2013年2月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2013年2月28日

”又マタ新東名を快走、新たな目標を設定”
(today on ShinToumei again)

アルバムへのリンク;「戯言」
kakegawapa130228_1

今日は暖かかったですね~、もしかしたら明日”春いちばん”が吹く、「梅は咲いたか桜はまだかいな・・・」の風情ですね。
でも忙しい・・昨日は部屋にこもって書棚から本を取り出し埃を払い輸送用の段ボールに詰め込んで、ここまでは良いのですが・・・アレー!持ち上がらない、重たいのは運送屋さん任せと、これを良い事に積み重ねてゆく、こんな作業が続いています。この様な毎日でこのHPのアップデートを2日間もお休みをしてしまいました。

さて明日は仮称;我が歴史文化博物館にご用が有り、今日又マタ新東名を快走?です。

多分まだまだこの新東名の往復は続きそう、それではと新たな目標を立ててみよう、この目標とは?、新東名にあるSAとPA全てに寄ってみよう、寄ってみて何をするの?は、トイレは勿論ですが、ブランチやルディナ2013年1月30日で、そこの特有のものを食べてみよう・・とします。

さて、新東名のSAとPAはいくつあるのかな?、数えてみましたら一番西側の「浜松SA」から一番東側の「駿河湾沼津SA」までの7っ、しかも上下にある?、でも「清水PA」は上り下りが一つなので13か所という事になる、正確には13か所立ち寄る為に7往復すれば良い、もし回数が足りなそうだったら一往復で数か所立ち寄ってしまえば良い、安易な考え方ですがお許しを・・・。

この目標は次回からとして、今日は始めて「掛川PA」に寄ってみました。
この頃のどこのSAやPAでも改善されていますが、駐車方法が殆ど頭から突っ込む「斜め駐車」に変わってきています(掲載した写真)。これ何故かご存知ですか?。
出る時はバックする事も必要ですがヒロパパにとっては直角に狭い場所に入れるより駐車し易い、只もっと重要な目的は一方通行の逆走防止なんだそうです。

もうひとつ、写真に街路灯が写っていますが、そのトップに監視カメラが設置されています。現在は、街中、お店の中、駅、それに空からも、何処でも監視カメラが睨んでいる、とは言わず、見守ってくれていると考えましょうね。

”これ何だっけ?、10年前に採取した化石”
(some fossilized shellfish)

アルバムへのリンク;「戯言」
kaseki

昨日の続き・・・我がはゴミ部屋の整理で出てくるは出てくるわ!の他愛のないものの数々、今日の話題は写真の化石です。

この化石は、介護の為名古屋に移住した当初(2003年)、この頃はまだ4・6時中介護の必要が無かった為、土岐川の河原で「瑞浪市化石博物館」に申し込んでおけば化石を自由に掘ることが出来ることを聞きつけ、行った時取得したものなのです。

詳しくは下記「瑞浪市化石博物館」のサイトを参照していただければと思いますが、今から約2000万年~1500万年前の瑞浪層群と呼ばれている地層が土岐川の地表に現れていて、ここでハンマーやタガネでコツコツと掘りだしたもの、本当は個々の化石のまわりをもっと丁寧に取り除いて小さなサンプルケースに入れて・・なんて考えていたものなんです。

これらは巻貝、二枚貝等で現在と似通っている、本当に約2000万年~1500万年前のものなの?との疑問が生じるとは思います。
まずこの貝類は海に生息していたものでそれが陸地の地表に現れている事、それにこの地層の年代測定によるもので確実、それでは地層の年代測定はどうやっているの?、測定方法はいっぱいありそれぞれで測定精度が違うみたい、以前調べたものをを読み返して(下記関連話題と参照サイト)復習をしています。

問題はこれどうするかで、取っておくの?捨てるの?、もし我が庭に放置した場合、後々何万年後にこれを発見した方が、何故ここだけ異なった年代の化石があるのかって不思議がるかもしれない、一応当初の計画通り、コツコツとまわりを取り除き化石本体の形状を露わにしてサンプルケースに収めることになりそうです。

さて、これを採取した土岐川の採掘場所が河川工事で無くなるかもしれないとの情報もありました。もしそうだとすると早目にお孫ちゃんやお子さんと一緒に化石掘りをしてみたら如何でしょうか。

関連話題;
2003年7月27日;「化石掘りに行ってきました」
2003年7月28日;「1600万年前の化石」
2003年7月31日;「年代測定ってどんな方法があるのかな?」
参照サイト;
「瑞浪市化石博物館」
「地球の歴史と放射年代(NHK高校講座 第24回地球の歴史)」

”これ何だっけ?が分かりました”
(what is this?)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
部屋の片づけは、今度はゴミ部屋と化した我が部屋に移ってきています。
ゴミ部屋と化した状態は、乱雑に置かれた足の踏み場もない程の本、書類、衣類、その他の雑多なもの・もの・もの、今回を良い機会にして整理整頓しなくては・・・。

雑多なものの中には、付近で拾ってきた鬼胡桃やその他の木の実がいっぱい、掲載した写真はその中の一つ、何処で拾ったのか、何だっけかを忘れてしまっていたものですが先日やっと解明しました。
解明したきっかけは、近くの公園を通り過ぎた際同じものを見つけ、なーんだこれだったのかでした。
これ「タイサンボク(大山木又は泰山木、別名;白蓮木、モクレン科)」の花のなれの果て、基部の網目模様の所に雄しべが、丸い部分の小さな房が雌しべでそれぞれに種子が育っていたのでしょうね。
既に種子は無くなっていますがなかなか奇妙な形で、硬くて形が崩れる訳でもない、芸術的な造形美とも言えます。

「タイサンボク」は北米中南部原産で日本には明治時代初期に渡来し、公園や庭木として植えられた、花期は5~7月、モクレン科の他の植物と同様芳香がある、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花だそうです(Wikipediaより)。
それに花言葉は「前途洋々」とか「威厳」、「壮麗」、「壮大」とか・・・ヒロパパとは縁遠い花言葉ですが。

”自然薯?と、斬新な新東名高速のSA”
(NEOPASA & EXPASA on SINTOUMEI)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
このところ我が私設歴史文化博物館との往復で使っている新東名高速道路、通るたびに横風注意の表示が点灯しているケースが多いのですが、何故か走り易い感じがしています。現在は三ケ日JCT以西、御殿場JCT以東は東名高速道路ですので、多分この部分と比較しての感じとは思いますが、何が違うのでしょうね。
一番の違いは交通量の多少?、確かに単純に考え一本道が二本道に分かれれば交通量は半分に、逆は2倍に増える、だから当たり前、これで 東名高速は走り難いといわれたら東名高速は可哀そう、それでは車線の幅や路肩の幅の広さは?ということで比較してみました(下表)。
表より、車線幅はほぼ同じ、路肩は中央側が東名高速の方が狭い、橋梁は新東名は東名に比べ2倍強、トンネルは10倍ですが、構造上での違いは大差無い、これは「道路構造令」(下記参照サイト)に因って決まっているから当たり前、 それでは何故走り易いと感じるのかは、やはり交通量の違いからくる印象と、それに、トンネルは多いにしても周りの景色が広々としていること、それに路面が痛んでいない為振動が少ない、これらが好印象につながっているのでしょうね。

それに新東名のSAやPAにはNEOPASA(ネオパーサ)と称してなかなか目新しい施設が用意されています(只、EXPASA(エクスパーサ)との違いは何?、良く理解できていません)。
SAやPAに寄る目的は、トイレ休憩や食事やお土産購入の目的が主、新東名のNEOPASAもEXPASAも、食事も今までと違う特徴のある料理が並んでいる、トイレも斬新なデザインで使い易い、お土産もその土地特有のものが売られている、しかもドッグランもある、もうひとつ衣類や装飾品の店まで並んでいるところがある、それに走行中にSAやPAの混雑状態が予め表示されている、高速道路も、ただ単に走るだけではなく気分良く走れる様に徐々に進化しているのでしょう。

さて掲載した写真は、森の石松さんで名前が知れ渡っている遠州森町PA(上り線、ここはEXPASA?)、ここの名物は自然薯なのかな?、とろろ料理が並んでいました。それに売店では身の丈ほどの自然薯がいっぱい並んでいました(写真)・・・というのはウソ!、自然薯に似せた麩のお菓子でついつい一本手を出してしまいました、又マタって叱られそう~。

関連話題;
2013年2月20日;「雪景色」
2012年11月17日;「ゴミ箱の表示言語とドッグラン」
2012年11月13日;「山の上には風車がいっぱい」
2012年11月8日;「今日の富士山」
2012年11月3日;「新東名を走破してきました」
参照サイト;
「道路構造令 」

”トトロのふるさと、狭山丘陵”
(ToToRo's home village)

アルバムへのリンク;「風景・自然」
写真は、我が私設の歴史文化博物館(この名前は少し大げさですが)の近くにある風光明媚な湖?、本当は首都圏の水がめの狭山湖(近くに多摩湖、それに西武球場もあります)です。荷物整理の途中、お昼ごはんを食べに行ったついでに寄ってきました。
この狭山湖と多摩湖の周りは狭山丘陵で、この湖を守るために自然がそのまま維持されています。

ご存知かも知れませんがこの狭山丘陵は、トトロの故郷なんです(下記サイト参照)。
従ってトトロが住んでいた森もあればマックロクロスケの住み家も有る、只、サツキとメイの家は愛知万博の時、万博会場の海上の森に移設されもうここには無い、そのうち又ここに戻ってくるのではと期待している・・・といっても、当初ここにあったと云うのはウソですが。

さて、荷物整理が一段落したら、もしかしたら荷物整理はそっちのけでかもしれませんが歩き回り、豊かな自然に出会う事が出来そうです、楽しみ~。

参照サイト;
「トトロの森の紹介・トトロのふるさと基金」

”我が家の博物館から見た富士山”
(view of mt.Fuji)

アルバムへのリンク;「風景・自然」「ファミリー」
写真は我が家の私設博物館(正式名称はまだ未決定、ヒロパパが館長さんかな?)から見た今日、朝の富士山です。突然に富士山の話題?、ご存知と思いますが明後日は「富士山の日」、エ!何故・・・2-2-3のごろ合わせですよね。

さて今日は、この博物館への荷物の搬入日、午前中は搬入準備、既にカーテン等は設置済み、カーペットを天日干しした後敷いておき、午後の搬入に突入、運び込むだけで約4時間弱掛りました。それにさすが引っ越し屋さん、壁に傷が付かない様壁を段ボール板で養生し、部屋アドレス2013年2月18日の話題)に従ってその位置に置く、搬入は順調に完了しました。

サア~、これからが大変です。
まず家具類は、フローリングに傷が付かない様緩衝材を底部に張り付け、計画していた位置に設置、これからは、梱包箱から取り出したものを格納してゆく作業が始まります。どれ程でこの作業が終わるのでしょうね?、多分一端整理したものも後から修正も有り得る、落ち着くまで半年は掛るのでは、急ぐ訳でもなくゆっくりと構える事にしています。

さてお話を元に戻して、この我が家の博物館からの富士山、いつも見えている訳でもない、今日見えたのはこの写真の朝と、夕方、夕日をバックの富士山、それでは年間を通してどれだけ見る事が出来るのか、勿論雨天の場合は無理、四季に因っても違う事は予想できる、でも、見えるか見えないか、見えた場合も明瞭度を3段階ぐらい、それに当日のその時の気象条件等々を記録してゆくと面白そうです。
でもそれを記録していってどうなるの?、もしかしたら 見える頻度が増えてくれば日本の空気が澄んできた証拠となる、さて記録の方法を考えて始めてみようかな。

”久しぶり雪景色”
(a snowy landscape)

アルバムへのリンク;「風景・自然」
掲載した写真2枚、まずはクイズです。
二つに写真にそれぞれ一つずつ偶然写ったものがあります、さて何でしょう?。
上の写真では右上の小さな白い点、下に写真では中心から斜め左下の黒い点にご注目ください。答は後述しますが、今日は新東名をすいすいと走ってきました。

写真・上は、静岡県でもうすぐ御殿場IC、富士山はすでに左後ろで遠くの雪を被った山々は多分箱根辺り、写真・下は雪を被った森林地帯、場所は東富士有料道路、このところの寒波で昨日降ったみたい、只、道路上には積雪は無く、久しぶりの雪景色を楽しんで走ることができました。

今日は移動だけ、明日からは移動先での荷物整理が待っている、気分が重いのは確かでも、今日だけでも楽しまなくっちゃ・・・。

さてクイズの答は、上の写真はお月さま、下の写真は 自衛隊のヘリコプター、ナ~ンダですが。

”紅梅と白梅、
開花時期の違いは何?”
(Ume;Koubai & Hakubai)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
いつも気にしている目の前にある生産緑地(生産緑地の話題;2005年2月20日の梅がやっと開き始めました。唯、紅梅だけで白梅はまだなのですが。
ここ名古屋地方の生物季節観測では、今年は2月5日、平年より3日遅く、昨年より17日早かったとのことです(下記参照サイト)。勿論気象台に植わっている標準木(サクラの標準木の話題;2006年3月29日とここの梅の木は染井吉野みたいにクローンでは無いから個性がある、開花時期が長い梅なので開花時期が違うのは当たり前、それに気象台の該当ページに掲載された写真では白梅みたい、それでは・・・と又々ヒロパパの疑問が頭をもたげています。

①もし同じ環境条件だったら何処でも紅梅の方が早く咲くのかな?。
②前述がその通りだった場合は、何故紅梅の方が早く咲くのかな?。種の違いでもともと白梅よりも早く咲く遺伝子を持っているから?、それとも太陽光の吸収が白梅よりも紅梅の方が多いからかな?。
③もし太陽光の吸収の違いの場合は、人為的にテストした結果はあるのかな?。

調べてみましたが皆目わからない、只、紅梅と白梅の咲く時期の違いはあるみたい、「源平咲き」(同じ木に源氏=白、平家=紅に見立てて同時に咲かせる、例;京都天満宮)にする為接ぎ木をしているみたい、ということは太陽光の吸収度合いの違いではなく種の違いなのでしょうね。

それにしても花の色は様々で楽しまさせてくれています。でも模様や斑点があるにしてもほぼ同一系統の色、逆に、何故同じ種では違った色の花では無く同じ色なの?、これも不思議です。
それでは同じ木に違ったいろの花を付ける「花桃」2009年4月13日の話題)は?、これは「源平咲き」と同じ接ぎ木、それでは花弁に色が混ざる「サツキ」は?2007年4月24日2007年4月25日の話題)遺伝子が混ざり合った?・・・・そんなこと考えずに、甘い梅の香りと色を楽しみなさいという皆さまのお声が聞こえています。

参照サイト;
「2013年 生物季節観測・名古屋地方気象台」

”各部屋内のアドレス、引っ越し用”
(address in my house)

アルバムへのリンク;「ファミリー」
タイトルの”各部屋内のアドレス”とか掲載した画像は何の意味?、今回、親父・お袋の遺品を収納するヒロパパ家の博物館的ハウスの各部屋の中にアドレスを設定して、荷物にこのアドレスを添付して移送する際その位置に運び込んでもらおうとの意図なのです。

まずはお断り・・・掲載した画像は、リビングダイニングが13畳、それに和室と洋室が三つ、これヒロパパの・・・と云いたいところですが、インターネットから拾った何処かの新築マンションの間取り図で、ヒロパパ家の実例を明らかにするのは、狭く・旧くであまりにも恥かしい為避け、この画像で代用させていただきました。

基本として広い部屋は九つに、狭い部屋は四つ又は二つに分割して、その他食器棚と食器類、調理器具や冷蔵庫、洗濯機は置き場所が決まっているのでこれはラベルなし、これで多分運送屋さんも間違いなく運び込んでもらえると思っていますがどうでしょうね。

それに今回移送する家具類は旧いもので70~80年前のものもあり傷みが激しい、これの補修作業も加えてみました。
例えば、旧い箪笥は出来る限り 木釘でこれが効かない場所は釘、それでもダメだったらボンドやテープで、それに 塗装が剥げた飾り棚は周りを補修用のフィルムを貼る(しわ無しで貼るのはなかなか難しいんですよ)、それに各家具類はフローリングを傷つけない様に底部に緩衝シートを張り付け、塵やホコリや取り除き最後に部屋を閉め切ってバルサンでダニ退治、効果がどれ程かは定かではありませんが、今日ここまでは一応済ませた・・と自己満足しています。

明日から移送開始、博物館的ハウスに到着したら又これらの整理整頓が始まる、お引っ越しって本当に大変ですね~。

”送別会”
(farewell party for Dr.Gao)

アルバムへのリンク;「戯言」
我々の中国語サークルの講師をしていただいていたN大学ドクターコースの高さん、ドクター論文も無事通過しいよいよ来月末卒業となりました。
ご卒業おめでとうございました。
小高、恭喜获得文学博士学位,祝你工作一切顺利。

3月になると、高さんのご両親の来日、それに帰国準備でお忙しそう、ということで少し早目でしたが、送別会を先日金曜日に開催、写真がそれです。

卒業後の高さんは、帰国し、既に出身地の南京で南京〇〇大学に就職が決まったそうです。
大学でどの講座を受け持つの?とお聞きしましたら「日本文学」とのこと、古典ではなく明治・大正・昭和時代の辺りの「近現代文学史」みたいです。
明治以降の日本文学は、江戸時代まで受け継がれていた漢文をベースにした文学に対して、明治に入り「言文一致」運動が広がり、これをベースにして、所謂皆さま良くご存じの作家の皆さんがいる、思いつくままに、「福沢諭吉」、「坪内逍遥」、「二葉亭四迷」、「森鴎外」、「島崎藤村」、「夏目漱石」、「高浜虚子」、「与謝野晶子」、「石川啄木」、「谷崎潤一郎」、「芥川龍之介」、「川端康成」、「井伏鱒二」、「志賀直哉」、「高村光太郎」、「太宰治」、「菊池寛」、「直木三十五」、「三島由紀夫」、「吉行淳之助」、「大江健三郎」、「村上龍」、「村上春樹」・・・・等々数え上げたらきりがないほど、まさかこれらの皆さんの作品を全部読むことは無いとは思いますが、作風、時代背景、対象話題等の研究生活がこれから始まるのでしょう、
ガンバレ(加油!)

”小鳥たち、森の中の餌場で出会った”
(small birds at the wood)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」
掲載した小鳥たちは、先日の定点撮影の折り立ち寄った場所で、わずか10分程度で出会った小鳥たちです。

ここは小鳥たちが集まる場所で知る人ぞ知る場所、といっても自然に集まって来る様になったのではなく、観鳥家の皆さんが餌場や水場を作って小鳥たちを集めているから、小鳥たちは、このエリアでは警戒心が薄いのか数メータ程度は近づいてくれる、従って望遠レンジを付けなくても普通のレンズでヒロパパでも撮影することが出来た訳です。

小鳥たちの名前は、これでいいのかな?、烏や鳩、雀、それにこの頃はメジロ2012年12月23日の話題)や鷺の仲間2012年12月24日2010年6月2日の話題)、ヒヨドリ2012年6月4日の話題)、雉2010年5月11日の話題)等々出会った毎に名前を覚えようと必死なのですが、この歳で直ぐ忘却の彼方、記憶を呼び戻す為このHPの「アルバム;小鳥・動物・昆虫」を開いて確認、この様な動作の繰り返しです。

実は撮影のためのルートで散策路に何か種子がパラパラと落ちていた、みたところヒマワリの種で、何故散策路にこの種が落ちていたのか?、焼くとか揚げてある等加工してあれば散策された方が食べこぼしたの可能性もありますが生のまま、という事は意図的に小鳥たちのためにばら撒いたものと想像しました。

お気づきのこと思いますが、野良猫・犬に対する餌付と同時に、特に野生動物に対する餌付の可否は難しい問題を含んでいます。
ヒロパパの庭に遊びに来てくれる雀達は、当家の佐代子ちゃん(オカメインコ)のおこぼれを狙ってきている、ここで話題にした餌場でも人為的に餌を撒いている、生息する地域とその地域での生息数を考慮したうえで絶対禁止とは言わなくてもバランスを考えて実施(これが難しいのですが)、興味本位だけは止めたいですね。

さて散策路にばら撒かれたヒマワリの種は、そこで発芽したら森の中に突然周りがヒマワリ畑に、この様なことでその地域の植生が変化してゆくと考えると避けたい事と考えています。

”ぞくぞく届くバレンタイン・チョコ”
(st. Valentine's day chocolate for me)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」
昨日から今日に掛けて続々届くバレンタイン・チョコ、続々?とは少し見栄をはってしまいましたが、左はこのHPの読者のメグさんから、右は中国語サークルのMさんから、義理チョコではなく心がこもっていると自分なりに理解し嬉しくなっています。

でも一つだけバレンタインに関係なく昨年頂き封を切っていないものがあります。一緒に写っているミルカ、これはメグさんが昨年ヨーロッパ旅行(アドリア海沿岸一人旅;2012年11月6日の話題)の折りお土産に頂いたもの、唯、メグさんは現在イタリア南部シチリア島に又一人旅とお聞きしている、何処から発送したのかな?、バレンタイン・ディーに合わせて届く様手配をして出掛けたみたい、お気づかいをありがとうございました。
それにヒロパパなりのアドリア海沿岸のバーチャルトラベルも道半ば、この頃の忙しさが落ち着いたら続けることにしますが、唯その頃はシチリア島のバーチャルトラベルも重なりそう、ニカ所を同時に 旅が出来るなんて幸運ですね~。

それで・・・こんなにたくさんのチョコレートどうするの?、頂き物ですので自分で消費するのが礼儀かな?、来年のバレンタインまでは1年あるからと悠長にかまえています。

今ニュースでウラル地方に隕石が落ちたと報道しています。
相当大きな隕石で直径;約15メータ、質量;約7千トン、大きな隕石としては100年振り(前回は1908年)のものと云っていました。
住宅地を直撃しなくて良かった事は確かですが、唯、衝撃波に因る被害が相当出たみたい、明日大接近する小惑星も関係している?、この小惑星は 直径;45メータ、質量が13万トン、昨年2月スペインの天文台で発見された、しかも秒速8キロで気象衛星「ひまわり」より低い上空をかすめるとのこと(下図)、昔恐竜が死滅した原因とされている隕石の衝突はまだホモサピエンスが存在していない時代、ただ現在の人類だって隕石の軌道を変えたり破壊したりする手立ては無い、だから領土問題や核兵器等々人類が人類同士で争っている 暇なんて無いよ!、昨日の「にはぜんきゅう」さんの言葉にあるように「やさしさをありがとう」精神で生きてゆきたいものです。

”今天是情人节”
(today is st.Valentine's Day and cookies from T-san)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」
「今天是情人节(jin-tian-shi-qing-ren-jie)」は中国語で、「情人」は「恋人」、「节」は「節」の簡体字、従って「今日はバレンタインディです」の意味です。

僅かながらですが期待をして、でも期待外れでも慣れているので落ち込むことは無いこの頃ですが、何を期待かって?、勿論チョコレートのギフトです。

午前中玄関でピンポーン!、お届ものですとの声に、受け取ったのが写真のもの、なんと虫のおばちゃん兼タバッチのお母さんから送られてきたお手製の”喉から手が出るほど欲しかった”クッキー(直近の話題;2012年12月26日の数々とこれもお手製のマーマレード、記念撮影の後、早速”既に喉から突き出ていた手”でつまんでしまいました、美味しい~~!。

タバッチのお母さん、いつもありがとうございます、それに再度お送りいただいた三重大学カレー2011年6月16日の話題)も美味しく頂いています、これもありがとうございました。

さて、バックに移っているタオル状のもの、これも同梱されていたものですが、このデザインどこかで見たことが有る・・・「にわぜんきゅう」さんのサインがあり直ぐわかりました。
「にわぜんきゅう」さんとは中部空港で展示している時お見かけし般若心境を購入2006年11月8日2006年11月16日の話題)、その後、「しあわせこいこい猫」や「笠地蔵」ちゃんを購入しマイルストーンイベントでお渡しした2006年11月16日2006年11月19日2006年11月23日の話題)、知多半島のアトリエにお寄りさせていただいたこともある2006年12月14日の話題)、しかもこのHPに「しあわせこいこい猫」ちゃんの画像をデザインさせて頂いている、もうお馴染でした。

ほのぼのとした絵と文章、Tさん、この言葉通りの「やさしさを、本当に本当に、ありがとうございました」。

”荷物整理は最終段階”
(a old tabacco tray)

アルバムへのリンク;「ファミリー」
当家のおばあちゃんの荷物整理も近々の当家のセカンドハウス、別名;当家の博物館への移送に向けて最終段階、特に高級そうな花瓶や旅行の折り購入したと思われる飾りもの等々細かなもの、しかも衝撃で壊れそうなものの箱詰め整理に入っています。

緩衝材が有るわけでもなく、壊れない様にするため箱詰めをどうしたと思いますか?、ソウだ!、良いものがある、我が部屋に転がっていたパソコン輸送の箱2006年6月20日の話題)、これを使う事にしました。個々を一応ぼろタオルで包んでこれに並べて収納完了、この輸送用箱、何か役に立ちそうと取っておいた、これが功を奏して、良かったです。唯、将来何かに役に立ちそう、使えるかもしれないと保管してあるものがいっぱい、それらが我が部屋を塵部屋と化している原因、これも現実なのですが・・・。

さて掲載した写真は、この作業中に出てきたもの、蓋の裏には「軍艦對馬長江警備記念、昭和十年七月」と書いてある、親父がこの警備活動に参加していたのか、それともただ軍から頂いたものかは定かではありませんが、確実に今から78年前のもの、他のものと一緒に収めました。

それではこれは何?、想像するに簡易型の「煙草盆」、江戸時代のきせる方式ではありませんが多分真ん中が灰皿(金具が既に紛失?)で、両側が葉巻や巻煙草を入れる箱ではないかと考えています。

それでは「軍艦對馬」って、これもwikipediaより、就役が1902年(明治35年)2月、除籍が1939年(昭和14年)4月、廃艦が1940年(昭和15年)とのこと、正式には「新高型の防護巡洋艦」とのこと・・・と単語を並べてみましたが、「新高型」ッて何?、「防護巡洋艦」ッて何?はヒロパパにとってはチンプンカンプン・・・そう云えば、先日このHPに書き込みを頂いたタバッチのお父さんは太平洋戦史のプロ、多分スイスイと理解されているのではと思います、羨やましい限りです。

タバッチのお父さん、先日のゼロ戦の情報2013年2月9日の話題)、すこしはお役に立ったみたいで良かったです、それに書き込みを頂きありがとうございました。

お話を元に戻して・・・、「長江」は、青海省を源とし、四川、湖北、湖南から蘇州2011年10月8日の話題)、上海で東シナ海にそそぐ、6300キロに及ぶ、アマゾン川(7025キロ)、ナイル川(6671キロ)に次ぐ長さでは世界第3位の河川、でも支流あり源流付近では名前が違う、河口付近は揚子江と呼ばれている、多分源流も含めての距離なのでしょうね。
それに、中国国内では「揚子江」より一般的には源流部を除き全てを「長江」と呼ばれているみたい、従って「揚子江警備」ではなく、記載された表現の「長江警備」が妥当みたい、気にすることではありませんが。

荷物整理の残りは、照明器具と食器・調理具類とお仏壇、食器・調理具類の荷造りは運送屋さんにお願いするとして、照明器具は箱に、さてお仏壇の荷造りは頭が痛い、小さな仏具は前述のパソコン輸送用の箱の収納することにしています。
今日も荷造り・・・急がなくっては!。

追記(2013年2月16日)タバッチのお父さんより下記書き込みをいただきました。

ヒロパパ様
2月13日のつぶやきを拝見しました。
「軍艦對馬長江警備記念昭和10年7月」について、 国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページ(http://www.jacar.go.jp)のトップページ、検索ボックスに「對馬 航泊日誌 昭和10年1月」と入力して検索してみてください。手掛かりがありそうですよ。

タバッチのお父さん、貴重な情報をありがとうございました。
以前、我が親父のラバウルを発つ時の生前最後の写真を、多分山本長官の傍に居たはずだから写っていないかなと防衛庁防衛研究所戦死研究センターに問い合わせたことがありました(2011年8月25日の話題)。結果、このセンターには写真の保存は無いとのことで見つからずでした。多分当時は、部隊直属の記録担当の方の撮影のみで公表される画像は限られていたのでは想像して現在は諦めています。

”名古屋の空気は綺麗かな?”
(is Nagoya's air is fresh or stuffy?)

アルバムへのリンク;「戯言」
写真は、今月の定点撮影の折り撮影したもの、このポイントは、くらしの森で現在では唯一か所名古屋市街地が見通せるポイントです。
昔はキラニン広場からも見渡せたのですが、今は樹木が大きくなり今の落葉の時だけ微かに見える程度、その点では貴重なビューポイントなのです。

背景の遠くに霞んで見えている山は鈴鹿山脈、その手前の二つの一番高いビルの辺りが名古屋駅、この方向がほぼ真西に当ります。

少し霞んではいますが、名古屋の空気は一応澄んでいるみたい、というのは・・・現在ニュースで中国の大都市でのPM2.5を含む大気汚染が激しいとか、特に今日北朝鮮で3回目の核実験が行われた等で、大気汚染の計測がどのようになっているのか気になっているところです。

各自治体の大気汚染の計測はそれぞれで異なりますが、一番分かり易かったのが東京都・大気汚染常時監視測定局の例です(下記参照サイト)。
測定対象は「二酸化窒素(NO2)」、「浮遊粒子状物質(SPM)」、「光化学オキシダント(Ox)」、「二酸化硫黄(SO2)」、「一酸化炭素(CO)」、「一酸化窒素(NO)」、「窒素酸化物(NOx)」、「メタン(CH4)」、「非メタン炭化水素(NMHC)」、「微小粒子状物質(PM2.5)」の10種類に、気温、湿度、風速を加えて13種類がそれぞれに風速ベクトルを加え、地図上(山間部は除く)に濃度や強さ・高低にカラ―識別され描かれた状態で、最新データが1時間前までの1時間毎に更新されていました。
でもここには放射線・放射能は無い?、調べてみましたら、これも「東京都健康安全研究センター」で8か所のモニタリングポストによる1時間当たりの平均値を公表していました(下記参照サイト)。

夏になると光化学スモッグ注意報等がにぎやかになるのではと思いますが、でも噂によると注意報や警報の発令件数は減少傾向とのこと、「臭いのもは蓋」ではなく「悪いものは元から断たねばダメ!」、地道な長年の努力が徐々に実って来ているのでしょうね。
ただこの「元の元」は人の経済活動や利便性から生じている、特に核実験は、自分を優位に保とうとする為だけ、こんな事にお金を使うより他の使い道があるはずなのに・・・。

参照サイト;
「大気汚染地図情報(速報値)・東京都」
「環境放射線測定結果・東京都健康安全研究センター」

”これも景観撮影”
(snap photograghs at Higashiyama street)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
街中の商店街で建て変えで建物が無くなった時、アレ!、前にどんな建物があったんだっけ?、と戸惑う事がたびたびあります。
昨日の話題の定点撮影は、対象は自然環境ですが、街並み等の景観も記録に残したいものの一つです。

掲載した画像は、定点撮影のルートで必ず通る歩道橋、ここから見た既に2011年3月に廃校となった東山工業高校の跡地です。昨日通った折りは、整地作業の最中でした。

今度は一体何が出来るのかな?、写っている様な超高層ビルが道路際に乱立?、心配~と慌てて工事看板を見に行きました(下の写真)。
看板に因ると”地上5階・地下1階、高さ;24mの、愛知県立総合技術高校(仮称・平成27年4月開校予定)が建設されると記載されていて高層ビルの乱立ではないと一安心でした。

さて、建物は分かりましたが、ポイントはこの敷地内の「緑」、少なくとも南側の通り(東山通り)との間には樹木が連なる、しかも敷地内だけではなく四方・八方からこの地域を眺めた場合の景観にも配慮している、この様なことを期待している、公共の建物・土地であることだけになおさら市民・県民の意見を反映できるもの、これも期待しています。
尚、景観については、県庁の景観室ではなく名古屋市の都市景観室が担当していて、既にアドバイス済みとのことでした。
どの様な結果だったのかは情報公開請求して、アドバイス内容やパース、外構図を入手しないと分かりませんが、ヒロパパにはもう時間が無い、アドバイザーの資質によりますが、グランドメゾン星ヶ丘山手の時のアドバイザーみたいなことは無いであろうことを想像していたい2007年4月27日2007年5月11日の話題)、と考えています。

尚、現時点では、完成予想図を掲示する義務は施主にはありませんが、マンション等では宣伝のため完成予想図をパンフレや掲示板に表示しています。少なくとも公共の土地・建物の予定が有る場合は、今後は公表・公示する事を励行して欲しい、こんな意見を名古屋市建築相談室宛に述べてみましたが、どうなることやら・・・。

”定点撮影、
ヒロパパが撮影するのは今回が最後です”
(my last work of taking scene photography at Kurashi-no-Mori )

アルバムへのリンク;「戯言」
2月上旬は定点景観撮影のタイミングです。晴れた今日、くらしの森(平和公園南部緑地・名古屋市千種区)とふれあいの森の一部を済ませてきました。

何故この様に景観撮影を定期的に続けているのか、その理由の一つに景観の変化の記録を残すことにあります。
その上で、この景観の変化に伴う植生の変化を把握することが必要ですが、この地区にも自然観察会の活動が有り、このグループの記録も合わせて参照すればより豊富な情報が得られる事になります。

掲載した画像は、景観撮影;A5ポイントの今日と6年前の画像です。
二つの画像を見て直ぐ気が付く変化が9っの矢印、
①;散策路が広くなっています。
②;ところどころ見られたごみが消えています。2007年2月13日の話題
③;「ニワウルシ(シンジュ)」を切り倒し無くなっています。2009年4月5日2006年6月4日の話題)
④;斜面中腹の耕作地が無くなっています。
⑤;クレーンだけ見えていたマンションが完成しています。2006年12月19日2007年4月17日2007年4月27日2007年5月11日2007年6月29日の話題)
⑥;竹林(「スホウチク」)が広がっています。
⑦;なか道(撮影しているポイント)から里の道への短絡路が無くなりました。
⑧;湿地が鉛公害の為立入禁止区域に変わっています。2010年11月5日2007年10月12日の話題)
⑨;シュロを皆伐し無くなっています。

これらの変化が今後この地域の植生の変化にどの様な影響を与えるのか、50年後とか、100年後・200年後、歴史が証明することになります。
現在は、動物だけでも約2万種の新たな発見がある、その一方で、哺乳類は約20%が両生類では約30%の種が絶滅の危機にひんしていると云われています。
植物が一つなくなるとそれだけに依存していたある昆虫は生きて行けない、二つ減れば、三つ減れば・・・それに、昆虫が減ればそれに依存していた哺乳類や両生類が生きて行けない、人だって同じ、食物連鎖の何処かが切れたら、あとは将棋倒し、目的は植生が豊かになる事、この為最善と考えられる事を今行っておく、これが難しいのですが、”人だけが住み易い環境=生物が生きてゆく環境では無い”ことを自覚しておかないといけないのでしょうね。

さてこの定点撮影は、ヒロパパが撮影するのは今回が最後となります。
今後どうするか、出来る限り続けたい等等を現在打合せ中、ご期待頂ける方向で進んでいるものと思っています。

”模型ではありません、
実際飛ぶことが出来る「ゼロ戦」です”
(a Zero Fighter at Tokorozawa)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
写真は模型ではありません、世界でただ一つ実際飛ぶことが出来る、しかも多くの部品がオリジナルのままのゼロ戦(正確には「海軍零式(れいしき)艦上戦闘機・五二型」)です。
そもそもこのゼロ戦は、太平洋戦争中の昭和19年(1944年)6月、敗戦色の濃い日本軍が居なくなったサイパン島で無傷のまま米軍海兵隊の手に落ち、アメリカで保管されていたものとのこと、国内に残っていないということは悲しい事ですが、よくぞ残してくれたと感謝ですね。

「室内展示中みたいだがアメリカの何処かなの?」、いいえ、ここは所沢(埼玉県)にある「所沢航空発祥記念館」なのです。
「これが展示していることを聞きこんでわざわざ行ったのか?」、これもいいえ、近くまで他の目的で行っていた、ただ少し時間が空いた、周りに何かないかな?、そうだ所沢は日本で初めて飛行機が飛んだ場所で航空記念公園と云うのが有ったはず、現在も東京航空管制部も有る、とのたまたま思い付きで寄ってみた、丁度「所沢航空発祥記念館」でこのゼロ戦の期間限定の特別展示をしていた、こんなことだけで、偶然でラッキィーな出来事なのです。

そう云えば以前各務原(岐阜県)の「航空宇宙科学博物館」に行った事を思い出しました2006年6月30日の話題。ここもついでによったのですが「一式陸攻」が片鱗でも残っていなのかなとの期待はあったのですが、「一式陸攻」は写真だけでした。

この「所沢航空発祥記念館」は、日本での航空機の歴史や、室内展示では小型機やヘリコプター、グライダーやエンジンの実物展示、それにシュミレ―ター等、屋外に小形旅客機等があり、飛行機にあまり詳しくないヒロパパでも面白かったですよ。

下の写真は、前述の「一式陸攻」のバッジで、これも太平洋戦争中ゼロ戦と同時期活躍していた、このバッジでいまもヒロパパの帽子にくっついていますが、これはタバッチのお父さんからの頂き物2006年8月8日の話題、そう云えばタバッチのお父さんは太平洋戦史のプロ、という事は多分この展示をご存知で既に見学済み?、もしまだでしたら3月末までと書いてあったはず、一応ご連絡を入れておくことにしますね。

追記(2013年2月16日)タバッチのお父さんより下記書き込みをいただきました。

ヒロパパ様
ご連絡ありがとうございました。
所沢の零戦のこと、昨年10月からせっかく東京に居るのにすっかり忘れておりました。
特に、この3連休は普段閉じているキャノピー(操縦席の窓)を開いていたらしいですが後の祭りです、残念。 3月末までには是非行ってみたいと思います。 まだまだ寒い日が続きます。ご自愛ください。

タバッチのお父さん、書き込みをありがとうございました。
少しはお役に立ったかなと喜んでいます。又いろいろ教えていただければ幸いです。

”葉っぱだけの写真ですが、これ何?”
(leaves of the cluster amaryllis)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
まだ周りには枯れ草が多い中、青々と元気が良い、長い線形で、先が丸みをおび真ん中似薄い線が走っている、この草は何?、ヒロパパみたいな素人は花が咲けばその花で名前が分かるケースが多い中、これは、暖かくなっても一向に花が咲かない、そのうち枯れてしまって痕跡すら分からない状態になる、この草は花の咲かない草?・・・もうお分かりと思いますが、これ秋に花だけ咲かせている「ヒガンバナ」なんです。

それにしても「ヒガンバナ」の生活誌は不思議ですね~。
落葉樹は冬季余分なエネルギーを使わない様落葉し次の年に備える、一年生草本は種子を残して枯れ翌年発芽する、この「ヒガンバナ」は春から夏にかけてこの葉っぱで球根に栄養をいっぱい溜めこんで花を咲かせる準備をして、花を咲かせる時期には葉っぱがある為のエネルギーを節約する為か?葉っぱが枯れる、と考えると、なんと省エネ的な生き方をしているんだなと感心させられます。

さて花が咲くと云う事は種子が出来ると云う事・・・と単純ではなさそうです。
ここのヒガンバナの種子はみたことがありません。よくよく調べてみましたら日本にあるヒガンバナは種子が出来ない3倍体のものが多いとのこと、それでも厳格に生き方を変えていない、健気ですね~。

直近のヒガンバナの話題; ●2012年10月5日

”自作「干し柿」のその後”
(today's handmade dried persimmons)

アルバムへのリンク;「戯言」
昨年11月に作り始めた干し柿、今年1月には一応完成としましたが(下記参照ページ)、つまみ食いし忘れたものが冷蔵庫に残っていました。
直前の写真(1月3日)と見比べてください、まわりを”おしろい”で厚化粧して、しかも硬くなる事も無く、つまみ食いしましたら甘くておいしい、食べごろでした。

干し柿は基本的には保存食、今度は、どれ程もつのかに興味が移ってきています。周りの白い粉は果糖ですので殺菌能力は強い、予想としては乾燥が進み内部が硬くなること、それに果糖の層も厚くなることは考えられますが、1カ月1個づつ食べる事としてまだ半年は甘さや硬さを観察できそう、勿論硬度計や糖度計なんて有りませんのでヒロパパの感覚だけでの判定ですが。
それに衝動にかられ一度に複数個食べない様に自己規制しないと・・・。

さて、同時に進行していた柿渋づくりは、冬季ですので当たり前かもしれませんが、発酵・腐敗、酸化等による匂いや色の変化はなし、もう少し放置しておくことになりそうです。

干し柿作りの話題;
2012年11月26日「干し柿作り開始」
2012年12月10日「まだかな~?、待ち遠しい」
2012年12月18日「柿渋造り、変化なし」
2012年12月27日「白い粉はまだ」
2013年1月3日「出来あがりとしようかな」

”不用品の処分はヒロパパにお任せを!
初めて経験、「自己搬入」”
(self disposing procedure for my large-soze refuses)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
「不用品の処分はヒロパパにお任せを!」・・・つい先日ヒロパパのスケジュールが不用品処分のスケジュールに沿ってしまっている事を話題にしましたが2013年1月29日の話題)、だんだん間に合わなくなったのと早くすっきりしたい、ということで初めて「自己搬入」を昨日経験して、これからは皆さまにもお教えできる?と思います。

まず「自己搬入」の手順の学習です、只ここは名古屋市、自治体によって手順が違うとは思いますが(下図フロー)。
●自己搬入できる不用品は可燃ごみ、不燃ごみ、粗大ごみの三種類で、再利用できる資源(紙、段ボール、空き瓶、空き缶、ペットボトル等)、それに家電リサイクル対象製品(エアコン、テレビ、冷蔵庫、洗濯機等)、パソコン、危険物は対象外です。
●次に「可燃ごみ」と「不燃ごみ・粗大ごみ」に区分けする。
●それぞれを別個の車両に載せる・・・なぜ別の車両なの?・・・推定では不用品の重量の計測を車に積み込んだまま行っていて(処分場で、入場時の車体と不用品を含む重量と帰途時不用品の無い状態での重量の差で課金している、但し処分手数料は200円/10Kgで同じ)、しかも持って行く場所が違うから分けなくてはならないと理解しました。
●お住まいの地域を担当する「環境事業所」に赴き、そこで危険物等が無い事の目視検査を受け、搬入承認書とカードを受け取る。
●その後、可燃ごみ、不燃ごみと粗大ごみを指定された処分場に別個の車両で自分で運ぶ。
●処分場では、搬入承認書とカードを担当者にお渡しし、不用品を載せたまま重量測定して、投入口に落とす。掲載した写真は、投入口が並んでいる様子です。
●出口で又重量を計測し、不用品の重量に沿って料金を支払う。

今回の対象はヒロパパの旧い使わなくなった蒲団(粗大ごみ)で、担当が緑環境事業所と粗大ごみの為大江破砕工場(掲載した写真)、要した時間は往復で約2時間、料金は10kg以内で200円、環境事業所と処分場の混雑する曜日や時間帯を予め調べておいてこれを避けた事、それに運ぶ場所が両者とも割合近かった事でこの程度の時間で済ませる事が出来ました。

まだぎりぎりまで使わなくてはならないガスレンジ等の不燃ごみがありますが、これからは自由度のあるスケジュールで動けそうです。

”可愛いでしょう!?、我が家の子ども達”
(the leaf scar of the Black Walnut)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
目の位置、太っている顔・痩せた顔、鼻の形やあごの形、顔色も含めそれぞれ個性があって可愛いでしょう!?、我が家の子ども達です・・・と云いたいのですが、この皆さん達は、世の中では、お猿さんとか羊さんの顔とか云われているオニグルミの「芽鱗痕(がりんこん、葉痕)」で、この子ども達の生い立ちが今日の話題です。

この子ども達は、一昨年11月に近くの公園で拾ったオニグルミを発芽させたもので、昨年は葉っぱの枚数の生長を楽しみ(下記参照)、現在は冬眠中、葉っぱが生長し出すと顔が崩れてしまいますのでこの時期だけしか現れない(ちょっとおおげさですが)、貴重な存在なんです。
この目と鼻と顔の形って、一体なぜこの様な形なのかな~?、何らかの必要性が有ってとの事と思われますが、ヒロパパには難し過ぎて良く分かっていません。
この子の親は近くの公園で既にもうすぐ葉っぱを開こうと準備中でした(下・右)。子ども達は15鉢程度ありますので、半分程度は又里親探しをこれからしなくては・・・。

2011年9月16日「胡桃を収穫」
2011年9月25日「発芽を期待」
2011年10月29日「一つだけもう発芽」
2011年11月29日「生長しています」
2012年1月11日「生長を図示してみようかな」
2012年3月17日「全てが発芽」
2012年4月30日「生長記録開始」
2012年5月17日「葉柄の本数と生長順の葉っぱの枚数」
2012年6月9日「葉柄の本数と生長順の葉っぱの枚数・続き」
2012年7月1日「葉っぱの枚数・11枚」
2012年7月13日「葉っぱの枚数・13枚」
2012年9月14日「葉っぱの枚数・15枚」

”今日は立春、でも曇天で雨降り”
(today's cirrocumulus)

アルバムへのリンク;「戯言」
今日は立春、でも曇天で雨降り、昨日はお洗濯や荷物整理が出来、今日も続けてと考えていたのですが、諦めでした。

掲載した写真は、昨日の午前中約1時間程度の間に現れていた雲、なかなか綺麗でした。この雲の名前は?と十種雲形図(下表)から確認してみました。
多分「巻積雲(絹積雲)」で良いのかなと思っています。

この「巻積雲」を見ると秋の気配を感じてしまうのは不思議ですが、夕焼けが綺麗で、特に西の空にある場合はお天気は下り坂とのこと、そうか!それだから今日は雨降りになった、納得です。
こ「巻積雲」は上空5~13キロとのこと、地球の半径が6,357キロ(極半径)で雲のできる範囲が上空約13キロとして、半径に比べ僅か0.2%の薄っぺらい空気の層でしかない、この薄っぺらい空気の層を我々生物は共有して生きている、しかもこの僅かな空気の層を排気ガスや放射能で汚染しているのは人類だけ、経済優先、利便性優先、私利私欲優先の考え方や社会構造をかえるべきなのでしょうね・・・と雲の話題から又マタ横道にそれてしまいました。

ちなみにこのHPで話題にした雲に関するものを下記列記してみました。
雲の話題;
2012年10月2日「夕焼け」
2012年9月24日「高原での雲間を通した光芒」
2012年8月23日「積雲がまだまだ元気」
2012年8月17日「入道雲が優勢」
2011年12月20日「層積雲」
2011年11月15日「夕焼け、秋ですね」
2011年9月22日「台風の置き土産」
2010年5月14日「地球の影」
2009年12月15日「飛行機雲」
2009年11月13日「低層雲」
2009年9月10日「秋の空」
2006年10月12日「高原は秋盛り」
2006年9月29日「秋高馬肥」
2004年6月12日「ハワイ島にUFO?」

”今日は節分”
(Setsubun;the day before the beginning of spring)

アルバムへのリンク;「戯言」
今日は節分、明日は立春、しかも恵方を向いて恵方巻を丸かじりの日、この数日は少し暖かさを感じるお天気で、多分春ちゃんが「暖かくなれよ!」て立ちあがってくれた2013年1月28日の話題)のではと感謝です。
暖かく感じるとすぐ散歩したくなる、掲載した写真は近くの公園で咲いていた菜の花、蜜蜂君達が忙しそうに脚に花粉をくっつけながら蜜を舐め回っていました。

それでは節分ッて何?、そもそもは各季節が始まる立春、立夏、立秋、立冬の前日の事、但し節分として祝うのは現在は立春の前日のみとなったとの事です。それでは何故前日なの、立春当日にすれば良いのに?、多分これは季節の変わり目に邪気を払っておこう、それで前日に悪霊払いの行事をしようとの習慣が節分となったのでしょう。その悪霊払いの行事の一つが豆まきで、語呂合わせで「豆」は「魔滅」、これを鬼にぶつけて追い払おう、それに豆を自分の年の数食べれば丈夫になれる、ほぼこの二つは何処でも(日本国内だけでこの風習は東アジア等を含め他国には無い)行われている邪気払いです。

もうひとつ、何故春分の前日だけこの邪気払いをして他の季節はしなくなったのでしょうね。
邪気の量(鬼さんの人数?)が1年1回のこの行事でで十分に払う事ができた?、それとも面倒だから?、でも我が家は鬼がいっぱい(ヒロパパ自身の事かな)、年4回必要だと我が家族は考えているのかも知っれません。早く「生粗大ごみ」の券をコンビニに行って購入し自分自身の廃棄処理が必要なのかもしれませんね~。

もうひとつ今年の恵方は南南東(正確には「丙」の方向、参考話題; 2011年2月1日、去年は北北西(壬)、来年は東北東(甲)、再来年は西南西(庚)に歳徳神さんはおいでになるとのこと、歳徳神さんがどうしてこんなに居場所を変えるのでしょうね、1年毎に住む場所を変え 、しかも素敵な住居を4か所もお持ちになっているとは羨ましい限りです。でも不思議です、全ての皆さんが今年は南南東に向いて恵方巻を丸かじりする、でも歳徳神さんのお住まいはポイントだから北海道と沖縄では角度が違ってくるはず、それとも日本列島の長さが誤差の範囲になる位宇宙の果ての遠い場所に居を構えておられるのかな、多分後者の方、だから皆さん同じ方向を向いても間違いではない、ということにしています。

すみません、今日の話題は何ら科学的な根拠の無いお話しばかりでした。

”我がパソコンのトラブル、一ッづつ解決”
(trouble shooting for my personal computer)

アルバムへのリンク;「戯言」
一ッづつ解決させています、我がパソコンのトラブルです。
先月終えたパソコン教室で残っていた問題点;7項目+ダウンロード時の暴走について2013年1月27日の話題)、Excelは手順を変え解決、これに加えてこのHPのつぶやきページにノイズ的な文字化けが現れる問題点について、今月分から試してみて解決することができました。従って残りは5項目+ダウンロード時の暴走となります。

きっかけはパソコン教室講師のMさんからの「ノイズが載ったのは最初から?それとも以前は正常だっの?」の言葉から、一緒に以前のページを調べてみましたらノイズが載っていないページが有り、ある時期から突然の現象であることが分かった、今月分のページは、正常だったページをコピーして作ってみた、これが功を奏した様です。

それでは本当の原因は何だったの?、多分HP作成用言語の余分な記号又は不足している記号がヒロパパの不手際で存在している?、これは正常なページと異常なページをプリントして細かく比べてみる事が必要そう、見つかったら又ご報告させていただきます。
何についても同じですが、進んでいるのを実感できる事は気分がイイですね~。

”昔の和箪笥”
(tansu;a Japanese chest of drawers)

アルバムへのリンク;「ファミリー」
写真は当家のおばあちゃんの桐の和箪笥、多分お嫁入り道具の一つだった?、結婚式が昭和10年(1935年)なので今から78年前のものと思われます。
実は、遺品整理を始めた当初はこれは廃棄処分の予定でしたが、残しました。
表面はざらざらで往時の面影はすでに皆無、扉も金具が外れた部分がある、外装や引出しの板も反ったり欠けたり縮んだりした部分がある、従って全体を写すのは恥ずかしいので避けました。
残した理由は、遺品を、新しい格納家具を買うよりここに仕舞いこんでしまおう、二棹ありますがこれを置くスペースはある、この様な理由に因るものです。

この箪笥は全て和装品用で、勿論ハンガ―掛けで収容するスペースは無い、でも遺品の種類からするとこれが最適、細かいものも収容でき廃棄しなくて良かったと思っています。

さてこの様な和箪笥の歴史はとインターネットを探ってみましたら、ありました、詳しくは下記参照サイトをご覧いただければと思いますが、江戸時代の今から330年前で、その前安土桃山時代には「坦子」と呼ばれ文字の様に持ち運び可能な小さな箱 であった、これが大きくなって「箪笥」と呼ばれる様になった、それに木製なのに何故竹冠なの?等々面白い情報が得られました。

さて、それではと日に当て埃を払い空拭きしてしていた最中数本木釘(木質釘)が取れてしまいました。出来る限り金属釘は使いたくない、でも現在どこのホームセンターでも木釘を販売している訳でもない、時間をみて自分で枯れた竹を削り竹釘を作って補修作業でもしてみようかな、出来ればのお話ですが。

現在の一般住宅は金属製の釘やネジが約60,000本使用されていて、これが建築資材のリユースや廃棄処理の障害になっている、そこで、木釘が金属製と同様に使えるようにする為にと研究している団体(下記参照サイト)もありました。頑張って欲しいですね~

参照サイト;
「府中家具木工資料館ー箪笥ミニ百科」
「京都大学生存圏研究所ー木質接合具の開発ー木質釘の可能性ー」