2013年12月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2013年12月30~31日

”アップデートをお休みしました”
(画像はありません)
すみません、大掃除をした、年末で忙しい・・・そうではなくただ単にさぼっただけ、アップデートをお休みしてしまいました。

”木の実栞、人気継続!”
(the Konomi-bookmark)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
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今月1日に話題にした木の実栞2013年12月1日の話題)、人気は本格的みたいですよ。同じ人がお孫ちゃんやお子さんにと複数個の場合もあるみたい、嬉しいのですが、補充が大変です。現在は冬の時期なので公園を散策される皆さんは少ないはず、それでも多分月あたり30~40個、残りの材料(現在はオニグルミかトチノ実)を数えてみましたら、写真のものを含めて60個分程度、このまま続けると無くなる時期が2月末頃かな~、さて困った・・・。
新しい材料が拾える来年の秋まではもちそうもないのは分かってはいますが、少なくとも来年春過ぎまでは並べておきたい、この期間、常時品切れが無い様にするにはこの数では到底無理、それでは1カ月当たりの供給量を決め、無くなってもその月は無しで翌月に補充する、そうすれば、例えば15個とすると4カ月、10個とすると6カ月、それか新しい木の実を工夫してニューバージョンを作り上げることにするのかを考慮中です。

実は、ニューバージョン用としてどんぐり(コナラ、クヌギ、シラカシ、マテバシイ)を集め乾燥させてみましたが、結果マテバシイ以外は全て割れてしまって使えない、何故かマテバシイだけは割れずに健在、小さいため目としてのフウセンカズラを取り付ける事が難しく、これをペンキで描くことも考えられる、でもハートマークのフウセンカズラも捨てがたいし等々・・・悩みがいっぱい・・・でもこれは楽しい悩みなのでしょうね。

現在はオニグルミとトチノ実ですが、次はマテバシイに挑戦してみようかな。

”ジャノヒゲ、スーパーボールみたい”
(Mondo grass, like a super ball)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
昨日の続き、種子の工夫の一つと思われる不思議な仕組みを「ジャノヒゲ(又はリュウノヒゲ、ユリ科、Mondo grass)」で発見、この頃癖になってしまった種子はどんな形かな?と調べている時の事でした。
蔓植物ではありませんが、昨日の「青葛藤」みたいな紺青の被膜に包まれた丸い種子が目立ってきています。

もし近くで見掛ける事が出来ましたら、この種子を二つ手にとって、片方はそのまま、もうひとつは表面の被膜を剥がして、同じ高さから硬い面に落としてみてください。
なんと被膜を剥がしたものは、スーパーボールみたいにポンポン跳ねませんでしたか。

跳ねる仕組みは、表面の薄く堅い層と中の均一に隙間なく詰まった状態で反発力が増しているものと思われます。
只、どうしてこの様な機能を身に付けたのか・・・風で運ばれる訳でもなく、くっ付いて運ばれるでもなく、アメリカフウロや2013年6月6日の話題)カタバミ2013年7月15日の話題)みたいに自らに飛翔する訳でもない、とすると小鳥や小動物に食べてもらって生息範囲を広げている、空の高い位置から排泄物と一緒に落ちた場合、もし道路や石の上だったら生きて行けない、多分ピョンピョン跳ねて軟着陸できる所を選んでいる・・・と考えるとナカナカですね。

植物達は動けない(一部、生長過程で根の生長方向を変えて幹を移動させているものもあると聞いていますが)、動くことが出来るのは種子の時だけ、種子だけを見ていても面白いです。

”アンモナイト(?みたいなもの)、やっと発見!”
(a Snake gourd and a Snailseed)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
こちらに住みだしてから探していて見つからなかったもの、自称;アンモナイトがなんと徒歩1分とかからない駐車場の金網で発見できました。
ご存知、アンモナイト(Ammonite)は、古生代に生きた現在のオウムガイに似た生き物・・・といっても、ここで話題にした自称;アンモナイトは、掲載した写真のアオツヅラフジの種子のこと、アンモナイトそっくりと思いませんか。

今まで、付近を散策した折に、それらしき紺色の小さな果実を見掛けるたびに潰して種子を取り出してみましたが見つからなかった、花が咲いていれば分かったのでは・・・ところが花も小さく気がつかなった、葡萄みたいな果実が出来ていたから初めて気が付いたのでしょうね。

「アオツヅラフジ」は雌雄異株、名前の由来は昔”つづら”の材料にしたからかな、それに英名の「Snailseed(かたつむりの種)」はまさにこの種子の形から、ということはアンモナイトではなくカタツムリと云った方が良いのかもしれません。
もしアンモナイトに似ているのであれば、種子の中に隔壁があるのではと二つに割ってみましたが、胚乳が詰まっているものの隔壁らしきものは見当たりませんでした。

もうひとつ、咲いた花をみるのは・・・♪花は夜開く♪・・・なので苦労する「カラスウリ」です。
これも雌雄異株で、英語名は「Snake gourd(蛇の瓜)」、片や”烏”片や”蛇”、命名の違いも面白いですね。
秋の果実は、小鳥たちの目を引く朱赤は分かるにしても、花のあの妖艶さは夜なのに何故?、どちらにしても昆虫や小鳥たちの気をひくために一生懸命なのでしょう。
さて、これも種子が面白い、ヒロパパの自称はクロワッサン、一般的には”打ち出の小づち”とも云われていて財布に入れておくと自然にお金が増える?とも言われていますが、ヒロパパも入れてはいるんですが一向に効果が無い、修行不足なのでしょうか。
写真はまだ未乾燥の状態で黒ですが、乾燥すると褐色でしわしわに変わるこの種子、両そでには何が詰まっているのでしょうね。これも割ってみましたら、胚乳は中央部分だけで両側には繊維が詰まっているだけ、ということは何の目的で両側があるのか?、小鳥たちが食べた時周りの果実の部分だけを供して種子は吐きだしてもらおうとの戦略なのか?良く分かりません。

それにしても、植物の果実や種子は、いかに子孫を増やそうかと努力し工夫している、興味をひきますね。

”門松づくり”
(make a Kadomatsu;one of the Japanese new year's decorations)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
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クマザサの茂みにクマザサを刈る怪しい?人影、お子ちゃまが竹切り、何を作っているのかな?
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出来あがりました!、素晴らしい門松
毎年12月下旬の恒例の門松づくり(関連話題;下記)、移転した後も続けています、自分家に飾るものではなく狭山公園パークセンター用ですが。

材料は、門松用の孟宗竹、松に南天とクマザサ、それに藁束、見事でしょう!。

昨年まで作っていた東山の森(名古屋市)での門松の材料は、孟宗竹、真竹、蘇方竹、四方竹、黒松、赤松、南天、梅、譲り葉、熊笹、ウラジロ等々種類が豊富だったのですが、ここ狭山公園や付近には、特に竹林が少ないし種類も少ない、これは気候的な条件に因るものなのでしょうか。
実は楽器作りにと、ヤダケとトウチクを探しているのですがまだ発見していません。
それに今日はお子さんも参加、上手にのこぎりを使っていました、頼もしいですね~。

門松作りの話題;
2012年12月25日、 ●2011年12月25日、 ●2010年12月26日、 ●2009年12月27日、 ●2008年12月28日、 ●2007年12月24日、 ●2006年12月24日

”富士山の観察記録、始めなくては”
(continued watching of mt.Fiji's view)

アルバムへのリンク;「風景・自然」
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↑12月21日撮影、↓12月16日撮影
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この頃は、晴れた日は何時も見えている富士山、数日前からまっ白に厚化粧?していました。
富士山の積雪は、先月中旬が約6・7合目まで2013年11月13日の話題)、でも、ここから見えている範囲は多分5合目以上のはずな、少なくとも五合目以上は積雪でそれより標高の低い位置は分からないということですが。

さてさて、以前からやってみようかな~と考えていましたがいまだに実施できていない事、何かというと”毎日見る事が出来る富士山が、その時見えたかどうかを連続的に記録してみよう”なのですが、まず、観察を続ける場合、何時見るのか(朝見えてもそれ以外は見えなくなる事もしばしば)、見えた時だけ記録するのか見えない時も記録するのか、見えた場合、見える程度を何段階で評価するか、その時の気候(晴れとか雨とか気温とか風力とか、これらを気象台発表の値にするのか、自分で測定するのか)を何処まで記録しておくか、気候の記録を富士山近傍まで広げるのかとか、その上、これらを記録して云って何の役に立つの・・・透明度の変化の観察には役に立ちそうですが、良くなるとか悪くなるとかの変化は何年続ければ分かるのか等々、観察を実施する前に気になることが立ちはだかりまだ取りかかれていない・・・これではダメですよね!、準備不足があっても即実施すべきなのでしょうね、深く考えずまづ取りかかることにしてみます。

”Tさんの特製クッキーとサヨちゃん”
(cooky made by T-san)

アルバムへのリンク;「ファミリー」
嬉しいですね~、サンタさんは忘れずにクリスマスイブのお菓子をヒロパパにも送っきてくれました。
掲載した写真がそれ、サンタさんとは・・・いつもクッキーを送って頂いているTさん、そうなんです、サヨちゃんの里親になって頂いた方で、同時にサヨちゃんの近況もお手紙と写真で教えて頂きました。

いつもいつも美味しいクッキー、直前ですとマルメロを練り込んだクッキーを2013年10月31日の話題)、それに昨年のクリスマスイブにも(昨年の話題;2012年12月26日、すでにパクパクと口に入れてしまっています。

それにサヨちゃんの近況の写真に驚きです、何故か?って、当家に来た当初は手乗りをしてくれたのが2004年8月31日、その後ヒロパパの面倒見が悪く手乗りなんてとんでもないと云う状態だった、Tさん家に移ってからは、ご家族の皆さんの暖かい環境の中で手渡しで食べたりと2013年5月6日の話題)でますます元気になっている、良かったです。

Tさん、いつもいつもありがとうございます、それにご家族の皆様にもよろしくお伝えください。

”新しい洗濯機”
(a new washing machine)

アルバムへのリンク;「戯言」
遂に使うのを諦め、新しいものを購入しました、我が洗濯機です。
多分15年以上は使っている(すごいでしょう!)サンヨー製の洗濯機が、昨年から全自動の指示をしても途中で止まり、何時止まるかを気にしながら止まったら再度プッシュボタンを押しプログラムの途中からでも再稼働させて使っていましたが、そのうち電源も切れるようになってしまった、それでも電源を入れ直して使用、なだめたりスカシタリ、叩いたりしてもその頻度も増える一方、修理依頼もしてみましたが、当然ながら補修用サービス部品の保有期限は過ぎていて直らない、それではと自分で分解して、まずは接触不良かとコネクター部分に接点復活材を塗布、直らない・・、使われているプリント基板の部品の浮き上がりかと基板を点検しようとしても防水加工か一面に防水塗料が塗布されていて点検できず、ということで、とうとうこの洗濯機を使う事を諦めました。

ヒロパパの小さい頃は、たらいに洗濯板と大きな硬い洗濯石鹸の時代、この時代に戻る事も脳裏を過りましたが、さすがにそこまではと、先日近くの量販店で新しい洗濯機を注文し今日搬入でした。

さて何を選んだのでしょうね?、価格は機能や構造の差によって3万円程度から20万円程度までいろいろあり、迷ってしまいますが、何時もの通り”長く安定して使える事”で、天日干しにするから室内乾燥機能でOKとか大量におおものを洗うわけでもない等々機能は最小限で良い、これは部品点数が少ないから故障も少ないであろうとの期待から、ということで選んだものが掲載した洗濯機、日立、全自動電気洗濯機、BW-7SVです。
さて、これとこれから何年間お付き合いができるのでしょうね、マニュアル内では設計上の標準使用期間は7年、只、補修用性能部品の保有期間は6年の記載がありましたが、10年も20年もお付き合いしたい、以前は日本製品の品質は良かったのが、この頃は???の心配も残っています。

さて、匡体に表記してある「Inverterってどんな意味?」については、昨日話題にした直流から交流に変換する回路(その前に、家庭用電源の交流を直流に変換する回路も必要ですが)を持っていて、洗濯槽を駆動する交流モーターを周波数を細かく変えて回転数を制御しているから、それに元来のベルト駆動から直接駆動で騒音を少なくできる、消費電力が少なくて済む、使う水も少なくて済むこの様なメリットが生まれるみたいです。

この頃の家電は何でもかんでも「Inverter」という表示が目立ちますが、この表示についての取り決めは?と調べてみましたら、業界団体で取り決めがあり、指導をしているのが分かりました。
「Inverter」という言葉の意味は電気回路そのものですが、業界(下記参照サイト)ではこの言葉を使って、ユーザに使う上での特徴を集約して訴えたいみたい、そのうちインバーターの言葉の意味が違ってくるのかもしれませんね。

参照サイト;
「全国家庭電気製品公正取引協議会」

”インバーターを廃棄しました”
(scrap a inverter)

アルバムへのリンク;「戯言」
昔から持っていたインバーターをもう使わないだろうということにして廃棄する事にしました。
このインバーター(inverter)は、バッテリーに蓄えた電気を交流電源に変えてくれるもので、屋外で部屋から持ち出したCDプレイヤー等をAC電源で動かすものです。只、今頃は電池も内蔵できどちらでも動く、インバーターの必要性は少なくなってきています。

さてこのインバーター、勿論中味は、重たい複数個のバッテリーとバッテリーへの充電回路、それにバッテリーのDC電源をAC電源に変える回路で構成されている事になり、これを廃棄処分にする方法は?ということでメーカに聞いてみましたら、まずバッテリーは特別管理廃棄物(特別管理一般廃棄物か特別管理産業廃棄物のどちらかは分かりませんが)でメーカへ直接送る(送料元払い)、回路の入ったボックスは一般廃棄物として、この様な処理をして下さいとのことでした。

さて、この頃の家電製品はインバーター付きが売り文句になっているみたい、このインバーターと機能は同じなのかな~?、まだ良く分かっていません。
明日以降又話題にしますが、もう半年前から我が洗濯機が途中で止まる不具合が起こっています。もう20年近く使っていた洗濯機ですが、この際、買換えで、新しい洗濯機はインバーター方式を選んでみましたが、さてさて前述のインバーターとこのインバーターと同じ意味なの?を今度は洗濯機のメーカにお聞きしてみます。

”来年のカレンダーと暦”
(next year's calendar)

アルバムへのリンク;「戯言」
もうすぐ年末、来年のカレンダーを購入してきました。購入したのは、毎年同じことの繰り返しですが(昨年の話題;2012年12月29日、歳時記カレンダーと藤城清治さんの影絵カレンダー、昨年と同様、歳時記カレンダーは自分用、藤城清治さんの影絵カレンダーは海外のお友達へのギフト用、連休明けに発送することにしています。でも日本のカレンダーをお送りして役立つのか?、確かに、月日は良いとしても祝祭日は日本用、でも、少なくとも壁に掛けて絵を楽しんで頂けるのではないかと思っています。

お話が飛びますが暦について、現在は、世界では太陽暦の一つ「グレゴリオ暦」を使っています。只、「暦」の歴史をみると、大きく分けて月の地球の周りの公転(29.53日)を基本にした「太陰暦」と、地球の太陽の周りの公転(365.24日)を基本にした「太陽暦」が使われてきた、それでは何故、「月」で暦を作った文化と「太陽」で暦を作った文化があったのでしょうね。

太陽と月の変化を毎日観察した場合、太陽の変化(気温の変化等)は1年がかりでやっとその変化に気付く事ができる、これに対して月の変化は、月の出の位置や、満ち欠けの繰り返しが分かり易い、多分最初に気付くのは月の周期、でもそのうち穀物の収穫等で重要なのが太陽の位置であることに気付き、太陰暦では概念の無かった1年という考え方が生まれた、そこで二十四節季とか七十二候を加えて太陰太陽暦となったと考えています。

それにしても、先日のアステカ暦(マヤ文明、チチェン・イッツァ: Chichén Itzá)みたいに2012年12月16日の話題)やイギリスのソールズベリー草原のストーンヘンジ等々、1年がかりで観測して、何年間かのその変化をきちんと解析した方はすごいですよね。

それに、月の名称は数で呼ぶ1月、2月・・・より旧暦での睦月、如月、弥生・・・の呼び方も捨てたものでないと思っています。
現在は新暦での印象が強く、例えば「五月(さつき)晴れ」は現在は”初夏のすがすがしい晴れ間”という印象ですが、旧来は”梅雨時のつかの間の晴れ間”を指していた、それに「五月雨(さみだれ)」とは芭蕉さんの時代は”梅雨”の意味、この様に季節のづれを理解しながら旧暦での呼称を楽しむ事もできます。

これは英語でのJanuary、February、March・・・も同じ、これの由来も調べてゆくと面白い、今月12月を英語では何故Decemberと云うの?、11月をNovember、10月をOctover、ラテン語やギリシャ語から由来したとしても、ギリシャ語で”12”は”dodeca(ドデカ)、”11”は”undeca(ウンデカ)”、”10”は”deca(デカ)”、これをそのまま適用すれば12月は”ドデカンバー”、同様11月や10月は”ウンデカンバ―”、”デカンバ―”でも良かったのでは・・・、これに対して12月を”10”を意味する”deca(デカ)”、同様に11月を”9”を意味する”nona(ノナ)”を、10月を”8”を意味する”oct(オクト)”を使っている、この理由は何?、これは昔は3月が年初めだったからなのですね。

同じ様に”曜日”の呼び方も、”月・火・水・・・”に対して英語では”Monday・Tuesday・Wednesday・・・”、これに対して中国語では、月曜日は星期一(xing qi yi、星期は曜日の意味)、火曜日は星期二(xing qi er)、水曜日は星期三(xing qi san)、以下同じ(但し日曜日は星期日(xing qi er)又は星期天(xing qi tian)ですが)、この曜日の呼称もその由来を理解すると面白いですね。

参考;日本での暦は、明治5年12月2日までは中国から伝来した太陽太陰暦、その後ユリウス暦を使い、明治31年以降は現在のグレゴリオ暦です。ユリウス暦とグレゴリオ暦の大きな違いは、”西暦紀元の年数が100で割り切れて、かつ400では割り切れない年は閏年としない”という閏年の設定の違いです。

”1年前の干し柿”
(the current situation about one year has passed some dried persimmons)

アルバムへのリンク;「戯言」
昨日のお約束、1年前に作った干し柿の現在の様子です。
作ってからの詳細は、その都度話題にしてありますが
●昨年11月末、皮を剥いて乾し始た;2012年11月26日の話題)
●昨年12月上旬には少し乾いたのかなでもまだぶよぶよ;2012年12月10日の話題)
●昨年12月下旬には乾いてきましたが果糖の粒はまだ;2012年12月27日の話題)
●今年のお正月には果糖が表面を被い始めた;2013年1月3日の話題)
●出来あがり、その後、箱に入れ冷蔵庫保存、賞味期限の観察開始;2013年2月7日の話題)
●昨日取り出してみましたら掲載した写真、
これが今回の経過です。

当初は、1カ月毎に試食して・・・なんて計画でしたが、冷蔵庫に入れそのまま、結局はカビの発生具合は?の結果を観察する羽目になってしまいました。

それぞれの様子は、食べれそうなのは1個だけ、果糖が解けてしまったものが1個、茶色のカビが2個、白い真綿を身にまといその上に黒いカビが点々のものが1個、多分果糖が解けてしまったものはこれからカビが発生する?、茶色のカビは「ワレミア(Wallemia)」、黒い点々は「アスぺルギルス(Aspergillus)」か「クラドスポリウム(Cladosporium)」、白い綿状のものは「フザリウム(Fusarium)」か「ムコール(Mucor)」・・・といかにも単語まで挙げてカビに詳しいみたいに思われるかもしれませんが、全て下記参照サイトの受け売りで理解できていないし正確かどうかも不明、少なくとも口に入れない事にはしています。
今後、例えば乾燥させたらどうなる?、アルコールに付けたらどうなる?、湿った場所ではどうなる?、塩水につけたらどうな?等々のカビを無くす工夫は実験出来そうですが。

もうひとつ、当初の目的であった賞味期限は?について、結果を出せず、従って、果糖が吹く出した後はセッセと消費する、残ったとしてもせいぜい数カ月間かなと考えておくことにします。

参照サイト;
「食品衛生の窓/東京都の食品安全情報サイトー東京都福祉安全局」

”シュトレン”
(a stollen)

アルバムへのリンク;「趣味・好み」
まずシュトレンとは、ドイツのクリスマスを迎えるアドヴェント(Advent、クリスマス前約1カ月間、下記参照サイトをご覧ください)の時期、家族で楽しむお菓子、この頃はお菓子屋さんで良く見掛けるようになりました。
日本でいえば、先日、無形文化遺産に登録された和食の一つのおせち(御節)料理みたいなものかな~?、といってしまいましたが、無形文化財としての登録は、料理そのものではなく、食材の使い方、栄養バランス、季節感も含めて、例えばおせち料理であれば、お正月にはおせち料理を作って食べる文化が伝統的に引き継がれている事、これらが無形文化財としての登録につながったとのこと、シュトレンも文化の継承とすれば同じですね。

さて、このシュトレンは賞味期限は約1カ月でしたが通常はもっと長期間保存できるとのことです。
参考サイトを読んでみましたら、直ぐに全部食べるのではなく少しずつスライスして食べること、何故かは徐々にフルーツの風味が生地に移ってゆくからなのだそうです。それに長持ちする理由は・・・これもインターネットから・・・伝統的な作り方で有れば、
●サワーダイク(サワー種)で作ること、●バターの使用量が粉に対して30~50%であること、●粉に対しての水分量が25%以下であること、●焼成時間が長く、外皮の水分量を極端に落としてあること、●ラム酒(ブランデー)を中のドライフルーツだけでなく、焼きあげた後もたっぷり染み込ませてある事、●砂糖がこれでもか!というほどまぶしてあること、
要するに”水分量を減らし、蒸留酒(アルコール)に浸し、砂糖で包むことで保存性を高めているから”なんだそうです。

さて、このシュトレンに最初に出会ったのは、お孫ちゃんファミリーのドイツからのお土産で2004年2月8日の話題)、その後クリスマスの時期に見掛けるたびに楽しんでいますが2004年12月23日2006年1月19日2007年12月26日の話題)、実は前回までは、”シュト-レン”と言ってきましたがドイツ語では”シュトレン”と発音するみたい、たしかにこの頃のお店の表示では”片仮名で”シュトレン”と書いてありました。

それに、過去のシュトレンの話題をアルバムから拾っていましたら、昨年12月には干し柿を作った、しかもどれ程もつのかを調べようと冷蔵庫に保管してあったことを思い出しました。
慌てて取り出してみましたが、食べられそう?又はダメそう?、さてどうなっていたでしょう?、明日以降又話題にしますね。

参照サイト;
「注文菓子工房 エルフェンお店の紹介/粉雪まとうシュトレン(Stollen)の研究」
「ロワンモンターニュ/シュト―レンとパント―ネのお話し」

”ヒマラヤンシダ―・チャコール・ローズ”
(a himalayan sedar chacoal rose)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
来年1月に、狭山公園では”花炭作り”のイベントを開催する、今日はこの予行演習でした。

花炭の作り方は、ペール函内に、平たんに金網を数段重ね、その金網に花炭にしたいもの入れ、蓋を閉め、ドラム缶の竈で全体を熱する、最初は白い煙がもうもうと吹き出し、火力に因り違いますが約1時間~1時間半で煙が薄くなりしかもその薄い煙に火が付く、これで花炭が出来あがり、後は冷めるのを待ち取り出す、この様な手順です。

そこでこの際だからと、以前拾い集めておいたシダ―ローズを2013年12月14日の話題)しのばせてみました。
薄い鱗片ですので燃え尽きてしまうのではないかと心配でしたが、ご覧ください、見事な出来栄えです。

さて、この炭になったシダ―ローズを命名してみようと考えてみました。
シダ―ローズをもじって「ヒマラヤン・ローズ」だったらどうかなと思ったのですが、インターネットからこの名称は固形石鹸に同名のものがあるみたい、それでは、ごく当たり前に「ヒマラヤンシダ―・チャコール・ローズ」又は「ヒマラヤン・チャコール・ローズ」ではどうでしょうか、この名前を広めてみようかな~。

ヒロパパの炭焼きの経験は、木炭の経験は有りませんが竹炭は一時本格的な炭焼窯での炭焼きに参加していた(下記)、その頃自分でも台所で作った事もある2004年12月13日2005年4月19日の話題)、今回で3回目ですが、何に使うかはこれから考えるとして、作るのはナカナカ楽しいものです。
でも皆さまがご自宅のキッチンで作る場合は、換気扇をフル回転させてくださいね、後々まで焦げた匂いが部屋中に漂いますので。

竹炭作りの話題;
2004年11月14日;「竹炭焼きの工程」、
2004年12月12日;「竹炭焼きの工程」、
2005年1月10日;「孟宗竹の収集」、
2005年1月11日;「新しい炭焼窯」、
2005年2月13日;「乾燥させた後の炭焼き用孟宗竹」、
2005年2月19日;「自然乾燥後の孟宗竹格納」、
2005年4月25日;「竹炭焼き特訓中」、
2005年6月12日;「近くの炭焼き小屋が放火された」、

”あなたは誰?、まだ分かりません”
(who are you?)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」
ムクロジから出てきたいもむし君、あなたは誰?を以前話題にして2013年11月11日の話題)、成虫になれば分かるかもと期待しながらケースに入れそのまま放っておいたところ、先週一匹の蛾がケースの中を飛び回っていました。
しめた!、これであなたは誰?が分かるであろうと、幼虫と成虫の姿を頼りに蛾の図鑑を参照しました・・・が・・・結論は、良く分からないが現在の状態です。

ケースの中は、ムクロジの種子と幼虫のみしかなかったから、この幼虫が蛹をつくって成虫になったはず、只、成虫を観察しても以前推測したフサオシャチホコの特徴である尾の部分にふさふさした形状は見られないので、これではないみたい、現在諦めの状態です。
それにしても蝶も含め蛾の仲間って多いですよね。幼虫だけで蝶と蛾を区別することは難しいし、数千種類(5000種?)の蛾を幼虫や成虫を見ただけで分かるのはヒロパパには無理みたいです。

”メキシコのコイン、凝ったデザインです”
(some coins of Mexico)

アルバムへのリンク;「旅行」
掲載した写真は、以前Kさんから頂いたもの、kさんのメキシコ旅行の時のお土産、メキシコの四種類のコインの両面で、夫々10センタボ(Centavo、1/100ペソ、記号は¢)、50センタボ、2ペソ(Peso、1円=約7.97ペソ、記号は$)、5ペソです。

まず、コインの写真、片面が逆だよ、何故こんな写真を掲載したの?・・・実は左の四枚をそのまま横方向で裏返しにすると右の様になる、縦方向で裏返しすれば良かったのにと後で気が付いたものです。
皆さまも財布から日本のコインを取り出しご覧いただければ理解していただけると思いますし、このHPで話題にした各国のコインも2013年10月5日;デンマーク・ノルウェ―のコイン、2009年6月20日;ユーロコイン)日本と同じだった、メキシコの皆さんは裏返しをする場合必ず縦方向に動かすのかな?、ヒロパパにとっては大発見、これからも他の国のコインを入手した時には注意をしてみることにします。

下の写真の文字”Estados Unidos Mexicanos”は、メキシコ合衆国ですが、真ん中の鷲が蛇を加えている図柄は何?、調べましたよ、メキシコの国旗に描かれている国章と同じで、アステカ神話による「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている、そこに首都を創設せよ」という予言により1325年にアステカの首都「テノチティトラン(現在のメキシコシティ)」を創設した、これの図柄とのことでした。

それでは周りの細かい図柄は何?、これも分かりました・・・「アステカ・カレンダー」(詳しくは下記サイト参照)と呼ばれているアステカ時代には暦として使われていたと思われる一枚岩の「太陽の石」に刻まれている紋様をデザインしてあるとのことでした。
さて、夫々の紋様が何を意味しているのか、まだ良く分かっていませんが、このカレンダーでは2012年12月21日までが現在のサイクルの最後の日で、以後次のサイクルがはじまる、この暦での1年と現在の1年の差が0.002日しか無かった程正確だったとするとアステカ(Azteca、メキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家)の皆さんはものすごく科学的な皆さんで、現代人に対して、将来生き永らえられる為には、このタイミングで意識を変えないとダメ!って警告をしてくれていたのでは・・・と考えるのは考え過ぎではないのかもせれませんね。

さてさて、コインから、まだ十分ではありませんが又いろいろ知ることができました。

参照サイト; ●「アステカカレンダー」

”堂々のポン太君”
(a tanuki on the main road)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」
この頃、街中に熊やお猿さん等野生の動物の出没が話題になっています。ヒロパパだって、熊やお猿さんと出会った経験はありませんが、珍しいものとして、高速道路を鹿君と並走したり、 オオタカに出会ったり2007年6月25日の話題)イタチに出会ったり2010年4月13日の話題)の経験はあります。

今日は狸君、一応ポン太君と呼ぶ事にして、片側2車線の幹線道路を、な・・なんと赤信号も気にせずのそのそと横断歩道を横切っていました、ポン太君達が色盲とは聞いていないし・・・慌てて後続車にハザードランプで知らせ、写真を車中からパチリ、そのまま通り過ぎましたが、大丈夫だったのかな~、心配!。

そこで一句、「赤信号 ポン太と一緒 怖くない」、まだまだ、「ポン太君 俺につづけと 赤信号」、もうひとつ、「赤信号 正々堂々 ポン太君」、なかなかの名句でしょう(自画自賛)。

それにしてポン太君は車が怖くないのかな、猫ちゃんは道路を横切る時は右も左も見ずにまっしぐらですが、ポン太君は右も左も見ずは同じですが何も気にせずのそのそ、車は動いていてもただの箱で恐ろしい目に会っていなかったから?、もし近くに人の姿があったら逃げたのかな?、でもこの時期もしかしたら子育てで忙しく食料確保の為危険を顧みずかもしれません、ガンバレ!ポン太、それともポン子?。

”ヒマラヤ杉”
(Himalayan Cedar)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
cederrose131214
↑松ぼっくりとシダ―ローズ、↓雄花と鱗片と種子
himarayasugiobana131214
秋は楽しい、何故かって?、紅葉の季節であることは勿論ですが、果実が実り種が出来と植物達にとってはエポックメーキングの時期、勿論今後の子孫繁栄の為テリトリーを確保して来春発芽しなくてはならないとかまだまだ苦難の道が控えてはいますが、そんな様子を垣間見る事が出来るからなのですが。
ということで、昨日のユリノキの話題に引き続き今日はヒマラヤスギの話題です。

以前台風によって傾いたヒマラヤスギについて話題にしましたが2013年10月23日の話題)、その時だからこそ、主に高い場所に付いている松ぼっくりが拾得出来る、乾燥させ、開いた後中身を覘いてみました。
硬い鱗片に組み込まれた薄膜付きの種子が、開いた鱗片からすり抜けて風によってこれもヘリコプターみたいにくるくる回りながら飛んでゆく、この仕組み、考えてみると不思議です。

それに、松ぼっくりの上部が外れ、まるでバラの花みたいなものが、これシダ―ロ―ズと云うんだそうですが、これも素晴らしい、しかも花期が10月~11月とこれから寒くなる時期にというのも不思議、赤松や唐松、椴松(とどまつ)等の松の仲間は4-5月の春だったはず、何故ヒマラヤスギだけ違うのかな~?、原産地ではこの時期もう極寒の時期、昆虫等に頼らなくて良いから何時でも良いとも考えられますが生長する為にはもっと暖かい時期の方が良いのでは?、只、この時期は他の植物が花粉を飛ばしているのはごく少ない、だから他の花粉が付くこともなく純粋性が守られる?、分からない事、不思議な事がいっぱいです。

それでは、元気な六人兄弟のおそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松ちゃん達はどうなんでしょうね・・・関係ないか!。

参考;ヒマラヤスギ(ヒマラヤ杉、学名:Cedrus deodara)は、
マツ科ヒマラヤスギ属の常緑針葉樹。ヒマラヤ山脈西部の標高1500m~3200mの地域が原産地。雌雄同株、雌雄異花。別名;ヒマラヤシーダー 。花期;10-11月、球果は1年~数年で成熟、種子は鱗片に2個、鱗片と同時に落下、後薄膜を翼にして飛ぶ。根は比較的浅く台風等で倒れやすい。

”ユリノキの集合果”
(tulip tree and Chinese tulip tree)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
葉っぱが散った木にたくさんの百合の花が?というのはウソですが、現在のユリノキ(モクレンン科ユリノキ属、別名;ハンテンボク、レンゲボク)の様子、下で待っていると、くるくると種子が舞い降りてきていました。
多分、葉っぱを落とした後だと、風に乗って遠くまで飛ぶことが出来る、だからこの時期にと思われますが、なかなか考えているな!と感心してしまいます。

風を利用しては、タンポポやガマ等風に乗って綿毛で飛ぶものや、カエデ等くるくると回りながら飛ぶ種子もいっぱいありますが、その最たるものはグライダーのフタバガキの種子2013年8月5日の話題)、それにアルソミトラ(2007年1月15日の話題)やアオギリ2011年8月13日の話題)も・・・自由に動けない植物達が子孫を広範囲にという努力に敬服です。

このユリノキ属は、このユリノキとシナユリノキの2種類しかないとのこと、それにユリノキは北米原産に対してシナユリノキは中国やベトナムが原産、この様に近縁種が離れた地域で隔離分布されているのは、大陸移動があったから、ということはものすごく古くからあった種みたい、それにシナユリノキは現在絶滅危惧植物(NT)との情報もありました。
シナユリノキは、ユリノキに比べ花は小ぶりで緑色が強く、葉はやや大きく切れ込みが深い、この近くでは新宿御苑にあるみたい、5-6月頃の花期に見に行ってみようかな。

もうひとつ、ユリノキという名前は、この集合果から付けられたのかな?、それ英語名;tulip treeのチューリップは花の形から付けられた名前?、別名の半纏木は葉っぱの形から、蓮華木は花から・・どちらにしても、どれが広く知れ渡るかで決まってくるのでしょうね。

”湿地帯の様子、狭山公園の”
(volunteer activity at Sayama-park)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
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湧水の池周辺の湿地回復予定地、上は東から西、下は西から東を見たもの
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↓湿地の範囲と遊歩道の追加
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写真は、湿地を回復させてみようと云う取り組み(2013年12月7日の話題)の対象地、狭山公園内湧水の池の周辺を違った方向から撮影してみました。

下の画像は、これに湿地帯の範囲(白の点線内)を勝手に描いたもの、正確には陸生の野草を除去しないとわかりませんがほぼこの広さで、水深をどれ程保つかに因り異なりますが、年間の湧水の量を計測して、余水吐のレベルを決めれば、現状の湧水の量からすると立派な湿地帯に仕上げる事が出来そうな気配です。

同時に、この湿地帯を楽しむための散策路(赤い点線)も勝手に書き加えてみました。
散策路は以前も話題にしましたが木道がベスト2012年2月28日の話題)、只、ここは都市公園なのでハイヒールの人もいる?、でも最小限高床式木道としたいですね。

この湿地帯化計画は、多分現状調査と基本計画に1年、その後実施となるのでしょう、その間、季節毎に、同じ位置から定点撮影をしておき、工事中及び完了後も再度撮影して、現状把握のデータ(植生調査等)その変化の記録とする、上の写真2枚は、その最初のものと考えて保管しておくことにしています。

”笹刈り、野鳥の森の”
(volunteer activity at Sayama-park)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
今日は定例の活動日、以前から進めている今年になってから2回目の野鳥の森の笹(アヅマネザサ)の笹刈りでした(2013年7月17日の話題)
写真は作業後のもの、作業前は周りの様子の如くすごい状態、多分来年春にはたくさんの野草が育ってくるのではと期待しています。

ここは野鳥の森と名前が付いている、ところがこの公園に良く足を運んでいる方(多分野鳥に詳しい方)から、「野鳥の森にしては野鳥の訪れが少ないみたいだよ」って云われたとのこと、原因の一つがアズマネザサがびっしりで小鳥達が好むこの実が少ないのではとの分析から少しずつアズマネザサを除去しているもの、レンジャーのOさん(写真・右後ろの方で特に野鳥が専門とのこと、右前の方は配置替えのKuちゃんと退職されたNaちゃん2013年11月20日の話題)の代わりにまとめ役をしているIちゃん)の観察では、少しずつ訪れる小鳥たちが増えているとのことです。

確かに、前回刈り取ったところには、ヒヨドリジョウゴやスミレその他今までアズマネザサに負けていた野草が育ってきていました。

それではすごい繁殖力のアズマネザサッて何?、植物図鑑によるとイネ科メダケ属、別名「シノ」で、稈でざるや籠を編めるとのこと、ということは、今まで背の低いものしか見ていなかったのでと思われますがやはりシノダケ(篠竹)のこと?、こんど生長したものを乾燥させれば、ヤダケと同様パンパイプ(下記)を作れそう・・・楽しくなりそう・・・です。

パンパイプ関連話題;
2007年3月8日;パイプ楽器のスケール
2010年10月22日;パンパイプ工房スタート
2010年10月30日;パンパイプ作り最終工程
2010年11月2日;パンパイプ・クロンプット説明資料

”天道虫さん、あなたのお名前は?”
(Mr.ladybug, what's your name?)

アルバムへのリンク;「小鳥・昆虫・動物」
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もう数ヶ月前(9月中旬)に出会った黒地に黄色の斑点の衣装を身に付けている天道虫君、実は名前が分からず放っておいたのですが、思いだしたついでに名前を調べてみることにしました。
ところが・・・やはりヒロパパにとっては難しい・・・候補として「ウスキホシテントウ」と「ムツキボシテントウ」それに「ヒメカメノコテントウ」、消去法で「ヒメカメノコテントウ」は黒地に黄色の斑紋だけど斑紋の形が違うからこれは無い、インターネットでの写真を参照すると斑紋の黄色の色が濃いのが「ムツキボシテントウ」、薄いのが「ウスキホシテントウ」、だからこれは「ムツキボシテントウ」かな?、でも黄色の濃淡で区別するのも危険みたい、いろいろとインターネットを参照した挙句、下記サイトの説が有力らしい、ということで、これは「ウスキホシテントウ」とすることにしました。

それにしても天道虫君達は、様々な衣装を身につけている、はまってしまいそうな気配、・・・以前、天道虫について何も分からずTさんから叱られた頃に比べれば2006年5月13日の話題)、ヒロパパも少しは進歩したのかな~。

参照サイト; ●「どっこい生きている」

”もみじって綺麗ですね~”
(a leaf of japanese maple)

アルバムへのリンク;「植物・花ー冬」
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北欧やカナダ辺りの秋は黄色の絨毯、これに対して錦秋と呼ばれる日本の秋の目玉はやはりモミジの紅葉ですよね。
・・・と、ここでは”モミジ”と言っていますがこれは間違いで”カエデ”と言うべきではないの?、加えて「モミジ(紅葉)」と「カエデ(楓)」は違うの?・・・お話が難しくなりそうです。

分類上では同じカエデ科カエデ属で、一般的に葉っぱの切れ込みの深いものを”〇〇〇モミジ(例;イロハモミジ等)”と、切れ込みの浅い方を”〇〇〇カエデ(例;ハウチワカエデ等)”と呼んでいるものが多いということみたいです。
只、モミジの語源は秋、葉が赤や黄色に色づき変わっていく様子を「もみづ」と表現したから、それにカエデは、カエルの水かきの様な切れ込みの浅い葉を「蛙手(かえるて)」と呼び、これが転じてカエデと呼ぶようになったということみたいです。

まだまだあります、紅葉と書いて”もみじ”と読んだり”こうよう”と読んだりで日本語は難しいと云われる所以ですが、漢字の故郷中国語ではどうなっているのでしょうね。
日中辞典から、中国語では、
”もみじ”は「红叶(hong ye、叶は葉の簡体字)」又は「枫叶(feng ye、枫は楓の簡体字)」
"紅葉する”は「红叶(hong ye、動詞」又は「霜叶(shuang ye)」
”かえで”は「槭树(qi shu、树は樹の簡体字)」又は「 鸡爪槭(ji zhao qi、鸡は鶏の簡体字)
とのこと、”かえで”を中国では鶏の爪にみたてたのは面白いのですが、”もみじ”や”こうよう”それに”かえで”の概念についてはほぼ同じではないかと思っています。

もうひとつ、葉っぱを拡大した右の写真、この色合いや葉脈の形、”絵になる”とはこの様なことかとその美しさに感激です。
葉っぱが何故緑から黄色にとか、何故赤にとかは省略しますが、ヒロパパの悪い癖?、このもみじだけを見ていても、何故切れ込みが出来るの?、何故鋸歯状になるの?、何故葉脈は網状になるの?、小さいほうの葉脈(側脈)は規則性とかグループ分けが出来るの?とかいろいろ気になってしまいます。多分小学校の理科の時間の学習?、透かし葉とかの葉脈だけにしてみて観察すると分かり易そうです。

・・・こんなこと考えずに、素直に錦秋2013年11月3日11月4日11月5日の話題)や銀杏並木2013年11月12日の話題)を楽しめばいいのに・・・その通りですね~。

”写真撮影に気遅れ?、所沢通信基地”
(Tokorozawa Transmitter Site)

アルバムへのリンク;「戯言」
鉄条網と有刺鉄線に囲まれた広大な平地に、珍しい形をした鉄塔が並んでいる、これ何だろうと周りを周回、見つけました!、正門と思しき場所に縦横1メータ程度の看板に”Tokorozawa Transmitter Site 374CS”と書いてありました。
ここは現在の航空発祥記念公園の近傍で、戦前までは所沢飛行場、終戦時大和田通信所(新座市・清瀬市)と同じく米軍に接収され、一部の返還があったもののまだこの状態が続いている、この様な経緯のある所です(関連話題;2013年10月4日

さて、今日の本題は、この施設を紹介する目的ではありません。
この写真を撮る時、一瞬気遅れをしてしまいました。
何故かって?、一昨日成立した特定秘密保護法に絡み、偶然目にして撮影した写真や場所を、特定秘密であるかどうか知らずにこの様に公表している、戦前の軍機保護法だったら多分処罰の対象とならないとも限らない、これは、戦前、軍機保護法や、終戦までの新聞記事に見られる報道管制・報道規制、検閲、それにこれらより派生した自主規制や報道協定、これらにより一般国民には真実が報道されなくなった事実を戦前の記録から見た事2013年10月3日2013年9月22日の話題)、この様な状況から生まれた感情と思われます。

先日NHKと他の民放でのニュース報道についての違いを話題にしたことがありましたが2013年12月3日の話題)、もしかしたら、現時点でも国内各社の報道について表面だった報道規制はないとしても各社の自主規制による報道があるのかもしれません、疑ってかかるのも疲れてしまいますが、怖いお話です。

以前、各種規制の激しい国の方にお聞きした事がありましたが、応答で注意すべき事は、賛成であれば別ですが、例え反対でも中立的な応答をすることに心がけているとの事、この様な自由に発言できない社会にはしたくないですね。

今回の特別秘密保護法について、何故内容の検討もせず(概要は下記)この様に急ぐのか?、今日の真珠湾攻撃の日までにと合わせたのか、それとも早ければ早いほど次期国政選挙までの期間が長く(衆院議員は2016年末、参院議員は同年夏)例え支持率が下がっても、今後の経済対策で頑張ればそのうち国民は忘れるであろうとの考えか、でも1票の格差で違憲又は違憲状態の判決が続いている2013年11月27日の話題)、これによる解散があるのかもしれませんが、これに対しても現在の政治家たちは、地方から立候補した方が当選する確率が高いとみて、現在の格差を無視している?のか感受性に乏しく期待できない、今回の与党に投票した皆さんが期待した事はこの様なことでは無かったはず、巨大化した事を良い事に数で押し切る現在の政治に対して気分が重く情けないな~の毎日が続いています。
ヒロパパの戦後の幼少時代には、新聞配達のアルバイトをしたり、袋とじの内職をしたりの暮らしを経験をした、これに対して現在の政治家たち(官僚の皆さんもおなじですが)は富豪のお坊ちゃん達で、若過ぎ経験が少なく思慮が不足、それに歴史を顧みていない皆さんばかりなのか?(と云い切るのは極端で一部の皆さんとは思いますが)、国民のしもべであることを自覚すべきと思いますよ。

参考までに、一番心配しているポイントは、「自分で秘密であると決められる、公開するかしないかでは、公開せずに廃棄処分にする事とか公開するにしてもその時期を自分で決められる」、この自分(今回は内閣府内ですが)で勝手に決められる事で、チェック機能が働かない仕組みは、まるで原子力安全委員会の安全設計審査基準2011年4月9日の話題)みたいです。
今日は楽しい話題ではなく、平に平にお許しを・・・。

”湿地回復の取り組み”
(a plan for restoration of a damp area)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
以前八国山緑地にある湿地回復の取り組みについて話題にしたことがありましたが2013年10月28日の話題)、今度は狭山公園内の湿地回復の取り組みの計画があり、今日、そのミーティングに参加してきました。
掲載した写真の左が、散策路から見た現在は野草が生い茂る該当場所、右がそこに残る水たまりです。

新参者のヒロパパですので以前の様子は分かりませんが、お聞きした範囲ですと全面的に湿地が広がっていたとのこと、まずはこの状態まで戻そうとの計画です。

ヒロパパからの提案としては、

●まずは現状把握が必要、その対象は、地形・地質(砂礫・瓦礫等の含量)、その年間を通した水量と水質(水源は多摩湖からの浸透水が主とのこと、水質は富栄養化されたものは適さない)、動植物等生物の生息状況を年間を通して観察記録すること、
●以上のデータについて過去(出来るだけ遡って)の記憶を含めての状態を把握しておくこと、
●これらのデータを考慮したうえで、湿地全体の設計図を描く、この設計図は地形と水深、保護すべき生物と排除する生物(外来種)を明記する、保護すべき生物については、目標種を数種設定して現状の生息状況と回復作業後の生息状況を比較できる様、出来る限り詳細な調査を実施しておく、
●実際の回復作業は、生物に影響を与えない時期(冬季が主)を選び実施、
●実施後は、外来種を除去しながら、生息調査を含め3~5年回復作業を実施、その後も定期的に観察を続ける、
不足している点が多々ありそうですが・・・。

実は、この湿地には陸貝が生息している2013年10月1日2013年11月8日の話題)、この陸貝達は湿地が広がることによって生息範囲が狭まる事も考えらる、これらも調査対象の目標種の一つなのでしょう。
この取り組みは(これだけではなく自然相手の取り組みは全てですが)1・2年で済むものではないことは確か、次世代に引き継ぐべき取り組みも必要ですね。

”マンデラさんがお亡くなりになりました”
(Nelson Rolihlahla Mandela)

アルバムへのリンク;「戯言」
マンデラさん(Nelson Rolihlahla Mandela)が今日お亡くなりになりました(享年95歳)。
ご存知とは思いますが、南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人やアジア系住民それにカラードとよばれる混血民が含まれている)の人種隔離政策に対してこれの撤廃を目指して活動していた方で、1962年に逮捕、1964年国家反逆罪で終身刑を云い渡されロベン島の監獄に収監、その後1990年釈放され、1994年に大統領に就任、差別撤廃、格差是正、経済対策などに取り組み1999年政界引退、2001年に前立腺癌を患い1912年より入院生活をおくっていた、これが彼の慨暦です。
現在の南アフリカ共和国の現状はどうなっているのでしょうね、よく聞かれる民族闘争的な争いは起きていない、お互いに憎しみ合っていると争いを繰り返すことになる、これを立ち切ったこれはマンデラさんの思想そのもの、現在世界各地で起きている宗教闘争、民族闘争等々も何処かで断ち切る勇気を相互に持ちたいもの、まったく同じとは言えませんが、「非暴力、不服従」を貫いたインドのガンジー(1869-1948)も合わせて思い出されます。
ということでガンジーの経歴を調べてみましたら、ガンジーは1893年この南アフリカ共和国(当時はイギリス領南アフリカ連邦)で弁護士をしていた、この時強烈な人種差別を体験しインド系移民の法的権利を擁護する活動をして1908年に同地で逮捕され1913年投獄された、1915年インドに戻り民族運動の後インド独立へとのこと・・・想像ですが、時代が違いますが、このガンジーの思想がマンデラさんに継承されていたのではと考えるのは考えすぎでしょうか。
現在の南アフリカ共和国は、まだまだ白人と非白人の貧富の差、格差がまだまだ存在しているとのこと、マンデラさんの意思を引き継ぎ国民の皆さまは頑張ってゆくのでしょうね。

さてマンデラさんが投獄されていたロベン島(Robben Island)は、ケープタウンから9.3km沖合のテーブル湾にある面積547haの島で当初はハンセン病患者の隔離施設として、その後アパルトヘイトに抵抗した黒人の牢獄だったとのこと(下の画像)、現在世界文化遺産に登録されています。これも今月3日の話題と同じ負の世界遺産、負の遺産は増やしたくないですね~。

”三日月と宵の明星と富士山と”
(venus and moon, in addition mt.Fuji)

アルバムへのリンク;「風景・自然」
今日の夕暮れの西の空、宵の明星と三日月それに富士山、お月さまと金星が近くに見える、それが今日なのです。
この写真は5時11分撮ったもの、もう少しするともっと近づきましたが、敢えて富士山が見えている時刻のものをとこの写真を選びました、なかなかのものでしょう!。

宵の明星(金星)は7日に最大光度(-4.7等)、その時にも又注目することにしています。只、”〇〇〇心と秋の空”でお天気や湿度それにモヤ(PM2.5も含まれそう)がどうなるかわからない、アイソン彗星は核が崩壊して明るい尾は期待できないみたいで先日がラストチャンスだった2013年11月21日2013年11月23日の話題)、予めチャンスを逃すことが無い様に見れる時の見ておこうということなのですが、ヒロパパの人生を振り返ると、なんとタイミングやチャンスを自責で逸した事が多かったことか、反省!。

さて、今見えているのは「宵の明星」、それでは●「明けの明星」として見えるのは何時から?、●太陽や月を除けば一番明るく見えるの何故?、●何故夜中に見えないの?、●大きさや質量が地球に一番似ているのは何故?、●自転方向が地球や他の惑星と反対なのは何故?、●自転軸が軌道面に対してほぼ垂直なのは何故?、等々金星そのものの不思議がいっぱいです。
分かっている範囲では、宵の明星は来年1月早々までで1月中旬からは明けの明星となり、次に宵の明星となるのが来年12月から、これは軌道計算から、それに明るく見える理由は二酸化炭素の厚い雲で覆われていて太陽の光を良く反射するから、それに公転はほぼ真円に近い、ということは地球の四季なんて概念は無い、それに公転周期が225日、でも、なんと!自転周期は公転周期より長い243日とのこと、となると昼とか夜とかの概念はどの様になるのか、等々ありますが、難しい事は今後の研究成果として、あれやこれやの不思議さをいっぱい持っている歴史的にも美女に例えられるお星様、そんな気持ちで見ると安らぎますね。

参照サイト;
「ほしぞら情報ー国立天文台」

”花壇の手入れ”
(a flower bed's improvement)

アルバムへのリンク;「ボランティア―」
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花屋さんから花を購入して、まずポッドに入れたままで並べ、位置が決まったら植え付け
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水をたっぷりで完成!
先月、終わった花を引き抜いてならしておいた狭山公園のメインゲート前の花壇に2013年11月20日の話題)今日花を植えました。
まずは花の色や生長する高さを考えた上での設計図作り、設計図通りの植える花を花屋さんから購入、ポッドに入れたまま最適な間隔を空け並べああでもないこうでもないと検証、位置が決まったら植え付け、最後に水をたっぷりと施し完了です。
ヒロパパが植えた部分は自分で覚えていますので、そこだけ育たなかったなんてことになったらと心配です。

植えた花は、ストック、シロタエギク、パンジー、ビオラ、プリソラ、ノースポール、ヒューケラ、スリートアリッサム、カレンディラ、・・・といかにも知っているかのように名前を書きましたが、知っているのはパンジー位でその他は名前が難しいし覚えきれない、その道にはその道のプロがいますので安心ですが。

”今の日本は危険な道を歩んでいる?”
(Atomic Bomb Dome)

アルバムへのリンク;「戯言」
掲載した写真は、原爆ドーム、撮影月日は定かではりませんが、瓦礫が撤去されている様子から多分被爆(昭和20年(1945年)8月6日)後1年以上経過のもの?ではないかと思われます(詳しくは広島市HP、原爆ドームサイトをご覧ください)。

実は先日、瀬戸内市(岡山)のハンセン病療養所「長島愛生園」と「邑久光明園」が、世界遺産登録に向けた準備会を発足させたとの報道がありました。
ここで思いだされた事が、負の世界遺産、実はいつ購入したか忘れてしまいましたが「人類が知っておかなければならない、もう一つの世界遺産ー負の世界遺産(発行;洋泉社)」という書籍で、内容は、原爆ドームやアウシュヴィッツ・ビルケナウのナチスドイツの強制絶滅収容所、その他ビキニ岩礁の原爆実験場、アフリカ諸国に散らばる奴隷売買の遺跡、民族紛争の遺跡、等々45の負の世界遺産が記載されていました。

原爆ドームについては、当時遺産として保存するしないの議論があったとのこと、これは東日本大震災の被災建造物についても同じ、被災された皆さまにとっては目に見える形で残る事はつらい思い出につながることも確かですが、記念館だけではなく実物を後世に残すことは記憶を蘇えらせ、二度とその状態にならないようにする意味で重要な要素、いつかには、これらも負の自然遺産として残ることになるのではと思っています。

実は、ここまでは前文で、今日の話題は、これも負の世界遺産となるであろうと思われる高レベル放射性廃棄物の廃棄方法についてです。
参考にと「資源エネルギー庁の放射性廃棄物のホームページ」のガラス固化体での深地下への隔離のページを覘いてみると、当たり前ですが安全である事を強調する文章が並び危険要素には一切触れていない、これに対して「環境と原子力の話ーはんげんぱつ新聞」では地下埋没の危険性について説明がある、どちらが正しいのかの即決は難しいのですが、10万年後まで地層が安定しているのかとか、深地下に埋めてしまうと人々の記憶から薄れてしまいそう、それでは、未来永劫地上に保管し、これを丁寧に管理することに徹する事にすれば、深地下に埋めるより危険に対する防止対策処理がし易いとも考えられます。
そのうち福島原発やチェルノブイリ原発、スリーマイル原発が負の世界遺産として登録される時期が来るのでは、これと同時に地上保管を何処で?は困難な問題ですが、これも候補として上がってくるのでしょう。
それに原発の稼働を即停止しないと行き場の無い現在1万7千トンも貯まっている高レベル放射性廃棄物が増えるばかりです。
現人類は私利私欲優先で自滅の道を歩んでいる?、それに次世代の人類に負の遺産を残している?、許される事ではない事だけは確かですよね。

さてもうひとつ、今回議論されている「特定秘密保護法案」について、デモとテロの区別も出来ない人達が特定秘密の指定をしたり同時に同じ人たちが妥当性をチェックしたり?、同じ組織の皆さんが自分勝手に長期間にわたり秘密秘密を貫き通すことになる、それに何故こんなに急いで成立させようとしているの?、条文に概念的な言葉で並べ、これに反対する野党に対して彼らが気が付いた部分のみ少しずつ具体的に歩み寄り、すり寄った野党を仲間に加えて巨大与党だけでの強行採決では無いという印象を与えてゆく、開いたというシナリオを残す為だけの仙台やさいたまでの公聴会、諸外国からも国際基準に合わないとの批判を受けている、日本版NSC法も含めもの今の日本はすごく危険な道を歩み始めていると感じてしまうのはヒロパパだけでしょうか、特に満州事変、日中戦争、太平洋戦争当時の新聞記事や写真を垣間見た経験から(関連話題; 2013年11月27日当時正確な情報が報道されず国民が騙されていた事を考えると益々心配が膨らむばかりです。

これに関連して、ニュース報道のNHKと民放の違いについても奇異い感じている部分があります。
1週間前程だった?、国会の委員会での3名の有識者の意見で、与党推薦の方は勿論賛成意見を述べたのですが、反対意見を述べた2名の方の意見を聞いた後賛成意見を述べた方が”2名の方の意見を聞いてもっと検討を要す事が必要”との印象を追加した、これを民放各社は報道したがNHKはこれを報道しなかった、 10秒にも満たない口述ですので時間が無かったとは思えない、意図的に無視したのか、この意見に注意を払わなかったのか、どちらにしてもNHKのニュース報道のセンスについて今後も注意を払うようにすることにしました。

少なくとも戦争に向かう様な動き、例え威嚇的なものでも絶対に避けるべき、誰でも自由に自分の意見を述べ合える環境を維持してゆきたいですよね。

参考;
●原爆ドーム;旧名;広島県物産陳列館設計、設計;ヤン・レツル/チェコ、竣工;大正4年(1915年)4月

”御地蔵さんの刻字”
(ozizousama)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
先月話題にした馬頭観音とお地蔵さんについて2013年11月28日の話題)、昨日もう一度立ち寄り確認してきました。
まずお地蔵さんに刻字されている文字を読み取ること、一字読みとれないものが有りましたが多分「於」と推定し全文は「毎日晨朝入於諸定遊化六道援苦與楽」みたい、もしかしたら他のお地蔵さんにも使われている用語なのか?、さてそれではこれはどの様な意味か?、「毎日お参りを云々、六道の苦しみや楽しさを云々」???この云々の部分を正確に訳せない、多分御坊さんにお聞きすれば分かりそうですが・・・。

でも「六道」とは?で、これだけは分かりました。
「六道」とは、●天道(てんどう)、●人間道(にんげんどう)、●修羅道(しゅらどう)、●畜生道(ちくしょうどう)、●餓鬼道(がきどう)、●地獄道(じごくどう)、それに御地蔵さんが持っているものは、●蓮華、●錫杖、●香炉、●幢、●数珠、●宝珠などを持っているとのことでした。
六道を全部理解し、持物の意味を完全に理解できれば、多分御坊さんになれるのでしょうね。
それに今後文字が刻まれた御地蔵さんを見掛けた際、参考になりそうです。

”このみしおりが公共の場にお目見え”
(the Konomi-bookmark)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」
写真は狭山公園のパークセンターのカウンターです、このHPで見慣れたものが写っています。見慣れたものとは”このみしおり”(直前の話題;2013年10月29日、カウンターにこの1カ月前から並べられる様になりました・・・やっと”このみしおり”が公共の場にお目見え、市民権が得られた、嬉しいですね。

カウンターに並べた目的は何?、・・・可愛いでしょう!、勿論持っていって良いですよ!、只、お気持ち程度で結構です、寄付金をお願いしたいのです・・・が目的で、今までも花壇に植えられていたラベンダーで作った香り袋2013年9月4日の話題)等もその一つです。
この”このみしおり”はこのところ噂が噂を呼んで人気沸騰!(本当かな~、手前味噌かも?)、1・2週間毎に慌てて作って補充を繰り返しています。只、オニグルミもチャンチンモドキ、栃の実、ムクロジ、フウセンカズラも数が限られている、これからでも拾えて、乾燥させても後も硬くて形が崩れない木の実を集めなくてはと、森の中を彷徨っては探してはいるのですが、どんぐりの仲間は乾燥させると殻が割れてしまう、なかなか大変です。

さて寄付金は増えたのかな~?、これは良く分かりませんが、それより、持ち帰った皆さまのご家庭の本棚の本にこのしおりが使われている場面を想像しているのも楽しいものです。