2015年3月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。
気がついた折紹介しています。
2015年3月31日

”台湾旅行 No.5
今日の話題は、台南です”
(a trip to Taiwan, No.5・・・at Tai nan )

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可愛い風景二つ、台南孔子廟にて

(お断り;昨日、一昨日のアップロードについて、写真が我がパソコンでは何のトラブルもないのですが、インターネット経由では表示されていない、現在、原因を究明中です、しばらくお待ちください
原因が分かりました、画像名の拡張子(jpg、gif等)がインターネット上では小文字・半角のみ、パソコン内では大文字で小文字でも同一として理解している、インターネットでアップロードした画像の中に大文字のものが含まれていた、これが表示できない理由でした。拡張子を小文字に直して再度アップロードして、現在は表示できるようになりました。)


昨日までで高雄から台南へをご紹介いたしましたが、今日は台南到着後(29日午後)と翌日(30日)の話題です。

台南での主な訪問先は、「安平古堡(an-ping-gu-bao)」と「孔子廟(kong-zi-miao)」でした。
29日、台南到着早々訪れた「安平古堡」は1624年(日本で云うと江戸時代・家光の時代)に赤レンガを積み上げて作られた、台湾で最も古い城堡で有名、たくさんの観光客でいっぱいでした。
前述の「台南孔子廟」も、台湾で初めて建てられた(1665年、江戸時代家綱の時代)孔子廟と云われている、どちらも歴史的な建物です。

どちらも、インターネットから詳細を知ることができますのでここでは省略、注目したのは、「台南孔子廟」で出会った可愛さ抜群の二つです。

廟内を散策している時、着飾った可愛い子供たちが手をつないでぞろぞろ、これからお遊戯でも始めるのかな?と期待して眺めていましたら、一人ひとりカッコよく写真撮影、お聞きしてみましたら幼稚園児で卒業写真を撮る為着飾って来たとのことでした。
そういえば台湾の卒業式は6月(新学期は9月から)、しかも卒業式で斉唱すのが「青青校樹」(メロディーは「仰げば尊し」とほゞ同じ、もちろん詩は中国語でです)、同じメロディを口ずさみながらの卒業式なんて嬉しくなってしまいます。

もう一つ廟内で見掛けた可愛い姿、なんとあちこちにリスが遊んでいる、子供からカボチャかヒマワリの種をもらって、あるリスはお腹がいっぱいだったのか地面に埋める動作もしている、国内では見られない風景にこれも嬉しくなってしまいました。
インターネットで調べてみましたら、日本でも、観光用として導入された台湾リス(和名ではクリハラリスと呼ばれてるみたい?)が太平洋岸の各地で定着していて日本リスとの競合で特定外来生物にも指定されているとのこと、以前話題にした「キタリス」も同じですが2014年1月12日の話題、国内で見掛けたら/台湾で見掛けたらで印象が違うというのは可愛そうな気がします。

今回の台湾訪問では、名所・旧跡は勿論ですが、たくさんの日本では見掛けない植物や昆虫にも出会い事ができました。追々話題として取り上げてみたいと考えています。

追記(2015年4月10日);餌を与えることは禁止だよ!って書いてはありましたが・・・。

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”台湾旅行 No.4
今日の話題は、高雄です”
(a trip to Taiwan, No.4・・・at Gao xiong)

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フェリー乗り場の混雑ぶり
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フェリー船上から高雄市内の遠望

27日九份から始まった台湾旅行は2015年3月27日3月28日の話題)、28日は台北市内2015年3月29日の話題、29日は台北から「高鐵(gao-tie、台湾高速鉄道、参考までに既存の鉄道は「台鐡(tai-tie)」と呼ばれています)に乗って高雄(gao-xiong)へ、その後台南(tai-nan)に戻って、そこで一泊でした。

台北駅から前日交換しておいた「高鐵周遊券」(指定席も予約)を初めて使い高鐵の高雄側終点の「左営(zuo-ying)」経由高雄市内へ、高雄市内のMRTに乗ってまずは西子湾駅に、その後徒歩で鼓山輪渡站(gu-shan-lun-du-zhan、鼓山というフェリー乗り場の意味です)へ、そこでフェリーに乗って対岸の旗津(qi-jin)輪渡站へ、到着早々お昼ごはんを食べ直ぐに鼓山に戻り、台南行きでした。
高雄はこれだけ?、ソーなんです、鼓山輪渡站での人やバイクがものすごい混雑していて、乗船待ち時間が、乗れるまで30分以上、対岸で軽食して往復で1時間半以上掛かった為、その他の高雄での寄り道は省略せざるを得なくなった、この為なのです

今日の話題のメインは、このフェリーについてとします。

写真は、 鼓山輪渡站乗り場での行列風景、乗船料金は15元(学生は12元、老人・障害者は8元)、それにバイクの二人乗りは50元、一人は35元、自転車は15元でした。
ヒロパパは15元、予め仕入れておいた「悠遊卡(you-you-ka)」のピッで済み、ところが我がグループの同年輩の方が老人だから8元と理解し、料金箱に10元を投入したが2元のおつりは無かった、と嘆いていました。多分、看板の「請先自備零銭」は「お釣りが無いように予め小銭を用意してね」という意味と理解しましたが、正解かな~。とにかく、同じ漢字圏の国でしかも繁体字ですので分かり易い、ちなみに、バイクは機車(ji-che)、自転車は單車(dan-che)と呼ぶみたいです。
下の写真は、フェリー船上から高雄市内を望んだもの、「台北101」が出来るまでは台湾で一番高い建物だった「高雄85」も見えています。

さて、明日は台南での話題を予定しています。

”台湾旅行、No.3”
(a trip to Taiwan, No.3)

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↑九份の宿からのパノラマ風景、山肌にたくさんの住居?、よくよく見てみたら故人の住居
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↑朝の九份の街並み、猫ちゃんたちも集まってきていました
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↑台鐡平渓(peng-xi)線に沿って足を延ばし「十分(shih-feng)」へ、
「十分瀑布(shih-feng-pu-bu)」へ行ってきました
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ここ「新北・平渓」は「平渓天燈節」で有名、「十分」駅でも「天燈(tian-deng)」を上げていました、
効能は?、日本語の説明もありました
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台北101が見える台北市内の様子と「鼎泰豐」の人だかり

3月28日は、「九份」を後にして「十分瀑布」を見学、その後台北市内へ、台北駅ではコインロッカー(存物箱;cun-wu-xiang、設置場所によって値段が違う、設置した会社が違うからか?)の使い方に苦労をして、その後、駅構内で「高鐵周遊券」の引換券を本券と交換(これ後日話題にします)、林森北路(ここはクラブやバーがたくさんあり、昔よく通った?エリア)にある宿泊ホテルの「俐仕商旅(li-shi-shang-lu)」へ、荷物を部屋に置いて早速お出かけ、夕食は日本でも有名な「鼎泰豐(din-tai-fung)」で、でも1時間待ちの盛況で近くのコーヒーショップで時間待ち、何を食べたの?はこれも後日の話題としますが、その後、「芒果恰恰(マンゴーチャチャ・mang-guo-qia-qia)」というお店でお土産として「乾燥マンゴー(芒果乾・mang-guo-gan)」や「芒果牛軋糖(mang-guo-niu-gui-tang)」を購入、MRTに乗って、道を間違えながらホテルに到着、間違いはヒロパパが原因だったのですが、路地を間違えるのも新しい発見がある、ヒロパパにとって10年前振りで、メインストリートには以前見掛けなかった自転車専用路線やレンタサイクルのステーションがあちこち設置されていて素晴らしい変化、でも、路地に入ると昔の懐かしい風景が広がっている、それが又楽しい、そんな一日でした。

明日以降、まだまだ台湾の話題が続きます、ご期待ください。

追記(2015年3月30日);九份からの帰途、道路際に車がいっぱい駐車していました。見たところお墓まいりみたい、後で気が付いたのですが、台湾では(中国でも?かもしれませんが)この時期「清明節」と称してお墓参りをする習慣があるようです。
昔はここ九份は金鉱山であったことと、特に海が見える高い台でお墓として好まれた土地柄だったみたい、上のパノラマ画像のたくさんの故人の住処の理由が分かりました。

”今回の旅行の目的地は何処?”
(Where is the destination of this travel?)

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到着した空港とその後宿泊地近くの鉄道駅
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旧い街並みの夜景

昨日の続き、今回の旅行の目的地が今日明らかに・・・・、上の写真は昨日夕方到着した目的地の空港、遠くに見えている特徴のある建物をご存知の方はもうわかってしまう?、そう、「圓山大飯店(yuan-shan-da-fan-dian)」、ということは、この空港は「台北松山国際机場(ji-chang)」なのです。
その後、一時的に大き目な荷物を預けて手荷物だけにして列車に飛び乗り到着した鉄道の駅が「瑞芳(rui-fang)」、ここで迎えの車を待ってやっと今日の宿泊地に無事到着することができました。
台湾での一日目の宿泊地は、侯孝賢(hou-xiao-xian)監督作品の映画「非情城市」で(下記)、今、日本で大人気、の「九份(jiu-fen)」、その通りなのです。

まず空港でタクシーを拾い、明日、宿泊予定の台北市内のホテルに向かい、荷物を預け、その後台北駅(台北火車站)に、さて、瑞芳行のプラットホーム(月台といいます)を教えて頂こうと傍にいた3人グループの皆様に話しかけてみましたら、皆様は、一瞬困った様子、そうか!?、ヒロパパの下手な中国語では聞き取れなかったのかな?、でも、なんと日本語が返ってきた、お聞きしましたら、沖縄からやってきた美女の三人組で、同じ九份に向かうとのこと、一緒に特急(強力號)のホームを探し「瑞芳」に、という事で、とにかく到着、めでたし・めでたしでした。

さて、宿泊は、九份の高台にある、遠くに基隆(ji-long)までも見渡せることが出来る民宿の「熱門民宿(re-men-min-su)」でした。
この民宿は、泊まれる部屋を提供するのみで食事等は無い、近くの屋台的なお店で食べることが出来るのでこれは好都合、夜の九份で食べ歩きながら、旧い台湾が残る街並みを楽しむことが出来ました。

今回の旅行の予定は、仲間5人と27日ここ九份に集合して一泊、その後28日は台北で一泊、さらに29日は高雄→台南と移動して台南で一泊、30日高鐵(台湾高速鐡道)で桃園までご一緒して帰国する仲間の皆様とここでお別れ、ヒロパパだけは台北に戻り、30日夜と31日は台湾のお友達と一緒に過ごし4月1日に帰国、この様なスケジュールです。
さて、お仲間とご一緒のスケジュールは、綿密ですごい!、何処が見どころ、何処に何を使って行く、もし時間が無い場合の代替案もあり、しかも送迎バスも含め予約が出来るところはすべて予約してある、しかも・しかも、乗り放題の「高鐵周遊券」や「MRT(台北捷運、いわゆる地下鉄)」や買い物の支払いに使える「悠遊卡(you-you-ka)」の事まで全て調べ上げてある(これらについては後日話題にします)、一体誰がこんなに詳しく計画したのでしょう?、ソーなんです、何時もヒロパパをバーチャルトラベルで楽しまさせて頂いているSaさん、さすが、よくご存じです。4年前に台湾で開催された花博を見学されたこともお聞きしていますがそれだけではなく、世界各地をご旅行されている(下記)、これらの経験で、まるで旅行代理店を生業に出来る程、感謝、感謝のみです、ありがとうございました。
明日以降も台湾旅行の話題が続きます、お楽しみください。

お断り;我が学習の為に、中国語での発音(ピンイン)をアルファベットで記載してあります、只、四声を付記する手順が分からない、どなたか教えて欲しいな・・・。

関連話題

☆台湾映画祭の話題;
2011年6月25日の話題

☆Saさんの海外旅行の話題;
●オーストリア・ドイツ・フランス・スイスへの旅行→2014年9月19日2014年8月31日8月30日8月28日8月27日8月24日の話題
●オーストリア・スイス紀行→2011年6月30日6月29日6月28日6月27日6月24日6月21日の話題
●台湾花博→2011年3月9日の話題
●スペイン・バルセロナへの旅→2010年12月8日2010年10月19日の話題

”突然飛行機に乗っています”
(my sudden travel )

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羽田空港出発ロビー、受付カウンターの上三階には羽田日本橋が架かっています
お天気も良く富士山も見通せました
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高度約10,000mから見下ろした富士山

突然に羽田空港の話題に!、いったい何が起こった?、具体的には明日の話題で明らかにしますが、空港を利用するなんてもう十年来無かったことを意を決して実行してみました。
何を実行したの?、今日のところは、富士山を右手に見ているということは南下しているという事だけとします。

実は約2か月前からお友達に誘われて準備をしていました。

まずは、朝早く自宅近くのバス停から羽田航空行のバスに乗り、予定通り(出発時刻の2時間前)に到着、カウンタでパスポートを見せチェックイン、荷物を預けてまだ2時間近く余裕がある、空港の中をふらふらせざるを得ない、そんな中見掛けた「羽田日本橋」、実物の??分の一とか書いてありましたが忘れてしまいました。
外を見渡すと富士山が、実は富士山を撮るために飛行機の席は右窓側に予約、でもちょうど翼の上、少し振り向きながら撮った一枚です。

この頃の飛行機は、テレビ画面でいろいろな放送を楽しめます。でも、ヒロパパは、逐次変化する航路の表示のみを楽しんでしまいました。
表示は、地図上の現在地と、日本時刻と現地時刻、出発してからの時間と到着予定時間、高度、真対気速度、対地速度、向かい風、外気温度、機首方位等々です。その中でも、外気温度は上下があるにしても-60℃、すごい!、外に放り出されたら瞬間的に凍り付く、それにしても何故高度が高くなると気温が下がるの?、復習してみました。

まずは地表が暖められ、これが大気を暖める、飛行機が飛ぶ範囲(対流圏;10km)は5~6℃/1㎞づつ下がる、只、成層圏(約50km)になるとで徐々に0℃近くまで上がり、さらに中間圏で又徐々に下がり約-80~-90℃に、でも熱圏では120km程度で+100℃になる、これはオゾンの分布密度による違いとのこと、不思議です。

テなことを考えながらですが、予定より早く大きな揺れもなく目的地に到着、快適な旅でした。
何処に到着したの、それからどうしたのは明日の話題をご覧ください。

参考サイト;
「気温について」

”野暮用でアップデートを1週間程度お休みします”
(Sorry, I'll be absent from an update for about 1 week. )

アルバムへのリンク;「戯言」

野暮用が発生!、約1週間程度このHPのアップデートをお休みさせていただきます・・・とお断りしておかないと、とうとう?やっと?ヒロパパは・・・と思われ、ご心配をお掛けしてしまいますので・・・誰も心配なんかしていない?、それもそうですが。
約1週間程度後に、この野暮用を発表いたします、どんな野暮用だったかは、その時お楽しみ頂ければと思います。

”新しいプリンタを購入”
(my new printer)

アルバムへのリンク;「戯言」

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ついに意を決してスキャナー機能付きプリンターを購入してしまいました。
購入した機種は、EPSON EP977A3でA3もプリントできるというもの、Wi-Fiで使える様設定して少しづつ機能を確かめながら使用しています。

何故急に?、一つは、今まで使っていたプリンター(EPSON PM-3300C)が縞模様が入るようになった、只、縞模様が入っても印刷できているしインクを何回も飛ばせば一応見える程度の画質にはなる、だから使い続けたら・・・というのも一案なのですが、同様に11年使っているスキャナー(CANON 5000F、販売終了;2004年3月、サポート終了;2008年末、一部ネガフィルム読み取りに不具合あり)が、今までメインで使っていたパソコン(SONY VAIO、VGN-FE53BW, Windows Vista)に接続できるものの、新規パソコン(NEC Lavie Windows 8.1)にはドライバーが無く接続不可、この際、新しいパソコンに全部合わせてしまおうと意を決した訳です。

今まで使っていたプリンター;EPSON PM-3300Cは、何時から使っていたのか記録が無く定かではありませんが、この機種は製造終了が2001年10月(サポート終了は2006年)ですので、購入したのはこれ以前、途中、カウンターをリセットしたりと2013年7月21日の話題)様々な苦難?を乗り越えもう14年以上使っていたことになる、すごいでしょう!。

でも、”ケチケチお化け”のヒロパパですのでこれはまだ序の口、現在も使用中の最長は我が腕時計で、購入したのが1995年9月、途中故障し修理したことがありましたが2010年3月30日2010年3月17日2008年7月31日の話題)早や20年になる、只、過去にはこれ以上長くお付き合いいただいたものがある、それは、昭和62年(1987年)から2009年8月までなんと22年乗っていた車2009年8月12日2009年8月6日、の話題)、これらに比べ、今頃の家電製品やパソコン・周辺機器は、不具合多発でしかもサポート期間も5年とか7年とかでなんと短い事か、とにかく現在の各製品は買替需要を狙って意図的に短く設定しているのでは、昔の質実剛健の日本製品の品質は何処へ行ってしまったのでしょうね。

”春のうららかウォーキング開催”
(an event at Sayama Hill)

アルバムへのリンク;「ボランティアー」

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毎年恒例のイベント「春のうららかウォーキング・第5回」の開催でした。
昨年は(下記)、東村山駅をスタートしてゴールが狭山公園、今年はスタートもゴールも狭山公園、参加者は昨年が618名に対して今年はちょっと?少なく312名、途中パークレインジャーによる自然ガイドのポイント5か所を含め約10キロのコースを、名前通りのうららかな中、参加者の皆さんは楽しんでいました。
ヒロパパの役割は昨年と同じ、準備作業とその後の参加者の誘導、最後の後片付けが主、うろうろしながらですが楽しんでしまいました。

さて、参加者について、今年は昨年に比べ半減した、この半減した理由は何か?を考えておくことは必要そうです
同じタイミングで付近の地域で同じようなウォーキングイベントが開催されていたとか、周知する方法を工夫するとか、勿論、多ければ多いほど良いということではありませんが、参加者の皆さんからはアンケートを頂いていますので、これを分析して、この内容を参考にすることがまず必要ですね。
一つは、ガイドとなる矢印表示が小さくて分かりにくいとか、下車駅での案内表示が無い事(ガイド役の方は配置されていた様ですが)等レビューミーティングではポイントが指摘されていました。

さて、桜の開花ももう間近、そんな中、ここ狭山公園で初めて燕を見ました。気象庁の生物季節観察のページ(下記)では、九州地方では渡ってきているとのことですが、東京の欄に記載はない、昨年は4月6日だった、もしこれが公式に認められれば昨年より10日も早くなり記録的な早さかもしれません。
もう一つ、昨年は3月に見られたトウキョウサンショウウオの産卵が2014年3月13日の話題)今年はまだ見られない、これ以外、例えば桜(ソメイヨシノ)にしても、鶯、蝉、梅、銀杏等々、狭山公園内で標準木又は対象を決めて観察を続け、記録に残すのも面白そう・・・誰がそれを・・・ヒロパパは毎日居るわけではないので難しいのですが。

関連話題
●昨年の「春のうららかウオーキング」の話題; 2014年3月23日の話題

参考サイト;
気象庁「つばめの初見日」

”大門、増上寺の”
(Daimon, a entrance gate of Zoujyouzi-temple)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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昨日の港区芝(東京都)訪問の折、見掛けた風景、東京タワー(正確な名称は、東京電波塔、竣工1958年10月14日、333メータ)と増上寺の中門(ここから先が境内)です。
東京タワーは、現在、2011年3月完成した東京スカイツリー(634メータ)に次ぐ日本では2番目に高い建造物、電波塔としての役割(テレビ放送)は、2011年7月24日の地上アナログ放送の終了と同時に終わり、現在は観光施設と代替電波塔の役割を担っています。

さて、増上寺について、左の写真の瓦屋根は、この増上寺の中門で正式名称が「三解脱門(三門)」、右の写真は、約1キロ程度離れている大門です。

この大門が今話題になっています。
昔は、付近一帯が増上寺の敷地内であり、その大門となっていた、ところが境内を含め付近の市街地化が進むにつれてこの大門だけ孤立した状態になった、その時点で増上寺は現在の東京都に寄付をした、ところが東京都では、寄付されたという記録が見つからない、従って所有者が誰か分からない状態とのこと、老朽化して立て直した方が良いが費用を誰が負担するかで明らかになってとのこと、街中で管理者や所有者が分からないものがまだありそう、探してみるのも面白そうですね~。

東京タワーの話題;
●我が家から見た東京タワーとスカイツリー(2013年9月28日の話題

”複雑な地下鉄路線”
(complicated subway map)

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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今日は、野暮用で都内2か所を慌てて訪問、どちらも初めて訪問するところで、一か所は港区芝の増上寺近くのJAFへ、もう一か所は千代田区紀尾井町の旅行会社でした。
予め電話で行き方をお聞きして、どちらも一番近い地下鉄の駅を、そこからの道順をお聞きして開いたのが地下鉄路線図(掲載した図)で下車駅の芝公園駅と麹町駅を探して、意気揚々と出発・・・ところが、ご覧ください・・・曲がりくねった路線が13本も走っている、それぞれの路線は色分けをしてあるにしても、わずかに色調は違っているのみで13色もある、しかも東西南北的に直線的ではなく曲がりくねっている、それに路線図の記載上の間隔と駅間の実際の距離は無関係、最終的には改札ゲートに居た駅員の方にお聞きしながらの旅でした。
もしこれが外国で言葉が通じなかったらどうなっていたのか、ということは、海外の皆さんはどうやって移動しているのか、心配になってしまいました。

これに比べ、以前住んでいた名古屋市の地下鉄は、環状線とほぼ東西に路線が走っていて分かり易い、路線が少ないことと都市部の面積が小さい事、それに市営のみで複数の私鉄(相互乗り入れはありますが)単独の路線がない事なのでしょうね。

これに比べ都区内の地下鉄は、人が行きたい場所に行くための人のけもの道的な存在、慣れれば便利なのでしょう、でも、これから増える海外の皆様にとって大変な苦労が伴うのでは、スマホででも検索すればルートは分かるにしても構内の行く先表示を見るだけも大変、マルチリンガルのボランティアのガイドを各駅に配置するのも一案かもしれませんが、これも大変そうですね~。

さて今日は地下鉄サリン事件が起こってから20年、被害を受けた方が多かった霞ヶ関駅や小伝馬町を今回は通らなかったものの、狭い地下空間にサリン等の毒ガスは何処でも同じ、怖いお話です。


名古屋市地下鉄の話題;
●環状地下鉄営業開始(2004年10月5日の話題
●左回りと右回り(2004年11月29日2009年1月13日の話題)
●路線図はトポロジー(2009年3月31日の話題

”梅と杏、どちらがどっち?”
(Ume and Anzu, which is which?)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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この花、梅?杏?、どっちがどっち

いつもこの時期悩んでいる事、それは咲き始めた梅を見掛け、もしかしたらこれ杏(あんず)かもしれない、それでは一見して見分けるにはどうしたら良いのか?、です。

掲載した写真は、梅と杏と思われる花、どちらがどっち?・・・右が梅、左が杏と思っていますが、あたっているのかな~。
花枝が長い桜とは違う、花枝が短いけれど時期が違うので桃ではない、従って梅か杏、でも花だけを見ても判断が難しい、それではどこで判断したら良いのでしょうね。
調べました、というより参考となるサイト(下記)をそのまま適用してみただけですが、右が梅、左が杏、その理由は、枝に付いている花の密度で杏は枝にいっぱい花を付けている、梅はそれに比べて花の数が少ない、だからとしました。
全てに適用して良いのかどうかは、経験を重ねる必要がありそうですが、しばらくは、見掛けるたびに近くによってジロジロが続きそうです。

参考サイト;
「桜、梅、桃、杏(あんず)の花の見分け方」

”狭山公園での花壇の手入れと「ホトケノザ」”
(Lamium amplexicaule)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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少し暖かくなったので芝生の上でミーティング
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ホトケノザ、雄しべは?雌しべは?

相変わらず定期的に狭山公園の花壇の手入れを行っています。今日の作業は、冬を乗り切った花壇の落ち葉の除去と春に向けての花壇の計画で、ミーティングも白板を外に持ち出して心地よい日差しと風の中ででした。
白板の前で仕切っている方は、そろそろ着任してから1年になるTaさん、この1年ですごい進歩でもうベテランの雰囲気、頑張っています。

ヒロパパはというと、園芸用の花は難し過ぎでよくわからない、ということで、傍の咲き始めた「ホトケノザ」を眺めながら、聞いている振りをせざるを得ない状態でした。

それにしても、「ホトケノザ」って不思議な形の花ですね~、それによくよく見ても、雄しべは何処?、雌しべは何処?、撮影した写真を拡大してもよく分からない、多分赤褐色の塊が雄しべと分かるものの雌しべがはっきりとわからない、インターネットを参照したところ(下記)、雄しべの傍にある、白い二俣のものが柱頭みたい、それにもっと不思議なことがわかりました。それは、
●「ホトケノザ」には開放花と閉鎖花がある、
●この時期(初春?)開放花で受粉していなくても閉鎖花(蕾のまま)で受粉が進んでいる、
とのこと、昆虫たちの活動が少ないこの寒い時期でも自家受粉で種子を作り出してしまうという能力を持っているみたい、ということは、オドリコソウの仲間は同じ同じかなと調べてみましたが、これは違う、閉鎖花で自家受粉する代表的なものは、「スミレ(ナガバタチツボスミレ、ヒメスミレ)」、「ムラサキタンポポ」、「キツリフネ」、「センボンヤリ」、「キッコウハグマ」、「ミゾソバ」、「フタリシズカ」、「タツナミソウ」、「ヒメハギ」、「イヌハコベ」、「ハマツメ」、「イトツメクサ」等々あるとのこと、まずは、もう一度「ホトケノザ」や「スミレ」からでも閉鎖花を確認してみることにします。

参考サイト;
「ホトケノザの閉鎖花」
「野草の閉鎖花」

”氷瀑布、それに「カモシカ」と「二ホンシカ」の違い?”
(the difference between Japanese serow and deer)

アルバムへのリンク;「小鳥・動物・昆虫」

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蓼科高原の氷瀑布、水道管破裂ではないと思いますが・・
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樹皮が剥ぎ取られています、それに足跡

今回のふるさと帰行の続き、蓼科高原へも行ってきました。
道路は通常のタイヤでも大丈夫でしたがまだ雪がいっぱい、山小屋はつぶされることもなく健在、一安心です。

掲載した写真は、途中で見掛けた氷の山?、滝?、つらら?、この色合いは、まさか絵具を混ぜたものではなく自然のものと思われますが、美しいですね。
もしかしたら冬季に水道管が破裂して吹き出し自然に凍り付いた、でもここは人通りがある場所ですので不具合であれば直しているはず、多分計画的に作ったものと思われますが、この時期しか見ることができないもの、楽しんでしまいました。

さて、山小屋の周りを一周して観察、あちこちの広葉樹の樹皮が剥がれている、それに一筋の小さな”けもの道”と、いたるところにばらまかれている黒い小さな丸いものがいっぱい、これは「二ホンジカ」かな?・・・ということで、鹿と昨日の「カモシカ」を比較してみました(下表)。
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まず●分類上では、「シカ」は、「ヘラジカ」と同じ「シカ科」、これに対して「カモシカ」は家畜の牛により近い「ウシ科」に分類している、この違いは角で分類したのかな、シカの角は雄のみで、枝分かれしていて生え返る(「シカ」の角は皮膚が盛り上がって角となっている)のに対して、「カモシカ」は、雌雄ともあり、短くて芯があり、生え変わらず一生伸び続ける、
●「二ホンジカ」は「イノシシ」と同様増えすぎて農作物や森林への被害が多発しているのに対して「カモシカ」もこれらの被害に注意を払う必要がでてきたとのこと、
●なわばり意識は「カモシカ」の方が強い、もしかしたらこれが生息数の違いの原因?、
●「シカ」は、移動しながら「カモシカ」は立ち止まって糞をする、糞そのものの形状で見分けることが難しいがこのたまり方でどちらかを判断できるとのこと
等々その違いを理解することができました。

今回の「カモシカ」を簡単に目にすることが出来たということは生息数が増えたから、生息数が増えると食害が増えるから生息数を管理する・・・これ、みんな人間の身勝手な考え方ですよね。
逆にみたら、動物を含め生物は、なんてこんな横暴な人間という動物が増えてしまったのかと嘆いてしまっているのでは、以前、東南アジアで、野生の象が民家に入り米等の食料を食べてしまった、これに対して住民は、ここは共生している土地なんだからと怒る様子もなかった、とのニュース見たことがをありますが、共生してゆく工夫はどうしたら良いのか、課題が残ります。
最小限、見掛けても静かに通り過ぎる、特に動物の赤ちゃんだけがうずくまって一人でいても保護したりしない事、特に植物食の動物は必ず親が迎えに来るから大丈夫、それに餌付けをしないこと、これらの注意が必要との記述もありました。

関連記事;
●道路で 見掛けた「シカ」と八島湿原の侵入防止用柵(2014年6月28日の話題
●強清水の侵入防止用電気柵(2012年9月24日の話題
●車山の網で「ニッコウキスゲ」の花芽の保護(2009年7月20日の話題

”♪うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川♪
ふるさと帰行、その二”
(visit my hometown No.2)

アルバムへのリンク;「旅行」

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塩嶺からの諏訪湖、左の雪帽子は高ボッチ、真ん中から右はの遠望は八ヶ岳、
空気が澄んでいれば右端に富士山が見えるのですが
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穂高をはじめとする北アルプスの山々
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珍しく見掛けたカモシカ、人に興味津々かな?

昨日の続き・・・何故か?突然、まだ早春のこの時期に、ヒロパパのふるさとへの”ふるさと帰行”の目的は、近々ちょっとした他の旅行に出掛ける為その時のお土産を買う為と、今年歯科大学進学が決まったYちゃんと祝杯(お酒ではありませんよ)を上げることでした。

Yちゃんにお会いするのは久しぶり、以前話題にした姿の印象がつよかったのですが(2015年1月22日の話題、なんともう大人、身長が180センチ超で天井まで手が届く、その成長ぶりに驚嘆!でした。
実際に実業に就くには、6年間の勉学と国家試験を経て、その後現場体験が2年が必要とのこと、ヒロパパの歯の治療をお願いするのは8年後か~、それまでヒロパパは頑張れるのかな~・・・。

掲載した写真は、その合間に訪問した塩嶺(塩尻峠)からの遠望です(大きめな画像をアップロードしてありますので是非拡大してご覧ください)。
上は、眼下に諏訪湖、遠くに八ヶ岳と左の白い帽子は高ボッチです。
真ん中は、雪を被った穂高や北アルプスの山々、素敵な風景です。

只、ここでビッグニュースが、走行中チラッと見掛けたものがあり、急停車して再度確認、なんと、カモシカがこちらをいぶかしげに眺めている、慌ててカメラを取り出しシャッターを何度も押したそのうちの一枚です。
今までも鹿(二ホンシカ)には遭遇したことがありましたが(2014年6月28日の話題、カモシカに遭遇したのは初めて、しかも崖地ではなく普通の山林、「アオの寒立ち」なのか興味津々?ヒロパパを見下ろしていました、なかなか可愛い姿でしたよ。

”♪うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川♪
ふるさと帰行、その一”
(visit my hometown No.1)

アルバムへのリンク;「旅行」

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ふるさとの風景
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80~100年前?の火の見櫓と鉄平石のお蔵、それに古来からの集会所
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幼い頃水浴びした砥川

♪兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川  夢は今も巡りて 忘れ難き故郷 ・・・・♪
皆様もよくご存じの尋常小学唱歌として1914年(大正3年)発表された「ふるさと」です。

何故か?突然、まだ早春のこの時期に、小さい頃過ごしたヒロパパのふるさとに”ふるさと帰行”してきました。多分、この地を離れてから、何度か訪れているものの、まだ残雪が多い、梅のつぼみも硬い、やっと福寿草が咲き、タンポポの1・2輪見掛けるだけのこの時期訪問するのは稀、でも楽しんできました。

♪兎追ひし彼の山♪のくだりは、残念ながら野兎を追ったことはないのですが、蛙を捕まえ枝先にぶら下げておくと、やがて地蜂がやってきて噛みとって巣へ持ち帰ろうとする、この時綿を付けたものにそっと置き換え、綿を目当てに田畑の中を追っかけてゆく、巣を見つたら、煙でいぶし巣を掘り出し、幼虫を取り出し持ち帰る、これをフライパンで炒めて食べる、美味しかったですよ。
それに”小鮒釣りし彼の川”のくだりは、小鮒なのかよく分からなかった小さなお魚や沢蟹を捕まえ、これらも口の中に、食べることばっかりと言われそうですが、戦後間もない頃ですのでお許しを・・・、これら以外にも野山を駆け巡って遊んだことをこれらの風景とともによみがえって甦ってきます。

風景は、勿論変化しています、が、都市部に比べれば懐かしい風景がまだ残っている、掲載した写真はその一部、まづは”火の見櫓”、錆びついてはいますが多分もう80~100年以上?も変わりない姿、それにこの地区の集会所と神社、集会所は補修されきれいですが外見はむかしのまま、昔、夏の時期には”きも試し”のイベントがあり、中腹にあるお墓まで往復したことが思い出されます。

村の中の様子は、もう5・6年前にただ一軒残っていた藁葺屋根の農家はもう5・6年前に解体され近代的な住まいに、それに以前は多く見られた鉄平石で葺いた屋根のお蔵や住居も一見しただけですがただ一棟お蔵が残っているのみ、懐かしい風景が姿を消してゆくのは時代の流れで致し方がないことなのでしょうね。

この地域は大きな災害に見舞われたことは無い、従って風景・自然が多く残されている、これに対して東北・関東の東日本大災害に襲われた地域の皆さんは、復興出来たとしてもまるで変ってしまうのでは、精神的に辛い未来を背負って生きてゆかねばならないのでしよう、どのように皆様に沿ってサポートできるのか?、まずは忘れることはしませんと宣言します。

関連記事;
●砥川2010年9月3日の話題
●鉄平石の屋根2003年6月14日の話題2012年8月14日号外

”佐代子ちゃん、元気!・元気!”
(Sayoko-cyann's recent state)

アルバムへのリンク;「ファミリー」

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この頃はTさんの頭の上を闊歩している!

オカメインコの佐代子ちゃん、里親のTさん家で元気・元気!、幸福な生活を送っています。
我が家に住み付きだしたのが生後4か月だった2004年8月31日2004年8月31日の話題、直後から当家のおばあちゃんの介護に従事し、当家のおばあちゃんが天国に召された為介護の責務から解放され2012年4月21日の話題、その後Tさんに無理やり里親になっていただいた2013年3月19日の話題、Tさん家に移った後は、見違える程元気になった2013年5月6日2013年8月14日2013年12月24日の話題)、この頃は頭の上を闊歩している?(掲載した写真、Tさんから送っていただいたもの)、これTさん家皆さんの優しさに包まれている結果、佐代子ちゃん、良かったですね~。

さて佐代子ちゃんはいくつになったのかな?、数えてみましたら来月で11歳になるはず、誕生祝に好物のそら豆でも送ってみようかな・・・。

もう一つビッグニュースが!、Tさん家のMちゃんが、ノーベル賞を数多く輩出している超有名な国立N大学に入学決定、おめでとう、良かったですね。
そういえば以前オルガニート(オルガニートとは厚手の紙にパンチすれば自分で作曲した音楽をオルゴール的な音楽を奏でることが出来るもの)をお渡ししたことがある、Mちゃんは自然に対して博学であると同時に楽器も得意2006年4月14日の話題、素敵な音楽を作曲するのでは、出来上がったら聞かせてくださいね。

”東日本大震災から4年経過”
(four-years have passed since the occurrece of Great East Japan earthquake)

アルバムへのリンク;「東日本大震災」

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地震発生当初の震源地と津波予想

今日は、東日本大震災発生から丁度4年経過、もう4年経ったのに・・・復興は進んでいない、仮設住宅や避難のための仮住まいの皆さま(推定で70,000人?)の生活は元に戻っていない、街はかさ上げ工事の真っ最中で歴史的に積み上げてきたコミュニティーは崩壊し、福島原発の周辺の皆様はご自宅周辺に足を踏み入れることすらできない、廃炉作業も先が見えない、”まだ4年しか経っていないのだからとか、被災された皆様も個々の要望があるから仕方ないよ”とい言い訳はいっぱいできるものの、癒えることが無い心の傷を負い、今不安定な生活を送っている被災者の皆様の事を思い浮かべると胸が痛む思いと同時に、普段通り生活できている事がどれ程幸福なことかを思い知らされるこの頃です。

”忘れたいと思っても思い出してしまう、でも辛くても未来に向けて忘れないこと、風化させないことが重要”、辛い選択ですが。

自然災害の範疇で振り返ると、例えば、近代史上での死者/行方不明者が1,000人以上だけを拾っても(発生年順)、
●濃尾地震(1891年10月28日、約7,300人)、
●明治三陸地震津波(1896年6月15日、約22,000人)、
●関東大震災(1923年9月1日、約10万5千人)、
●北丹後地震(1927年、約3,000人)、
●昭和三陸地震・津波(1933年3月3日、3,100人)、
●枕崎台風(1945年9月17日、約3,800人)、
●福井地震(1948年、約3,800人)、
●伊勢湾台風(1959年9月26日、約5,100人)、
●阪神・淡路大震災(1995年、6,500人)があり、
加えて●東日本大震災(2011年3月11日、約18,500人)があった、ヒロパパの記憶では、伊勢湾台風の時は土嚢づくりに励んだ、阪神・淡路大震災も神戸の街並みをに立ち上る火災の煙や倒壊した高速道路が、東日本大震災でも当日のニュース映像で街や畑をなめつくす津波等々強烈な印象として残っている、只、それ以前の災害については残念ながら印象は薄い、その差は、多分実際に経験したか、映像で見ることが出来たかの違い、ということは、後世に伝えるためには、被災した建造物を残すこと、それに映像で残すこと、東日本大震災については報道機関や個人の皆さんが撮影した映像が数多く残っている、これを集め地域別、時刻順に編集して、自由にアクセスできるようにしたらどうでしょうね。

追記(2015年3月12日)重要な事を忘れていました・・・・
忘れないための工夫について、前述の方法以外にもっと重要な対策を忘れていました。それは、小学校からの学習科目に、例えば”近代史(例えば特に明治以降から現時点まで)という科目”を作り、この中で、世界各地の自然災害の歴史や、加えて、偏見の無い記述で世界各地の紛争や戦争(日本の大陸進出や米国の日本各地への無差別爆撃、原爆投下等を含む)についても学ぶ、この様な方法では如何でしょうか。


参考
●東日本大震災の被災者数(2015年3月10日現在)
被災者が約25,000人(内訳; 死者数=15,891人、重軽傷者数=6,152人、行方不明者=2,584人)

関連話題;
「東日本大震災のアルバム」
発生当日2011年3月11日号外の話題
1年目2012年3月11日の話題
2年目2013年3月11日の話題
3年目2014年3月11日の話題

”等圧線が16本
(tomorrow's weather chart)

アルバムへのリンク;「戯言」

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明日11日朝9時の予想天気図

天気図について、昨年12月2日に日本列島を横切る等圧線が10本だったのに驚き2014年12月2日の話題、その後中旬に今度は20本の数の多い予想天気図を見てから2014年12月16日の話題、天気図を見る毎に、まずは等圧線の数を数えるのが習慣になってしまいました。

明日の予想天気図では、数えてみましたらなんと16本、一本が4hPaですので、その差が64hPaあることになります。

この3例を比較すると、
●12月2日;高気圧中心=1032hPa、低気圧中心=972hPa、差=60hPa
●12月17日;高気圧中心=1038hPa、低気圧中心=946hPa、差=92hPa
●明日;高気圧中心=1030hPa、低気圧中心=966hPa、差=64hPa
ですが、この気圧差は風量に大きく影響し、降雪・降雨の量は気温差によって決まる、多分気象の専門家は地表や上空の気温を確かめた上で降雪・降雨予想をしているのでしょうね。

これからもこの様な気圧配置が多くなるのでは、その理由は海水温の上昇が大きく影響している地球の温暖化で、地球”ちゃん”は自分の身体を冷やそうと必死、「暫らくはガマンしてね!」と叫びながら頑張っているのではと思っています。

「”暫らくは”ってどのくらい?」、先日発表があった光格子時計でしか精度良く計れない秒単位の時間?、そうではなく少なくともこの数年とか数十年?、もしかしたら原発の放射性廃棄物の半減期が数万年といわれているのと同じ期間、又は46億年(正確には45.4±0.5億年)と言われている地球の年齢?、さらに138億年といわれている宇宙年齢に相当する?、これを考えると、我々生物の寿命は一瞬の出来事でなんと短いことか!、それでもこの一瞬を悔いが無い様に生きないと、先が短くなっているヒロパパは特に・・・。

参考;
※光格子時計;セシウム原子時計の1000倍近くの精度、宇宙年齢138億年で1秒の狂わない再現性あり

参考サイト;
「光格子時計プレスリリース←情報通信研究機構」

”定点撮影のテスト、湧水池の”
(start to take of fixed point's photographs at Yuusui-pool, take-1)

アルバムへのリンク;「ボランティアー」

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撮影ポイントNo.1
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撮影ポイントNo.2&3
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撮影ポイントNo.4

昨日の生物調査の対象地;湧水池は、定点撮影の対象として、一昨年12月撮影した画像を第一回目として2013年12月12日の話題、工事が終わったら撮影をと計画していました2015年2月21日の話題

工事の為の囲いは取れ払われていますが、まだ湿地内のデッキと散策ルートが未完成?、近々、再度晴れた日をねらって正式撮影をすることとして、昨日、テスト撮影をしてみました。

何についても同じと思いますが、その変化を観察することは重要な事、その変化がプラス効果なのかマイナス効果なのか、例えば、公園内を散策する方が増えるとすると公園としての目的にはプラス効果ですが、増えたが為自然の破壊もありうる、やはりバランスが問題、注目点は、是非トウキョウサンショウウオの産卵が昨年と同様であればと期待しています。

補足;昨年ここで見られたトウキョウサンショウウオについては、もしかしたら意図的に放流された可能性もあるかもしれない、現在遺伝子検査をしていて、もしこの近辺とものと同種であれば継続的に保護することになるとの事です。

”水生昆虫等の調査、湧水池にて”
(inhabitation research of Wakimizu-pool)

アルバムへのリンク;「ボランティアー」

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今日は小雨が降る中、湧水池(狭山公園内)の泥掻きでした。
この泥掻き、所謂”かいぼり”ではなく生物調査の為、昨年もこの時期行いました2011年3月21日の話題

作業の手順は、●正確に言うと泥掻きでは無く水底に積もった落ち葉を網ですくい上げ、●細かい網に載せて落ち葉だけを取り出す、●水洗いした落ち葉を一枚一枚確認して、そこにくっ付いている水生昆虫等をピンセットで分離する、このような作業でした。

ここは、約1ヶ月前から湿地内にデッキや窪地を作る為の工事をしていましたが2015年2月21日の話題、只、今回の窪地は工事の対象外、それにデッキは通行止めの状態ながら、一応大規模な工事は終了しています。

さて、どんな昆虫等が住んでいたのかな?、詳細については発表を待って追記することとしますが、昨年に比べ種類も数も少なかったのでは、まずトウキョウサンショウウオは付近では産卵が始まっているとの事でしたが、昨年見かけたのが3月13日(昨年の例;2011年3月13日の話題で、今年はまだ、その他トンボのヤゴは皆無であった、気温が影響しているのか工事が影響しているのか気になるところです。

もう一つ、新しいデッキの素材は何?、すべすべの合成樹脂製かな?、耐用年数が違うにしても、これを覚悟の上で自然に帰る素材で、ということは出来る限りこの公園内で伐採した木で作って欲しかったな~と思っています(木道の例;2012年2月28日の話題

”花びらが不思議、マンサクの花”
(Mansaku;a Hamamelis)

アルバムへのリンク;「植物・花ー春」

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春になったら”まず咲く”から「マンサク(萬作/万作/金縷梅、マンサク科)」、雨の中でとった為(と撮影技術の下手さの言い訳をしていますが)鮮明な写真が撮れず申し訳ありませんが、これ、覚えやすい名前で助かります(直前の話題;2011年3月5日の話題

花をジロジロ眺めてみて、さて、花びらはどれ?、赤褐色の4枚?、それでは細長い縮れ気味のものは萼かな、雄しべは?雌しべは?、気になります。
正確には、黄色のものが花びら、赤褐色の4枚は萼、中心に雌しべがその周りが四ッの雄しべ(仮雄しべを含む)というのがこの花の構造ということみたいです。

それにしても、この細長いひも状の、しかもよれよれの花びらは他の花に比べ特徴のある形です。
何故「マンサク」はこの形状を選んだのか?、選んだというよりこの形状で生き延びてきたという言い方の方が正確なのでしょうが、虫媒花の場合、春先の花は黄色が多い、その中で形状をアピールして生き延びることが出来た、ということなのでしょうね。
似ているものは何?、「タンポポ」2009年3月24日の話題や「アザミ」や「ミモザ」2008年3月27日の話題、でも、どちらも集合花だし・・・これからも似ているものを気がついたら探してみます。

もう一つ、余分なお話ですが、「金縷梅」の”縷”という文字の「婁」の文字は、この場合は糸偏ですが、めへん、てへん、にんべん、さんづい、くちへん、きへん、りっしんべん、くちへん、くさかんむり、むしへん、けものへん、ほねへん、やまへん・・・いろいろくっ付けて色々な意味に変わる、それでは元々の「婁」とはどんな意味?、悪いとか体がひ弱とか成長しすぎで変質するとかの意味とのこと、この場合は、この花びらの見た目でこの文字を使ったのでしょう、これも面白いですね。

”久しぶりの彩雲”
(a iridescent cloud)

アルバムへのリンク;「風景・自然」

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このところちょっと春めいたかと思っても直ぐに冬に逆戻り、体調がおかしくなりそうです。
♪春~ルよ来い、早~く来い♪と口ずさんでいたかどうかは秘密ですが、空を眺めてみましたら、彩雲が!、久しぶりです(直前の話題;2014年11月23日の話題
「彩雲」は、「瑞雲」とか「慶雲」、「紫雲」、「慶雲」とも呼ばれ、仏教では「瑞相」(めでたい出来事の前触れ現象)、数分で消えてしまいましたが、見れたということは幸福が訪れてくれるかな?と期待したいのですが・・・。

ただ、この数日、まだ風邪気味が残っている、それに川崎での悲しい事件や、テレビから流れる国会中継で、献金について「知りませんでした」やざる法の穴を巧みに使って言い逃れをしている国会議員の皆さん、同時に、明治、大正、昭和初期の軍国主義復活を思い起こせそうな「新事態」等の新しい単語を使ってその意図を巧みに覆い隠している集団的自衛権の閣議決定についての質疑、まだ先の見えない東日本大災害の復興、原発に固執して自然エネルギーや再生可能エネルギーを制限している政治等々、気分が落ち込む事ばかり、この70年間、何処の国とも戦争をせず、戦争でどの国の方も殺戮することはなかったこの日本、この平和をもっと世界に広めてゆく事に何故努力をしないのでしょうね・・・と彩雲に出会っても、こんなことを考えてしまう・・・悲しいこの頃です。

”これからの見どころはトウカエデの林”
(a pleasant picture signboard, by Whom? )

アルバムへのリンク;「街角スナップ」

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描いておられる方が「Dan-XingHe」さん、さすがです

”これからの見どころはトウカエデの林”という看板、昨日狭山公園の入り口で見かけたものです。
見所は、トウカエデの林の中の「タチツボスミレ」と「ヤブタバコ」と「ムラサキケマン」、それに「ノビル」だそうですが、話題はこの看板の絵を書いた方のご紹介です。

いつも、この看板の文章も絵もなかなか楽しい、以前も同じような事を話題にした事がありましたが2014年12月21日の話題、その時の方の”その日暮らしの○○さん(Hiさん)”はもう居ない、今回の作者は(これからは?)誰?、描いてる最中を見かけ、作者は、前々からお見かけしている、ヒロパパがお名前をお呼びする場合は「Dan-XingHe」さん、意味は「紅(くれない)の銀河」さんでした。「紅(くれない)の銀河」さんは、この付近の公園の絵地図も描いておられる有名な方で、楽しさが伝わってくる作品、噂どおり、やはりスゴイ!ですね~。

「紅の銀河」さんは、昨年赤ちゃんが、そろそろ復帰なのかな?、又、真っ赤は柔らかいほっぺのお子さんにお会いしたとお伝えしておきました。実を言うと、昨年赤ちゃんと一緒の時お会いできて、ヒロパパはほっぺをツンツンと触ってしまった、だからの印象なのです。

”救命手当ての講習会に参加”
(a seminar about the first aid treatment)

アルバムへのリンク;「戯言」

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心肺蘇生、AMD操作とマウスピース
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救命手当全般の流れ

今日は、昨日に引き続き風邪気味、それでも講習会に参加、講習会とは、街中で突然倒れた人と遭遇した場合の救命手当(応急手当)の講習会です。

ヒロパパは以前この様な経験をした、その時は、まず119番に電話し、その後、その方を横たえ、呼びかけても応答は無かった、でも、呼吸や脈拍は正常みたい、痙攣等の四肢の異常な動きはなかった、AEDは使わなかった(AEDは近くに無かったからですが)、5・6分で救急隊に引渡し、病院で3時間程度点滴し、その後ご家族と帰宅、まずは一安心、という経験でした。

何時このような場に遭遇するかは予想はできない、でも、その為の学習をしておこうという意図でした、が、参加者の方からは、「おまえがこのような状態になる機会が一番多そう、その時はこれで助けてあげるよ」とのコメントあり、それもそうですが・・・。

街中で倒れている方を見かけたら、様々な原因が考えられますが、例え酔っ払ってが原因にしても、まず”声を掛けること”が必要、その後は時間との勝負で、いかに短い時間で対処できるか、いかに短い時間で救急隊に引き渡せるかが勝負、必要な「声かけ」、「呼吸の確認等」から「心肺蘇生」や「AEDの使い方」の行動を、頂いたテキストと実施訓練を参考に自分なりにまとめてみました(下のフロー図)。
少なくとも、このフロー図と人口呼吸の時使用するマウスピースは常時持ち歩く習慣を身に着けようと考えています。

「でも~、失敗したら怖いし~」の心配が付きまとうことは確か、でも、その方が助かるか助からないかは、いかに早く心肺蘇生が実施できるかどうかに掛かっている、勇気を持つことが一番大切な事、救急隊到着まで勇気をもって、周りの方にも協力を要請しながら実施する事、当然ながら、これらの行動は法で守られていますので罪として問われる事は在りませんので・・・がんばりましょうね。

参考サイト;
「講習の内容について←救急法の講習←活動内容・実績を知る←日本赤十字社」

”お雛様とカパルちゃん”
(Hinakazari;a set of ornamental dolls for Japanese Girls' Day,
and Kaparu;a costumed mascot chracter)

アルバムへのリンク;「お祭り」

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この数日、喉はガラガラ、頭ジンジン、鼻水タラタラ、ティッシュで鼻栓、額に冷えピタ、身体はフラフラ、こんな状態が続いています。そんな訳でこのHPのアップデートが遅れてしまいました。

今日は雛祭り、その風景を街中でと思っても、おんもでお遊びなんてとんでもない、それではと先月末志木市で撮ったお雛様に登場させて頂きました2015年2月28日の話題
七段飾りの素敵な雛壇、さてお隣のカパルちゃんて誰?、調べてみましたら、志木市文化スポーツ振興公社のイメージキャラクターで、名前は「カパル」、種族は河童、男の子でも女の子でもない、好物は胡瓜とビール、現在は先日紹介した戸越銀次郎ちゃんと同様、ロックバンドGCB47のメンバーでベースを担当しているとのことです。

それではと、当日出会ったキャラクターの皆さんに、個別に認識できる写真として再度登場いただきました。
名前が分るのはごく僅か、これから少しでもお名前を覚えてゆきたいとは思いますが、ものすごい数のキャラクターさん達ですので、ここの付近のご当地キャラだけでも名前がすぐ出てくるように努力してみます。

さて、この数日のテレビは、予算委員会の国会中継が行われています。
いつもの通り、与党間の質疑は良い数値のみ取り出し成果を称える、野党からの質疑はこれの逆、政府からの答弁は、長々とバックグランドをしゃべり質問時間を消費するのみで的を得た答弁が無い、しかもマイク席までを極端に遅く歩く(これ参考人として呼ばれた人でしたが)、何か情けなくなる風景が続いています。
その中でも、以前から気になっていたことは、10~20年前の答弁での”はやり言葉”は「記憶にございません」、これがこの頃は「知りませんでした」に変わったみたい、今年の流行語にこの言葉が選ばれるかもしれませんね。

昨年の流行語; 2014年12月1日の話題