2013年1月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2013年1月31日

”身の回りの整理、今度は自分の分”
(need disposing of my personal effects)

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batman

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夕暮れに、窓に張り付いて覗き込む怪しい影、フラッシュで写してみましたら「ガイコツマン」?、正式名「ペッたん人形」でした・・・というより自分でくっつけすこし遊んでいただけですが。
この「ペッたん人形」、垂直の壁を登ることはできませんがぺたぺたと降りる事ができる、原理は手足に付いている粘着ボールで、身体の重さとのバランスでこの粘着ボールがくっついたり離れたりすることが出来、これで身体を支えていました。
これ数年前に街角でデモ販売していたのを見掛け、この粘着ボールの材質はなんだろうと調べるつもりで購入した、多分耐震シートで使われているスチレン系の素材かなと思いつついまだに分からない状態なのです。

実は当家のおばあちゃんの遺品整理がほぼ目途が付き、今度は自分の分と我がゴミ部屋を見回すと、ヒロパパの身の回りには、他愛の無いものでいっぱい、下の写真は、自分で購入したものや皆さんから頂いたもので、これらは夫々に頂いた皆さんや買った時の思い出が詰まっている、でもでも、これらをこのままにしておいたらヒロパパが居なくなった時残された皆さんに迷惑が及ぶ、従って自分で処分してゆかねばならない、これからは身の回りの自分のものを出来る限りものを少なくしてゆかねばならない、判断し易さもありますが思い出が詰まっている分判断に迷いそうです、でも”やらねばならない”事と認識しています。

”「ルディナ」って何?”
(ludina)

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ルディナ(ludina)って何?、スランス語の定冠詞みたいなものがくっついているからフランス語?・・・とのお話は後回しにして、掲載した御ごちそうは今日の我が朝食、時々通っているファミレスのものです。
このファミレスは9時オープン、グランドメニューをベースとして、11時までは朝食メニューが、11時~3時まではランチメニューが、3時以降夕方まではティタイム、今日はもうお昼近くだったのでヒロパパにとっては「ブランチ(blunch)」といった方が最適なのかもしれません。

さて、本題の「ルディナ」って何?、フランス語では、食事のことを「repas」とか「dina」、夕食は「diner」で、これらは男性名詞なので定冠詞を付けた場合「le diner(ル・ディネ)」となる、従って発音は似ているけれど綴りが違っているからフランス語では無い、本当の事を白状すると、これはヒロパパ特製の造語で、午後遅く、昼食を食べ損ねた時の夕食を兼ねた食事のことで、ランチ(lunch)とディナー(dinner)をくっつけこれを「ルディナ(ludina)」と名前を付けてしまおうとの試みです。

他の候補として「ラディナ」も有り得る、只、発音だけだとフランス語で単なる食事の意味の「le diner(ル・ディネ)」を定冠詞を間違えたと思われる、これと区別する意味でも「ルディナ(ludina)」・・・なかなか美味しそうな名前と思いませんか。

そのうち「ブランチ(blunch)」と同様英語の辞書にも記載されてくるのではと期待していますが、どうでしょうかね~。

”我が家の遺品整理の手順”
(an adjust procedure of my mother's belongings)

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この頃のヒロパパのスケジュールは何に因って決まっていた?、大きな要因は掲載した表の資源・ごみ分別ガイドに記載されている収集日とその回数で、週一回又は2回の可燃ごみや不要になったリサイクルできるプラスティック等を除いて、特に矢印に示した回数が月一回の不燃ごみと粗大ごみ、それに家電リサイクル法での対象品の廃棄のタイミング、これのスケジュールが基本になって、これに合わせていた感があります。

ここで、今までどの様な考え方で遺品整理をしてきたのかを列記してみました。
下記フローがその処理手順で、 種々雑多な品々を、例えば台所用品・食器類、衣類や寝具類、装飾品、家具・カーペット類、趣味・日用品、食糧等々に分け、それぞれをこのフローに従って振り分けてゆく、この様な作業でした。

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フローでの表現だけみると簡単々々と思いがちですが、それぞれの振り分けで必ず判断を迫られる、この判断が簡単に済むものもあれば悩むものもある、多分悩んだ方が多い、従ってこんなに時間が掛ってしまったのではと思われます。

実は明日朝、この地区の月一回の不燃ごみの収集日で、不燃ごみの収集袋が破れそうな位突っ込み、これの準備もOK、後は残った品々を荷造りして保管場所への移動を残すのみとした・・・つもりです。

保管場所って何処?、これらの大量のものを自宅に詰め込むのは無理、そこでこの何十年か空き家にしていたセカンドハウス?を今月初めからリフォームし、リフォーム完了が来月上旬、従って来月中旬から下旬にかけて移動をするつもりで引越し屋さんの手配も完了、只ヒロパパは残務整理で同時に引っ越しはできませんが。
さて移転先では、そこに鎮座するものは100年とはゆきませんが70~80年前のものも多い、ということは、そこはヒロパパ家の博物館的存在になるのでしょうね、これも面白そうです。
勿論、移転先での整理整頓の作業がありますが、ゆっくり・気が向いたらと悠長に構えることにします、それにしても移転って大変ですね~。

余分なお話ですが、他の自治体では分別の為のごみ袋さえ決めていないところがあるのに対して、ここ名古屋市はごみ分別が厳しいとも聞いています。
ヒロパパは既に慣れてしまっていますので負担に感じる事はありませんが、確かに集めてから分別するより排出元で分別する方が効率的、そこで可燃ごみや不燃ごみ、リサイクル用資源等々に何が相当するのかを他の自治体(特に杉並区)と比較してみようと試みましたが、今回は時間的余裕が無い為諦めてしまいました。
要は税金の無駄使いが無い様にしてあればですが、今回粗大ごみや不燃ごみを自分で破砕工場まで運ぶことも検討してみました。この場合、まずその地区の担当の環境事業所に行って、料金(重さかな?)を支払ってその足で破砕工場へ持ち込む・・・指定日に自宅前に出しておけば税金の範囲内、自分で持って行くとお金が掛る、これ余分な事務費用や工数が必要だから?なのでしょうかね~。

”もうすぐ「立春」”
(shichi-jyu-ni-kou;a traditional calender of conversing with nature)

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rissyun

もうすぐ「立春」、昨年から始めた「七十二候」の理解を続けています。
この数日は寒波到来、千葉県でも雪が積もったとのこと、それに諏訪湖は2年連続で「御みわたり」(諏訪湖が全面氷結して寒暖差に因り筋状に盛り上がる現象)もあり、しかも気象台発表の気温データでは、月間の平均最低気温は2月が一番低い、”これから暖かい時期にするぞ!って、春ちゃんが立ちあがった”だから「立春」なのでしょう。

さて立春の初候の「東風解凍」、西高東低の気圧配置が弱まり北風が東寄りの風になって暖かさを感じる季節になる頃で納得、それでは七十二候で風を感じて季節感を表すものはと探してみましたら、ありました「小暑の温風至(今年は7月7日)」と「立秋の涼風至(今年は8月7日)」、それに「小雪の朔風払葉(今年は11月27日)」です。それにしてもこの1カ月内に肌を刺すような寒風の頃、これを称して「寒風指向」なんて七十二候があっても良かったのでは・・・勝手に作らないでッて云われそうですね。

さてさて例によって難しい漢字が並んでいます。
まず「睍睆」は漢和辞典によると「美しい様とか鳴声が綺麗な様」との解説がありますが、どちらの文字も”目が飛び出ている”とか”丸くて大きい”様子を表している、この場合は「睍睆」を一つの動詞的な熟語として理解すれば良さそうです。尚、「黄鶯」は「ウグイス」の事?、何故”黄”が付けてある?、もしかしたら国内でよく出会える「ウグイス」ではなく昔の中国の漢詩等ではカラス上科の「コウライウグイス」を「黄鳥」とか「黄鸝」と言っていた、だからこれのことかもしれない、只、「宣明暦(中国の七十二候)」ではこの「黄鶯」という単語は見当たらないので略本暦で日本独自のもの?、黄色の羽が美しく輝いていることを強調したと理解することにしました。

次に「霞始靆」の「靆(たい又はだい)」のこの文字は、”だから漢字は面白い”の一例かもしれません。
「雲」と「逮」を横に並べて一つの文字としてその様子を表し”雲がたなびく様とか雲が日を被って薄暗くなっている様”の意味、もともと表意文字は全て同じですが、「森」を「木と土と水」で表した創作文字2009年09月17日の話題や、これどう読むの?2008年11月13日の話題「ひこばえ」の文字2006年12月16日の話題等々、漢和辞典を見ていると面白い文字がいっぱいでてきます。全部を系統だって 整理してゆくことはヒロパパの知識レベルでは無理ですが、気が付く限り調べてみる事にしています。
「蟄虫啓戸」の「蟄虫」について「蟄(ちつ)」で「虫が閉じこもる意味」であり、「睍睆」や「黄鶯」と同様同じ意味の文字を並べ強調させていると理解することにしています。最後に「啓戸」の「啓」は「開」とどう違う?、何故ここでは「啓」なの?、そもそもの「啓」は、拝啓、啓行、啓発、啓康等”口上する”とか”導く”、”みちをひらく”意味が有り、「啓戸」の文字通りドアーや蓋を開ける意味であれば「蟄虫”開”戸」も有り得るのに何故「啓」なのでしょうかね~?。多分「啓」を使い、「開」には無い深い意味を含んでいるんだよと理解させる為なのでしょう。

お話が変わりますが、気象台での生物季節観測情報ではウグイスの初鳴日が平年値(1981年~2010年)で東海地方では3月10日とのこと、昔がこの七十二候通り2月9日頃とすると現在は約1カ月遅れ?、生息数が少なくなったから?なかなか出合えないこともあり得ますが、さて今年の初鳴きを聞けるのは何時なのでしょうね?、皆さまも耳を澄ませていてください。

七十二候の話題;
2012年7月8日「夏至、小暑、大暑」
2012年8月9日「立秋、処暑、白露」
2012年9月22日「秋分、甘露、霜降」
2012年11月16日「立冬、小雪、大雪」
2012年12月19日「冬至、小寒、大寒 」

”一時通学していたパソコン教室、昨日最終日としました”
(yesterday, final day of my perosonal computer school)

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questionair20130126

12月から通っていた近くのパソコン教室2012年12月28日の話題、昨日を最終日として終わりとしました。
この教室に通い出した理由は、自分のパソコンを持ち込めること、それにシニアーも対象で、何度同じことを聞かれても丁寧に・・・の宣伝文句に誘われてでした。通い出してその言葉通り、綺麗な優しい御嬢さん先生(ちょっと褒めすぎ?)にたくさんことを教わることができました。
Mさん、複雑で分かり難い諸問題に対して、ご丁寧な対応をありがとうございました。

さてそれでは疑問点はどうなったの?、最終的には22の疑問点(掲載したリスト)に対して、15項目が解決又は理由が解明できた(リスト内灰色での塗りつぶした部分、大きな問題点では無いと考え諦めたものもありますが)、残り7 項目については解決したい為今後も継続して試してみる事にしています。

アドバイスを頂き自分で試してみる項目が4項目で、
●写真をパラパラ漫画風に我がHPにアップロードしたい、
●写真の背景を透明化したい、
●アップロードした我がHPの特定ページに雑音的な文字化けが付いているのでこれを取り除きたい、
●Excelでグラフ化する場合、手順又は入力方法により系列が多すぎるというコメントが出る、これが出ないような手順を知りたい、

原因がまだ不明で手立てが分からないものが3項目で、
●FaceBookからの入力が全てフィッシングの疑いありと赤字に変わる、この原因を知りたい、
●我がパソコン内のオリジナルHPで表示できない部分がありこれを無くしたい、
●インターネット接続時、入力言語がアルファベットで日本語に変わらない場合が多発する、これをなくしたい、
大まかにはこれらを今後検討してゆくことにしています。

ただこのリストには無い項目で、パソコン教室でフリーソフトをダウンロードした際、ダウンロードできずパソコンが暴走を始めた、これも新たな問題点として持ち上がってしまいました。

さて自分で試してみる項目の一つExcelでのグラフ化で、詳細の原因は不明ですが、グラフにする場合横軸に対して縦軸の項目名を入力して(下記のAとかB)、これをグラフ化したい範囲に指定すれば望み通りの結果が得られる、パソコンからのコメントの”系列が255まで云々”のコメントは、多分AとかBを指定しないでグラフ化の範囲を指定した場合は、全てを系列として判断して縦軸と横軸の合計数が255を超えているとコメントが出てくる、この様に理解しました。
それにしてもこの「系列」という単語のパソコン用語としての定義が不安定で理解し難い、誰が訳したのでしょうね・・・という事はさておき、一つ解決、残り6項目+パソコンの暴走の有無について、もしかしたら我がパソコンにインストールしてあるウイルスソフトも影響しているのかな~?、頑張らなくっちゃ。

exceltest130126


”「黄楊挽唐(つげひきとう)櫛」みたい?”
(a comb, one of the old Japanese style)

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ryoubakushi130125

我が家のお袋の遺品整理が最終段階に入ってきました。細々として身の回りの品々、 日記あり、金銭出納帖あり、ゲートボールの審判員、鉛筆や万年筆、裁縫道具、頂いた年賀状の山、手鏡等の化粧道具有りと大変です。
一応一つ一つ確認しながら、焼却ごみや不燃ごみに振り分け廃棄処分にするものが多いのは確かですが、掲載した写真の古風な櫛、廃棄又は保存?、迷ってしまいます。

この両歯櫛、多分若い頃使っていたものとするともう7・80年前のもの、なかなか精巧に仕上がっています。
じっくりと観察してみましたら、両端の耳は黒檀、桟は竹、歯の部分は柘植(黄楊)、桟には「太陽」との刻印があり、76㎜の部分に120本の歯がありました。
さてこの櫛の名前は何?、インターネットから多分「黄楊挽唐(つげひきとう)櫛」という名前かなと考えていますが定かではありません。
それにしても76㎜(二寸五分)に歯数が120本、通常の「挽唐櫛」より歯数が多いみたい、只、人の髪の毛の太さが0.05~0.15㎜と云われていますので、隙間が0.3㎜程度で勿論大丈夫です。

それにしても昔の櫛は何故この様に細かい隙間で歯数が多いのでしょうね。
これもインターネットから、昔は現代の様に入浴する頻度が多くなかった、髪の毛の異物を取り除く等の手入れを櫛で行っていたからとの説明も見つけました。

さてこの櫛どうしたと思いますか、一応他の柘植櫛や装飾模様のついた櫛と一緒に我が家の歴史的文化遺産として(大げさかな?)仕舞い込む事にしました。
ヒロパパが生きている間はまだしも、我が子孫たちから見た場合、何でこの様なものが保存されているのかって不思議がるのかもしれませんね。

”日本の住宅地の街並み”
(a residential area of Japan)

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jyuutakuti20130125

掲載した写真は、日本の都市部の典型的な住宅地の、夕闇がせまった藍色の雲一つない無い風景、なかなか綺麗でしょう。

平屋又は二階建ての日本式木造住宅が隙間なくひしめき合っている、それに、必ず電信柱に電線、屋根にはテレビアンテナが乱立、これ日本独特の風景で、我々日本人にとっては見慣れた風景で何ら違和感はありませんが、海外の皆さまはこれを見てどの様な印象なのでしょうね。

ヒロパパの経験からすると、例えばカルフォルニアの住宅地は、周りを芝生で囲まれた広い土地の中心に家屋が、しかもお隣との境界線に高い塀が有るわけでもない、なかなかゆったりとした住宅事情です。これ、平地の少ない日本であり、そこでの人口密度が高い、土地の値段も高額で広い土地を購入することも困難、従ってということなのでしょう。
先日、中国から来た方が日本に降り立ち、この風景を眺め、何故この様に細々とした個人の住宅が多いのか?って驚いていました。
中国では主に都市部の住宅は殆どがマンションタイプで、そこにお住まいの皆さんが多いようですので不思議がるのも当然なのかもしれません。
勿論各国にはそれなりの事情がある、例えば中国は、土地は全て国有地又は農村部の場合はそこの地方団体に帰属していて個人所有は認められていない、認められているのは期限付きの使用権のみ、その上の建造物は所有権が認められる、只、自分で建てた建造物でも、もし土地の使用権が第三者に譲渡された場合には、自分で建てた建造物も一緒に第三者に移ってしまう場合も起り得るとのこと、詳しい法的な事情は分かりませんが、中国の住宅事情は複雑そうです。

それに電柱に張り巡らされた電線、確かに都市中心部ではこれらを地中に埋めすっきりとした町並みに変わりつつありますが、地震国の日本、もし被災した場合はこの電柱による配電の方が復旧し易いのでは、又は、将来、昔はこの様に電柱が街中にいっぱいだったんだよ!ってお話をする時代が来るのかもしれません、とするとこの一枚の写真も重要なものかもしれません。

”ボケたらあかん、長生きしなはれ”
(a principle for the aged)

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「ボケたらあかん、長生きしなはれ、云々」、どなたがお詠みなったものかは定かではありませんが、お袋の部屋に飾ってあったもの、老人の生き方の指針となるものなのでしょう。
さてヒロパパは、自分ではまだ若い気分でいるのですが、前期、中期、末期高齢者???失礼!後期高齢者でした、これに分けた場合は、まだ一応後期高齢者ではない年齢(この表現は後期高齢者に近いの?・・・その通りなのですが)、まだまた理屈を捏ねたりして相手を説き伏せようとする言動もみられることも自覚はしている、そろそろ全面的にこの指針に従って暮らしてゆこうかな~。

インターネットで調べてみましたら、これ有名みたい、作者が直ぐ分かりました。作者は天中新一郎さん、昭和62年朝日新聞の読者投稿欄の載ったもので天中さんは当時94歳だったとのことです。

”べっ甲と石彫刻の置き物”
(a tortoiseshell and a relief made of stone)

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sekizou1943

加工をしてない一枚の鼈甲(べっこう)板と、置物の風景の石彫刻、どちらもヒロパパが小さいころから見慣れていたもの、お袋の荷物整理の最中、続々とこんなものが出てきています。
大切に保管されていたことを考えると、多分親父のお土産、となると確実に70年以上前のもの、ということで「親父からお袋へのお土産(何処からか?は不明ですが)で1943年以前入手のもの」とのメモ書きを添えてしまい込むことにします。

べっ甲はタイマイの甲板で、タイマイは絶滅危惧IB類(EN)(環境省レッドリスト)で現在はその他のウミガメを含めべっ甲製品やはく製の国際商取引は禁止されている、とするとこの小さなかけらのべっ甲は貴重なのかもしれません。
それでは、このべっ甲はどれ程の価値があるの?、 下記のサイトの説明によると、希少性からみた場合、甲羅の色と斑の入り方から、白甲、オレンジ甲、白茨甲と続き、この写真のものは並茨甲と呼ばれ希少性はそれほどないみたいでした。

さて、小さな風景石彫刻の方は、中国の水墨画に出てくるような風景であることから、一瞬「寿山石掘り」を期待したのですが、宝石的なものではないし作者名の刻印もないので高級な芸術作品ではなさそう、ただこの風景から中国や台湾産と思われる、従ってこの程度の内容しかメモできませんがこれも後世に残すことにしています。

参考サイト;
「鼈甲工芸につかわれる唯一の亀、タイマイー大澤鼈甲(株)」

”年代物の蜂蜜、食べられるのかな~?”
(a vintage honey?)

アルバムへのリンク;「戯言」

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蜂蜜の賞味期限ってどれ程?、写真のまだ封を切っていない、底に結晶化した葡萄糖が沈んでいる蜂蜜は、お袋の荷物の整理中に出てきたもの、蜂蜜だからと気にしていなかったのですが、品質保持期限に1999年2月28日と記載されている、普通蜂蜜は異物の混入がなければ無制限、只、封入業者は通常3年と表示していることを聞いている、ということは購入したのは1996年?で既に17年、ワインでいえばヴィンテージワインと同様貴重品?・・・と考えたいのですが、ヴィンテージハネーなんて聞いたことが有りませんので、さてこれどうしようかなが又悩みの種になっています。

単純な発想としては、湯煎してさらさらの状態で大量の水を加え廃棄、でもヒロパパのもったいない精神からすると、この行為は相当な勇気を必要とします。
現状での今後の手順は、まず食用に耐えうるかどうかを封を開けて舐めてみる事から始めることになりそう、問題が無ければ、毎年作っている「梅蜂蜜」に、もし食用に耐えられない場合は入浴剤とか洗顔フォームやパックとして使ってヒロパパのお肌はつるつる(気味が悪いと云わないで)、少なくとも廃棄することはしないでおこうと決めています。

それにしても蜜蜂の蜂蜜づくりは不思議です。
蜜蜂君達の蜜を集める行動、花蜜のショ糖を蜜嚢で葡萄糖と果糖に分けてゆく、これを口移しで他の蜜蜂に渡し繰り返し濃度を高めてゆく、これを巣房に蓄えさらに水分を飛ばす為翅で風を送る、完成した蜜は蝋で蓋をして(これを石蜜とか完熟蜜というそうです)長期間食用とする、ピラミッドの出土品で2000年を経過して使用に耐えたものが蜂蜜だけだったとも聞いています。
蜜蜂君達の努力に感謝しなくっては・・。

”インド式掛け算と日本式って同じなの?”
(Indian's Arithmetic and Japanese style)

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昨日の話題のインド式掛け算、現在日本での筆算と同じなの?、掲載したリストは、それを証明する為のものです。

インド式は最上位桁から、日本でのものは最下位桁から計算してゆくことになり、各桁の数字を記号で表してみましたら、御覧のように、計算結果は当然ですが同じ、これで証明できたことになります
只、気が付いたことは・・・インド式掛け算の場合は、最大桁数の数値を元にして「たすき掛けの手順」を遵守しなくてはならない、例えば、この5桁どうしの場合で9列の(最大桁数×2―1)、日本式の場合は5行の計算すれば良い(最少桁数と同じ)、ということは、もしかしたら日本での筆算の方が機械的で確実なのかもしれない、これに気が付きました。
全ては慣れの問題とは思いますが、インド式が特別に優れている訳でもなさそう、但し、計算途中で暗算の多用はインド式の方が必要そうみたい、機械的な日本式よりも脳みその活性化にはこの方が優れているのかもしれません。

暗算といえば、数字一つ一つの掛け算はインドでも日本でも(他の国でも)「九九」が基本、但し日本では数え唄式に1×1~9×9ですが、ヨーロッパでは12×12まで、ドイツでは20×20、インドでは最低でも20×20、最高で99×99まで、中国や韓国も20×20まで学校で勉強しているとのこと、例えば1×1~99×99を覚えていれば2桁を一つの数値としてまとめて暗算出来る事になり、これはすごいことです。

さて、掛け算でいえば古代インド式掛け算で数値を斜め線で表し、その交点の数を数える方法とか、マトリックス方式の掛け算もあります。それに海外でお店で買い物をしてお釣りをもらう場合、店員さんが引き算では無く足し算でお釣りを返してくれる経験もしたことがあります。世界各国での算数の学習方法も調べてゆくと面白そうです。
ヒロパパも買い物をした場合、一円硬貨や10円硬貨が増えない様に一生懸命頭の中で計算して支払ってはいますが、この頃間違えるケースが増えてきた、歳ですかね~困ったものです。

追記(2013年1月26日);インドでの「九九」が本当に1×1~99×99まで覚える事を学校の授業で行っているのかな?について、インドを良くご存知の方にお聞きしてみましたら、これ本当のことみたいです。
お聞きした方は、長年インドで日本語の先生をされていた方で、小学校低学年で二桁の暗算を授業として取り入れているとのこと、勿論記憶できるかどうかは個人差がありますが、やはり2桁の数値を一つの数値として扱えることが出来るということはすごい!ですね~。

”インド式掛け算”
(Indian's Arithmetic)

アルバムへのリンク;「戯言」

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時々旧い話題をこのHPのアルバムページで探して思いだしていますが、今日は以前話題にしたインド式計算方法2007年11月7日の話題に目がとまってしまいました。
そこでもう一度復習です。

インド式計算方法の基本は、加減乗除全てについて暗算で出来る範囲に桁数を短め区切って計算すること、10、50とか100等の計算し易い数値を利用して、その差を含ませて暗算し易くする事が基本ですが、やはり一番の注目点は、例に挙げた任意数値の掛け算の手順ではないかと考えています。

以前と同じ数値を利用して再度その暗算のステップを分解してものが掲載したリストです。
●まず、小数点を無視して最下位桁を右に揃え並べる、
●計算は最上位桁から計算する、
●桁数が異なる場合、少数桁の数値の上位桁は全て0とあると考える、
●それぞれ例に挙げたように「たすき掛け」した合計値を区画の中にメモしてゆく、
●最後に夫々の区画を縦に合計して計算終了となります。
注として、横軸の区画数は数値の中の最大桁数の2倍、縦軸の区画数は、数値の桁数が13桁以上で数値に「9」が並んだ場合は3桁以上(1053)になる可能性があり3区画程度を用意しておくことが必要となりますが通常は2区画で十分、「たすき掛け」の方法と順番を間違わなければ確かに答に早く到達できる?、只全ては慣れの問題、繰り返し使ってみて慣れる事が一番なのでしょうね。

この場合は、二つの数値の掛け算ですが、それでは三つや四つ以上の数値の掛け算は、この様に二つの数値を取り出し順々に計算してゆけばできますが、この様にまとめて計算する方法はあるのかな~?、又々宿題が増えてしまいました。

”旧い百科事典”
(an old encyclopedia)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

hyakkaziten

写真の「現代ホーム百科事典(学習研究社発行)」は約37年前の昭和41年~42年(1976~1977年)にかけて発行されたもので第一巻の「育児・教育」、第二巻の「エチケット美容」、以下「料理栄養」、「衣服手芸」、「住まいと園芸」、「暮らしの法律」、「趣味娯楽」、「家庭の医学1」、「家庭の医学2」、「生活の科学」の10巻あり、遺品整理の最中、お袋の住まいの押し入れの奥から発見されたものです。
どれ程これらを参考にしたかは不明ですが、この時代このような百科事典等を揃え飾っておく?ことが流行っていた記憶がありますのでこの一端かなと思っています。
多分現在では、ここに記載さえている情報のほぼ100%をインターネットから拾う事が出来るのでは、只インターネットでTCP/IPが標準化されたのが1982年、従ってこのころインターネットから情報を拾う事は不可能、少しは役立ったのではと考える事にしています。

問題はこれ後世に残す?、残さない?・・・迷っています。
現時点ではインターネットから情報を拾うことが出来、これを参照して利用することはほぼ無い、只もう一世代・二世代後(100年程度後)にこれがそのまま存在していたら、昔はこの様な事典があったんだと価値が出てくる(現時点で、江戸時代や明治初期の事典を見ている様なもの)、ということでスペースが許す限り他の遺品と同様博物館的に保管しておく事になりそうです。

お話が変わりますが、この「現代ホーム百科事典」の「事典」という単語について、似通った単語で、「辞典」、「字典」、「詞典」があり、しかも「辞書」とも言う、「典」は「きまり」とか「儀式」を意味するからその前の文字の意味を決まった方法で並べたものと理解することができる、「辞」、「字」や「詞」は言葉の意味、だから文字に関するもの、「事典」の「事」は「事柄に関するもの」でこれを分類して見易く並べたもの、だから「事典」・・・フムフムと納得です。
只我が書棚には、「〇〇図鑑」とか「〇〇図典」とかもあり、図や写真を中心にまとめたものがこれら、只「〇〇図典」より「〇〇図鑑」の方が多いのは何故なんでしょう?、多分どちらが広く使われているかなのでしょうね。

”台湾製の乾麺、たくさんの種類”
(gifts from Wu-san Taiwan)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」

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台湾のWuさんから、台湾製の乾麺がいっぱい、それに牛軋糖(ヌガー;nougat、ピンインはniuyatang)、爺爺奶奶(yeyenainai、ココナッツ風味のお菓子)が届きました。
Wuさんには、ヒロパパの主食がいつもコンビニ弁当だということがばれてしまっているみたい、Wuさん、気を使っていただきありがとうございました。

乾麺の調理方法は、袋に書いてある「食用方法」から、「まず沸騰した湯(滾水;gunshui)でゆでて、ゆで上がったら水を良く切ってお椀に移し、同封してあるたれを掛け、良くかき混ぜて食べる、好みに寄り野菜や茸を一緒にゆでたり、刻んだ葱や卵を加えると尚美味しい、麺をゆでる時間は云々」とのこと・・・と、上手に訳したでしょう!と威張りたいのですが・・・本当は、Wuさんはわざわざ調理方法をメモ書きしていただいてある、これを転記しただけなのです。
只、もしこのメモがなかったら、日本のインスタント麺みたいにスープに浸した麺として食べてしまったかもしれない、多分「不是泡麺」がその意味?、Wuさんは日本のインスタント麺を良くご存じで、それにヒロパパの中国語の知識レベルも怪しい、だからメモを付けておいてあげようとの配慮と思われます。
この気遣い、嬉しいですね。

乾麺の種類は商品名が「麻油麺線」、「台南乾麺」、「外省乾麺」、「客家板條」の4種類で、外見上では全て麺の太さが違う、それに多分「たれ」の味も違うのでは、これからそれぞれを順番に食べてみます。牛軋糖や爺爺奶奶も同じですが、懐かしい味に又出会える事になりました。

重ねて、Wuさん・・・どうもありがとうございました、こちらからも何かお送りしますね、好きなものは何だっけ、紅生姜だっけ?・・・さて何にしようかな。
それにこのHPでのWuさんの話題を下記にリストアップしてみました。それにしてもヒロパパにとってのWuさんを含めてWangさん、Fanさんの「台湾三人娘」の皆さまには大変お世話になっています、ありがとうございます。

追記(2013年2月8日);上述の「泡麺」はインスタント麺の意味、従って「不是泡麺」は「インスタント麺では無い」と云う意味であることがわかりました。

関連話題;
2007年11月7日の話題;「美人をお二人紹介、只15/6年前の写真ですが」
2008年6月24日の話題;「Wuさんご一家来日と可愛い小翊ちゃん」
2008年6月28日の話題;「お土産のお菓子」
2008年9月8日の話題;「小翊ちゃんからのラブレター?」
2008年11月6日の話題;「小翊ちゃんへのギフト」
2008年12月17日の話題;「Wuさんからの台湾創作菓子」
2010年2月27日の話題;「Wuさんからの台湾のお菓子、解説付き」
2011年9月9日の話題;「ハローキティ切手、小翊ちゃん用」
2012年1月7日の話題;「台湾三人娘のご紹介と台湾のお菓子」

”これらの写真をお渡ししたいな~”
(Who are you? )

アルバムへのリンク;「子ども達」

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掲載した3枚の写真、皆さんの動作がなかなか可愛い!・・・ついついお断り無くシャッターを押してしまったもの、実は昨年の4月8日、相生山徳林寺(名古屋市天白区)の花まつりの時のものです2012年4月8日の話題

実はこの1年近くここに写っている皆さんを探し続けていました、理由はこの写真をお渡ししたかったからなのですが。
まずは付近(徳林寺を中心に半径1キロ程度)にある幼稚園を回りお聞きしたり、付近のコンビニやスーパーの店員さんにお聞きしたりでしたが、いまだに見つからず、今年のここの花まつりにヒロパパが訪れる事は困難なため、最終的に今日、徳林寺の住職さんにこれらをお渡しし、 もし今年の花まつりにでもお見かけしたらご連絡を頂き写っている皆さんにもお渡ししたい旨ご伝言頂くこととしました。
写っている皆さんにお断り無く写した事が失敗の原因で、お名前をお聞きしておくんだったと・・・後の祭りですが。

内緒にしておきたかったのですが、この様な失敗を2年前にも経験しています。
同じ徳林寺で、可愛い坊やが一生懸命お話をしてくれた、思わずカメラを向け、さてこの坊やに写真をお渡ししたいなと思いましたが、名前が分からない、これもしばらく探し回って、最終的には徳林寺で時々活動されている方のお子さんと分かり、この坊やのお母さんにお渡しすることができた、これは事無きをえたのですが、同じ間違いを繰り返すとは・・・情けない・・・トホホですよね。

”この寒い中、枇杷が花を咲かせています”
(folwers of loquat)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」

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この寒い中、枇杷(バラ科)が花を咲かせています。
開花時期は12月~2月頃とのこと、蕾を毛布で包み暖かくしているからこの時期に開花できるのかな?、中国原産で日本での自生地は千葉県を除いて東海地方以西との事で、少しは暖かい地域にしても、どうしてこの時期咲かせる事にしたのか理由を聞いてみたいですね。

枇杷は果実を含め、葉っぱはお茶や湿布にしたりエキスを煎じて入浴剤にしたりと生薬的に利用できるみたい、経験した事はありませんが(下記参照サイト)・・・。

「枇杷」は中国語でも「枇杷(pipa)」で、文字は伝わってきたそのまま、それでは楽器の「琵琶」とこの「枇杷」と何か関係があるのかな?、インターネットで探ってみました。
もともと楽器の「琵琶」が「枇杷」と表記されていた時代もあった、それに、中国語での「玨(jue)」は楽器の意味、「比(bi)」と「巴(ba)」が弦のダウンストロークとアップストロークの楽器を奏でている様を示している、だから「琵琶」という文字となった、しかも、 「枇杷」の果実が楽器の「琵琶」に似ていたから、「木」偏にして植物の「枇杷」と表した、こんな説も見掛けました。

何故何故を繰り返してゆくと面白いですね~。 。

参考サイト;
「枇杷の知識」
「私家版楽器時点;枇杷と琵琶」

”大戦中の日本の軍艦”
(warships and naval ensign of Japan at Pacific War)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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写真は、戦艦大和の断面図です。出典は、「週間読売(発行;昭和50年(1975年)6月7日)」から、例によってお袋の遺品整理中に出てきたものです。
何故これが保管されていたのは明らか、記事の内容に”日本海軍云々”の記事があったからなのでしょう。

記事には当時の世相を映した記事がいっぱい、太平洋戦争中の話題では、この戦艦大和の断面図や、あなたは何隻わかりますか?との連合艦隊の主艦のシュリエットや、連合艦隊のどの艦が何処で沈んだのかの地図、それに 終戦当時までの海軍基地・航空隊の一覧表が載っていました。

これら以外に、懐かしい方が・・・田辺茂一さん(1905-1981)、おおば比呂志さん(1921-1988)、田中小実昌さん(1925-2000)、それに当時35歳の初代・林家木久蔵さん(現在の木久扇さん)、当時19歳の郷ひろみさん、もう一人、当時50歳の鶴田浩二さん(1924-1987)の写真も載っています。鶴田浩二さんは俳優でもあり歌手でもあり、「異国の丘」、「同期の桜」、「ラバウル小唄」等々の所謂戦歌をよく歌っていた、そんな記憶があります。
若い皆さまにとって、前述の現在も活躍されている方以外はなじみが薄い?、でもヒロパパにとってはお馴染、やはり記事に目を通してしまう・・・「そんなことをしているから何時まで経っても整理できない、いい加減にしなさい!」という声が聞こえてきます。

さて、表紙にデザインされている十六条旭日旗は、旭日が旗竿側に寄っているから軍艦旗で現在も自衛艦旗として使用しているもの(陸軍のものは旭日が真ん中)、これらの旗が、何時、どうしてこのデザイン等々履歴を調べてゆくと知らない事ばかり、ここでは紙面が足りない事にして?省略しますが、面白そうです。

”ブルーカットメガネ”
(my blue-cut glasses )

アルバムへのリンク;「戯言」

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お正月早々転倒してメガネを壊し顔面に傷を話題にしましたが(下記)、新しいメガネが出来あがってきました。
新しいメガネは今流行りの ブルーカットメガネ、写真(上)の手前のメガネがそれ、従来のメガネ(奥のメガネ)の反射光が緑がかっているのに比べ青みがかっている、ということは青色を反射して、だから青色の光をカットできている、それではどれ程カットしているのでしょうね。
勿論青色(といっても幅がありますが)を100%カットすれば真っ青な空も海もそれより波長が長い緑や波長の短い紫色に見えるかもしれませんが、カット率は大凡下のグラフの様子みたい、実はこのブルーカットグラスの性能を、何をコーティングしているのか?、それにカット率のグラフを販売店に注文時要求したのですが、残念ながら、メーカからは企業秘密で公開できないとの回答だったとのこと、僅かにコーティング材は、フッ化マグネシューム、シリコン、二酸化ケイ素みたい、それにカット率は一般的な資料から転載した掲示したグラフと理解することにしました。

それでは青色光は目に本当に悪いの?、青色光や紫、紫外線はエネルギーが強く網膜に直接届く性質があり、網膜症になる可能性が高いと云われている、只、青色光は睡眠を促すホルモンの「メラトニン」の分泌が抑えられることから、朝に適量のブルーライトを見ることで(太陽光を浴びることで)正常な目覚めを意識できるとか、時差を元に戻す性質がある、逆に、夜間にブルーライトを多く浴びると、眠りのリズムを乱す可能性が高まる、この様なことが云われていますが医学的には評価は未確定とのことです。

それでは 太陽光は別にしても、テレビやパソコンのバックライトに使われている青色発光ダイオード(LED)をもっと優しい色にしたらとも考えられますが、像をくっきりと表示させる等で他の色は難しいのでしょうか?。

それでは我が目のその他の性能はどれ程変わったのでしょうね、残念ながら悪くなっている・・・数値としては、SPH(遠視・近視の度数で+は遠視)が右眼で2段階下がって+1.50から+2.00に、CYL(乱視度数)も右眼で1段階下がって-3.50から-3.75に(どちらも1段階は0.25)、左眼とその他のAX(乱視軸)やADD(老眼の度数)は変化なし、右眼が悪くなったということはウインクのし過ぎかな?、冗談ですが。

参考までに、太陽光のスペクトルは、NREL(National Renewable Energy Lab、国立再生エネルギー研究所)のASTM G173-03 Global Tiltを参照してください。

関連話題;
2013年1月4日の話題;「転倒してメガネが壊れた」
2011年5月8日の話題;「メガネ交換、前回」
2005年2月25日の話題;「メガネ交換、前々回」
2004年4月22日の話題;「目に優しい色は?」

”祇園精舎”
(Jetavana Monastery at India, 1966 )

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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まだまだ出てくる旧い文書類、今日は「インド 仏跡巡拝記念アルバム(昭和41年(1966年)1月25日、日本仏教文化協会発行・非売品)」です。
内容は、ブッダガヤに宝筐印塔が建立され、落成の開眼と慶讃法要がありこれに参列することを含めインドの仏跡巡拝の旅をした、その時のアルバムです。
アルバムには、ブッダガヤの大塔、ルンビニ―の釈迦降誕の場所、ラジギ―ルの王舎城、霊鷲山、ナランダ大学、クシナガラの涅槃の地、アジャンタの洞窟寺院等々の写真と、山田無文氏(1900年-1988年)、紀野一義氏の文章が記載されています。

さて例によって、これが何故保管されていたのか・・・我がお袋がこの第一回仏跡巡拝団に参加したとは聞いていない、とするとどなたからか頂いたもの、一体誰から、今からではもう調査不可能な状態となってしまいました。

掲載した「祇園精舎」は今から46年前の風景で、皆さまもご存知、平家物語の冒頭の一節でも有名です。
ここは、400平方メータの敷地に64の院があったとされていますが、既に基石のみ、それに中央奥に釈迦がいたといわれている坊舎の聖跡と菩提樹が見えています。
それでは平家物語の”祇園精舎の「鐘」の声”の鐘楼は何処?、一説によると”ここのは鐘はなかった”はずとも言われています。鐘の声を聞いたのは平家物語の著者で物語の中のお話だけ?、でも著者不詳ですのでこれも良く分かりませんね。

さてさて、これ保存しておくの?・・・多分保存する方の箱に入れる事になりそうです。

関連話題;
2012年4月9日の話題;「お釈迦さまと、無憂樹と印度菩提樹と沙羅双樹」

”雲形圖、昭和13年発行”
(past and present about general weather conditions)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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当家のお袋の遺品の旧い文書類の話題が続いています。
今日は昭和13年7月14日水路部(海軍省)発行の雲形圖、販売していたのか定價金80銭とも記載されています(文字も記載通りの旧漢字をここでは使用しています)。

何故これが?は、おおよそ検討が付く、親父が生前「気象長」との肩書きで、多分航空機や船舶の航行の気象関係の最終判断の任務を担っていたと思われる、だからなのではと思われます。そう云えば親父のアルバムには雲を写した写真がいっぱい、何処で何時撮ったのかのメモが無いのは残念ですが、その付近の近々の天気予報を空の様子から判断していたのでしょうね。

さて、記載されている内容は、まず雲の種類については、アルファベットの略記号を含め現行と同じ、只「雲量」からみた「晴れ」や「曇り」の定義が少し違っている、多分呼び名を簡略化したものと考えられます(後述表)。

それに面白いのは 現在の航空業界では、雲量は8段階(国際規格)で雲の種類や高度も伝達することにしているみたい(下記参照サイト)、奥が深そうです。

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参考サイト;
「雲量と雲の種類(エアーバンドでの気象情報)」

”頭陀袋 by 栗葊”
(a booklet of a haiku poet;mr.RiAn)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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昨日に続き・・・お袋の遺品整理で出てくる数々の小物、今日は小さな小冊子、タイトルは「頭陀袋」、誰の?が「栗葊」さんの、中身は栗葊さんが詠んだ俳句が約250首、編集・発行は栗葊のお子さん、何故これを当家のおばあちゃんが持っていたのか?は、中身をみたら直ぐ分かりました。

栗葊さんは俳句の号で、実名は延徳(のぶのり)さん、ヒロパパのおばあちゃんの家族の長男、歯科医で俳人でもあった、従ってヒロパパのお袋は大切に持っていたのではと思います。

この様な個人記録、なかなか役に立ちます。
まずは延徳さんは、ヒロパパからは祖母の兄だから「大伯父(おおおじ)」、お父さん(謙吉郎)が早く亡くなった為苦労して兄弟姉妹の世話をしていた等々の記録があり、しかも家系図も載っていますので、ヒロパパの母方の家系は曾祖父母まで明確になり、現在まとめている家系図におおいに参考になりました。

突然お話が変わりますが、「頭陀袋」って何?、読みは「づだぶくろ」が一般的で僧侶が乞食や托鉢の時首から掛けて使用する布製の袋の事ですが、正確には「ずたぶくろ」で、これは「頭陀」が梵語の「Dhuta」から来ているからとのことです。

もうひとつ難しい漢字の「葊」は音読みで「あん」、訓読みで「いおり」で、玉篇(中国南北朝のころの字書)にある「菴」の古文、、似通った文字では「蓭」があり、全て現在の「庵」と同じ意味、ただ現在の中国語の辞典には「葊」の文字は見当たらない、すでに中国では使われなくなったからなのでしょうか?。

さてさて・・・こんなことばかりしているから遺品整理が進まない・・・分かってはいるのですが。

家系調査の関連話題;
2012年8月18日の話題;「家系図を作り始めています」
2012年9月10日の話題;「どこまでまで遡れる?」
2012年9月25日の話題;「情報集め」
2012年10月8日の話題;「記録の収集続行」

”文藝春秋・昭和28年2月號”
(a 61-yeras old's magazine;the BUNGEI-SHUNJU)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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丁度61年前の文藝春秋、昭和28年2月號です。
まだまだ続いている遺品整理ですが、何故遺品からこの様なものが?と、中を開いてみましたら・・・記事に「山本長官撃墜の謎」と称した記事がありここに親父の名前が載っている、なるほどです。

概略は、昭和18年4月18日早朝、山本長官及び参謀全員が長官機と参謀長機の一式陸上攻撃機2機に分乗して、ニューブリテン島 ラポール(ラバウル)東飛行場からショートランドのパラレ基地に向け飛び立った、途中ムッピナ岬上空でP-38、24機と遭遇、護衛機はゼロ戦6機のみ、長官機は密林に墜落全員壮烈な最期を、参謀長機は海上に不時着し、参謀長とその他2名が助かった、只、ヒロパパの親父はこの参謀長機に乗っていましたが遺骨の一片すら収容できなかった等々記載されていました(著者;相良辰雄氏)。

現在はインターネットで、暗号が解読されていた等もっと詳細をみる事が出来ますが、昨日の旧い小倉百人一首と同様、これも保存しておくことにしています。

只、これらのものが何故保管されているかの理由も、後世の皆さまには必要、一番有効な方法はメモをプリントして同梱しておく、これ以外価格抜きで考えられる事はICメモリーにメモ又は録音し、リーダーで読み取る、この様な方法もあり得る、でも記録媒体は未来永劫同じとは限らない、やはりプリントしたメモを添付しておくことが現状ではベストなのかな~。

どの様な事でも同じですが、まずは3世代後(約90年後)を想定し対処しておこう、これに成功すれば、150年後、200年後(現在から振りかえると江戸時代後期になりますが)に初めてその価値が出てくるものと考えています、頑張らなくっちゃ・・。

関連話題;
2011年8月25日の話題;「海軍甲事件、新聞報道(昭和18年5月22日)それにラバウルの写真、親父ではなかった」
2011年8月18日の話題;「ラバウルの写真、親父に似ているな~」
2011年8月14日の話題;「親父の死亡通知電報と生前最後の写真かな?」
2009年8月18日の話題;「軍服の虫干し」
2008年11月3日の話題;「金鵄勲章」
2005年1月27日の話題;「ブーゲンビレアとブーゲンビル島」
2004年11月4日の話題;「旭日章」と「瑞宝章」
2004年10月16日の話題;「将校勤務録」

”小倉百人一首、小さい頃遊んでいたものです”
(Ogura-Hyakuninissyu, a card game in which the players try to match the first and second halves of each of the one hundred tanka poems by one hundred celebrated poets)

アルバムへのリンク;「戯言」「ファミリー」

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懐かしい「小倉百人一首」、皆さまのお宅でも、このお正月ご家族で楽しまれたのではと思います。
入れてある箱はボロボロ、ヒロパパがもう60年以上前の昭和20年代小さい頃家族で遊んでいたものです。

当家のおばあちゃんの遺品整理は、だんだん細かいものに移ってきていてこの百人一首も含めて、生前親しんでいた詩吟・カラオケの歌集やカセットテープ、日記、刺繍道具からその作品等々、目をつぶってエイヤ!としてしまえば片付くと思いながら、なかなか踏み切れない・・困りました・・多分、これらは箱に仕舞い込んで保管という事になりそうです。

只、我が部屋に比べれば、おばあちゃんの荷物はまだ整理されている方で、いつもながら、我が身の周りの種々雑多なヒロパパ自身のものを早目に片付けておかないと残された皆さんが可哀そうと反省しきりです。

さてこの小倉百人一首、勿論ヒロパパだって得意なものがあったんですよ。
例えば「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまの香具山(持統天皇)」とか「田子のうらゆうち出てみれはしろ妙の 不二の高根にゆきは降つゝ(山辺赤人)」等々、散らした後、取り札の下の句が何処にあるかを覚え、その意味も十分に分からないまま上の句が詠みあげられるとさっと取りに行く、でも兄弟で覚えているのはほぼ同じ、取れずに泣いたりわめいたりがあったことは確かです。

でも難しいですね~、「からし」って?、それに「てふ」とは何?、現在使われていないかな遣いや字体は、現在市販されているものはどうなっているのでしょうね?、こんど見掛けたら調べてみますね。

関連話題;
2012年6月8日の話題;「旧いカルタ」

参考サイト;
「小倉百人一首 カルタ本文」

”今日明日中に、2+four7”
(milestone event of 2+four7)

アルバムへのリンク;「戯言」

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普通紙に塗布して墨汁を塗ってテスト、上半分が塗布したエリアで確かに墨汁をはじいています

うっかりしていました・・・このHPのトップページのアクセスカウンターが今日・明日中に”27777”に達します。

もう一度トップページに戻っていただきもし”27777”の場合は、粗品進呈をさせていただければと思っていますので、落書帖かヒロパパのメールアドレスをご存知の方はそちらでお知らせください。
粗品ッて何?、高価なものですとご遠慮があると思われますので・・・ということにして・・・前回と同じ今回も我が手づくりの「絵合わせパズル」2012年12月22日の話題・掲載した画像)のセットと致します。

この絵合わせパズルは、作る際表面を保護する為、今までは保護シールを貼り付けていて、このシール貼りに失敗し最初から作り直したケースが度々発生していました。
このシールに代わるものは何かないかな?と探していましたが、見つかりました!、紙に塗布すると紙がプラスティックみたいに変身すると銘打った商品名;「スーパーコーテックス」というもの、成分は合成ポリスチレンと書いてありましたが、これを塗布して乾燥させると、確かに汚れや水ぬれから保護することが出来、これを使う事によって絵合わせパズル作成の歩留まりを向上させ製作時間の短縮が出来そうです。

”オオフサモ駆除作業をアルバムにまとめてみました”
(a album of Ohfusamo-extermination's work-record)

アルバムへのリンク;「森づくりの会」

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この数日はあまり外に出ず部屋にこもりきり、何故かって?、昨日話題にした事故での見難い擦り傷の我が顔をさらしたくない為、とはいっても自分では鏡を見ない限り分かりませんので気にはならないんですが・・・。
さて、こんな時はゆっくりとパソコンを前にして、以前に作ったどんぐり畑のアルバム2012年11月28日の話題と同様、今度は先月駆除の終息宣言をした2012年12月17日の話題「オオフサモの駆除」について、この記録をこの2日間でアルバムにしてみました。

作り方はドングル畑のアルバムの時と同様、このHPから、使った画像と文章を参照して、文章は手直しをし、日付順に並べたもので、A3、4ページに、その他の発行した資料を含めたものです。

ここ名古屋で参加していた森づくりの活動も、もう直ぐ区切りをつけなくてはならない、前述のどんぐり畑のアルバム、今回のオオフサモ駆除のアルバム、昨年発行した定点撮影の号外2011年2月10日の話題と、マンション屋上から撮影した鳥瞰画像の工事前後の様子は(工事前の景観;2008年11月7日の話題、工事後の景観;2011年5月4日の話題、一応プリントを済ませクリアーファイルに格納済み、残りはくらしの森とふれあいの森の合計;39ポイントある定点撮影のアルバム作りを残すのみとなりました。
目標としては後10日間程度で出来上がればハッピィーなのですが、もしかしたら間に合わない?、そんなときはゴメン・ゴメン、もう少し待って・・です。

”ヒロパパにとって今年は良い年になりそう・・・かな?”
(broken my glasses)

アルバムへのリンク;「戯言」

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毎年、今年こそはと気合を入れてと、意気込みだけは変わりないのですが、昨年は当家のおばあちゃん(実母)が天国に召されて介護生活からは離れる事ができた、まだ遺品整理は残っているものの今年は自由気ままな生活が送れるのではと期待していた、そんな最中、一昨日ちょっとした事件が起こってしまいました。

実は、コンビニで買い物をしようと歩を進めていた最中、暗かったからなのか車止めに足を引っ掛け顔面から前のめりで転倒、額と、メガネは割れなかったものの自慢の高い鼻?、ウソつけ!・・・ウソです、すみません・・・低い鼻ですが数か所に擦りキズが、それに膝小僧を擦りむき、メガネはフレームのリムとレンズに傷が、その上パッドクリングスの片方の溶接部が外れと、この様な事故を発生させてしまいました。

お正月早々不慮の出来事に遭遇・・・いやな予感・・・とは考えず、今年はこれだけ、あとは良い事ばかりと考える事にしています。

さて今日新しいメガネを発注、目の測定をし直し、遠視とか乱視が前回より進んでいるとのことで新しい遠近両用レンズと今回初めてブルーカットのコーティングをしたものとしました。

それでは前回の時2011年5月8日の話題)と具体的にはどれ程違ってきたのかは、完成予定が再来週、その時正確な数値が入手できますので確かめてみることにします。

”今シーズンの干し柿、今日出来あがりとしました”
(finished a dried persimmons)

アルバムへのリンク;「戯言」

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昨年11月から作り始めていた干し柿2012年11月16日の話題)、白い粉を吹き始めました。
2012年12月27日には白い粉がまだだった為冷凍庫と冷蔵庫とそのままの状態の3種類に分け見ていましたが、掲載した写真のAがそのまま戸外に吊るしておいたもの、Bが冷蔵庫、Cが冷凍庫に保管していたもの、冷蔵庫のものが一番多い様に見える、次は戸外で冷凍庫のものが少し少ない様にみれます。

推定した結論は、周囲温度単独ではなく湿度の高低による乾燥度のちがいにより白い粉の出方が違うみたいとしました。

これは、冷凍庫、冷蔵庫とそれに戸外の状態でのチェックは、温度の差と同時に下記グラフの様に気温により飽和水蒸気量の違いが有り、これにより湿度の差が有るはず(飽和水蒸気量の許容量が少ないほど湿度が高くなる可能性が高い)、湿度が低ければ早く乾燥し白い粉が早く吹く出すはず、これの確認をしたかったなのでしたが、この結果から冷凍庫の中が一番湿度の高い状態が続いてのではないか、冷蔵庫が一番湿度が低い状態が続いたのではないか、この様の理解しました。

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それなら湿度計を入れておけばいいのに・・・そうですよね、でも湿度計をたくさん持っている訳でもなく、マーイイかッ!の状態です。

もうひとつ、表面の色が我が自作のものは黒褐色、これに対しプロの作ったものは薄い褐色、この違いは何なんでしょうね?、想像としては白い粉が浮き出てくるまでの乾燥時間の差で、乾燥を人工的に工夫して早く乾燥させているのではと考えていますがどうなんでしょうね?。それに自分で作ったものが一番美味しい・・・手前味噌ですが。

”今年は巳年”
(this year is Snake as the sixth of the twelve signs of the Chinese zodiac)

アルバムへのリンク;「戯言」

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今年は「巳年」、掲載したイラストは毎年年賀状を頂いているM.A.さんからの年賀状に描かれていた、勿論M.A.さんが描いた可愛いヘビ君、どこかの人気のあるキャラクターかな~?、上手ですね。

M.A.さんの年賀状は、毎年手書きの楽しいイラストが描かれていて2009年1月2日2010年1月1日2012年1月4日の話題)楽しんでしまいます。これらの楽しいデザインはどうやって生みだしているのでしょうね、それにこれを描く能力もすごい、教えて欲しいな~。

さてもう一度今年は「巳年」、「巳」は音読みで「し」、訓読みで「み」、中国語でのピンインでは音読みと同じ「si」、意味が●十二支の6番目、●方位では南南東(正確には135°~165°)、●時刻では午前10時を中心とした±1時間、●月では陰暦4月等々の意味を持っていますが、現在は「今年は何年?」、「巳年だよ」との使われ方のみで、午前・午後の「午」以外は方位も時刻にもこれらの十二支は使われなくなっている、これ何故なんでしょうね?。
一つ考えられる事は、十二支で表した時刻は2時間の、方位は30°の幅を持っていて一点とか一瞬を表す表現では無い事により現在社会での表現には適さなかった、只「十二支での年」や午前・午後の「午」は幅を持った表現でこれだけ残った、この様に考えていますが当っているのかな~。

”穏やかな元旦
お正月の過ごし方の初めての経験”
(my first visit's place of the year)

アルバムへのリンク;「戯言」

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掲載した実は今日見掛けた「フユイチゴ」、以前ジャムにしたものと2012年11月15日の話題森の中の同じ場所で今日まだ元気でした。
元旦早々森の中を散策?、本当の目的はこの散策ではなく、良いお天気に恵まれた今日お墓参りをしてきました。

今年のヒロパパのお正月は、喪中のお正月の暮らし方で、門松や注連縄、鏡餅、おせち料理等の無い、おとなしく普段の生活と変わりない時間を送っています。

それにしても今日の公園墓地内(平和公園・名古屋市)はまるでお盆の時期と同じ状態で交通渋滞、それにお墓全てに花が飾られていました。訪れた方が多かったことも考えられますが、それぞれのお寺が元旦にはお花を飾ることにしているのでしょうね。

それに、昨年暮れには年賀欠礼のご挨拶状をお送りしましたが、これをお送りしなかった皆様から年賀状を頂いています。頂いた皆様には松の内が過ぎた時点で寒中見舞いをお出しして、文面に断り書きを添える、この様な予定でいます。

さてさて、今年も皆様にとって良い年でありますよう祈念しております。