2012年9月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2012年9月30日

”東日本大震災からもう1年半”
(one and a half year later on a stricken area)

アルバムへのリンク;「東日本大震災」

volunteeratsendai1209

昨日の富士山の写真は、中国語サークルのSさんから見せていただいたもの、Sさんの決断力や行動力にはいつも驚いていますが、今年5月に東日本大震災の復興ボランティアに参加され2012年5月15日の話題、これに引き続き、先先週から先週に掛けて10日間の日程で、数か所の仮設住宅を回りそこでの作業のお手伝いや、又被災された住宅の整理作業をお手伝いされた、掲載した写真は、これらの活動の一部です。

上の写真のお宅は、一階部分が、欄間ぎりぎりまで津波が通過して壊滅状態になった、現在、住宅の修復をすることを決断され、リホーム工事を始める為の準備作業中でした。

このお宅では、ただ単に地震と津波の被害だけでは無く、それ以上に悲しい出来事が・・・地震発生時、車いすのおばあちゃんをまず柱で囲まれている地震に強いトイレに運び込み、おじいちゃんは、居室で地震の後片付け作業を続けていた、その時津波に襲われ流されてしまった、おばあちゃんはトイレの中で首まで水につかった状態、おばあちゃんはその時は助かったものの、その後低体温症でお亡くなりになられた、おじいちゃんは近くで遺体で発見された、・・・とのこと、ここのご家族の皆さんは、今までも、これからもこの辛い記憶がこの住宅と重なって必ず残ってしまう、この躊躇していた気持ちを乗り越えて今回リホームを決断された、この一枚の写真だけでも悲しい物語が含まれています。

下の2枚の写真は、名取市立閖上(ゆりあげ)中学校の勉強机に書かれたメッセージ、ここでも14名の皆さんが亡くなられた、今でも屋上から撮影した恐ろしい当時の様子をYoutubeで見ることが出来ます。

人それぞれ忘れてしまいたい、忘れてしまえばどんなに楽かと思われる記憶をいっぱい持っているとは思いますが、苦しくても忘れないこと、忘れないでそれらを踏まえて生きてゆくこと、これの積み重ねがあってこそ、初めて暖かい優しい社会を作ることができる、ヒロパパも頑張らねば・・。

このお話をSさんからお聞きしていた時、Sさんからお叱り?、叱咤激励?の言葉を頂いてしまいました。
「ヒロパパや!、偉そうな事を云っていないで、しかも、この頃は少しは時間の余裕が出来たのでは、この機会に、見るだけでも良いから現地へ行きなさい、新たな自分探しにもなるよ」との言葉でした。確かに考えているだけで、まだ現地に行ったことは無い、多いに反省です。

”機上からの富士山”
(mt-Fuji's view from airplane)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

fuji1209

夕闇が迫った中、富士山がすそ野まではっきりと見えてます。この写真は、先週、仙台発名古屋・中部空港向け〇〇〇ー☓☓便の機上より撮影したものです。

飛行機に乗っていて景色を眺めた場合、今何処を飛んでいるのかとか、見ている場所が何処かな等はなかなか難しい、それでも富士山が見えれば確実、特に国内線の太平洋側やアジア便はほぼ富士山が見える位置を通る航空路が多い、海外からの帰国時は”帰ってきた”と実感がわく風景であったことを覚えています。

さて、見えているのは何?、まず宝永山が見えていない為、富士山を中心にして北西を通過している時であろう、左のバックの山々は伊豆半島ではなく多分箱根の山々、手前に見えている湖は河口湖?、西湖?、本栖湖?のどれか、画像・右にもうひとつ湖らしいものが見えていますのでこれが西湖で、多分河口湖だろうということにしました。

それにしても、地図で見る様な訳にはゆかない、さて、一体どの範囲がどんな様子で見えるのか、通常の飛行高度を約10000m~13000mとして、その高度から富士山を真上から見た場合、それにその三倍の高度、もうひとつ、国際宇宙ステーションの高度からを、Google earthから拾ってみたものが下の3枚の画像です。
旅客機からの小さな窓から見た場合は、見える範囲が狭い事を含めて相当地形に詳しくないと正確には難しい、そんなときは、機内の備え付けのパンフレットを見ながらとかアテンダントの皆さまにお聞きしながらとかになるのでしょうね。

余分なお話ですが、飛行機は各機ぶつからない様に一定の高度を保って飛んでいることは知られていますが、それでは飛行機ってどうやって高度を計っているのでしょうね。
電波高度計?、これは通過している地形に因って細かく変動する、多分?現在使われているものは気圧高度計、これも飛んでいる空間の気圧の変動に因り変わりますが、0 ftの気圧を必ず1013hPaに設定しておいて、その付近を飛んでいる時飛行機はほぼ同じ気圧であることから、それぞれの気圧高度計は同じ基準での値を示す、これによってぶつからない様に高度を保つことが出来る、下記参照サイトよりこの様に理解しました。

この写真はヒロパパが撮ったの?、勿論違います!、何処から手に入れたは又後日の話題とします。
それに富士山の遠景のお気に入りの写真を2009年10月19日に掲載してありますので、ご覧ください。

参照サイト;
「航空実用事典ー高度」


追記(2012年10月5日);「富士山が噴火する!?」
この美しい富士山が噴火するのではないかと云われています。理由は、今まで約数百年に一度づつ噴火していて、前回の噴火(宝永4年ー1707年)からもう300年以上経っている、それに、この宝永大噴火の時も49日前にマグニチュード8.6~8.7の地震があったと同様、現在も大きな地震に触発されて噴火する例が世界で経験されている、今回の東日本大震災の大地震に触発されたのか、その後富士山の真下で地震があったこと、この様な理由に因るものです。
さて、これらの前兆をどうやって捕まえるかは、マグマが上昇を始めてから約1カ月後噴火すると考えられています。
それではマグマの上昇をどの様にして知るには、身体に感じない小さな地震を含めてその振動を地震計で観測すること、GNSS(Global navigation satellite system)を富士山全体に設置して、そのGNSS同士の距離の変化を観測すること、それに傾斜計で傾きを観測していること、これらの変化がみられた場合マグマが上昇し始めていることが考えられるとのことです。
それでは噴火した時の被害は、風向きや噴火の持続期間によって異なりますが、まずはマグマが流れ出し裾野を掛け下って市街地に流れ込めば多大な被害がでる、同時に火山灰が大量に噴出すれば、裾野では1メータ、しかも火山灰は東側に流れ、東京でも10センチ程度の火山灰が降り積もる、この状態でまずは東名高速や新幹線等交通機関は全てストップ、東京でも空港は閉鎖、電車も道路も灰だらけで交通網は壊滅状態となる、このマグマが流れ出したり火山灰噴火にもまして一番大きな噴火は、山の形が変わってしまう程の山体崩落爆発、これが起こると富士山も磐梯山(1888年―明治21年)の様に山の形が変わってしまうこともあり得そうです。
富士山さん、お願いだからおとなしくしていて~。

”お孫ちゃんファミリーへのギフト”
(gifts for my grandchildren's family)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

gifttohawaii120926

突然「寒天」の話題です。
「寒天」、日本原産の健康食品で「天草(マクサ等の海藻)」を凍結・乾燥を繰り返したものだから「寒天」、的を得た名前で納得!、この「寒天」は信州、特に冬の寒暖差の激しい諏訪地方、その中でも現在の茅野市は産地として有名です。
写真のものはゼリー用で粉末ですが、先週の信州旅行の際、諏訪大社・本宮(茅野市)の門前にある寒天の製造販売店(松木寒天)で購入してきたものです。
「ヒロパパや、やっとデザートを作る気になったのか!?、試食してあげるから出来たら声を掛けろよ」・・・残念ながらヒロパパはそんな技量は持ちあわせていません、これらはお孫ちゃん達ファミリーへ送る為、従ってゼリー用の葡萄とか林檎とかの果物味のものだけです。

写真の前述の「粉末寒天」を含めた種々雑多なものは、昨日発送したもので、「かりんジャム」、お孫ちゃんのHちゃんがまだ1・2歳だった頃遊んでくれたヒロパパ自作のオモチャ2007年12月19 日2011年2月2日の話題)、それに「じゃがりこ」を入れてみました。
実は、この「じゃがりこ」、先月送ったものが一部ハワイの税関で没収されたものがある、没収されたものは推定で牛肉関連又はそれのエキスを含んでいるものみたい、只、前回は何を送ったのか正確には記録していなかった2012年8月10日の話題)、ということで今回は同梱した「じゃがりこ」をメモして、没収の有無を確かめてみようという試みです。
今回の「じゃがりこ」は、主原料のジャガイモやサツマイモは問題無し、但し味付けの乳製品であるチ―ズ、バターを税関がどの様に判断するか、勿論、ランダム・サンプリングによるピックアップで、たまたま通過することも考えられますが、結果が面白そうです。

それに、今回は正確さを期すため、内容物を英文で詳しくEMSのラベルに記載しました。
粉末寒天;powder made from agar-agar of fuit taste for jelly making
かりんジャム;karin jam
じゃがりこ;snacks made from potato and sweet potato of butter and cheese taste
おもちゃ;handmade toy
この努力を税関の方々は評価してくれるのかな?。

もうひとつ余分なお話ですが・・・「ところてん」を漢字で書くと「心太」とか「心天」「瓊脂」と書きますね、これ何故なんでしょうね?。中国語で「ところてん」は「「凉粉(liangfen)」 又は「洋粉(yangfen)」で文字は中国からでは無い、wikipediaでは、「こころぶと」と当初は呼ばれていた、その後(奈良時代)に「こころてん」と呼ばれこれが「ところてん」に変わってきた、只漢字はどれも使われた、言葉とはこんなものなのでしょうね。

”この花、何~んだ?、ユーカリの花です”
(flower of eucalyptus)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

eucalyputs120919

この頃、極端に通えなくなった東山動物園のコアラ用ユーカリ畑を、先週ある用事のついでに花はどうかな?と期待を込めて寄ってみました。
ご覧ください、丁度とんがり帽子を脱ぎ捨てこれから開こうかなというものも含めて、真っ赤な「リュコキシロン」が丁度咲き始めていました。多分この1・2週は、この状態で楽しめるのではないかと思います。

場所は平和公園の動物愛護センターに通じる道とユーカリ畑の外周路の交差点を右に折れたところで、遠目でも赤い花が目につきますので分かり易いと思います。

花は、真ん中の雌しべ一本とその周りのたくさんの雄しべ・・・それでは花弁は無いの?・・・そうなんです、花弁と萼片がくっついたものは「カリプトラ」と呼ばれているキャップ状のもので、このキャップは既に離れてしまっている、残っているのは、たくさんの雄しべと一本の雌しべなのです。
木の下をみるとこの「カリプトラ」がいっぱい落ちているのを見ることができます。この「カリプトラ」は、それほど丈夫ではありませんが、そっと拾い集めて、あのハートマークの風船蔓の種子に被せれば可愛い木の実人形の頭ができそうです。

この「リュコキシロン」のユーカリは切倒されることも無く毎年花を楽しめますが、ハンノ木池入口の「マイクロコリス」は今年は切倒されてしまいました。花をつけるまで数年かかるのかな?、全てがコアラ君達のお食事用で若い葉っぱが必要ですので、これも又良しですが。

早速、暫く眠っていた我がユーカリリスト2008年11月29日の話題)の花期の欄に☆マークを記入です。

関連話題;「ユーカリの花」
●「マイクロコリス」かな?;2010年2月15日
●「リュコキシロン」とその他の種子;2007年9月20日
●「シデロキシロン」;2007年7月1日
●「ランスドウェアーナ」;2006年11月17日
●「シデロキシロン」;2006年11月4日
●「リュコキシロン」;2006年10月4日
●「リュコキシロン」と「シデロキシロン」;2006年9月21日
●「テルチコルニス」;2006年6月9日

”諏訪湖の現在、それに菱の繁茂対策”
(Suwa-lake)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

suwako120916

信州旅行のお話が続いています。今日は諏訪湖の話題です。
晴天の空を写した湖面や、湖上に浮かぶ八重垣姫の像、それに、夏の花火シーズン2006年8月15日2004年8月16日の話題)にその打ち上げ用に作られた人口の初島、湖面を航行する水陸両用のバス、足こぎボートや鴨君達がくつろぐ、湖畔のカリン並木には美味しそうなカリンが実り・・・なかなか観光地らしい景色で満足、表面上はこれで良いのですが・・・ちょっと掘り下げると様々な問題があります。

その一つが諏訪湖の水質の問題で、以前は栄養多過で「アオコ」等が発生し日本でも汚れた湖の一つだった、この10年で「アオコ」発生が少なくなり水質改善がすすんだ・・と、喜んでは居られない現状だそうです。
何かというと、「アオコ」が減ったら今度は「ヒシ」が密生し出したとのこと、確かに諏訪市側や下諏訪町の湖畔には「ヒシ」が密生している場所が見られました(上のパノラマ写真の岸辺にも写真では見難いのですが浅瀬には「ヒシ」が散見されています)。
「ヒシ」は、ここ名古屋市内の溜池では普通に密生していて、これの対策に苦慮していることは以前にも話題にしましたが(名古屋市内戸笠池の例、下記話題を参照ください)、諏訪湖での対策は、刈り取ることを続けているとのことでした。

「ヒシ」は一年生で、湖底に根をはって生長し、水深によって異なりますが1~2メータとも4メータとも言われている茎を伸ばして浮葉を水面に開く、花期は7~10月頃、その後果実を実らせ、果実は湖底に沈み、翌年春発芽してまた生長する、この様な生活誌だそうです。

従って駆除対策としては、まさか水深を極端に深くすることは不可能ですので、現在行われている刈取りを徹底的に行うこと、しかもこの刈り取りを開花しない前、開花しても結実しない前に行ってしまう、これで次年度発芽する量を減らすことができそう、只、発芽が数年後のものがありそうなので、この刈り取りの対策を数年間以上繰り返すこと、この様にすれば徐々に減少してゆくのではと考えています。

おまけのお話ですが、ヒシの実は、澱粉が40%、その他について玄米と比べると糖質、繊維がほぼ同じ、タンパク質は140%で脂質は20数%だけ、その他様々なビタミンが豊富(参照サイト; 「栄養健康サイト、菱の実」、と云うことは良質の健康食品、水中に網を張ってこれで実を集める等で栽培したらどうなんでしょうね。

それに「八重垣姫」って誰?、「本朝二十四考狐火の段」ッて何?、これについては、この単語でインターネットで検索していただければ解説しているサイトがいっぱいありますので参照をしていただければと思います。

関連話題;「戸笠池(名古屋市天白区)のヒシ」の話題
●ヒシが大繁殖;2009年9月2日
●ヒシ対策、水位をあげた;2010年4月22日
●オオフサモvsヒシ、ヒシが勝利した!?;2010年8月18日
●相変わらずヒシが繁茂;2011年7月12日
●菱粉抽出・・失敗;2011年10月2日

”家系図作りの為のデータ集め”
(data for my family tree)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

familytree120925s

先週の信州旅行の目的に一つの「家系図作りの為のデータ集め」について、先日の父親の家系の戸籍2012年9月10日を、父親の本籍地である下諏訪町役場(長野県)から郵送で依頼したのに引き続いて、今回は母親の家系の戸籍を現地の役所を訪問して集めてきました。

まず訪れたのが岡谷市役所、ここには、ヒロパパの母親の父親(ヒロパパのおじいちゃん)の本籍地(旧住所は諏訪郡長地)であることが予め分かっていたからなのです。
次に、この中に記載されている母親の母親(ヒロパパのおばあちゃん)の住所が現在の諏訪市(旧住所は諏訪郡湖南村)であることを確認して、今度は諏訪市役所へ、車で30分程度ですので良かったのですが、もっと遠い所でしたら又郵送依頼をお願いしたのかもしれません。

一応これで、行政が保管してくれている母親系統の祖父母、曾祖父母、高祖父母とその父親まで、それに父親系統は先日までに終っていますので、家系に関するデータ収集は完了です。

さて、戸籍簿に記載されている内容では、今までは不明だった「生年月日」、「没年月日」、「続柄」、「婚姻日」等が記載されていて、これを参照して正確な家系図を作ることが出来そうです。

これらから得られる情報はそのまま家系図に反映できますが、これらに記載されていない情報、例えば「職歴」、「学歴」、「顔写真(家族の集合写真でもあればベスト2012年8月18日、それ以前は肖像画?」、その他の特記情報も個人毎にメモしておきたい、この為に個人のこれらの情報を記載できるようにフォーマット化したものにしておくこと、それに遡れば遡る程多くなることを考慮して、関連先を示しならが、家系図としてまとめる単位を三世代程度としておくこと、これらを考えながら、何時頃完成するかは分かりませんが、家系図作りを始めることにします。

もうひとつ、まだ解明できていないものがあります。
おじいちゃんの戸籍(掲載した画像内・上)には、養父母、養祖父の記載が見られます、ということは、ヒロパパから見た場合の曾祖父(浦三郎)と高祖父母(勘一郎・とみ)の間は戸籍上の親子関係はあったにしても、血縁関係があったのかどうか?、現在はまだ未解明です。

追記(2012年9月26日);
忘れていませんか?と問い正されそうな事ですが、慶三おじいちゃんの母親と祖母(どちらも「とみ」おばあちゃんです)、それに、「すみえ」おばあちゃんの母親(「ひさ」おばあちゃん)と祖母(「るい」おばあちゃん)について、住所と戸主(お父さん)のデータは記載されていいますので、これに基づいて請求し、あれば遡ることが出来そうです。
●そこで、まずはお二人の「とみ」おばあちゃん(どちらも諏訪郡平野村、現在の岡谷市)について岡谷市役所に問い合わせてみましたが、既に廃棄されていて無いとの、従ってこれ以上は不可能でした。
●次に、「ひさ」おばあちゃん(諏訪郡湖南村、現在の諏訪市)と「るい」おばあちゃん(諏訪郡宮川村、現在の茅野市)については、その有無をこれから夫々の市役所に問い合わせてみます。もしかすると、前述と同様これも廃棄されているということになるかもしれませんが・・・。

それに「慶三」おじいちゃんの父(「浦三郎」おじいちゃん)と戸籍上の父母(「勘一郎」おじいちゃんと「とみ」おばあちゃん)については血縁関係はないみたい、従ってここのラインは点線としておこうと考えています。それでは「浦三郎」おじいちゃんの実父母は誰?、これについては記録が無いということで遡ることは不可能との結論となりました。

”今日はまとめて霧ヶ峰
夕暮れの風景と初秋の花”
(landscape and flowers at Kigigamine-Kowashimizu)

アルバムへのリンク;「風景・自然」「植物・花ー秋」

kirigaminekowasimizu120916s

先週の信州旅行をいまだに写真を見ながら楽しんでいます。今日は、霧ヶ峰・強清水(こわしみず)のグライダー滑走路に沿った風景とそこで見掛けた花です。

雲を通した筋状の光芒、それにまだホケホケが始まっていない薄、この頃の浮世の様々な不安事を一時でも忘れさせてくれる風景で癒されます。

それに散策路で見掛けた花達、最盛期ではない為多くはありませんが、名前が皆目分からないものもあり、それでも お聞きしたり本(「ビーナスライン周辺の花」2009年7月21日2011年2月7日の話題)を参照したりで名前を拾ってみました。記載したものは多分当たっていると思っています。

一番下の写真の、散策路に沿ってこの囲いと”危険”の看板、これ何か分かりますか?。
危険はここを散策する人への注意看板で、触れては見ませんでしたが電流が流れているそうです。この看板は人が草原に入るのを防ぐため?、確かに別の看板で「草原に入らないで!」もありましたが、それよりも、この地域では、この頃日本鹿の生息数が増え、自然破壊が進んでいる、以前ニッコウキスゲに対する対策を話題にしたことが有りましたが2009年7月20日の話題、これの対策なのだそうです。
それでは、何故こんなに増えてしまったの?について、日本鹿の天敵であった狼が絶滅した事、それに人が毛皮や肉を利用することが少なくなった、もうひとつ森林の伐採等により草原が増え鹿にとって生息し易い環境になった、とのことです(下記参照サイト)。

植生を豊かにすること、それにバランスを取ること、これに対して個々の例で人がどの様にかかわってゆけば良いか、鹿食免(かじきめん)2011年11月5日の話題の発行数を増やせば良いや!とは極端で、解決するのは永遠の課題なのでしょうね。

参照サイト;
●長野県公式HP; 「生態系に脅威をもたらすニホンジカの急増」

”プール平の今昔、昔より静かになりました”
(past and present of Pool-Daira at Takeshina-high land)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

pooldaira120916s

先週の信州訪問の目的の一つの”道しるべ”2012年9月1日の話題の設置を済ませてきました。
なかなか映えていると思っていますが(下・左の写真)、自画自賛だけ?。
この細道の案内看板は2枚だけですが、清流で行きどまりの間に、ログハウスを含めた常時お住い方の建物が3軒、シーズン中利用の山小屋が3軒あります。今までの道しるべは10年程耐えた、それでは新しいのもはどれ程もつのかな?、あまり短くても困りますが自然に帰る素材であればそうは長くもたなくても構わない、この様な考え方をしています。

大きい写真は現在のプール平、アレ!、二つあったお店の一つ「一休さん」が閉店してしまいした。
以前のプール平は、2005年8月2日の話題をご覧いただければと思いますが、その後 楽焼き屋さんも無くなり2006年8月22日の話題、タクシー会社の詰め所も無くなり、、地名の由来であるプールも勿論無い、只一つ増えたものが小津安二郎の記念館;「無藝荘」であとは静かになるばかりです。

下・右のセピア色の写真は、55年前のここのバスストップ、茅野とここを結ぶ拠点だったもので、その頃は現在白樺湖や霧ヶ峰に通じるビーナスラインも無く、大きな温泉旅館が3軒あり、大きなレストランもありと賑やかな環境でしたが、現在は落ち着いた静かな高原の環境を取り戻しつつある、ヒロパパにとってはこの方が・・・ここで生計を立てておられる皆様には申し訳ないし自分勝手ダ!と叱られそうですね~。

”今日は秋分の日、でもまだ暑い~!”
(shichi-jyu-ni-kou;a traditional calender of conversing with nature)

アルバムへのリンク;「戯言」

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あまりの季節感の違いに、「夏至」から話題にし始めた「二十四節季」と「七十二候」について、今日は「秋分」と「甘露」と「霜降」です。
この数日は、朝晩は少し過ごし易くなった感じがしますが、日中の体感温度は25℃~30℃、ヒロパパとしては約1カ月前の8月下旬の感覚です。今年だけの特異な現象なのか?、でもこの数年同じ状態が続いていることを考えると、この様な状態が起る頻度が多くなっている?、やはり人類の生存活動が原因の地球温暖化に因るもので、降り注ぐ太陽エネルギー量の変化は少ないにしても、放出するエネルギー量が減少して収支バランスが崩れつつある?とすると、未来の地球が心配です2012年9月14日の話題

さてさて、七十二候の夫々を眺めてみると難しい文字がいっぱい、
●その中でまずは「鴻雁」、「鴻」は「こう、おおとり」で大型の水鳥で「白鳥」や「ひしくい」の事、「雁」は「がん」で、「鴻雁」で冬、越冬する為に日本を訪れる水鳥全般をあらわしている、
●次に「蟋蟀」とは、音読みでは「しつしゅつ」、以前話題にした「熟字訓」2012年9月6日の話題の一つで「こおろぎ」、この文字は中国語でも同じでピンインは「xishuai」、日本語の「こおろぎ」の語源は未調査ですが、文字は中国語をそのまま利用しています。
●もうひとつ、「霎」は、訓読みは無く音読みで「しょう」又は「そう」、意味は「通り雨」、「にわか雨」、「雨の音をあらわす文字」、「しばし」とか「瞬時」の意味を持つ文字で、意味も文字も中国語そのままを利用したものでピンインは「sha」、それでは「時雨(しぐれ)」とどう違うのか?、基本的には同じ意味、只、中国で使われている七十二候(「宣明暦」)にはこの熟語は使われていないので日本で作られたもの、何故「時雨」ではなく「霎」という文字をつかったのでしょうね?・・・江戸時代は「時雨」より「霎」の方が良くつかわれていたのかな?、現在使われている七十二候(略本暦)の基本を作った江戸時代の渋川春海さん達に聞いてみたい気がします。

いつものことながら、言葉の世界は難しい、横道にそれますが、特に政治家の発言は、よく注意して、しかも裏を考えて理解することが必要そう・・・原発の安全宣言ッて何?、原発ゼロ発言も宙に浮いている、オスプレーの安全宣言って何?、分からない事ばかり、悲しいですね。

関連話題;
●立秋、処暑、白露;2012年8月9日
●夏至、少暑、大暑;2012年7月8日

”「白樺」と「砂糖楓」”
(white birch and sugar maple)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

shirakanbaandsatoukaede120917s

掲載した写真は、八ヶ岳中央高原にある「八ヶ岳自然文化園」の駐車場で見掛けた「白樺(シラカンバ)」林と、カナディアン・ファームで見掛けた「砂糖楓(サトウカエデ)」(滑り台の後ろの木)です。
白樺はこの付近では珍しく無いのかもしれませんが、ヒロパパにとっては懐かしい樹木、「砂糖楓」はあまり目にすることはありませんが、ここのご主人さんが植えたものと思われます。

どちらも樹液が美味しいのはご存じのこととおもいます。
「サトウカエデ」の樹液はホットケーキやワッフルにかけて食べるあの「メープルシロップ」で、春先に太い幹に小さい穴を開け、2-2.5%含まれている糖分を含む樹液を採集して煮詰めたもの(製法や成分は下記を参照していただければと思います)、これに対して白樺の樹液も同様で春先に採取し、こちらの方は、キシリトールの原料とする事と、マザーツリ―ジュースとも呼ばれている生の樹液をそのまま飲用とし、ほのかな甘味(果糖、葡萄糖)を楽しむことができるそうです(下記参照サイト)。

それでは白樺の南限は?、日本では福井県・静岡県を南限とする亜高山帯で特に長野県や北海道に多いそうです。参考までに良く似た「ダケカンバ」は近畿地方や四国の亜高山帯でも見ることができます。
それではサトウカエデは?、メープルシロップの主産地はカナダ・ケベック州で緯度では46~48Nで北海道を超えて樺太辺り、南限は米国イリノイ州で37~42Nで日本でいうと福島辺り、もしかすると、そのうち北海道辺りで日本産メープルシロップが生産されるのかも、でもこんなことで外来種が増えてくるのでしょうね。

それに、砂糖楓が少し色づいているのが分かりますが、どちらも秋の黄葉が綺麗です。今年は少しは自由な時間が取れそう、紅葉の季節に気ままな旅行を楽しもうかな。

参照サイト;
「ラ・フェルメ・マルティネット社のメープルシロップ」
「シラカバ樹液」

”八ヶ岳”
(Yatsugatake)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

yatugatake120917

掲載した写真は八ヶ岳、上は霧ヶ峰(標高;約1,600m)から眺めたもの、下3枚は富士見高原(標高;約1,000m)から見上げたもの、富士見高原は上の写真の八ヶ岳の南麓裾野の中ほどです。両日は、九州地方は台風16号が吹き荒れている最中、ここは風は強いものの良いお天気で下界よりは少し涼しい、ドライブを楽しんできました。

いつも同じところしか行っていないのかッて云われそうですが2009年10月19日の話題、いつ行っても季節ごとにそれなりに美しい景色で楽しい、心がなごみます。
まず霧ヶ峰からの画像では、南麓の裾野から富士山が見える事もあります。
それに富士見高原は稲穂が金色に染まり、多分この2・3週で刈取りが始まることと思われます。それに今の時期は、ここにある八ヶ岳農場ではかぼちゃや秋野菜が豊富で小形のお遊び用のかぼちゃを2005年10月30日の話題、それにいつもペアーで訪れているカナディアンファームではこれも恒例の石窯料理を食べ、生酵母のハセパンを買ってきてしまいました。
また行ってしまいそう・・・。尚、少し大きめの画像をアップロードしてありますので拡大してご覧ください。

”高島城のライトアップと味噌蔵”
(light up of Takasima-castle )

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

osuwamatsuri120915

タイトルの「高島城のライトアップ」、それでは高島城ッて何処にあるの?・・・高島城は諏訪市(長野県)にある、お城です。
歴史はインターネットで詳細を知ることが出来ますが、信濃諏訪藩の初代藩主;日根野高吉が1592年(文禄元年)から7年間を掛けて諏訪湖湖畔の高島村の湖畔に突き出した位置に建てたお城で、昔は「諏訪の浮城」とも呼ばれていた、只、現在は干拓されその面影はありませんが、松江城(島根県松江市)と膳所城(滋賀県大津市)とともに三大湖城の一つと呼ばれているお城です。それに現在のものは、1875年(明治8年)に建造物は破却・移設され、石垣と堀だけとなり、本丸跡地が高島公園に、その後1970年(昭和45年)に本丸に天守・櫓・門・塀が復元され現在に至る・・・いかにも詳細を知っているかのように記載しましたが、慌てて調べた結果です。

それでは何故急にお城の話題に!、日本の名城巡りを始めたのか?、ソウではありません、実は15日から昨日まで、●家系図作りの為2012年9月10日の話題の戸籍を、父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母の本籍地である現在の岡谷市役所、下諏訪町役場、諏訪市役所を周りその記録を仕入れること、●区分けした母親の遺品2012年6月14日の話題で我が家の歴史文化遺産以外で使えそうなものを親族の皆さんにお渡しすること、●もうひとつ、山小屋の道しるべ2012年9月1日の話題を設置することを表向きの理由にして、蓼科、霧ヶ峰を遊びまわること、この様な目的で行ってきました。

丁度到着した15日と翌日16日が「お諏訪祭り」と称して高島城でのお祭りが開催されていて、夕方、ホテルにチェックインしてから市内を散策しながら行ってきた次第です。
散策途中でのお話・・・ここ諏訪は昔から伝わる日本酒、お味噌等の醸造産業が盛んなところで、街中に歴史的な建物が多く見られます。写真はそのうちの一つ、高島城三の丸跡地(現在は住宅地)にある味噌・醤油の老舗;丸高味噌の味噌蔵、それに入口にあった足湯、なかなか風情があります。掲載した建物は大正7年に移設されたものとのこと、夕方だった為もう店じまいで中を拝見することはできませんでしたが。

それにしても街中は静かです。連休の初日でしかもお祭りの拠点の高島城にごく近い、従ってぞろぞろの人出を予想したのですが、時々行き交うにしても人も車も少ない、お祭りの現場でも以前の名古屋での夏祭り2012年7月29日の話題に比べると人出も屋台も少ない、このお祭りが観光客目当てでは無いとは思いますし、賑やかで華やかを期待するわけでもありませんが、やはり住民の人口が少ない事があるのでしょうね。

JRの駅で例えれば、諏訪湖周辺の岡谷を中心として蚕糸業2011年10月25日の話題で、下諏訪・上諏訪・茅野は諏訪大社のお祭りである奇祭の「御柱祭」2004年5月11日2004年5月18日の話題))もあり、八ヶ岳、霧ヶ峰等のスタート地点でもある、歴史的にも自然についても豊かな地方、ヒロパパもちいさい頃過ごしたところなので、宣伝させて頂きました。

”鬼胡桃、15(枚/枝)発見”
(twigs with 7-pire leaves )

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onigurumi120913

観察を続けているオニグルミの生長記録2012年7月13日の話題、観察とは大げさ・・時たま葉っぱの数を見ているだけなのですが、いつのにか葉っぱの数が17枚(7ペアー+1)のものがでてきました。
実は観察対象から外していた生長が遅れて樹高は低いもの、よくよく見て発見、正確には、枝の数は5ペアー目(同じ枚数の枝が3本づつの意味)の枝3本の葉っぱの数で、枚数が15枚(7ペアー+1)で、15枚の枝は初めてで、観察対象の苗はまだ13枚(6ペアー+1)です。

さて今後の予想は?、この様子から、観察対象のものは今年は多分ここまでで、今回のものも含めて、来年新しい枝が生長した時に果してその枝の葉っぱの枚数が何枚からスタートするのか、これに今回の15枚の枝が何故生長したのか、この様な事に注意をしてゆきたいと考えています。

何故、こんなことに興味を持つの?・・・そうですよね、分かったからと云って何も役立つわけでもない・・・でも、興味の対象は、天文、物理、生物、気象等々何に対しても同じですが、その特徴と周期性を解明すること、人の歴史はこれの繰り返しだったのではと思っています・・・これも大げさですね~。

余分なお話ですが、何故葉っぱは緑なの(緑が多い)?、勿論葉緑素が緑色だからは答の一つなのですが、もう少し深く考えると、緑に見えることは緑色を反射しているからで、植物は緑色ではなくこれ以外の光を利用しているから、それでは何故緑色を使わなくなったのか?、不思議ですね~。
もっと深く考えてゆくと、太陽から届く光の各波長のエネルギー分布はどうなっているのかな?、それを植物はどの程度利用できているのかな、一説には0.002%のみとも言われています。
それに地球が受けている太陽からのエネルギーの総量はどれ程、それの収支のバランスはどうなの?、バランスがとれていれば安心ですが、ため込む方が多ければ温度が上がる?、放出する量の方が多い場合は冷え込む?、これも推定ですが、丁度地球の太陽からの位置がこの微妙なバランスがとれていた状態で現在の地球が存在している、この様なことと考えると、自然を大切にしてゆきたいですね。

”内南洋ッて何処
親父の手紙、昨日の続きで今度は絵葉書”
(letters from my father to my mother)

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ehagakiuchinanyous

昨日に続き、親父の手紙の話題、発見された手紙類の中に絵葉書的なものが混じっていました。
書かれていた文章は、毎日スコールがある事、スコールは絵の様に局地的なものである事と等で、多分元気な様子を伝えたかった内容と思われます。

消印の日付は昭和11年7月28日、投函された郵便局はパラオ郵便局、宛名の住所はお袋の実家宛、ということは鎌倉・材木座の新居に入る前なのか、それとも長男出産で戻っていたのか、これらは手紙の日付と宛先住所を整理してゆけば解明できそうです、が、これが分かったからといって大発見ではありませんが。

さて「内(うち)南洋」って何処?は、説明書きでは、「マリアナ諸島」と「マーシャル諸島」と「カロリン諸島」との記載がありました。
当時日本では、この地域を「内南洋」とか「南洋諸島」と呼んでいた、ここ以外の南太平洋に広がる島々は、例えばソロモン、クリスマス、サモア、トンガ、フィジー等々殆どが英国統治、僅かにニューカレドニアはドイツ、ビスマルクがオーストラリアで、当時の日本は、樺太や千島列島、朝鮮半島、台湾を手中に収め、満州に傀儡政権を樹立し、南方にもと、パラオ(地図上ではパラウと記載されています)を含め覇権を広げようとしていたものと想像しています。
当時の日本国内では、殆どの国民が、これを「是」としていたのでは、それにしても他人の家に、なんやかんなの理由を付けたにしても踏み込んで傍若無人な振る舞いをしたのでは、現在、外国の皆さまの親日とか反日とかの感情は、このころの傍若無人の振る舞いの程度に因って差があるのでしょうね、温故知新、これらの歴史を忘れないようにしたいものです。

”親父の手紙発見”
(letters from my father to my mother)

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lettersftoms

hatukaoawasefandm

いつもながらの母親の遺品整理で、また又足止め!、手紙がいっぱい詰まっている段ボール箱を発見してしまいました。
手紙は全て親父からお袋宛のもので、精査はしてありませんが、昭和10年(1935年)から昭和18年(1943年)頃のものと思われます。

掲載した画像(下)はその中の一つ、文章からすると、この時が(昭和10年8月12日)が「初顔合わせ」、でも、すでに一緒になることは決まっていて、他のページには、式を神前にするかどうかとか、披露宴を何処でとか、新居は何処にするかとかが書かれていました。
結婚式はこの年の9月19日でしたので、昔は親同士で相手を決め、写真や経歴は分かっていたにしても、初顔合わせから僅か1カ月だったのですね。
式は現在の下諏訪町で2011年8月31日、新居は鎌倉・材木座からスタートしています。

今回見つかったのは親父からお袋宛のものだけ、お袋から親父宛の手紙はまだ見つかっていません。
勿論、これらは親父が大切に保管していたはず、戦死した折、所属部隊から親父の遺品リストなるものが送られてきている事は確認済みで、このリストに記載されていればどこかにあるはず、記載が無いとしたら、もしかしたらこの時焼却廃棄処分されてしまったのか、これらを想定しながら整理を続けることにします。
追記(2012年8月14日);遺品リストを確認しましたが、リスト内に記載はありませんでした。当時の軍属に対する郵送物は特に「軍事郵便」として管理されていて、もしかしたら焼却処分された可能性も考えられます。

さてさて、親父・お袋は空の上から、「オイ・オイ、こんな個人情報をネットで流すなんてとんでもない」という事を云っているかもしれませんが、現在のところまだヒロパパの耳には聞こえてきていない、これをよいことに話題にしてしまいました。
そこではと褒め言葉、ヒロパパに比べ親父は達筆ですね~!、それに文章中の「千軍万馬」って?等々、見習わなくっちゃ・・・。

参考までに、封筒での郵送料金は当時は8銭だったのですね、現在は80円で1,000倍、物価の変化と比較してみると面白そうです。
もうひとつ、文章中の「水交社」とは、明治時代からあった海軍士官が利用できた旅館・喫茶の施設で、現在も継承した団体で「水交会」というのがあるみたいです。

”なかなか可愛い、オオチャバネセセリ”
(a skipper butterfly)

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我が庭は、雀や蝶のたまり場?です。
雀は当家の佐代子ちゃん(オカメインコ)のお食事のおこぼれを食べる為、蝶は多分アップルミントの花目当てと思われます。
蝶は、いつもはシジミ蝶やアゲハですが、珍しくセセリチョウが訪ねてきてくれました。ということで記念撮影、他の蝶と違い、逃げずに静かに止まってくれていて接写、掲載した写真がそれです。
髭面ですがなかなか可愛い、そこでいつもの通り「あなたは誰?」とお聞きしてみました。彼(彼女?)からの返事はなく、多分自分で調べなさいとの事と理解して調べてみました。

インターネットで「セセリチョウ、図鑑」で検索し、翅の白い斑点の模様から「オオチャバネセセリ」としました、多分当たっていると思います。
食草は竹の仲間やススキで、それに市街地ではあまり見かけないとのこと、一応珍客として丁重にお迎えした次第です。

それにしてもセセリ蝶全体に言えることですが、すばしっこい割には近づいてもカメラを近づけても逃げることが少ない気がします、何故なんでしょうね?。
ヒロパパの魅力に興味津津?、それとも止まったところに御ごちそうがあったのか、それとも疲れていて丁度心地よい気温だったから(30℃前後)お昼寝したんだ、瞼がないので良く分かりませんが、これも御答えを頂くことができませんでした。

話題を変えて・・・今日は「9.11」、11年前(2001年)の今日、テレビの中継でニューヨークの世界貿易センタービルのノースタワーに旅客機が衝突した中継をみていました。
その時の中継では、”操縦ミスで衝突したのかそれとも意図的に??”との解説をしていましたが、そのうちもう一機がサウスタワーに突っ込んだ、まるでアクション映画の一シーンを見ている様な衝撃的なシーンで、今でも鮮明に目に焼き付いています。
何故この様な事が起きるのか、起こすのか、善悪の判断が個人により違う事が原因?、でも同じ人間同士が直接的でも間接的でも傷つけあう事は「絶対悪」で「絶対避けるべき事」、これを理解できれば争いはなくなるはずですよね。

参考までに、セセリチョウを漢字では「挵蝶」と書きます。「挵」は音読みで「ろう」、訓読みでは「せせる、もてあそぶ」、何故この文字を使うの?、「せせる」は「尖ったもので繰り返しつつく」とか「もてあそぶ」、「虫等が刺す」の意味で、セセリチョウの動作からみたい、それにしてもこの漢字は難しい、では、中国語でセセリチョウはと調べてみましたら、「弄蝶(nongdie)」、な~んだ中国語の文字をセセリチョウと読んだだけ、それに英語名の「skipper butterfly」も面白いですね。

追記(2014年9月20日);このセセリチョウを「オオチャバネセセリ」と記載しましたが、これは間違いで、多分「イチモンジセセリ」と思われます、陳謝です。

”ヒロパパの先祖、どこまで遡れるのか?”
(a family register for my family tree)

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familytreeoffather

先日話題にした家系図作りについて2012年8月18日の話題、戸籍上ではどれ程遡れるかを実践中です。

掲載した画像は、ヒロパパの父系の戸籍(除籍簿)の一つで、ヒロパパの父親の父・母(名前は「今朝太」と「るい」、ヒロパパから見た場合、おじいちゃんとおばあちゃん)と、その父・母(名前は「智蔵」と「きく」、同様にヒロパパから見た場合、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん)、それにその母親(名前は「さん」ひいひいおばあちゃん)と父親(名前は「蔵之丞」ひいひいおじいちゃん)が記載されています。
さて、「さん」ひいひいおばあちゃんの生年月日は・・・・、すごい!文化10年1月2日で、文化年間ッてと年表を調べてみましたら、西暦では1813年、丁度200年前で江戸時代後期、徳川家斉の時代、ロシア、イギリス等が来航し開国要求が高まってきた時代です。

それに、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの生年月日が、天保元年(1830年)と天保12年(1841年)で170年~180年前、大塩平八郎の乱(天保8年)とか水野忠邦の政治革新(天保12年)の時代です。

勿論、母方についても同数の先祖が存在する、父方は現在の長野県下諏訪町あたり、母方は隣村の現在の岡谷市、江戸時代のこの地域はどんな様子だったのでしょうね、タイムカプセルに乗って行ってみたい気がします。でも、その時代に到着し、我が祖先の皆さまにヒロパパがお会いした途端、「オイオイ!、お前が俺たちの子孫か、がっかりだよ」って云われソ~。

さて、戸籍から調べられるのは、明治初期に戸籍法が確立した後、その時に記録が残されているもので、多分遡れるのはこれが限度かもしれません。それに除籍簿についても80年程度で削除されるとも聞いていますので、これから将来に向けては、自分で調べ上げた情報を、我が家の歴史文化遺産として保管し、子孫に継承し続けることが必要そうです。

参考までに、これらの調べ方を今回の例で説明します。
①まず、父母の本籍地の役所に、「戸籍謄抄本等郵送請求書」に必要事項と家系図作りの為とメモし、本人確認に為に運転免許証のコピーと、必要な手数料(今回は除籍簿の為一件当たり750円の定額小為替)と返信用封筒を同封し、請求する。
②ほぼ数日で戸籍簿が届く(掲載したものはその一部)。
③届いた戸籍簿で直系の皆さまを確認して、その皆さまの戸籍の住所を管轄する役所それぞれに、①と同様な請求を繰り返す。
多分これで調べることができると思われます、もし興味がある皆さまは真似をしてみてください。

余分のお話かもしれませんが、昔の女性の名前はひらがなが多い、しかも江戸時代は特に変体仮名が使われている、下記参照サイトを参考にしならが読み解く必要がありそうです。

参照サイト;
「江戸時代の変体仮名」

”朝の顔、昼の顔、夕方の顔、それに夜の顔”
(Asagao, Hirugao, Yuugao, Yorugao)

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hirugaogroup120909

面白い!、朝の顔、昼の顔、夕方の顔があれば当然夜の顔もある、もしかすると表の顔もあれば裏の顔もある、ヒロパパを例にとると、真面目な顔をしているのは外に出かけた時の表の顔だけで、これ以外、一人で居る時はどれも裏の顔、まだ寝足りないぼけ顔が朝の顔、この頃ですと暑い暑いとうんざり顔が昼の顔、夕方、あてどもなく徘徊している最中できょろきょろ顔が夕方の顔、それに眠ケ眼の夜の顔、どれを取ってみてもしまりの無い情けない顔ばかりですが・・・植物の皆さんはどれもきりっとして艶やかな顔をしています。

掲載した花は、散歩途中に見掛けたもので、「ヒルガオ(昼顔)」と「マルバルコウ(丸葉縷紅)」と「マメアサガオ(豆朝顔)」です・・・とみましたが当たっているのかどうか?。

「ヒルガオ」については、この写真を撮ったのはお昼過ぎ、すこし元気が無くなっていますが、この時間帯、「アサガオ」はしぼんでしまう、だからこれは「ヒルガオ」、ヒロパパの判断の仕方は単純です、・・・が、ただ葉っぱの切れ込み形が「ヒルガオ」と違う、ということでこれは「コヒルガオ(小昼顔)」としました。

「マルバルコウ」は北アメリカ原産で観賞用として移入され、畑等では害草とされているそうで、多分これは間違いがなさそうです。

「マメアサガオ」はこれも北アメリカ原産、多分これも当たっていると思いますがどうでしょうか。

そう云えば一昨日話題にした「ネナシカズラ」2012年9月7日の話題もヒルガオ科でしたね。

”「盗人萩」と「萩」”
(Nusubito-Hagi and Maruba-Hagi)

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hagi120908

掲載した花は、どちらもマメ科の植物、一つは「盗人萩」、ひとつは「萩」です。
どっちが何?は、片や草、もうひとつは低木ですので通常は直ぐ分かりますが、写真で、しかも花だけをみて、どっちがどっちと見分けられる方は相当植物に詳しい方と想像します、皆さんは如何ですか、ヒロパパには到底無理なのですが。

正解は、左が「盗人萩」で右が「萩(丸葉萩)」です。

「盗人萩」は皆さまもご経験済みと思いますが、草地に入り込むとヅボンや袖にいっぱいくっ付いてくる、一旦衣服に取り付いたら、サ―大変です・・・一つ一つ手でむしり取るとかカード状のもので削ぎ落す、完全に取り去るまでに1時間以上掛る、特にこの時期以降は、絶対に「盗人萩」が密生している所に絶対入らないぞ!って決めています。

以前にも話題にしましたが、「盗人萩」の鉤はすごい2005年10月10日の話題、これを避けるために、衣類の材質はどんなものが良いのかな?とか、そのままけ枯れたら外れるのかな?とか、対策を考えてみようと思っていましたがまだこれという解決策は無し、やはり避けて通ることを続ける事にしています。

もうひとつ、お気付きのことと思いますが、このHPの画像がこの頃小さいし、何か加工しているのでは?、その通りなのです。
理由は、契約しているサーバーの容量が残り少ない、文字そのものは1バイト/文字ですので一日当たり約500~1KBあれば足りますが、画像は掲載した画像での例では、オリジナル画像をそのままアップロードした場合は2枚で約350KB、これをすこし加工して約22KBに落としてアップロードし、開設してから10年目に入ったこのHPの寿命を出来る限り延ばす工夫をしています。
それでも、もう約90%近くに達し、再度何らかの対策が必要になってきています。

”ネナシカズラ、発見!”
(a dodder or a cuscuta gronovii)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

nenashikazura120907

久しぶりに戸笠池(名古屋市天白区)を散策、その最中雑草の中に大きな黄色い網、アレアレ!こんなところにも「ネナシカズラ」が!、今まで見掛けたことがありませんので初めてです、どうしてここに?、不思議です。
場所はヘンスの内側で、種子を誰かが意図的にばら撒くことはできますが、これは考えにくい、風にのって運ばれてきたとするともっとあちらこちらで生長していそうですがそうでもない、あくまでの想像ですが原因として考えられる事は、手前に雑草を刈り取った跡がある、この際、他の「ネナシカズラ」を除草した場所で使った草刈り機をそのままここで使用し、種子がばら撒かれそれが生長した、この様な事かなと想像しています。

さてこの「ネナシカズラ」の名前は?、「ネナシカズラの仲間」で良く見かけるのは「ネナシカズラ」、「マメダオシ」と「アメリカネナシカズラ」の三種程度と考え、これの違いはと調べてみました。
まず茎に斑点が見られるのは「ネナシカズラ」、しめしめ分かったゾ、これは「ネナシカズラ」で間違いはなさそう、それでは以前見掛けた「ネナシカズラ」は何?2007年7月4日の話題、茎に斑点が無いので、当時は「アメリカネナシカズラ」かなとは考えていましたが、「マメダオシ」の可能性もある、その違いは花の雄しべの長さ違い?、ということは花が咲かないと分からない?、でもこの両者には出会う機会が無い、ということで宿題が増えてしまいました。

インターネットによると在来種の「ネナシカズラ」と「マメダオシ」は除草剤等の影響で極端に減っているとの事、ということは見掛けたものは保護対象にすべきものかもしれません。

もうひとつ、食物連鎖のお話・・動物は動物や植物を食べる、これに対して、この「ネナシカズラ」は寄生して宿主を枯らしてしまう植物同士の間の食物連鎖だ!と考えると貴重な存在で、この様な例は他にもあるのかな~?。

もうひとつ余分なお話、昨日の「サルスベリ」の話題に関連して、もしここに「サルスベリ」があったら、この「ネナシカズラ」は「サルスベリ」の幹を這いあがることが出来たのでしょうか?、ツルツル滑って這いあがれなかった?、実験してみたいですね。

”サルスベリの花、じっくり眺めてみました
それに「百日紅」を何故「サルスベリ」と読むの?”
(a flower of crape myrtle)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」、「戯言」

surusuberi120906

今、街路樹のサルスベリの花が真っ盛り、そこで今日はサルスベリの花をじっくり眺めてみました。

小さな花がいっぱいくっ付いていてフサフサ??ではありませんでした。確かに花はいっぱいですが、フサフサしている部分は花弁でシワシワになっていて基部が糸状になっている、この細くなっていることでこれが一つの花みたいに見えてしまったということで、この花弁が6~8枚でした。
それに黄色い葯を付けた雄しべがいっぱい、それに6~8本の雌しべ?!まてよ!一つの花に雌しべがたくさんあるのも不思議???、よくよく調べてみましたら以下が正解でした。

真ん中の黄色い葯は雄しべに食用花粉を付けたもので昆虫達のお食事用、花弁とこの食用花粉で昆虫達にお誘いを掛けて、本物の雄しべが6~8本長く伸びている、それにこれより少し長い雌しべが一本、昆虫達は食用雄しべでお食事をしている最中に本物の雄しべから雌しべへ花粉を運ぶ、こんな仕組みとの事でした、なかなか凝った花と言えます。

さてサルスベリを漢字で書くと「百日紅」で中国でも同じ「百日红(bairihong)」か又は「紫薇(ziwei)」、「サルスベリ」と云う名前は猿が登ろうとして滑って苦労していたから?、でもお猿さんはやすやすと登っているのを確認した方も居られるみたいなので、これは木肌の印象からみたい、只、蔓植物に絡みつかれる事が少ないとのことはあるみたい、だったら「ツルスベリ」と云う名前の方が当たっているのでは、ヒロパパはこれから「サルスベリ」を「ツルスベリ」と呼ぶことにしようかな・・冗談です。

もうひとつ、「百日紅」を「ひゃくにちこう」と読まず、正確には「さるすべり」と読まなくてはならない、日本語は難しいですね~。
同じ様な例では、「昨日」を「きのう」、「今日」を「きょう」、「明日」を「あす」、「明後日」を「あさって」、「田舎」を「いなか」、「土産」を「みやげ」、「海老」を「えび」、「煙草」を「たばこ」、「大和」を「やまと」、「飛鳥」を「あすか」、「近江」を「おうみ」、その他、如月(きさらぎ)、弥生(やよい)、今朝(けさ)、七夕(たなばた)、大人(おとな)、従兄弟(いとこ)・・・・等々、数え上げられないくらい、 この様に文字一つ一つを決められた読み方をするのではなく熟語として一つの読み方をしたものを「熟字訓」といい、これも日本語の難しさの一つなのでしょう。
それでは、同じ文字を使っている中国語はどうなんでしょうね?、「明日」を「あす」と読んでも「みょうにち」と読んでも意味は分かる、それでは中国語で明日は「明天(mingtian)」ですが、これ以外の読み方はあるのかな?、ありそうな気もするしもしかしたら昔は存在したとしても今は使われていないのかも、今度機会があったら調べてみます。

今日も「サルスベリ」の話題から「熟字訓」の話題に飛び火、まとまりがないね・・と笑われそうです。

”お年玉切手、ヒロパパ家の歴史文化遺産かな?”
(some postage stamps, one of the cultural heritage of my family)

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写真は、平成13年~平成6年(平成11年のものはありませんが)のお年玉切手、当家のおばあちゃんの遺品から発見されたものの一つで、これ以外もっと旧い切手や旧い紙幣がまとまって発見されました。まとまって発見できたと云うことは、きちんと整理されていたことで、ヒロパパに比べると当家のおばあちゃんはなかなかの整理整頓をきちんとしていた、それに比べヒロパパは・・・と反省しきり、ヒロパパも残された皆さんに苦労をかけない様に出来る限り身の回りを整理しておかないと・・。

さてこれをどの様に処理するのか、ヒロパパも旧い切手や旧い紙幣や貨幣、その他諸々を持っていますので、これを含めヒロパパ家の歴史文化遺産として後世に残すことにしようと考えることにしています。

それではヒロパパ家の歴史文化遺産って何?、明確な定義をしないままであれこれ迷っている事は確かです。
まずは、そのものがその時代の文化的背景を反映したものであること、例えばこのお年玉切手の背景は、年賀の挨拶を年賀状で出す習慣がこの時代生きていたこと(現在はパソコン、携帯電話のメールの利用もあり年賀状の発送数は減少傾向にあるみたい)、これがお年玉付き年賀葉書のお年玉の一つであったこと、それにカードを封筒にいれて送る各国に比べ、日本では、葉書そのものを連絡する手段として多く利用していること、多分100年後、200年後の子孫達はこの生活習慣が変わっていようと変わらないでそのままであろうとこの時代の文化を知ることができる、すこし大げさかもしれませんがこの様な考え方をしています。

現在、当家の歴史文化遺産として後世に伝え様と考えているものは、旧い写真帳類2012年5月30日の話題他、親父の軍服2009年8月18日の話題や勲章2008年11月3日2004年11月4日の話題)、記録類((2004年10月16日の話題、母親については着物類2012年6月14日の話題)、お箏2006年7月18日2006年8月25日の話題)、小物類2012年6月8日2012年6月27日2012年6月28日の話題)、それに誰が何時頃ということが分かる様に夫々に写真やメモを付けて、しかも家系図2012年8月18日の話題も参照できる様にしておけば確実に分かってもらえそう、この様な方針で出来る限り頑張ってみますね。

それではこれらのものは何年前のもの?、多くは大正末期から昭和初期以降のもの、その中でも確実に103年前(明治末期)のものと分かるものがありました。何かは2012年5月28日の話題を参照してくださいね。

さて後世に残すと決めた遺品について、それが歴史的な価値を持つのは何時頃になるのでしょうね。
前述の100年後とか200年後としても3世代から6世代後のお話で、誰が何処にそれらを保管・継承し続けるかの問題が残ります。そのうちにヒロパパ家の一室は博物館みたいになる?、それとも歴史文化遺産としての価値があがってくれば公的な博物館に寄付することもあり得るのではと想像しています。

”旧い地下鉄路線図”
(old route map of subway at Nagoya)

アルバムへのリンク;「戯言」

subwayatnagoya20120904s

当家のおばあちゃんの荷物整理をしていると旧いものがたくさん出てきて、一つ一つ目を通してしまう、こんなことをしているから荷物整理が進まないことことは分かってはいるのですが。
掲載したものは名古屋市営地下鉄の路線図、おばあちゃんのバッグから出てきたもので裏の記事から名古屋市の広報から切り取ったものみたいです。

ご覧ください、桜通線が今池から野並が開通と書いてある、調べてみましたら、開通したのが18年前の平成6年(1994年)3月30日、当家のおばあちゃんは85歳で元気な時代、地下鉄の乗る時参考にしていたのでしょうね。ヒロパパは海外からは帰国していたもののまだ名古屋での介護生活には入っていない時期でした。
現在の桜通線は、昨年3月27日2011年3月29日30日の話題)既に野並から徳重まで延長されています。

それに名城線は、当時は、大曾根から金山経由新瑞(あらたま)橋までで、その後、大曾根から名古屋大学まで延びて、最終的に名古屋大学から八事(やごと)経由新瑞橋まで繋がり環状線になったのが8年前の2004年10月6日2004年10月5日の話題、この頃はヒロパパは既に介護生活で名古屋に居た頃となります。
この名城線は、日本初の環状地下鉄で、最初に栄ー市役所間が1965年開通してから、全線開通が2004年であり39年の差があります。ということは駅の今昔で雰囲気に差がありそう、もしかしたら地下鉄ファンの間では話題になっているのかもしれませんね。

ヒロパパは高校時代までは名古屋で、その頃、通学は自転車か雨降りの日は市電、この市電が全面廃止になったのが1974年(昭和49年)3月末、今になってみればあの下が緑色、上が黄色に赤い線が真ん中に塗装されていた電車が懐かしい感じがします(関連話題;2003年12月28日2005年12月2日
この電車は今もレトロ電車館(ココをクリック)で見ることができます。

周りの変遷を自分の経歴と重ね合わせてみるのも面白いですね。

もうひとつ、交通網一つとってみても広がる一方、これエントロピー増大の法則そのものみたいですね。

”信州・松川の葡萄”
(many grapes from Matsukawa)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

budou120903

この時期は七十二候では”穀物が実り始める頃”の「禾乃登」の時期、暑さは続いていますがスーパーの売り場には美味しそうな果物が多く並べられています。買い物に行く毎に、「美味しそう、でも高いな~」と通り過ぎる場合が多い、それでは掲載した葡萄はどうしたの?、無理して買ったの?、ソウではありません頂き物なのです、ヤッパリなのですが。

実は、飯田にお住まいの先日お亡くなりになられたS叔母さん2012年8月14日号外の話題の御長男、従兄弟のNちゃんからの頂き物なのです。
Nちゃん、どうもありがとうございました、早速仏壇に供え、同時につまみ食い、美味しかったです。

産地は伊那谷の松川産、ここ松川2011年10月20日の話題はリンゴの産地としても有名、今までも美味しいものいっぱい送っていただいています2009年10月27日の話題2007年12月6日の話題

さて皆さまは葡萄の品種名をどれ程ご存知ですか?、緑がかったのは「ナイアガラ」、濃い紫色は「ピオーネ」、赤紫色のものが「スマイル」、ラベルが付いていたから分かったのですが。
それにどれも葡萄の味(当たり前ですが)、でも、それぞれで微妙に味が違う、この味の違いは何が原因でちがってくるのでしょうね。
果物で限ってみても、この葡萄、それに林檎にしてもさくらんぼ2012年6月16日の話題、メロン、マンゴー、柑橘類等々・・・同じ仲間うちでもそれぞれ個性的な美味しさがある、これが又楽しいんですよね。

伊那谷は、長野県の県歌「信濃の国」2008年10月26日の話題にもうたわれてる信州の四つの盆地(松本(筑摩平)、佐久平、善行寺平)の内の一つで、、木曽山脈と赤石山脈にはさまれた天竜川沿いに広がる河岸段丘の平たん部です。
只、このエリアは伊那谷断層帯等の断層も数多く存在し、やや東側には諏訪湖南から赤石山脈西側を通って、浜名湖や渥美半島、和歌山、四国中央、九州西部の八代までの中央構造線が走っている、地層がずれた場合は大きな被害が発生しそう、そんな時は昨日の話題の「危険を察知したら本能を駆使して逃げ回る」、これしかないのでしょうね。

”同報スピーカー”
(disaster measures)

アルバムへのリンク;「戯言」

kouhouapeaker120902

今朝早くに(8時頃)外から大きな声が聞こえる、何を云っているのだろうと窓を開け耳を澄ませたところ、8時半にテストとしてサイレンを鳴らしますという行政(ここは名古屋市)からの同報無線を利用した案内メッセージでした。確かに8時半にはサイレンが間を空けて4・5回鳴っていました。
スピーカーは何処に?が掲載したもの、一番近いものは毎年夏祭りに訪れている戸笠小学校2012年7月29日の話題の屋上(4階建)でした。

それにしても、サイレンが鳴ると思いだされるのは、戦時中の敵機来襲時の空襲警報、これは、間を空けずに何回も何回も繰り返し鳴っていた、サイレンが鳴ると、裸電球に風呂敷を被せサイレンが止むのを待つ、その間怖かった記憶はおぼろげに?覚えています、歳がばれてしまいますね~。

さて、この同報スピーカーからのメッセージは、窓を開け耳を澄まさないと何を云っているのか分からなかった、雨でも降っていたら又は部屋でテレビや音楽でも聴いていたら、メッセージもサイレンも気が付いたかどうか不安です。それに地震等で子局(スピーカーのある場所)が停電したらどうなるのかな、まさか原発の全電源消失は考えなくて良いなんて取り決め2011年4月9日の話題は無いとは思いますし、子局は小学校や区役所、消防署なのでバックアップ電源は備わっているのでしょうね。行政からは「サイレンやメッセージを聞いたら、テレビやラジオで詳細な情報を収集しなさい」というトリガーとして利用して欲しいとのことです。

これで思いだされるのは、東日本大震災での南三陸町の防災無線放送の担当者だった遠藤未希(みき)さん、最後の最後まで持ち場を離れず責任を果たして放送を続け、津波に飲み込まれ亡くなってしまわれた方、YouTubeでそのお声を今でも聴くことができますが、何かものすごく悲しくなります。
彼女の命をかけたこの放送で助かった方が大勢おられる、ただ・ただ感謝ですね。

多分、今後は海水温の上昇に伴っての気象変化が激しくなり、大量の雨が予想され洪水や、表層・深層の山崩れ、同時に南海プレートの地震予想の様な大地震が多発し、それに伴った津波等、自然災害が増えてきそう、その危険を知らせる手段としての防災スピーカーからのメッセージは基本となる、聞き取り難いことをカバーするうえでは有線・無線の放送電話を設置しそれに配信又は携帯電話への配信、その上でテレビやラジオからの情報、それに、少しで情報を仕入れたら最悪の事態を考えて行動することが自分や家族や身近な皆さまも含めて安全を確保することになるのでしょう。

昨日9月1日は、関東大震災(大正12年9月1日発生)に因んだ防災の日、それに今週は防災週間、防災やその他関係する番組の特集が組まれています、これらより学ぶべきなのでしょう。

そういえば先月31日フィリピンでM7.9の地震がありました。特に日本列島は北アメリカプレート、太平洋プレートとフィリッピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む境界に位置していて地質学的にも不安定な状態で、地震発生やそれに伴う津波や山崩れが起り易いことは確か、備えを万全にと危険を察知して本能的に逃げる事がポイントなのでしょう。

”「道しるべ」作り”
(a handmade guidepost for a cottage )

アルバムへのリンク;「戯言」

sansoukanban120901

今日一日の大?仕事、看板作りでした。
まず文字の型紙作りで、文字を抜き取ったものを用意し、次に板(今回は杉材)をバーナーで焦がし、その上にニスを塗布、今度は型紙を板に張り付け白スプレー塗料を吹きかけ出来あがりです。

何を作ったのか?、御覧の様な「こっちだよ!という道しるべ」で、昨日の話題の山小屋に入る道路際に立てるものです2012年8月31日の話題

実は数年前から、多分10年程前作った道しるべがもうボロボロだった、早く新しいものをと気にはしていたのですが、この2・3年は手を付けることが出来ず、やっと作った次第です。

なかなか趣きのあるものと思いませんか、まず焦がした木目が最高、それに文字そのものにも光彩が施してある、すごいでしょう!と云いたいのですが、文字の光彩効果は最初から考えて意図的に附けたものではなく失敗した結果なのです。
失敗の原因は、文字の型紙を板にきちんと貼り付けたつもりが浮き上がっていて、その隙間から塗料が漏れてこの結果、塗料が乾いてから型紙を剥ぎ取ってアレー!なのです。
板を削って作り直す訳にもゆかず、意図的に光彩を施したと考えればイイや!、とこのまま使うことにします。

この道しるべを目印に曲がり、草むした無舗装の、車一台がぎりぎり通れる細い道を約20メータ程度進むと、梟君達が門番をしている山小屋に到着2010年8月28日の話題できます。
すでに支柱も準備済み、あとは現地にセットするだけ、多分高原の涼しさが待っていてくれていることと期待しています。