その行動を見ているとなかなか面白い、まず飛ぶときは波型飛行(羽ばたきと滑空を繰り返す飛び方)、雑食で何でも食べ特に甘いものが大好き、日本以外では見掛けることが少ない為海外の愛鳥家にとっては珍しい、もうひとつ、人に慣れやすい、この写真の雛も捕獲してヒロパパが育てることも可能でしたが、そんなことしてどうするの!、自然任せがベスト、しかも佐代子ちゃん2009年12月22日の話題もいるし、ということで眺めているだけとしました。

このヒヨドリ君達、有名な為、好んでは食べる訳でもないのに?「ヒヨドリジョウゴ」2009年10月4日の話題とか、ヒヨドリが鳴き出す頃花を付けるから?と名づけられた「ヒヨドリソウ(ヒヨドリバナ)」2005年8月3日の話題とか、名前に利用されています、ヒヨドリ君達は知的財産権侵害として訴えることができるのでは・・・そうではなく多分どしどし使って良いよと云っているのでしょう。

そういえば以前近くの公園で「オオタカ」を見掛けたこともありました2007年6月25日の話題。このヒヨドリの雛君に会えたのもラッキィー、良い事が起りそうな気配がしてきましたよ。


ヒヨドリの話題;
2004年1月31日2004年6月19日

参照サイト;
「佐渡トキ保護センター」

”極楽浄土に到着したみたい
当家のおばあちゃんの記憶ーNo.15”
(my mother arrived at heaven station)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

noukotsu120603

当家のおばあちゃんの四十九日の法要を今日(6月3日)済ませました。
当家のおばあちゃん、亡くなってから昨日まで、あの世とこの世をつないでいる列車(銀河鉄道スリーナインみたいなものかな~?)に乗車して旅をしていた、途中の地獄行き列車への乗り換え駅で無理やり降ろされることもなく、四十九日掛けてやっと極楽浄土駅に到着したよと連絡がありました?というのは想像ですが、到着したはずです。
亡くなったのが親父の命日と同じ4月18日、69年前親父が亡くなった時2011年8月14日の話題、この日に乗車して欲しい旨の約束をお互いに取り交わしていたのか、それとも直前に連絡が合ったのか定かではありませんが2012年4月21日の話題、まずはあの世で久しぶりに親父と再会し、この世の話題に花を咲かせているのでしょう、良かったね。
只、駅に迎えに来ていた親父は、亡くなった時の歳が44歳、もしあの世では老けることがなければ、おばあちゃんは親父であることが分かるにしても親父はおばあちゃんであることが分かるのかな~?、両方とも歳をとっているとますます分からなくなる、ちょっと心配ですが、面影は残っている、直ぐに分かったのではと考えておくことにしています。
それに、今年のお盆には今度は二人揃って銀河鉄道に乗って我が家に御帰還、車窓からはどんな風景が楽しめるのでしょうね、勿論しばらくすればヒロパパだってその風景を楽しむ事ができるはずなのですが。

具体的な式次第は、今回は菩提寺にて四十九日の法要を行い、その後御墓への納骨を実施、予め墓石の刻字や塗位牌もお願いしてあり、明日からはいままでの自宅の祭壇を片付け仏壇が主役となります。

それにしても仏教の世界は難しい!、慣れ親しんでいないので当たり前かもしれませんが、まずお坊さんからの言葉が難解、それの読み方も現在の日本語と違うものが多い、お経も場面場面でたくさんありこれをそらんじているお坊さんもすごい、実は法要中、経本を手渡されお坊さんの読経に合わせ読みとっていたのです、いつの間にか何処の部分か分からなくなってしまう、こんな状態で困ったものです。

一応極楽浄土へ到着したということで、ヒロパパは喪中は続くものの一応忌明け、荷物整理から始まり、これからは皆さまへの挨拶状、それに各種提出書類関連の処理に本格的取り組むことになります、がまだまだ先が長そうです。

”姫蛍が乱舞しています、相生山緑地でです”
(Hime-Hotaru)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

himebotaru120531

姫蛍が乱舞しています、相生山緑地(名古屋市天白区)でです。

毎年楽しみにしている姫蛍、昨日夜10時過ぎに現地に行ってみました。
まず森の中はあっちもこっちもピカピカ、何回かここを訪問していますがこんなの初めての状態でした。
今年は何故こんなに?は、今までは時期としての訪れたタイミングがづれていた?、丁度その時の温度・湿度が最適では無かった?、それに訪れた時間帯が早すぎた?、この様な事だと考えています。
正確なデータは拾ってはありませんが、温度湿度は蒸し暑い状態、降雨が無く月明かりも少ない、しかも深夜を中心に前後2・3時間、これが姫蛍が最も活動する時間帯と一応考えておくことにしています。

それに観賞する時の注意事項、懐中電灯で照らすとか掲載した写真の様にフラッシュを光らすのは止めた方が良さそう(すみませ~ん)、驚いてしまったのか暫くピカピカを止めてしまいましたので、勿論大きな音・声も厳禁と思われます。

静かな真っ暗な森の中で幻想的な光の点滅を楽しむ、これ最高です・・・が、時々同じ様な皆さんが突然暗闇から現れる、お互い様なのでしょうがこれにも驚かせられます。

源氏蛍や平家蛍を名古屋市内で観賞することは不可能な状態になってしまいましたが、この姫蛍がここ相生山緑地で生命をつないでいることは嬉しい限りです。
ただここを縦断する道路がほぼ完成に近い状態(現在は工事を中断しているみたい)、この道路による生態系への影響は絶対にあり得る、ダム工事も含めて数十年前の計画を何らの検証も無く工事を始めてしまって途中でまた議論をしている、この無駄さ加減に呆れてしまいます。
ニュースでは、皇居のたぬき君の捕獲作戦が話題になっています、それにロンドンのきつね君達は人との共生に成功しているみたい、小動物達が都会でも人と共生する環境が維持できるということは人にも快適な環境といえるのでは、我が庭で姫蛍が遊んでいる状態になるのは何時のことかな?。

さて皆さま、姫蛍観賞はこの数日が良い、相生山緑地全域でご覧になれますが、特に北側の散策路がポイントと思われます。ご覧になってください。


姫蛍の話題;2009年6月3日
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