2012年10月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2012年10月31日

”御射鹿池”
(Misyaka-ike at Chino-city)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

misyagaikehakuba

御射鹿池(みしゃかいけ)は、湯みち街道(長野県茅野市)にある農業用ため池です。いつもこの地方を訪問した時は確実にここを訪ねています(下記)。

ここは、東山魁夷さんの「緑響く」のモデルとなった場所、期待していた白馬を見掛けることが出来ました・・・・、傍に居た方に、「今、白馬が対岸を通り過ぎて行ったよね」ってお聞きしてみましたら、その方はご覧になっていなかったみたい、もしかしたらヒロパパの幻覚だったのかな~。

内緒のお話;本当は、写真にヒロパパがパソコン上で白馬を描いたもので画題は「秋映ゆる」です。

御射鹿池の過去の話題;
2011年10月21日の話題
2009年10月18日の話題
2008年10月22日の話題

”八ヶ岳の雄姿”
(Yatsugatake at middle of Japan )

アルバムへのリンク;「風景・自然」

yatsugatake121022s

yatugatakeroapway121022s
(拡大してご覧ください)

今日は「八ヶ岳」の紹介です。
正確に表現すると、ここには、蓼科山、縞枯山、北横岳を含む”北八ヶ岳”と網笠山、権現、横岳等が連なる山塊の”南八ヶ岳”があり、この南八ヶ岳を一般的は八ヶ岳と呼んでいる場合が多いと思われます。
掲載した写真は、この南八ヶ岳の雄姿で、「北八ヶ岳ロープウェイ」のゴンドラ内から撮ったものです。
まてよ!?、このロープウェイの名前は以前は「横岳ロープウェイ(正確には、「日本ピラタス横岳ロープウェイ」→「ピラタス横岳ロープウェイ」→「ピラタス蓼科ロープウェイ」と変遷している)」と呼ばれていたはず、何故名前をこんなに変えるのかな?、多分”横岳”や”蓼科”よりも”八ヶ岳”の方がネームバリューがある、だからと想像していますが、経営者の方は苦労しているのですね~。

さて、八ヶ岳と呼ばれているのだから八つの峰があるはず・・・どれがどれ?、見たところ峰が8ッ以上有る様にも見えるし・・・調べてみました。
”山”とか”峰”とか”岳”とかの定義は難しいのですが、この付近の地図から南八ヶ岳といわれている範囲には、南から「編笠山(2524m)」、「西岳(2398m)」、「三ツ頭(2580m)」、「権現岳(2715m)」、「立場岳(2870m)」、「赤岳(2899m)」、「阿弥陀岳(2805m)」、「横岳 (2829m)」、「峰の松目 (2567m) 」、「硫黄岳 (2760m)」、「根石岳 (2603m)」、「天狗岳(2646m)」、「中山(2496m)」等々記載がある、地図をコピーして、撮影地点とこれらに直線をひいて、地図上に撮影した写真を拡大・縮小しながら方向を合わせて、確かな峰(最高峰の赤岳や編笠山)を中心に重ねみました。

結果、撮影地点から見えるもの見えないもの(薄い色は見えていない峰)がありますが、見えている範囲でこの峰はこれだろうと想像することができました。
それに八ヶ岳と云っているけれど八ッ以上の峰々がある、”八ッ”は”たくさん”と云う意味で名付けられたのでしょうね。

それに北八ヶ岳にある「縞枯山(2403m)」(左の真ん中の写真、北横岳の坪庭から撮影)は縞模様に木々が枯れている、これ何故なんでしょうね?、よく分かりません。

もうひとつロープウェイの麓駅の近くに、水族館;「蓼科アミューズメント水族館」があります。
”標高1750m、世界一高い天空水族館”を売り物にしているみたいですが、何故この様な所に水族館を作ったのかな?~、ここは以前(2010年)に閉鎖され 経営者が変わって今年7月再オープンしたばかり、入場者がどれほどなのか心配になってしまいます。

八ヶ岳の話題;
●「霧ヶ峰と富士見高原からの八ヶ岳」;2012年9月20日
●「八ヶ岳牧場からの八ヶ岳」;2005年10月27日
●「原村からの八ヶ岳」;2009年10月19日
●「霧ヶ峰からの八ヶ岳」;2004年8月18日

”「間欠泉」と「泳ぐバス」と「フライボード」”
(a geyser, an amphibious bus and Flyingboard )

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

kanketsusen121022s

suwakoduckture121022s

まだまだ続く観光案内、今日は諏訪湖で見掛けた面白いもの、それに帰途立ち寄った山中湖でみかけたものの紹介です。

上の写真は諏訪湖の上諏訪側湖畔にある間欠泉です。
この間欠泉は、温泉掘削中(昭和58年)に突然噴出したもので、当初は50mの高さまで自噴していた、ところが次第に自噴間隔が伸び高さも低くなり遂に自噴しなくなってしまった、そこで現在は圧縮空気を送り込んで、一日5回(夏季は6回)噴出させているとの説明がありました。
見ていましたら、まず湯気が立ち上ってそれがだんだん多くなり、遂に5m程度噴出、これを数回繰り返し1回分終りでした。
これの地下の構造はどうなっているのでしょうね?。基本は、気密を保った蒸気が溜る空洞が噴出口より上にあること、この空洞の容積と蒸気の温度が高い(高圧なる)こと、これで一回当たりの噴出時間と高さが決まり、高温の温泉の供給量によって噴出時間間隔が決まる、この構造がここの地下に自然に出来ている、貴重な存在です。

もうひとつ以前湖畔から見掛けた泳ぐバス2012年9月26日の話題を近くで見ることができました。
諏訪湖ダックツアーと云うんですね、ヨットハーバーでは「それでは飛び込みます、1・2・3・・ザブ~ン」と掛け声を掛けながらゆっくりと泳いでいました、楽しそうですね~。

おまけの話題、帰途回り道をして寄った山中湖でみかけたもの、アレ!湖面を歩いている人がいる、双眼鏡でよくよく見てみましたら両手・両足に水流ジェット噴射口を付けていました。これが「フライボード」というものなんですね、初めて見ました。飛び上がったり飛び込んだりと、これも技がいろいろあるのでしょう、これも楽しそうです。

”下諏訪宿の和田宿側の入口
「春宮」と「万治の石仏」”
(Harumiya and Mannji-no-sekibutsu)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

harumiya121021s

この数日は観光案内的な話題になっています。これは、岡谷市や下諏訪町がヒロパパの故郷であること、それに、ここの観光地としての知名度を上げたい気持ちが下心に有る、従ってということで話題を続けています。

昨日の「龍の口」は中山道の下諏訪宿への入口にありますが、同時にあの奇祭として有名な「御柱祭」の諏訪大社・下社の一つ「春宮」があります。
面白いことに、この地方の社にはどんな小さなものでも必ず四隅に「御柱」が建っていて、この「春宮」も同様、この「御柱」を建て変える行事が「御柱祭」で寅年と申年に行われる式年祭(決められた期間ごとに行われる祭祀)で、ヒロパパも2004年に参加した事があります2004年5月11日2004年5月18日の話題)。その時の印象は、「山出し」、「木落とし」、「里引き」等々”奇祭そのもの”、楽しかった事を記憶しています。
直前の「御柱祭」は2010年に行われましたが、只、この時には、この春宮の一之柱を建てる「建て御柱」の最中、死亡事故がありました。この時、ヒロパパは介護で手いっぱいで参加できず、次回の開催は4年後の2016年(申年)の春とのこと、期間中全ては無理にしても又行って見たいな、元気であれば・・・と思っています。

下2枚の写真は、春宮に沿って流れている砥川(とがわ)と浮島、それに「万治の石仏」です。
この砥川は、夏は水遊びのスポットでヒロパパもしかり、パンツを濡らすのを避ける為か何もつけずに水遊び、小さい頃だったのでお許しを・・・。

それに浮島の奥にある「万治の石仏」、導入路も整備され、以前話題にした可愛い子孫?の阿弥陀万里(あみだまり)ちゃん2012年6月20日の話題とか岡本太郎さんの碑があったりと、この頃特に宣伝に力を入れてるようです。
さて、万治の石仏の写真をご覧ください、皆さんが石仏の周りを回っています、これ何故?・・・これはこの石仏に参拝をする場合、
一、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」 と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
・・・とするのだそうです2009年10月22日の話題)。ヒロパパもこの通り参拝をしましたが・・・はたしてよろずおさまったのかな~。

参照サイト;
「御柱公式サイト」

”「龍の口」と「庚申塚」”
(Ryu-no-Kuchi and Kousin-Tuka)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

ryuunokuchi121021s

ここは中山道・下諏訪宿のはずれの諏訪大社春宮の直ぐわきにある「龍の口(江戸時代中期、旧横川村山田金右ヱ門作)」、この上にある慈雲寺の参拝者の為に、それに中山道を往来する旅人の喉をうるおしていた清水です。
ヒロパパも小さい頃、ここを通るたびに喉が渇いている訳でもないのにこの「龍の口」で遊んだ記憶があります。ここの風景はまったく昔と変わっていない、嬉しいですね~。

もうひとつ近くで見掛けた、皆さまも良く見かけることがあると思われる「庚申(こうしん)塚」、「庚申」ッて何?を今日の話題とします。難しい単語がいろいろ出てきますがお許しを・・・。

「庚申」とは、「十干」と「十二支」を組み合わせた60年周期で巡ってくる57番目の「干支(えと)」の一つで「かのえさる」とも読みます。
「甲子(きのえね)」とか「乙丑(きのとうし)」とか数ある「干支」の中で何故この「庚申」だけ?、以下大まかに云えば・・ですが・・・

●まず「干支」は、中国の春秋戦国時代(BC:770~BC:221)頃生まれた「陰陽(いんよう/おんみょう)五行思想」に基づいていて、現在の暦の「立春」とか「啓蟄」とかも同じ、
●次に、「十干」の「庚(かのえ)」は「金の兄」と云う意味で陽の金、「十二支」の「申(さる)」は、「陰気が支配している、これも陽の金」の意味、
●従って「庚申」の年・日は、金気が天地に満ちて人の心が冷酷になる、
●これの禁忌行事として「庚申講/庚申信仰」(三尸という身体に居る三つの虫がこの「庚申」の日に身体から抜け出し、その人の悪行を天帝に報告し寿命を縮める、只眠らなければ抜け出すことができないから皆で徹夜をするとか、その他相互扶助の講)を開いていた

現在この思想がどれほど盛んなのかはわかりませんが、各地に見られる「庚申塚」はこれらの名残なのでしょう。これ以外、道祖神とかお地蔵さんとか石碑とか、それぞれがその土地の歴史や文化・風習を読みとることが出来る、楽しいですね。

補足;
下諏訪宿は、中山道(一部地域では「木曽街道」と呼ばれている)の日本橋から京都三条大橋までの六十九次の29番目の宿で、難所であった和田宿と塩尻宿の中間に位置し、しかも甲州街道(日本橋から内藤新宿、上諏訪宿を経て39番目)の終点、それに塩尻宿からの伊那街道(三州街道/飯田街道、名古屋宿まで)に通じている、それに温泉も豊富、江戸時代以降大変にぎわっていたとのことです。

”ヒロパパの故郷、懐かしカ~!”
(my home-town)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

nakaya121020

teppeiseki

昨日の続き・・・昨日掲載した写真の左側が何処か?はまだ内緒にしたまま、右の列の写真は何処かを白状します。

上2枚は、諏訪湖で、特に2枚目は諏訪湖畔で夕日の落ちるのを足湯に浸かりながら眺めていた時のもの、3枚目は、愛称;「湯みち街道」の中腹にある「御射鹿(みしゃがいけ)池」2011年10月21日2009年10月18日2008年10月22日の話題)、4枚目は横岳中腹にある坪庭2006年10月9日の話題)への「北八ヶ岳ロープウェイ」です。

今回の一人旅の目的は、勿論、”紅葉を楽しもう”が主目的でしたが、もうひとつ時間の余裕があったら、現在まとめている家系図について、除籍簿では遡れなかった先祖の皆さまを墓誌から確認してみようと、父方と母方の御先祖のお墓に足を運んで調べる事でした。
車で10分程度離れている両方の御墓では、数ある墓標を一つ一つ回り、刻んである文字を読みとり、ヒロパパの伯父さんや叔母さんの比較的新しいものは確認、でも明治初期又は江戸時代のお墓は風化した為か読みとりが困難、拓本でもとればとも思いましたがそんな用意はしていないし、お墓の周りでゴソゴソも遠慮しないとと、結局現在のところ収穫なしの結果でした、残念!。

でも懐かしい・・・お墓だけが懐かしい訳ではありません、小さい頃遊びまわった故郷で、山裾には住宅が迫ってきているものの5・60年前と殆ど変わっていない、小さい頃「きもだめし」とかで往復した麓の社からお墓までのマッ暗い山道、住んでいた家まで土管で水を引いていた山裾の清水、裏の田圃、ドジョウや沢蟹を捕まえていた小川、生垣の今は真っ赤な実を付けているイチイやすずなりのナツメ、今も外観だけは残っているお蔵(掲載した写真の右に写っている、多分明治中期に建てられたもの)等々、記憶どおりの風景がまだいっぱい残っています。
いつまでもこのままで・・・と云うのは、自分勝手、自分中心、身勝って、無責任、自己中・・・かな~。

追記(2012年10月27日);
本文中、ヒロパパの故郷と云いましたが、ここは「生まれ故郷」ではありません。
それでは生まれたところは何処?、ヒロパパの戸籍簿には「東京府東京市京橋區」と記載されています。詳しく説明するとヒロパパの年齢が確実にばれてしまうことになりますが、あえて記述・・・
東京府とは現在の東京都とほぼ同じエリアで、東京市は現在の東京都23区に同じ、昭和18年(1943年)までの東京市は全部で35区あり、京橋區はその時期あった日本橋區と一緒に現在の中央区となった地域です。
生まれた場所は「築地」、とういことは”生粋の江戸っ子か!?、そんな印象は無いけれど”、そうなんです、太平洋戦争中で生まれて直ぐ父母の故郷である諏訪に疎開した、従ってヒロパパの記憶では築地での記憶は皆無、話題にしたここが生まれ故郷みたいなところ、こんな理由からなのです。

”1週間お休みをしてしまいました、何故?”
(Why the update of this HP was taked rest?)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

121025s

1週間アップデートをお休みをしてしまいました。
一体どうしたんだ!?・・・「おまえは既に片足を〇〇に突っ込んでいる状態だろう、両足を〇〇にで、もうアップデート出来なくなったのか」と喜んでいる?皆さまのお声が聞こえてきていますが、両足を〇〇に突っ込むのはもう少し先の事、Tさん家のSちゃん先生の診察を受けるまで頑張らなくては・・・と自分では考えています。

さて、お休みした理由は旅行、秋の紅葉を楽しむ為の一人旅で、いつもはパソコン持参で、その都度ホテルでインターネットに繋いでアップロードしているのですが、今回実は、カメラからパソコンに転送するケーブルを持参し忘れ、その為アップデートはお休み、忘れ物をするとは情けない・・・歳なのでしょうかね~。

掲載した写真がそれ、明日から話題にさせていただきますが、意図的に同じ様な風景を並べてみました。
左の列と右とはまったく場所が違います、さて果して何処に行っていたか?、一番下のロープウェイの写真で分かってしまうかもしれませんが、考えてみてください、お分かりになる方は相当旅行慣れされている方とお見受けいたします。

”街の中の小高い丘の公園、何故ここだけ高いの?”
(why only this park is high?)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

takinomizupark121018

掲載した写真は、名古屋市緑区にある滝の水公園で、上・左は地図の”1”(標高;74.5m、標高は国土地理院のサイト・下記より)から、右は”2”(標高;49.7m)から撮影したものです。周りは住宅地、只ここだけが飛び出た丘で、360度の見晴らしが楽しめます。
今日は雨天、もっと晴れた日に、しかも夕焼けの時は綺麗そう、その時に写真を撮れば良いのに!と云われそうですが、たまたま通りがかりに思いついて立ち寄ったもので、又綺麗な風景は機会がありましたら話題にします。

これを話題にしたのは、「何故この公園だけ高くなっているか?」なのです。
ここの歴史は、昔、ここには名古屋薬学専門学校(昭和6年~昭和26年、現在の名古屋市立大学薬学部)があった場所で、その後、ここ尾張地方に未曾有の災害をもたらした伊勢湾台風(台風15号・昭和34年(1959年)9月26日)の残骸を、その頃移転して空き地になっていたここに積み上げた、これを整備して公園とした、だからここだけ丘になっている、という理由です。
現在も、残骸から出るガス抜きのパイプが活躍中?、その歴史を物語るものの一つです。
正確ではありませんが、大凡40万~45万立方メートル、この容量に詰め込める量がどれほどかわわかりませんが、すごい量であることは確かです。
思い起こすのは東日本大震災の瓦礫処理、被災地では埋め立てを含め、この様な丘陵が今後増えてゆくのではと想像しています。

これらの残骸処理はまだ良い方で、問題は放射線で汚染された瓦礫の処理はどうするのでしょうね?。現在、最終処分場を自県内処理を原則に、そこの国有地(山林)にするみたい、でもこれ例え低レベルだからといって汚染されていない豊かな自然に汚染物を持ちこむことは汚染を広げることにもつながるし管理も広範囲にわたることになる、これ正しい判断なのでしょうか。
解決策として、事故を起し廃炉する福島第一原発の敷地内に集中保管すれば、一般人の立入も制限でき、管理がより簡単と思いますが、これ不可能なのでしょうか。

それに大間原発の工事を再開したとのニュースが流れています。この工事再開についても不思議がいっぱい・・・、
●2030年代原発ゼロを目指すとしながら何故今工事再開なの?、稼働開始の時期は当初は2014年(現在は未定)、稼働開始から40年は稼働させるとJ-Pawer(電源開発)は云っているが、現在の方針からは政府は2039年には稼働を止める事を指導することになる、これを信じたいのですが。只心配は、現在の政府や関係する皆さんはその頃はご老人で”次世代の皆さんのお話だから関係ないや”とは思わないで!、今決定した皆さんに責任があるのですよ!と云いたいですね。
●それにこの大間原発は、当初から直下に活断層があるみたいと云われていた、当時は活断層ではないと誰か?が判断して工事を始めた、今回も活断層が存在すると云われていて再調査をすることにしているみたいですが、これも自分勝手な理由付けで活断層ではないと判断するのでしょう、何か人を信用できなくなっている状況です。
●もうひとつ大間町(青森県)は原発工事再開に賛成を決めたそうです。理由は補助金目当て?、町の活性化の為と思われますが、大飯原発のときも問題になった「地元」という単語の持つ意味は何?、現状では「市」、「町」で「郡」や「県」やその他距離に因る「他県・市町村」は含まれていないみたい、今回の福島原発事故から、この「地元」という単語の意味を再考したらと思っていますが・・。

さらに・・・、現在、日立の原発をリトアニアに輸出する交渉が続いているとの事、リトアニアは電源エネルギーの80%をロシアに依存しているので、これから脱却したいとの意図だった、只、国民投票で65%弱が原発反対、35%強が賛成との結果だった、これらの報道がありました。

世界中に数え切れないほどの原発が現在稼働しています。例えチェルノブイリ、スリーマイル、福島第一原発の様な事故が起こらなくても、廃炉した後の管理に長期間必要な事と同時に、燃料の最終処分方法が未解決で例え地中深く埋めたにしても、世代を超え世紀を超えて管理してゆかなくてはならない現状を考えると、原発を世界から無くす方向に向かうべき、リトアニアの皆さんは正しい判断をしているのではと思っています。
そういえば以前ベトナムに輸出するお話もありましたよね。報道によると2014年着工、2021年稼働開始で進んでいるみたい、ベトナムは一党支配だからか?国民の大きな抗議デモはないみたいですが、日本国内では原発廃止の方向で動いていながら、輸出は容認するなんて日本国民として恥ずかしいお話ですよね。

参照サイト;
「標高がわかるWeb地図を試験公開」

”菱の澱粉を抽出中”
(abstraction of starch from water chestnut)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

hishistarch121017

「菱から澱粉取りたいな」との先日の話題2012年10月11日の話題の続き、考えているだけではダメと実行してみることにしました。

もう一度現地へ行って菱の実を採集し、何回も水洗いして、殻を取り去り、これをガーゼ袋に入れて潰し、繊維質や殻の切れ端を取り除き澱粉のみを漉す、これを水と一緒に器に入れ澱粉が沈殿するのを待つ、今日はここまでを実施です。
後は、沈殿したら上澄み液を捨て又漉して沈殿させ上澄み液を捨て、これを繰り返して最終的に乾燥させ粉末状にする、多分まだ1週間程度掛るとは思いますが・・。

一番苦労したのは殻を外す工程で、写真のものは殻が軟らかかったため綺麗に取り出すことが出来たものですが殻が硬くなっているものが殆ど、この為に、剪定ばさみを持ち出して半分に、それでも取れない場合はその半分に殻を切り取って中身を取り出す、爪が痛くなっています。

さて菱の澱粉とは?と顕微鏡で眺めてみました。
以前馬鈴薯澱粉と葛の澱粉の大きさを顕微鏡で見た事がありましたが2006年3月2日の話題、今回は倍率が200倍、以前も多分200倍とすると葛の澱粉とほぼ同じ大きさみたいです。
全工程が完了しましたら、まだ葛澱粉はどこかに保管してあったはず、これを含めてヨード液で色付けして澱粉の大きさ比較でもしてみようかな・・。

”山芋のむかごと実”
(propagule and nuts of Japanese yam)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

yamaimomukago121016

森の中を彷徨っていると面白いものに出会います、といっても面白いものに出会う為には、手入れをしていない自然のままの足の踏み場も無い程の雑木林という条件がベストですが。
掲載したものは「ヤマイモ(山の芋、自然薯)」で、特徴のある縦長のハート形の葉っぱ、それに「むかご(零余子)」と三枚羽状の果実で、それと分かる、しかもこの果実は、冬季になっても硬く枯れた状態で残っている2011年2月2日の話題、この蔓をたどってゆけば山芋(自然薯)に辿りつける、だからなのですが、もう一度、植物図鑑(日本の野草・山と渓谷社)を参照してみました。

そこには、●雌雄異株、●地中に多肉根、●葉のわきに珠芽(しゅが)を付ける、●蔓は右巻き、
等々との記載がありました、が、ここで又ヒロパパの観察力の無さや知識不足が露見してしまいました。

●まず雌雄異株とすると雄花や雌花が別の蔓に咲いているはず(花期は7~9月)、雄花と雌花ってどんな形なんだろう?、●この写真の果実は、雌花から出来たもの?、それとも雄花からも同じ様なものが出来るのかな?、●それでは種子は出来るのかな?、種子ができればそれが発芽するのかな?、●「むかご」からも新しい植物体が生長するみたい、それでは「むかご」ッて何?、この「むかご」は雄株に、それとも雌株に、それともどちらでもできる?、・・・等々分からないことだらけに改めて気が付きました。

インターネットから調べられることも有りましたが、又々昨日の白玉星草と同様、疑問が疑問を呼び解決しないことが貯まり貯まってゆく、困りました。

この山芋のむかごを割ってみましたら、粘々状態で美味しそうです、ヒロパパはまだ食したことがありませんが、これを料理して口に入れると疑問が一挙に解決する!・・・そんなことはないか!。

”シラタマホシクサ
雄花と雌花が混在しているのですね”
(ShiraTamaHoshiKusa)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

shiratamahoshikusa121015s

「シラタマホシクサ(白玉星草)」は、静岡、愛知、岐阜、三重の伊勢湾沿岸の鉄分の多い酸性土壌の湿地に見られる一年草で日本固有のもの、この時期僅か1センチ程の小さな花をトップに付けて群生しています。

さて、今まではこれを見掛けると「アッ!ここにも」と、何処で見掛けることが出来るかが分かるようになってきていますが、それではこの小さな花は一体どうなっているのかな?と、気になってしまいました。
よくよく調べてみましたら、この花は雄花と雌花が一つの花柄に混在しているとのこと、そこで花のマクロ撮影をしてみました。
予想として雄花は雄しべだけ、雌花は雌しべだけであると考え、マクロ写真を眺めていますが、明確な区別がまだついていない状態、情けない~。
インターネットを参照すると、雄花は黒い葯が有るとのことで、写真の頂上付近にあるのが雄花、その下にあるのが雌花であろうと考えておくことにしています。

それに花茎は円柱形ではなくネジバナみたいに三本の蔓状のものが捩じった状態になっています。これ何故なんでしょうね、もしかしたらこの方が強度を保てるからかな~、いつもながら疑問が疑問を呼び解決しないことが貯まり貯まってゆく、困りました。

もうひとつ昨日の交差点の交通信号のクイズの答えは、ここの信号の青信号は見ていた限り点灯することは有りませんでした。
矢印信号はその方向だけ進行可能と云う意味で、対向車は無いと判断し安心して進むことができる、とすると・・・進行不可の赤信号と信号を変えるので注意してねという黄色信号、それに矢印信号があれば交差点の信号の種類は事足りることになる、又々、とするとですが、将来交通信号の規格に変化が起こるのでは・・。

”今日はクイズ、
写真の交差点の信号でおかしなことは何?”
(a traffic lights)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

signal121013s

交差点を通るたびにそこの交通信号を興味をもって眺めてしまう、変わった趣味だなと云われそうですが、昨日大須を訪ねた折見掛けた信号、この信号は以前にも話題にした2004年6月10日の話題交差点真ん中に車用と歩行者用がまとまってぶら下がっているもの(赤門通りと裏門前通りの交差点)、これが最新のLED式の新しいものに変わっていました。
横断可とか不可とかは、車は車用の、歩行者は歩行者用を見てその方向だけは可能となりますので理論的には間違いはありませんし、これを理解していれば大丈夫とは思いますが、見難いのは何故なんでしょうね。
多分、車と歩行者両者に通行可や不可の同じ色の信号が見えてしまう、歩行者にとって車が来てしまいそうとの不安がよぎるのでは、慣れてしまうえば勿論関係はないとは思いますが。
でも、この交差点を歩車分離通行にして、歩行者通行可の時は歩行者用信号は全て緑、車用は全て赤、その後歩行者用信号を全て赤にして、車用だけが方向に因り赤と緑に変わる、このようにしたらどうなんでしょうね?、でもこの方式にすると車の渋滞が発生する、だから?と云うことなのかもしれません、車優先に変わりは無いのかな~。

さてここでクイズです。
下の写真は、桜山交差点(名古屋市昭和区、八熊通と環状線)で南北方向の信号を、信号が変わる毎に撮影したもの(撮影時刻は午後1時頃)です。
撮り忘れは無い事は確実、それにこれでルールや通行に支障が有る訳ではありませんが、さてご覧になって「あれ!どうして?」とは何か、探してみてくださいね、回答は又後日とします。

交通信号の関連話題;
●「ヒロパパ規格の新交通信号灯」;2010年6月12日
●「七つ目玉の信号」;2010年1月12日
●「楽しい歩行者用信号、台湾の」;2003年12月10日

追記(2012年10月27日);
この青信号が点灯しない交差点はココ以外でも各地で見掛けました。増えているのでしょうか。

”大須がお祭りで賑っていました”
(a festival at Ohsu-Nagoya)

アルバムへのリンク;「お祭り・お祝い」

ohsumatsuri121013s

今日は大須にある電気部品を売っているアメ横に行ってきました。目的は、もう数年になりますが、我が家をホットスポットにしているメインクーンのネコちゃん親子2008年10月9日の話題、車に連れ込んでいたのですが、声が出なくなってしまっていた、多分車内が暑過ぎて喉をつぶしたのかな、ということで、声を出す部分のiPS細胞を・・・これは無理ですが、電子回路を買いに行っていました。
大須のアメ横は2ヵ所で、細かい電子部品は大須観音に近い方のため地下鉄の駅を降り地上に出た途端、驚きました・・・お祭りだったのですね~。早速必要なものは購入して、その後は暗くなるまでお祭りを楽しんでしまいました。

お祭りの名前は「大須大道町人祭」で今日と明日開催、ガイドブックには第35回と書いてありましたので、づっと続いていた?、すみません、知りませんでした。
出し物は、名前通りの「大道芸」、それに「おいらん道中」、「甲冑隊」、「ゾンビ」のパレード、AKB48(ヒロパパだってこの名前ぐらいは知っている!?)みたいなグループ;「AS☆U」の道路上でライブががあったりとなかなか元気なお祭りでした。

この頃商店街がシャッター街で元気が無いところが多くなっていますが、ここ大須の各通りには小さな個人経営の特徴のあるお店がいっぱい、このエネルギッシュな様は、臭豆腐のあの独特の香りは漂ってはいませんが台湾の士林夜市を思い出してしまいました。

上の2枚は、左が大須観音通り、右は仁王門通りで、大須観音通りの仏旗色の飾り以外に、軒に白い布がわたしてあります。これは、28年振りの大須観音の御開帳が来週あるみたいでこの道しるべだそうです。良く知っているね~と感心されることと思いますが、見知らぬ人の立ち話を通り過ぎながら耳をそばだてお聞きして分かったもの、多分これがなかったらまったく無頓着だったのでしょうね。

下の写真は、道路を紅白の幕で仕切り、それをバックに演じていた山本光洋さんのパントマイム(お名前は一生懸命ガイドブックから拾いました)、なかなかお上手で思わず拍手、それに幕の下から覗いているお嬢ちゃんの楽しそうな笑顔が又マタ最高、今回の傑作写真の一つとしてヒロパパの記憶に残りそうです(子供たちの笑顔については、2010年9月21日の話題2012年4月8日の話題にもあります、ご覧ください)。

下・右の写真は、今日最後の「おいらん道中」の一こま、大須観音の正面階段を降りてきたところ、このおいらんを演じている皆さんは、一般公募?で選抜され練習を積んできた方達みたい、重たい着物やかつら、それに高下駄を履き八之字を描いて歩く、人だかりで傍で見ることは不可能でしたが、このおいらん道中はこれからもこのお祭りメインイベントの一つになるのでしょうね。

予め分かっていて予想をして行くより驚きがいっぱい、今日は得をした感じです。

”玉虫の翅、綺麗です”
(jewel beetle`s wing and it's structural color)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

tamamushi121012s.

掲載した写真は、昨日のヒシ採集の時見つけたもので翅だけしか残っていませんでしたが玉虫のもの、以前拾った事はありましたが、今回のものは完全な形、シメタ!!!です、早速拾ってきてしまいました。

玉虫色って綺麗ですね~、でもこの”玉虫色”という言葉は、「〇〇政党の玉虫色のマニュフェストには騙された」とかで良い意味では使われていないみたい、玉虫さんたちには申し訳ないですね。

それでは、この綺麗さはどうなっているの?、
まず基本は、全て金属的な光沢をもっていて、真ん中に赤褐色、その両側が緑、その両側に濃い青の5本の帯が走っています( 右の写真) 。
これが角度によってどの様に見えるのかをカメラの位置を変えて撮影したものが左の写真で、濃い青や緑が拡がったりしています。

この様に、金属的な光沢や色の変化は、構造色と云われている現象によるもので、主なものは、
●「多層薄膜干渉」;主に昆虫(アオドウガネ2007年8月7日の話題、ハナムグリ)や貝類、
●「薄膜干渉」;シャボン玉、
●「回折格子干渉」;CDの反射光2008年11月10日のの話題やモルフォ蝶2007年7月27日の話題
●「微粒子干渉」;レイリー散乱とかミー散乱とか呼ばれている2012年10月2日の話題宝石や夕焼け、
等々種々あります。

それでは、この玉虫の翅の輝きは何?、多分?ですが「多層薄膜干渉」と表面に突起2006年7月12日の話題による「回折格子干渉」かな?と思っています。

もうひとつ、玉虫に出会いにはどうしたらいいの?、食草はエノキですので、まずエノキを見つけ、夏、晴れた日を中心に暑い中、樹上や周りを眺めながらひたすら待つ、これが出会うことが出来る確率が一番高いとのこと、でも熱中症になりそうですね~。

さらにもうひとつ、 この玉虫の翅はこの色や光沢を長期間保つことが出来ている、これ何故なんでしょうね。色や光沢は構造色に因るものとしても、これを長期間保っている材質は?、インターネットからはチキン質であると解説しているサイトがありましたが、特に昆虫類の翅がどの程度の期間そのままの状態を保てるのか、又々宿題が増えてしまいました。

”ヒシの実から澱粉、採りたいな~”
(abstraction of starch from water chestnut)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

hishi121011s

昨日の話題の続き・・・秋の味覚・・・掲載した写真の小さな花は、ヒシの花です。
実はヒシには豊富な澱粉が含まれている、それでは澱粉を取り出してみようと昨年試みてみましたが失敗2011年10月2日の話題、今年こそはと、昨年の失敗を踏まえて、黒く変色して浮いたものを避け、本体にくっついている緑色の実を、昨日、サンプルとして摘んできました。

まず丁寧に水洗いし、カッターナイフで割ってみましたら、良かったありました。そこでまづそのまま口へ、一説では梨の味?、でも食感は似ているにしても甘さはなくカサカサの食感でした。

次に、10分間程度沸騰したお湯で塩茹でし、これも又口へ、これも一説では栗の味?、甘味は少し増したとは思いますがそれほど特徴のある味ではありませんでした。

さてここまでの実験で、ヒシから澱粉を抽出する手順を一応固めたつもりです。
●1);収穫は緑色の実を本体から直接摘み取る。
●2);丁寧に水洗いし、乾燥させる。
●3);粉々に砕き、殻等の不要物を取り除き、澱粉のみを漉し撮る。
●4);澱粉を乾燥させ粉末状にして出来あがり、あとは加工・加熱して美味しい〇〇に。
難しい工程は、砕いて澱粉のみを漉し取る部分、これも以前に経験した葛の澱粉抽出の手順2007年1月28日2007年2月24日の話題))を真似すれば簡単と軽く考え、これに成功すれば、美味しい〇〇が待っている?、美味しい〇〇とは何でしょうかね~。

さてヒシにもいっぱい種類がある、このヒシは何?、
良く見られるヒシには「ヒシ」、「オ二ビシ」、「ヒメビシ」その他いろいろありますが、このヒシは葉っぱの形と実の大きさ、突起の数・位置から「ヒシ」としました。
それでは以前収集したヒシ2009年8月2日の話題、下に写真)は何かをもう一度確認してみました。
新たな発見ですが、この時のものは殆どが「ヒシ」、只上の左から3番目と4番目はもしかしたら「イボヒシ」、それに真ん中の2番目、実の表面がなだらか、少し大きさが大きすぎる?、でもこれももしかしたらですが「ヒメビシ」かな?、「ヒメビシ」は個体群が減少して、ここ愛知県では絶滅危惧Ⅰ類に、その他の地域でも絶滅危惧種に指定されている地域が多い(下記参照サイトより)、ということは要注意、もう一度確認しなくては・・・と宿題が又増えてしまいました。

hishi0909



参照サイト;
「日本のレッドデーター検索システム、ヒメビシ」

”秋の美味しい果物、ナツメやアケビ”
(Natsume and Akebi )

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

natsumeandakebi121010s

秋は楽しいですね~、林檎、蜜柑、葡萄等々美味しい新鮮な果物がいっぱい、でもヒロパパの秋の果物は少し違います。それが掲載したもの、一つは「ナツメ」、もう一つは「アケビ(写真のものはミツバアケビ)」、それにここ東海地方では見掛けたことはありませんが「イチイ」2003年11月4日の話題)です。

どうしてそんなに?かは、糖度がどれほどか等も重要ですが、それ以上に味そのものに懐かしさが含んでいること、味覚そのものが脳の味覚だけを刺激するのではなく、記憶の中枢部を始め脳全体を活性化している、従ってより美味しく感じるのではと考えています。

掲載した「ナツメ」は、今年の春、アレ!こんなところに「ナツメ」ある、と花の写真を撮っておいたもの、半年掛って果実を実らせていました。
下の画像の「ミツバアケビ」も同様、同じ日に花を見つけ、これも撮影しておいたものです2012年4月12日の話題)

「ナツメ」はもう収穫時期は過ぎて木の下には落ちた実がいっぱい、「ミツバアケビ」はもう1・2週で熟れ始めるはず、どこか?はここでは内緒にして又行ってはみますが、その時まで残っているという保証はありませんが・・。

味覚について、山椒が味覚にどの様に影響しているのかの話題を、今日、NHKの「ためしてガッテン」という番組で取り上げていました。
舌で感じる味として、通常の甘味、酸味、苦味、塩味が味覚中枢を刺激する、その他唐がらし、わさび、生姜は「辛味」として脳全体を痛み的に刺激する、山椒は「麻味」として「触覚」として感じ味覚中枢をより活性化する、その為山椒を直前に食べればより美味しく感じるのだそうです。
ヒロパパもこれからその差を試してみますが、前述の様に、味が記憶を呼び戻し、より美味しく感じる脳内のルートも有るのではと考えていますが、どうかな~。

ナツメの関連話題;
●「ナツメ、まだ若い」;2004年8月27日
●「森の恵み」;2008年10月21日

”ツマグロヒョウモン、
それにノーベル生理学・医学賞を山中pが受賞”
(Tusmaguro-Hyoumon and yamanaka-p wined a Nobel prize )

アルバムへのリンク;「小鳥・動物」、「戯言」

tsumagurohyoumon121009

街中でも、ちょっとした自然があれば懸命に生活をしている生き物に出会うことができます。写真は、コンクリートやアスファルトで囲まれた中、だた一つあった花壇で見掛けた「ツマグロヒョウモン」(雌)です。
嬉しいことに、長いストロー(口吻)を突っ込み、一生懸命蜜をお食事中だった為か、それともこの蝶の性格が”おっとり”なのか、僅か数センチにカメラを近づけても逃げる様子も無く撮影に応じてくれました。一説では、お腹がすいていれば厭きるまで、少なくとも5・6分は留まっているみたい、記念撮影のタイミングはこんな時なのでしょうね。

さて、この「ツマグロヒョウモン」は漢字では「褄黒豹紋」で豹紋柄と同時に先端に黒い紋がある、特に雌は前翅先端部に特徴的な紋がある、だから「褄黒豹紋」という名前は納得です。
ところが、これ以外の蝶紋蝶の仲間で、例えば「ヒョウモンチョウ(ナミヒョウモン)」と「コヒョウモン」のどっちがどっち?は、ヒロパパにとって、飛翔中は勿論判別不可、例え標本にした状態でも多分その違いを記載してあるサイトを参照して(下記)見比べてやっとの状態と思われます。

それにしても良く似ている、それでは彼らはどうやって仲間であることを認識しているのかな~?、
●まず、視覚の範囲では、紋の模様を飛んでいる時でも明確に判別出来ている?、それとも人が判別し難い部分を見る目が肥えている?、又は人の視覚の可視域以外の部分で特徴的な差が浮き出ている、
●視覚以外では、臭覚や聴覚その他振動や、これら以外人が感じることが出来ない感覚(磁力や放射線)を身に付けている?、多分視覚だけではなく、これ以外にも判別する能力を持っているのではと考えられますが、これらを調べるにはどうしたらよいか・・・。

話題がそれますが、「褄黒豹紋」の「褄」の文字は、読みは「つま」で「着物のすその左右両端の部分」を意味する、的を得た文字を使っていると感心です。
面白い事はこの文字は中国には無い、「峠」とか「榊」、「畑」、「辻」等と同様日本で作られた文字(和製漢字、国字)なのです。
これ以外に、中国語でのその文字の持つ意味をそのまま日本で使用した「正訓」と、同じ文字を使っているにしても意味が違っているものを「義訓(熟字訓)」2012年9月6日の話題)と云っています。義訓の例は、「閖上(ゆりあげ)」2012年9月30日の話題)の「閖(ゆり)」とか、中国では「ひのき」を意味する「柏」を日本では「かしわ」とかです。
「ツマグロヒョウモン」の話題から飛びに飛んで言葉の話題に・・・すみませ~ん。

話題が飛んだついでにもうひとつ嬉しいニュースが、山中伸弥p(京都大学)が英国ケンブリッジ大学のジョン・B・ガードン教授(79)とノーベル生理学・医学賞を共同受賞した、受賞の基本は、細胞の初期化のテクニックを開発した事、これの応用として再生医療への応用が広がったこと、とのことです。
iPS細胞からラットが生まれた事をつい先日話題にしましたが2012年10月5日の話題)、将来応用が広がるにつれて倫理的な面での問題点が種々あり議論が必要とは思いますが、難病の克服への応用は待ち望んでいる方が大勢おられる、ガンバレ~ですね。

参照サイト;
「ヒョウモンチョウとコヒョウモンの比較」
「昆虫の視覚世界を探るーチョウと人間、目がいいのはどちら?(中部大学・蟻川謙太郎)」

”家系図づくり、記録の収集まだ頑張っています”
(gathering of data for my family-tree)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

familytreeamendeds

当家の家系図づくりについて、先月一応データ収集は終りとして2012年9月25日の話題)フォーマットを決め作成中ですが、もう少しデータ収集を頑張ってみようと問合せを出してみました。

現在まで調べ上げたのは、現在の岡谷市、下諏訪町、それに諏訪市で、これらで保管されているものは全て、従って今まで集めたデータで全てのはずと思っていましたが、よくよく見てみましたら、おばあちゃんの母親の出身地が諏訪郡宮川村と記載してある、この住所は今は何処?を調べてみましたら長野県茅野市、と云うことで茅野市役所にも問合せてみました。

多分何処の役所でも同じとは思いますが、電話で有無の回答は無し、従って、曾祖母の名前と本籍、それにヒロパパが誰であるかを証明する、祖母、母親、ヒロパパの関係を証明する戸籍とヒロパパの運転免許証のコピーを同封して送付、まずデータの有無の確認からスタートです。

曾祖母の誕生日は安政2年(1855年)、現在分かっている曾祖母と同様、ここから遡る記録は無いのかもしれませんが、あればラッキィー、無ければ無いことを証明できる、これでも良いと考えています。

今回の家系調査で感じた事は、それぞれの先祖の出身地が、ヒロパパの場合は、岡谷市、下諏訪町、諏訪市それに茅野市と所謂諏訪湖を中心とした諏訪盆地に限られている、これをみると現在の様に人の移動がそれほど頻繁では無かったことがうかがわれます。
それに、「ヒロパパがヒロパパであること」を他の方に証明する事を今回は運転免許証等に頼り、もうひとつ、親子関係を証明するには戸籍が必要、ヒロパパがどれ程自分で云い張っても信用がなくて?無理ですよね、虚しい気もしますが・・。

それでは、他国には、この様な戸籍制度はあるのでしょうか。全世界を調べきった訳ではありませんが、中国が源流で、まったく同じではなさそうですが現在台湾と日本に同じ様な戸籍制度があるそうです。それに対して韓国は、2008年に戸主制が廃止され、国籍及び家族関係登録制度に変更された、中国では現在「農村戸籍」と「非農村戸籍(都市戸籍)」があり、待遇上の格差に使われる可能性があるとのこと、日本の戸主中心の戸籍制度も変わってゆく可能性もありそうです。

参照サイト;
「海外の戸籍制度」
「中国における戸籍制度改革の動向」


追記(2012年10月12日);
茅野市役所から返事が届きました。結論として、ひいおばあちゃんの名前とそのお父さんの名前で検索してもヒットしなかったとのことでした。
それでは何処まで記録が残っているのかをもう一度お聞きしてみました。
●戸籍についての法律は種々変遷しているものの明治時代では、明治5年式、明治19年式、明治31年式 と呼ばれているものが関係していること、
●明治5年式については身分制度(平民とか士族とか)が記載されている為現在発行はしていないし廃棄されていて、最古のものは明治19年式であること、
●これらの戸籍の記録の保存期間は、明治5年式から昭和36年までは50年間、その後平成22年までは80年で、その年から150年になり現在に至っているとのことでした。
今回の調査対象の曾祖母について、曾祖母のお父さんの名前は分かってはいるのですが本籍地の住所が番地の記載が無く特定できていない、もしこれ以外の情報が分かり特定が出来れば分かるかもしれない、ということで気にかけてゆくことにします。

”今日は半日掛けて貝の調査”
(an on-the spot investigation of land snails at Aioiyama)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

rikugaicyousa121006s

今日は半日掛けて、貝の調査に参加してきました。何処の海岸でなの?・・・実は「貝」といっても陸上に住む貝;「陸貝」で、カタツムリやナメクジもその中の一つなのですが、調査の目的はこれらを含めもっと小さな仲間も見つけてみようというものでした。
実は先日予行演習と云っていたのは今日の調査の為で2012年10月1日の話題)、先日はカタツムリは居たもののその他については一切発見できずが、今日はプロのMさんのご指導で、なんと次々に見つかった、一体何が違ったのでしょうね。

まずは探す場所、これは側溝の中とか石の下、少し湿った状態の落葉の中や倒木、それに樹上の葉っぱの裏を探すこと、その上で、貝目(貝の形を想像しながら)になって探すこと、これに注意して探したからなのでしょう、簡単に見つけることができました。
今日の参加者は14・5名で、約17種の陸貝を発見、それにしてもヒロパパの知識ではマイマイの仲間とかキセル貝の仲間とかの等の区別がつくものの、それ以上は当然無理、これに比べプロの方はすごい、一目見て「ウラジロベッコウ」、「オカチョウジカイ」、「ヒメコハクガイ」、「ナミコキセル」、「オオウエキビ」・・・等々次々と名前が出てくる、見慣れているからなのでしょうが、すごい!!!。
大きさは一番小さいもので(右下の写真)、大きさは1ミリ程度かそれ以下で枯葉の切れ端より小さい、虫めがねで注意深く探さないと見落としてしまう、これを拾い上げるのには綿棒を湿らせて拾い上げる、地面に座り込んでの作業で楽しかったですよ。
この陸貝の名前は?、「ミジンナタネ」?ともお聞きしましたが確認し忘れてしまいました、この名前で良いのかな?。

ここ相生山緑地はヒメボタルで有名、これらの陸貝を食べているのでしょうね。それでは陸貝のお食事は?植物、天敵は?ヒルの仲間だそうです。
小笠原諸島ではヒルの仲間が増えて陸貝が絶滅状態にあるとのお話もありました。調査で収集したものもサンプルとして持ち帰るのは僅かにして元に戻すことにも注意しましたので、来年もヒメボタルの点滅が森の中で輝いてくれものと期待しています。

”彼岸花の不思議”
(a mystery of Higan-bana)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

higanbana121004

見事な大輪の?彼岸花・・・大輪というとウソになりますが、一つの花柄に普通5~7個の花を咲かせ、雄しべも雌しべも円周に沿って綺麗に並び大きな一輪の花にそっくり、昆虫達はこれを見て蜜がいっぱいありそうと思うのでしょうね。
さて、雄しべも雌しべも立派で昆虫も喜んでくれば受粉も完全、後々立派な種が出来て付近は彼岸花だらけ・・・と思いきや・・・花が終わると種が出来る訳でもなく跡形も無く何も残っていない、そのうち地面から葉っぱが生長してくるが、これが彼岸花の葉っぱであることは知っていないと分からない、しかも翌年春を過ぎると葉っぱもなくなり、秋の彼岸頃、花柄だけ伸びて花が咲く、何か不思議な生活誌です。

まず日本で良く見かけることができる「ヒガンバナ」は三倍体、大輪にみえるのもこれが原因かな?、球根で増えることはできるが種子は出来ない、これに対して「シナヒガンバナ(コヒガンバナ)」は2倍体で種子が出来る、もし種子が出来ている彼岸花を見掛けることがありましたら「シナヒガンバナ」の方かもしれません。
それに白い花の彼岸花も見掛けるけど、これ何?、これは黄色い「ショウキズイセン」と「ヒガンバナ」との自然雑種とのことです、が、どの様に交配したのかな?、良く分かりません。

要するに・・といっても簡単に説明するのは難し過ぎますが、種なし西瓜とか種なし葡萄とか種なし〇〇といわれるものはほぼ三倍体(動物は殆どが二倍体、植物はこれ以上のものもある、例;パンコムギ=六倍体)で、その都度操作をして一代限りとのこと・・・ここまで来るとヒロパパには難し過ぎますのでプロにでもお聞きしてみないと・・・。

それに今日、京都大学のチームが、iPS細胞からラットの卵子を作りだし、精子と体外受精されマウスを誕生させることに成功したとのニュースが流れていました。生命の誕生の仕組みは不思議です。

”すすきの花ってどれ?”
(flowers of japanese pampas grass)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

susuki121004s

厚いですね~・・・と10月に入ってもここ名古屋地方は真夏日で、こんな挨拶をしなくてはならないとは・・・トホホ・・・本当に、地球の熱量の収支バランスが崩れて熱量が溜る一方なのかな?。そんな中でも、植物達は確実に秋を感じているのでしょう、すすきが一斉に穂を出し始めています。

さてそれではススキの穂ッて何、花?、種?が今日の話題、結論から言うと穂は穂で長い糸状のものが最初からくっついている、それでは種が出来るのだから花は咲くはず、それに花には雌花と雄花があるはず、ということでもう少し詳しく見てみました。

まず葉鞘から穂が出てくる、長い穂の糸状のものは最初からこの状態、次に穂に、イネ科特有の花弁がない雄花(写真の糸でつりさげた黒褐色のもの)と雌花(ブラシ状のもの)が出てきて、風媒花なので風で受粉する、雄花は役目を終えれば散ってしまう、そのうち種子が出来、その後、種に付いていた糸状のものがバラけてホケホケになり、風を受けて飛び散って子孫を増やす、すすきはこの様な生活誌です。
でも、不思議ですね~、あまり花に見る機会が少ない、何故なんでしょうね。
一つは、すすきを遠くから眺めることが多く、近寄って穂の部分をジロジロ眺めることが少ない、近寄って眺めれば、黒褐色のつぶつぶの雄花は咲いていれば分かりますが、雌花はルーペ等で注意深く見ないと見落としてしまいそう、それに、もしかしたら開花期間が短く直ぐ散ってしまって、花が咲いていても気が付かない、こんなことなのかな考えています。

ヒロパパは、これから散策する時はいつもルーペを携えてと思っています。

関連話題;
●「ホケホケすすきと、それに荻との区別」;2006年11月24日
●「ジュズダマの花」;2006年9月20日
●「スホウチクの花」;2006年9月11日

”百合の生長記録、その後”
(a growing up record of lily in my garden)

アルバムへのリンク;「植物・花ー秋」

takasagoyuri121002s

熱心に観察を続けている?、熱心と云っても只単に眺めているだけですが、我が家の庭の「百合(タカサゴユリ)」の生長の様子、この頃太ってきましたよ。

当初は、種子は何処に出来るのかな?から始まり2012年8月27日の話題、次に、ほぼ種子が出来る部分はココだろうと分かり2012年8月30日の題、該当する部分が、花を落としてから約40日で御覧の様に先月末から徐々に太ってきています。

以前に種子を話題にしたのが1月でしたので2009年1月12日の話題、この2カ月程度はもっと太って種子に栄養を蓄える時期なのでしょうね。

時々撮影をしていますので、その都度話題にします。

”久しぶりです・・・夕焼け”
(what a beautiful sunset!, but why the glow of the sky at sunset is red?)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

yuuyake121002s

hanabi121002s

久しぶりです・・・夕焼け、皆さんもご覧になったことと思います。
真っ青な空も綺麗ですが、真っ赤な夕焼けももっと感動してうっとり見いってしまう、何故なんでしょうね?。

さて、夕焼けが赤く見える理由は、「光の中で、波長の短い光は途中で散乱し、波長の長い赤色しか届いてこないから」は学校で教わったこと、それでは、波長の違いの理由だけだったら人の可視範囲で赤は分かるにしても、昼間の空は青ではなくもっと波長の短い紫に見えても不思議ではないと思われますが、どうしてなんでしょうね?。

これは、光が何に因って散乱されるか、それが光の波長と比べてどの程度の大きさかに因って違ってきます(下記参照サイトより)。
光の散乱は波長と同程度の粒子によって最大になる、それに、空気の成分の分子(光の波長の1/1000程度)に因る散乱(レイリー散乱)と塵等(光の波長とほぼ同程度)に因る散乱(ミー散乱)、それに大気の厚さによって、丁度「青」と「赤」が目に届いているだけ、もし大気が同じ構成と仮定したとして、大気の層が薄かったらもっと波長の短い光が届き昼間は紫、夕焼けは黄や緑に、厚かったらもっと波長の長い光が届き、夕焼けは赤にしても昼間の空は黄や緑も考えられるのではないのかな~。
それに、現在探査を続けているNASAの火星探査車「オポチュニティー」は、火星の青い夕焼けの画像を送ってくれています。何故火星での夕焼けは波長の短い青なのでしょうね?、これは火星表面の塵が関係していて、赤い波長を吸収しているとの説もありますが、ヒロパパには難し過ぎて良く分かりません。

夕焼けが何故赤い?云々は、美しい夕焼けを見ながら考えることではありませんね、すみませ~ん。

この夕焼けを眺めていましたら、遠くで花火が上がっていました(下の写真)。この花火何処で(瑞穂競技場辺りかな?)は分かりませんが、真っ赤な夕焼け空に花火、これもなかなかのものでした。

参照サイト;
「情報通信研究機構」ー「レイリー散乱・ミー散乱」

”台風一過の森の中、
それに予行演習”
(in a forest after passing typhoon)

アルバムへのリンク;「戯言」

konara121001 isenonamimaimai121001

昨日から、愛知県東部に上陸し猛威をふるった台風17号(アジア名;ジェラワット(Jelawat ・杰拉華・절라왓 )、命名;マレーシア 、意味;淡水魚 )も去って、今日は良いお天気、こんな時の楽しみは・・・内緒・・・にしたいのですが正直に白状すると、木の実を拾うこと、特に大きな松笠や鬼胡桃を狙ったのですが、朝寝坊でこれらは諦め、その代わり久しぶりに相生山緑地(名古屋市天白区)を散策してきました。
やはり、どんぐり(コナラ)が地面にいっぱい落ちていました。いつもでしたら集めて持ち帰り、木の実人形作りの為貯めこんでがヒロパパの行動パターンですが、この頃はヒロパパの部屋も整理しなくてはならない、従って記念撮影だけにしました。

今日相生山緑地を散策したもうひとつの目的は、〇〇〇〇の予行演習を一人でやってみようと考えたからなのです。その為、森の中で1時間程度頑張ったみたものの目的が叶わず、で、何の予行演習かは目的が達成されるまで内緒にさせてください。
只、 一部だけ達成・・・が写真のカタツムリです。普通に良く見ることができるカタツムリ君、正式名は「ナミマイマイ(イセノナミマイマイ)」、これも杭の上で記念撮影です。
それでは、以前出会ったカタツムリ君を、その時は「ギュリキマイマイ」かなと思っていましたが2012年7月15日の話題、これはそうそう簡単に出会えるものではないとのこと、従ってこれも「ナミマイマイ」に訂正です・・・知らないということは恐ろしい・・・。