2018年8月のつぶやき
世の中には、綺麗なもの、不思議なこと、奇妙なこと、可笑しいことがいっぱいですね。 気がついた折紹介しています。
”プリザーブド・フラワー
我が家の宝物が増えました”
(a preserved flower)
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「趣味・好み」
我が家の宝物が増えました、掲載した写真のプリザーブド・フラワー(preserved flowers/flower preservation/floral preservation)、当然ながら、ヒロパパはこれを作る能力は無いから自作ではない、買ったの?、そうではなく頂きもの、お作りになった方は、我が世界各地へのバーチャルトラベルを楽しまさせて頂いている、しかも度々このHPの登場しているSaさん、彼女のお手製のプリザーブド・フラワーなのです。
驚きました!、Saさんがこの様な技術も併せ持っている事に。
ヒロパパも以前からこのプリザーブド・フラワーには興味津々でした、が、インターネット等いろいろ当たってみましたが我が知識や技術では能力不足でダメみたい、諦めです。
でも、少なからず試してきたことがある、それが木の実の漂白、これを利用した飾りです。
例えば、漂白するのみで色付けはしていませんが松毬や果物の皮の漂白、松毬については脂質分の多少により漂白の程度は違ってきますが、シダーローズ(ヒマラヤスギの松毬)は成功、果物の皮ではマスクメロンも一応成功、
これらに好みの色を付ければ・・・と思いつつ、まだそこまで至っていない、やはり我が身の芸術性皆無がバレバレですね~。
〇「松毬の漂白」の話題;
●「シーダーローズの漂白」;
2015年12月27日
の話題
●「クリスマスカード、海外向け」;
2015年12月22日
の話題
●「お孫ちゃん達へのクリスマスプレゼント」;
2015年12月14日
の話題
●「松ぼっくりの漂白、続き」;
2015年12月7日
の話題
●「木の実の漂白を始めました」;
2015年11月26日
の話題
●「クリス松ツリーとシーダーローズ付きリース」;
2014年12月20日
の話題
●「木の実の漂白、続報」;
2014年12月13日
の話題
●「シーダーローズと唐松の松ぼっくり」;
2014年12月10日
の話題
●「松ぼっくりのクリスマスツリー」;
2014年12月7日
の話題
”東山植物園に行ってきました、
その三、今日は「温室」の話題です”
(topics a hothouse at
Hogasiyama botanical garden)
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「街角スナップ」
↑2020年完了を目途に修復作業中 ↓「サガロ温室」は温室ではなく熱室?、サウナ風呂?
東山植物園に行った折は必ず寄っているポイントは、昨日、一昨日の話題を含め、温室にも寄っています。
この温室の前館は重要文化財、平成32年を目指して復元中、まてよ?!、来年元号が変わるから平成32年は存在しない?、西暦で云うと2020年と今後は言い換える事にしますが、まだ建物全体にカバーが掛かったまま、中を覗いてみましたら、上部は分かりませんでしたが一部地面は整地された状態でした。
作業終了後はどんな姿になるのでしょうね?、ピッカピッカ・キラキラの新装開館?・・・それはあり得ない、何処が変わったか分からない程の復元が原則ですので、以前と変わらないそのまま姿を期待しています。
この温室については、昨年同時期訪問した時も話題にしていますので
(2017年8月28日
の話題) 、合わせてご覧ください。
さて、下の写真、特に温湿度計の示す気温;44℃と湿度;5%に注目、サボテンの一つ「ベンケイチュウ(弁慶柱、サボテン科カルネギア属、アリゾナ州からの寄贈、詳細は下記サイトを参照ください)」の室内(サガロ温室)だけの環境ですが、この個体の愛称が「サボチュウ」とのこと、”さぼっている最中”ではありません、サウナ風呂に入って健康を維持している状態ですのでご留意くださいね、と言っているみたいでした。
アリゾナの砂漠は、常時この気温と湿度?、でも気温についてはこの頃の国内とほぼ同じ、ということは温室という存在は今後必要が無くなる?、勿論まだ日本は少なからず?四季がありますので、そこまでは言い過ぎですが。
因みにインターネットを探し回ってみましたら(下記参照サイト)、アリゾナ州とカリフォルニア州にまたがる北アメリカでもっとも暑い砂漠といわれている「ソノラ砂漠」は四季ならぬ五季が存在する、先ず2~4月が”春”、次に5・6月が”ドライサマー”、7~9月中旬が”夏”、9月中旬~11月が”秋”、12~1月が”冬”でそれぞれ気温も湿度も違う、前述の”サガロ温室”の温湿度計の値は、丁度”ドライサマー”の状態と同じ環境みたい、だからこの状態に設定しているのかな、その他の各部屋も同じですが、そこの植物に合わせ環境を変えている、世話をしている植物園の担当者の皆さんに感謝ですね~。
さて、このサガロ温室では長居が出来ずソウソウに退散、面白い事に外気のこの暑さでもこの温室から出た途端涼しく感じた、当然の感覚かもしれませんが、絶対音感と同じような絶対温感ってあるのかな~。
〇参考サイト;
●「「ベンケイチュウ」(カルネギア・ギガンテア)」;http://g-kamu.com/htm/benkeityuu.htm
●「ソノラ砂漠の5つの季節」;https://igacchi.com/arizona-five-seasons/
”東山植物園に行ってきました、
そのニ、今日は「湿地園」の話題です”
(In a marsh at Higashiyama botanical garden)
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「植物・花ー夏」
↑これ何?、「シラタマホシグサ」、まだ蕾みたい ↓左より、「サギソウ」、「ミソハギ」、「サワギキョウ」
昨日の話題の続き、先日23日に訪問した東山植物園について、今日は植物園内の湿地園の話題です。
この湿地園には珍しいものがいっぱい、例えば昆虫では「ハッチョウトンボ」
(直前の話題;2010年6月15日 、2009年7月5日 ) や「シラタマホシグサ(白玉星草、ホシクサ科ホシクサ属、一年草、日本の固有種、東海地方の一部地域の湿地などが生息地)」等を見る事が出来るからなのですが、今回は「ハッチョウトンボ」は近くの木陰でこの極暑をやり過ごしているのか姿は見えず、残念!、でも、「シラタマホシグサ」や「ミソハギ」、「サギソウ」、「サワギキョウ」には出会うことができました。
掲載した上の写真が「シラタマホシグサ」、何これ?と言わないで!、先っぽの白い玉はつぼみ、残念ながら開花したのは皆無、もう直ぐ開花するのではの状態でした。
この「シラタマホシグサ」は前述の通り東海地方の一部地域で見られるだけ、確かに、ここ関東地方ではまだ見掛けた事はありません、貴重な存在ですね。
〇「シラタマホシグサ」の話題;
●「シラタマホシクサ、雄花と雌花が混在しているのですね」;
2012年10月15日
の話題
●「白玉星草、真っ盛り、綺麗ですよ」;
2011年9月10日
の話題
●「今日の
シラタマホシグサとナガバノイシモチソウ」;
2011年8月17日
の話題
●「シラタマホシクサ」;
2009年9月15日
の話題
●「シラタマホシグサ・島田緑地自然観察会にて」;
2007年9月17日
の話題
●「シラタマホシグサ、ちょっと増しな画像」;
2007年9月3日
の話題
●「シラタマホシグサ、咲いていました」;
2007年8月25日
の話題
●「これ何~に?シラタマホシクサの種子」;
2006年12月8日
の話題
●「シラタマホシクサが咲いていました」;
2006年9月9日
の話題
〇「サギソウ」の話題;
●「見事な造形美、鷺草や時計草」;
2012年8月12日
の話題
●「長葉石持草の花」;
2011年8月6日
の話題
●「定点撮影を行っています」;
2009年8月4日
の話題
〇「ミソハギ」の話題;
●「ミソハギ、真っ盛りです」;
2012年7月18日
の話題
〇「サワギキョウ」の話題;
●「沢桔梗(サワギキョウ)」;
2008年10月12日
の話題
”東山植物園に行ってきました、
その一、今日は「チャンチンモドキ」のお話、永いお付き合いです”
(I'm having the long good relationship with Cyanchinmodoki)
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「植物・花ー夏」
↑チャンチンモドキの名札 ↓(左)果実が落ち始めていました、 右は「チャンチンモドキ」ですが本当に「チャンチン」と似ているのかな~?
先日22日の名古屋でのクラス会が終わった後、これもいつもの通り東山植物園に行ってきました。
クラス会での会話で、ヒロパパの「これから植物園に行ってくるよ」の言葉に対して、後からお聞きしたのですが、皆さんは「ああは言っているけど、この暑さの中多分行かないだろう、部屋で眠りこけるのでは」との会話が交わされたとのこと、でも本当に行ってきましたよ!。
植物園がどうしてそんなに好きなの?、
〇一つは、温室の復元工事が始まっていた
(直前の話題;2017年8月28日 ) 、どの程度復元が進んだのかなと様子を見る為、
〇それに、湿地を再現したエリア(湿地園)でその様子を見る為
(直前の話題;2017年8月29日 ) 、
〇もう一つ、もうそろそろ「チャンチンモドキ」の木の実が落ちているはず、
極暑でなければもっと歩き回ったのでしょうが、最小限これだけで我慢でした。
今日は「チャンチンモドキ」の話題に集中です。
この「チャンチンモドキ」、面白い名前ですね~、例えば「ハリアリハリナシハリネズミ」とか「トゲアリトゲナシトゲトゲ」とかどの様に理解してよいのか悩む面白い名前のものもありますが、この「チャンチンモドキ」は、「モドキ」は”みたいなもの”とか”似ているもの”は分かる、では「チャンチン」は?、そういえば、「ちゃんちきおけさ(三波春夫)」の”ちゃんちき”という言葉がある、でも辞書を参照すると、これは”鉦かねなどを打ち鳴らす音を表す言葉”でこれとは違う、等々多分我が最初の興味はこの名前は何?から始まったのではと思っています。
しかも、この木の実はものすごく硬く、ここのものを拾って以前ハンドメイドの「木の実栞」に利用していた(文末の話題日参照)、拾っていた時期は「拾っていいよ」って書いてあったからですが(現在、そのメモ書きはありませんので拾ってはダメですよ!)、確かに落ち始めていました。
今回は拾ってくる事はしませんでしたが、この樹木の「チャンチンモドキ(香椿疑、別名;カナメノキ、雌雄異株、ウルシ科)」という名前は面白い、この名前の由来を調べていたことがあった、結論として「チャンチン(香椿、センダン科)」に似ているからこの名前になった、我が印象としては似ているのか似ていないのかよくわからない状態ですが(下記に比較した話題があります)、此処までは確認済み(文末の話題日参照)、でも、
「香の中国語での発音は、パンダのシャンシャンと同じ”xiang”」、「椿の発音は”chun”」で、もし片仮名で表現すると「シャンツュン」、もしかすると伝わって来た時代の中国での発音の呉音とか漢音とか、又は中国の方言等で、「香をチャン、椿をチン」と発音をしていた時代・地方があったのか?、これを調べていましたが分からない状態、現状の結論としては、和名の名付け親は「シャンツュン」と聞いた折り考えた挙句、「ちゃんちき」に似せて「チャンチン」としたのでは、と考える事にしました、あくまでも想像だけですので、信用しないでね・・・。
さらに今回またまた新たな疑問が・・・それは、「チャンチンモドキ」は雌雄異株、写真の個体は果実が出来るから雌株、果実が出来るということは雄株がどこかにあるはず、植物園に問い合わせてみましたが、移植した折りこの雌株と雄株を同時に移植したはず、だから植物園内のどこかに有るはず、でもその場所は気にしたことが無いとのことでした。
まさか「チャンチン」の花粉が飛んできて結実しているとも思えない、次回訪問の折りには、「チャンチンモドキの雄株」を探してみようかな・・・気になる事が増えるばかり、困ってしまいます。
この「チャンチンモドキ」とのお付き合いは何時から?、このHPを読み返して、2003年からかな?、とするともう15年になる、永いお付き合い、これからも宜しくね!。
さて、冒頭の温室の話題、それに植物園内の湿地の話題は又後日とします。
〇「チャンチンの果実」と「木の実しおり」の関連話題;
●「このみしをり、ニューバージョン」;
2013年8月6日
の話題
●「このみしをり、体裁を整えました」;
2012年1月29日
の話題
●「木の実はこのみ、きのみ?」;
2012年7月30日
の話題
●「チャンチン(香椿)の語源を調べてみようかな~」;
2010年6月9日
の話題
●「香椿疑(チャンチンモドキ)は分かった、
それでは香椿(チャンチン)はどんな木?」;
2010年5月15日
の話題
●「作りましたよ!、マイお箸」;
2010年5月13日
の話題
●「面白い名前!チャンチンモドキ、それにお化粧」;
2010年4月27日
の話題
●「チャンチンモドキの種子」;
2010年4月26日
の話題
●「チャンチンモドキ、磨いています」;
2010年4月17日
の話題
●「チャンチンモドキ、装飾用?」;
2006年3月3日
の話題
●「またまた「チャンチンモドキ」の実を拾ってきました」;
2005年11月20日
の話題
●「駄石磨き器とちゃんちんもどき」;
2004年9月23日
の話題
●「駄石磨き器」;
2004年1月20日
の話題
●「チャンチンモドキ、注意書」;
2003年12月7日
の話題
〇語源調査の話題;
●「香椿の発音、国際音声記号では」;
2010年11月23日
の話題
●「香椿の読み方調査票・・最終版」;
2010年6月18日
の話題
〇中国原産の植物の話題;
●「中国原産の植物たち」;
2010年11月26日
の話題
”巨大な、見事な入道雲”
(a big thunderhead)
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「風景・自然」
↑巨大な入道雲、てっぺん部分は少し顔を赤らめています ↓雷がピッカ、ピカ(2倍の速度で再生しています)
VIDEO
暑い日が続いていますね~、この数日、我が家のベランダの気温は、先月記録した最高記録;44.3℃
(2018年7月23日 の話題) は超えないものの連日40℃超え、クーラーはON状態のままが続いている、何時になったら過ごし易い気候になるのかな~?・・・。
掲載した写真は、昨日の夕方見掛けた突然の入道雲、夕暮れに空にもくもくと成長している、しかも雲の内外で雷がピカピカ、見掛けた時は、夕日が映えていた、慌てて全体を眺める事が出来る近くのビルの屋上に駆け登って撮影、
残念ながら夕陽のおしゃれは無くなってしまいましたが、それでも成長する様子やピカピカは確認できました。
今までも、空を見上げて雲の様子を楽しんでいましたが、この見事は入道雲はソウは出会えない、
この入道雲、形から「金床雲(かなとこぐも、Incus、金属加工の際の金床に似ているから))」と言われ、この様な入道雲(積乱雲)だけに見られる雲の形の一つなのです。
でも、この入道雲は、トップの部分で広がっていない、だからまだ成層圏(約10km)までは到達していない状態なのかもしれません。
さて、この入道雲の真下はどんな状態だったのでしょうね。
報道によると、雷はご覧の通りですが、雹を含んだ豪雨だったみたい、
それでは、真下とは何処?、これについては、高さと視角が分かれば、「水車が停車して水底」の「水底」で直線距離を計算する事が出来る、もう一つ、方位で地図を見て場所を確定できる、この入道雲は、高さを10km、視角を30°、方位は北東として計算約17km、地図上ではさいたま市辺りみたいです(これは大まかな推測ですので真偽は信用しないでくださいね)・・・それでは、前述の「水車が停車して水底」は何かお分かりになりますか?、中学校時代一生懸命覚えた三角関数の公式、皆さんも聞き覚えがあると思います。
実は今もこの地方は、大雨警報、雷注意報が、付近には雹は降ってきませんが集中的に大きな音で雷鳴が響いています、穏やかな環境、気候にしても社会情勢にしてもですが早く取り戻したですね~。。
〇入道雲の話題;
●「子羊ちゃんが大空を飛び回っています」;
2018年8月3日
の話題
●「エッこの時期に入道雲!、それに虹」;
2014年4月5日
の話題
”「はしばみ」、自分用のお土産”
(Hashibami,one of the Hazel)
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「趣味・好み」
「蜂の子」と「はしばみ」、信州地方特産の美味しいもの、「蜂の子」は、「イナゴ」や「蚕のさなぎ」、「ザザムシ」を含め佃煮にしてこの地方では蛋白源の一つとして食する、我が幼少のころは、蜂の子もイナゴも自分で捕まえたものを母親に料理してしてもらっていた、見るのもイヤという方もおられるとは思いますが、ヒロパパにとっては何の抵抗もない、要するに”慣れ”だけのことなのでしょうね。
興味のある方は、蜂の巣(特に「ジバチ」)の探し方や「イナゴ」の捕まえ方をご伝授いたしますよ、でも希望する方は居ないか!。
もう一つは、茸汁;250円の看板を見て寄った和田峠の峠の茶屋で、アッ!、「はしばみ」、懐かしか~とついつい手を出してしまった、自分用とTaさんへのお土産、この「ハシバミ(榛、カバノキ科)」も我が幼少期にはごくありふれたおやつだった、従って手が出てしまったのですが、以下失敗談・・・Taさんにお渡しした際、「はしばみ?、ヘーゼルナッツ?」との言葉、さすがTaさん、博学だ~と感心、我が知識では、はしばみ=ヘーゼルナッツの知識はあった
(2005年10月24日 の話題) 、だからこの言葉に疑問は無かった、以下正直に白状する事になりますが、改めて裏面の説明をよく見てみましたら、原材料の項に”ヘーゼルナッツ(アメリカ)”と記載がある、という事は、信州で収穫したハシバミではなくアメリカ産のヘーゼルナッツを「はしばみ」と称して販売していた、考えてみると、表示がもし「ヘーゼルナッツ」と書いてあったら多分手を出さなかったのでは、騙された~というよりちゃんと説明をよく見て買いなさいよ!と反省、ということは、Taさんには信州のお土産みたいな気持ちでお渡ししてしまった事になる、誠に失礼をいたしました。
もしかすると、以前の「はしばみ」(前述の話題)も国産ではなかったかもしれませんが、確認する方法は既に皆無、これからは説明書を確認して買う事にしますね。
再度確認・・・ヒロパパが幼少時食べていたのは「ハシバミ(Asian Hazel)」や「ツノハシバミ(Asian Beaked Hazel)」だったのでは、今回購入した「はしばみ」は正式名「セイヨウハシバミ(Common Hazel)」、それでは、味、食感は?、食べ比べた事が無く分かりませ~ん。
追記(2018年8月27日);「榛」を何故「はしばみ」読むの? 下記参考サイトを覗いてみましたら、「秦(シン、はた、中国語での発音は"qin")」は「杵でつく」意味、これに木偏で「木の実を杵でつく」意味、この木の実が主に「はしばみ」だったからか?、それに今頃気が付いたのかと叱られそうですが、間違えそうな文字の「演奏」の「奏(ソウ、かなでる、意味は”天子に差し上げる”、中国語での発音は"zou")」、これに木偏を付けた文字は有るのかなと辞書を見てみましたが”無い”、でも”はしばみ”とう単語を供え物と意味している地方もあるみたい、もしかすると大昔、ハシバミを他の果実等と一緒に供え物として供していた時代があったからかもしれません。
もう一つ、「榛」の現在の中国語での発音は「zhen」、はしばみの実は「榛子(zhen・zi)」、でも、
「榛名山」は「はるなさん」と読む、これどうして???、どなたか教えて欲しいな~。
〇参考サイト;
https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/31efe471e137807daf556dda4cbdd614
”今回の旅行で撮りためた写真を楽しんでいます、
今日は旧中山道と和田峠”
(Nakasendou;one of the old roads cross over Wada-pass)
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「街角スナップ」
↑下諏訪町から上田への旧中山道、現在は「中部北陸自然歩道」の一部です 登ってきて、自動車道路を横切って上に続いています、登ってゆくと和田峠(古峠)へ通じているのかな
↓国道142号の和田峠トンネル、狭いので交互通行です
先日19日訪問した霧ヶ峰からの帰り道は、いつもの通り和田峠から下諏訪町へ、ここで必ず通る和田峠トンネル、車は一台通れるのみ、交互通行の狭く懐かしさが残るトンネルです。
下の写真の山の中の一本道は、下諏訪宿の秋宮や春宮と和田峠を結ぶ旧中山道(現在は「中部北陸自然歩道」の一部となっている)、一度は辿ってみたいとは思いますが、現在の我が体力では無理と諦めです。
更に、この和田峠付近は、良質の「黒曜石」の産地の一つ、以前黒曜石を拾おうと付近をウロウロしたことがあり、見事な黒曜石を拾ってきたことがありました
(2003年8月18日 の話題) 。その黒曜石は、今も我が家の宝物となっています、もしかしたら、この旧道を地面を見ながら歩けば、黒曜石が見つかるかも、試してみてください。
とここで我が母親から聴いたお話、ヒロパパのおじいちゃん達の時代には東京に行く時、現在の中央東線が開通していなかった為、この峠を越えて信越線を利用していたとのこと、しかも、このトンネルは昭和8年出来たとのことですので、このトンネルではなく尾根の鞍部の和田峠(古峠)を徒歩で超えていた、ということは、下諏訪から上田まで徒歩でどの程度時間が掛かったのかは分かりませんが、汽車に乗るまでだけでも一日行程だったのでしょうね。
参考までに、
中央東線が上諏訪や下諏訪、辰野まで開通したのが1906年(明治39年)、信越線の上田・東京間は1888年(明治21年)開通との事です。
もう一つ、下記参照サイトに、和田峠付近の詳しい内容が紹介されていました。
〇参考サイト;
●「和田峠⇐峠と旅」;http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/tohge_9y/wada/wada.htm
”今回の旅行で撮りためた写真を楽しんでいます、今日は霧ヶ峰”
(Yadorigi;mistletoe and Ooyamabokuti;
Synurus pungens at Yashima-Wetlands)
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「植物・花ー夏」
↑(左)霧ヶ峰・八島湿原での必ず見ておくもの、「ヤドリギ」の生長具合です、 それでは右の樹木は「シラカバ」それとも「ダケカンバ」?これクイズです
↓この丸いもの、種を飛ばす為の綿毛かな??、何かは本文を見て!
霧ヶ峰・八島湿原での必ず見ておくもの、以前から数株見掛けている「ヤドリギ」
(直前の話題;2009年6月18日
) の生長具合、今年も元気?、でも偶然であったMaさん
(直近の話題;2018年8月19日
) 曰く、少し元気が無くなっているみたいに見えるとのこと、プロの方も注意していただいている、嬉しいですね。
ここでちょっとクイズ、上・右の写真の樹木は何か分かりますか?、この写真だけで、これは何!と分かる方は素晴らしい、ヒントとして「シラカバ」か「ダケカンバ」のどちらか、敢えてここでは正解を記載しませんが、ここ八島湿原は標高;1,630mに位置しています、これもヒントとなるかもしれません。
今回も此処でこの時期見る事が出来る開花している植物がいっぱい、「ワレモコウ」、「マツムシソウ」、「シシウド」、「ツリガネニンジン」、「コオニユリ」、「ノアザミ」、「シラヤマギク」、「ノコギリソウ」、「ヤマハハコ」・・・・良く知っている、覚えている?、実は、写真を撮るとき後から分かるように対象とその名札も同時に撮っているだけ、その様にしておかないとこの頃の我が身は覚えていられないからなのですが。
それでは、下の写真は何?、見掛けたとき、すでに開花を終え種子を飛ばす準備で綿毛を生長させているのかな?と、名札が無かった為、ここのセンター「あざみ館」でお聞きしてみました。
そこで教えて頂いた事、名前は「オヤマボクチ」、これが開花状態だよとのこと、どうやって昆虫を誘っているのか不思議です。
キク科の多年草で漢字で書くと「雄山火口」、語源は茸毛(葉の裏に生える繊維)が火起こし時の火口(ほくち)として用いられたことからとか、しかもこの茸毛を取り出して加工してお蕎麦のつなぎとして利用しているところもあるとのこと、見掛けた時に気にしてお聞きしたから分かった事、
何に対しても”何だろう”と疑問を持つ事が必要なのでしょうね。
〇参考サイト;
●「オヤマボクチ⇐日穀製粉」;https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-59.php
”台風から出来る限り遠くへ、名古屋から我が家に帰宅”
(I could go home safely, today)
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「街角スナップ」
↑有名な画家の絵?、これはウソ、豪雨で前が見えない状態、神奈川鮎沢PAにて
↓(左)静岡に入った途端の真っ青な空・遠州森町PAにて、でもしばらく進むと上の写真みたいな豪雨でした
(右)台風20号はついに徳島に上陸しました(今日夜9時現在)
名古屋でのスケジュールを終え、今日は新東名⇒東名⇒圏央道をひた走り、無事帰宅できました。
とにかく意を決して早くスタート、何故かというと、台風20号が近づいている、これの予測ルートから出来る限り離れる方がベターと考えての事ですが、それでも、途中ものすごくお天気の変化が激しく、青空の時もあれば、最高速でワイパーしても前が見えないほどの豪雨とが交互にやってくる、しかも強風で車もフラフラするときがある、ちょっと疲れたドライブになってしまいました。
それにしても、どうしてこんなに台風が多いの?、豪雨も含めてこの5~10年特に激しくなっている、ヒロパパの様な素人の想像ですが、
〇地球全体の大気温が上昇している、
〇気温が上がればそこに含まれる水蒸気量が増える、
〇いたるところでこの水蒸気の飽和状態が発生し、僅かな気温差で水蒸気が雨滴に変わる
(関連話題;2013年7月29日
) 、
〇同時に、気温の上昇に同期して海水温も上昇していて大気にエネルギーを供給し易くなっている、
〇大陸等では海面からの湿度補給が少ないため極端に乾燥して山火事が多発する、
〇気圧差も激しくなり台風やサイクロン、ハリケーンが発生する、
・・・等々と想像していますが、基本は”大気が、暖かくなった自分を冷やそうとしている”、強いて言えば”大気が地球を元に戻そうと努力してくれている”、彼ら曰く”大昔、穏やかな気候の地球にしようと、様々なものを地下に埋め込んできた、でも現在、約70億を超えていると言われている「ホモ何とかという生物」が、わがもの顔に掘り出し使ってしまっている、これは地球誕生の状態、即ち生物が生きてゆけないに状態に戻ってしまう事と同じ、現在の激しい状態はこの努力の表れなんだ!、元を正せば「ホモ何とかという生物」皆さん自身の問題!”
とのこと、お金お金に目が眩んでいる我々「ホモ何とかという生物」の生き方、先日のリサイクル等
(関連話題;2018年8月11日
) を含め、早急に改めるべきなのでしょう。
尚、異常気象について、下記関連話題も含め
2018年1月25日 にも話題にしていますのでご覧ください。
〇関連話題;
●「10年振りに”平年値”が変わりました」;
2011年5月19日
の話題
●「平年値の欠落分を入手できました」;
2011年6月19日
の話題
●「次期平年値はどの様に変わるのかな?、
それに一日の寒暖差が無くなるのは何時」;
2011年6月22日
の話題
●「4年後の東京オリ・パラ期間中、気温はどうなる?、それに期間中、台風にはご遠慮願いたいな~」;
2016年9月3日
の話題
●「猛暑日が年々増加しています
これからどうなる?、それと東京オリ・パラへの影響は?」;
2018年7月20日
の話題
”中国語クラスの皆様と会食、この両日”
(dining together with my friends)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑クラス会会場だった一つ、かごの屋
今回の名古屋訪問では、以前、励んでいた中国語クラスの皆さまと会食、21日は初期のクラス会を近くの「
かごの屋」で、今日22日は、新規クラスの皆さまとヒロパパが宿泊している「ルブラ王山」のレストラン;アメンボ?ではなく「アンボメ」で会食でした。
それにしても、皆様お元気!、世界を股にかけて活躍されている、羨ましい限り、いつもバーチャルトラベルをさせていただいているSaさんが来月ドイツからオランダを予定しているとのこと、またまたバーチャルトラベルを楽しめそう、期待々々です。
皆さま、わざわざヒロパパのスケジュールに合わせて頂き、誠にありがとうございました。
下記に、我が中国語クラスの様子や、クラスの皆様との台湾旅行等を話題にした日付を羅列いたしましたので、日付をクリックしていただきお楽しみ頂ければ幸いです。
重ねて、皆様楽しい一時をありがとうございました。
尚、愛知万博も話題になりました。
愛知万博関連は、
「アルバム・愛知万博(ここをクリック)」 して頂くとインデックスに飛びますので、これも合わせてお楽しみください。
もう一つ話題になりました、インドネシアの竹製の楽器「アンクロン」を話題にした日付は
2010年9月17日(ここをクリック) でした。
もう一つ、Saさんに連れて行っていただいた旅行、といっても写真を見せて頂いてのバーチャルトラベルですが、
「アルバム・旅行(ここをクリック)」 を開いて頂くと、ヨーロッパ各地の様子を見る事ができます、これもお楽しみ頂ければ、ご参考まで・・・。
○臺灣旅行
臺灣旅行付録「スライドショー」;
(2015年6月19日 の話題)
臺灣旅行No.21「高雄・フェリー船上より」;
(2015年6月2日 の話題)
臺灣旅行No.20「十分→端芳の動画」;
(2015年6月1日 の話題)
臺灣旅行No.19「天燈揚げの動画」;
(2015年5月13日 の話題)
臺灣旅行No.18「切符の相互利用とダイソー」;
(2015年5月6日 の話題)
臺灣旅行No.17「出会った台湾の皆様」;
(2015年4月13日 の話題)
臺灣旅行No.16「出会った台湾の花」;
(2015年4月11日 の話題)
臺灣旅行No.15「見事なガジュマル」;
(2015年4月10日 の話題)
臺灣旅行No.14「單程票、鉄道の切符」;
(2015年4月9日 の話題)
臺灣旅行No.13「台湾での食事」;
(2015年4月8日 の話題)
臺灣旅行No.12「泊まったホテル」;
(2015年4月7日 の話題)
臺灣旅行No.11「出会ったピクトちゃん達」;
(2015年4月6日 の話題)
臺灣旅行No.10「MRT他、台湾の交通網」;
(2015年4月5日 の話題)
臺灣旅行No.9「迪化街を散策」;
(2015年4月4日 の話題)
臺灣旅行No.8「昔の住居」;
(2015年4月3日 の話題)
臺灣旅行No.7「龍山寺と華西街」;
(2015年4月2日 の話題)
臺灣旅行No.6「高鐵とは」;
(2015年4月1日 の話題)
臺灣旅行No.5「可愛さ抜群、台南で」;
(2015年3月31日 の話題)
臺灣旅行No.4「台北→高雄へ」;
(2015年3月30日 の話題)
臺灣旅行No.3「九份→十分→台北」;
(2015年3月29日 の話題)
臺灣旅行No.2「第一日目の宿泊地」;
(2015年3月28日 の話題)
臺灣旅行No.1「上空からの富士山」;
(2015年3月27日 の話題)
○高媛さん関係;
「可愛い赤ちゃん、小名は”萌萌(meng-meng)”ちゃん」;
(2015年6月10日 の話題)
「ご結婚おめでとう」;
(2013年8月11日 、8月10日 の話題)
「中国四大美人」;
(2013年3月27日 の話題)
「卒業おめでとう」;
(2013年3月25日 の話題)
「最後の授業」;
(2013年3月8日 の話題)
「感謝状と思い出集」;
(2013年3月7日 の話題)
「南京の雨花石」;
(2013年3月6日 の話題)
「博士号取得と送別会」;
(2013年2月17日 の話題)
「誕生日パーティ」;
(2012年12月21日 の話題)
「サクランボ狩り、昇仙峡」;
(2012年6月19日 、6月18日 、6月16日 の話題)
「この美人誰?」;
(2012年4月7日 の話題)
「テキスト・三冊目です」;
(2012年4月4日 の話題)
「燊海井の塩」;
(2012年2月26日 、2月25日 の話題)
「誕生会・忘年会・中国語サークルの」;
(2011年12月16日 の話題)
「酸梅粉」;
(2011年11月25日 の話題)
「ク―ディン茶」;
(2011年11月19日 の話題)
「雨花石・南京特産の石」;
(2011年8月20日 の話題)
「宿題/間違いだらけ」;
(2011年7月1日 の話題)
「南京のスーパーと元・通貨記号」;
(2011年4月29日 、4月27日 の話題)
「新学期スタート」;
(2011年4月2日 の話題)
「麻花」;
(2011年3月19日 の話題)
「趙静さん」;
(2011年3月7日 の話題)
「誕生日のお祝い兼クリスマスパーティー」;
(2010年12月20日 の話題)
「中国語のクリスマスソング」;
(2010年11月30日 の話題)
「中国原産の植物」;
(2010年12月13日 、2010年11月26日 の話題)
「絶対小孩が宿題に!」;
(2010年11月18日 、2010年10月2日 、2010年9月11日 の話題)
「高媛さんのカップル写真」;
(2010年11月8日 の話題)
「この美人、誰?」;
(2010年11月3日 の話題)
「小麻花、南京からのお土産」;
(2010年10月18日 の話題)
「中国語・日本語の図鑑」;
(2010年9月28日 の話題)
「電子辞書購入
カシオXD-A7300」;
(2010年9月24日 の話題)
「古琴」;
(2010年9月18日 の話題)
「パインでお茶会開催」;
(2010年7月2日 の話題)
「高媛さんのご紹介」;
(2010年6月4日 の話題)
「中国語サークルの
新しい開催場所」;
(2010年5月21日 の話題)
「新中国語サークル
スタート・準備」;
(2010年4月2日 、2010年3月24日 の話題)
「N大学卒業式」;
(2009年3月25日 の話題)
○王さん、全昌昌さん、李さん関連
「天然菠蘿蜜脆片、海南島からのお土産」;
(2010年3月20日 、2009年10月23日 の話題)
「中国語で日記を」;
(2010年3月6日 、2010年3月3日 、2010年2月21日 の話題)
「辟邪と友好都市」;
(2010年2月17日 の話題)
「王老師のご紹介」;
(2010年1月22日 の話題)
「新しい
中国語テキスト」;
(2010年1月15日 の話題)
「中国語クラスと
上海万博/海宝君」;
(2009年6月5日 、2009年5月23日 の話題)
「中国語クラス
続けて参加」;
(2009年4月28日 の話題)
「N大学卒業式」;
(2009年3月25日 の話題)
「食事会」;
(2009年3月17日 の話題)
「蜀南竹海と丹巴/四川省」;
(2009年1月26日 の話題)
「三国志展/校外学習」;
(2009年1月6日 の話題)
「忘年会」;
(2008年12月9日 、12月4日 の話題)
「最後の中国語クラス」;
(2008年9月23日 の話題)
「中国語クラスの/お茶会」;
(2008年9月16日 、2008年9月4日 の話題)
「馬馬虎虎」;
(2008年8月27日 の話題)
「四は四/発音は難しい」;
(2008年7月25日 の話題)
「可愛いお嬢さんを紹介します」;
(2008年6月17日 の話題)
「普通語/標準中国語」;
(2008年5月30日 の話題)
「難しい発音」;
(2008年5月13日 の話題)
「基礎から叩きなおし」;
(2008年4月2日 の話題)
”今日は移動日、諏訪から名古屋へ、
今日の話題はPA/SAで出会った皆さん”
(Two people in the middle of hitchhiking)
アルバムへのリンク;
「街角スナップ」
↑内津峠PAでの出会い、ヒッチハイク競争のお二人、お断り無しでしたのでモザイクしました ↓境川PAでの出会い、小学校1年生と会話 アブラゼミを止まらせて観察しながら(左)、甲府盆地と八ヶ岳、これは教えた上げる事ができました(右)
今日は諏訪から名古屋への移動日、ゆっくり出発して制限速度(中央高速は80㌔)を遵守、しかもSAを見掛けるたびに時々寄りながらのゆっくり感、それでもお昼を過ぎた時点で名古屋に到着、お墓参りもゆっくり、以前ボランティアで通っていた平和公園南部緑地も散策、しかもTaさんにもお会いでき、時間に追われ生きてきた若い頃がウソみたい、こんな生活も良いのではと思っています。
さて、もうすぐ東名高速という中央高速の最後のPAである「内津峠PA」に、今まで何回も此処を通っているのに寄った事が無い、そこで初めて立ち寄ってみました。
この頃のPAとかSAは、それぞれ特徴を打ち出し売り出している、ここはどうかな?・・・・申し訳ない、我が感覚が鈍いのか特徴がつかめないという状態、そんな中、フラフラと歩いている最中見掛けたお二人、声を掛けられてしまいました。
声を掛けられた理由は、ヒロパパが魅力的だったから、これはウソであることは確かですが、ヒッチハイクで小牧や米原に乗せてって欲しいというもの、勿論、我が目的地は名古屋、従ってお断りをしましたが、お聞きしましたら、
夏休みを利用して、グループでヒッチハイクの競争をしている、スタート地とゴールは同じで到着までの時間を全員10組程で競っているみたい、詳しいスタートやゴール地点、目標時間等お聞き出来ませんでしたが、暫くした後居なくなっていましたので、ゴールに向かってスタートできたみたいです。
実は、先日18日、諏訪湖SAでも同じ経験を・・・これも若者から声を掛けられ「名古屋までヒッチハイクしたい、乗せて頂けませんか」とのこと、でもその時は岡谷が目的地でしたので、お断りした、これを踏まえ、今回の方に、「同じグループなの?」・・・でも違ったみたいでした。
若者たちのこの様な経験は、不特定多数の方たちの接し方、会話、礼儀等々、危険を伴う場合もあるかもしれませんが彼らにとって貴重な体験になるのでは、頑張れ~ですね。
思い出しました、ヒロパパ自信はこの様な経験はしませんでしたが、我が息子が大学生のころ、国道1号を自転車で数日かけて走行、多分、静岡辺りの小川の橋の下で野宿、それを見掛けた近所の方が警察に通報、その後の詳しい状況は忘れましたが、我が家の家族たちは、ヒロパパよりづっと多くの経験を積んでいるのでは、頼もしい限りです。
もう一つ、これも同日、昼食で寄った中央高速の小さなPA(境川PA)での出会い、ベンチで休んでいる最中、ご家族が蝉を見ながら楽しんでいた、ヒロパパが、丁度地面にいた蝉を渡すと、自分の服に止まらせた(掲載した写真)、
そこで、「これ何?」⇒「アブラゼミだよ」と即答、「どうしてアブラゼミ?」って聞いてみましたら「これこれだからアブラゼミなんだよ?」との答え、 驚きましたね~、「何年生?」⇒「1年生」、「どうして知っているの?」⇒「おじいちゃんに教わったんだ」、 今度はその子からの質問、「蝉の目はいくつ有るか知っている?」⇒「しっているよ!全部で五つ」(どんな質問がでてくるかヒロパパはひやひやの状態)、
今度は、ヒロパパから質問、「鳴かない蝉と鳴く蝉は何が違うの?」⇒「雄と雌の違い」と即答、それに「真ん中の三つの目玉はどんな役割なの?」⇒「それは知らない、帰ったらおじいちゃんに教えてもらう」(ヒロパパの知識程度ではこれ以上の質問が出来ない状態ですが)、
「これから何処に行くの?」⇒「キャンプしてその後北杜市の別荘にゆくんだ」
等々会話を楽しんでしまいました。
お母さんにお聞きしましたら虫が大好きとのこと、ものを観察して、何故なんだろうと考える習慣を身に着けているこの小学校1年生の女の子、ものすごく広い未来が約束されているのでは、5年後でも10年後でも成長した姿を見てみたい、無理ですがそんな衝動に駆られます。
ここ霧ヶ峰も久しぶり、強清水
(関連話題;2012年9月24日
) では相変わらずグライダーが悠々と飛び回っている
(2004年8月15日
の話題) 、地上には、この時期しか出会えない植物や昆虫がいっぱい、この頃の物忘れが激しくなっている我が身を証明するかのように見たことがあるのに「アレ、これ何だっけ?」が頻発、助かるのは、ところどころに名札がある、一応分かっていても同時にこの名札も撮影しておくことにしています
(直前の参考の話題;2015年9月2日
) 。
その中で、ここ霧ヶ峰・八島湿原
(直前の話題;2015年8月31日
) で我が経験としては初めて、今まで「ヒョウモンチョウ」にはたくさん出会った事がありましたが
(直前の話題;2015年9月1日
) 、「キアゲハ」の幼虫の出会いは初めてでした。
一生懸命「シシウド」食べている、しかも傍には身体が小さい幼虫も、大きい方は終齢、小さい方は?齢なのかよくわかりませんが、ついついシゲシゲと眺めてしまいました。
確かに、「キアゲハ」の食草はセリ科、この「シシウド」もセリ科。セリ科の植物は海岸端から高原までいっぱい、だから「キアゲハ」も広く生息できる、納得です。
もう一つ「シシウド」を漢字で書くと「猪独活」と書く、この「シシウド」の中国語名は「独活(duhuo)」、ここの「猪」を付けたのが日本に伝わった時みたい?、この「猪」を付加したのは何故なんでしょうね?、まだ理解できていません。
もう一つ特記事項、以前ガイドウォークして頂いたMaさん
(関連話題;2009年6月17日 ~6月18日
、2010年8月22日
の話題) にも偶然にもばったり、Maさんは新しい組織の
「キノア・霧ヶ峰インタープリテ―ション事業部」 に移籍され、現在はそこの自然教室の室長さん、しかも昨年ご結婚されたとのこと、現在もここ霧ヶ峰に根を張った活動を続けておられる、お約束の合言葉(会い言葉?)の「シニブシ」もまだ有効、各地に知り合いが居る事は楽しみが倍増しますね。
何時か、この自然教室に参加してみようかな・・・。
”懐かしい、我が幼少時過ごした風景の数々”
(The landscape of the time of my infancy it's also possible to judge now by which)
アルバムへのリンク;
「風景・自然」
↑心に焼き付いてる八ヶ岳
↑富士山も八ヶ岳と同様(左)、この神社から上にあるお墓までが肝試しのルートでした(右) ↓湧水が我が家に水源でした(左)、ジバチの巣がここの土手にありました(右)
毎年この時期の恒例、お墓参りの為の名古屋往復、勿論お盆休み時期の混雑を避けてのスケジュール、数年前までは東名高速の往復だったものを、今年は、中央高速経由で、一旦諏訪で二泊のスケジュールとし、今日は混み合うことも無く順調に宿泊地;上諏訪に到着でした。
ここ諏訪盆地は、我が親父・おふくろの生誕地でもある、ご先祖の皆様を含め、この諏訪湖の上空でお互いにお喋りをしながら交流を深めているはず、この二人をピックアップして一旦名古屋のお墓に連れてゆくためこのルートにした、勝手にこの様な理由も付け足しています。
いつもの道筋、岡谷インターで下り、幼少時過ごした長地村(現在の岡谷市長地鎮・おさちしづめ)をアチコチ廻って、勿論我が幼少時代と違っているところもありますが、例えば、何時も目にしていた八ヶ岳や富士山、恐かった「きもだめし」のスタート点の神社とか、ジバチの巣探し(蜂の子採取の為、蛙の肉に綿を付けて追っかけた)で走り回った山の中の水路、我が家まで引いていた清水の源泉、村の中の昔から変わらない姿の「火の見櫓」等々まだまだ懐かしい風景が数多く残っている、今から70年以上前の記憶を辿って楽しんでしまいました
(関連話題;2012年10月26日
) 。
掲載した写真がそれ、何の特徴も、珍しくもない風景ですが、記憶と一緒に見るとそれなりの思い出がよみがえってくる、元気をもらいました。
しかも、この時期の土曜日と日曜日の夜は諏訪湖上で花火大会がある、とにかく、シュル・シュル・・・ド・ド・ドー・・ン・ンと音と光が一緒の花火を久しぶりに体験、これも楽しんでしまいました
(直前の話題;2015年8月29日
) 。
明日もここ諏訪にもう一泊する予定、霧ヶ峰でも行ってみようかな・・・。
”急に秋空が広がりました”
(During about half day, I took a picture of cloud)
アルバムへのリンク;
「風景・自然」
↑この時期には珍しい見え方の富士山 ↓朝から午後の変化を動画にしてみました
VIDEO
暑苦しいお天気が続いていた最中、急に気温が約10℃程度低下、ニュースでは北海道では初雪?、なんとこの時期には珍しく富士山が明瞭に見えている、先日快晴で見えていない日がありましたが
(2018年8月2日
の話題) 、我が富士山目視観察では、同じ時期に、快晴で見えない、晴れていても明瞭に見えていない、この両者の違いは一体何に因るのかの原因を突き詰めるには貴重な一日なのです。
ということで、今朝8時半から午後4時まで、今日は一日中富士山の観察?、と言ってもカメラ頼り、三脚にカメラを取り付け5分毎に撮影する様にセットして放っておいただけ、これが掲載した動画です。
いつもながら、刻々と変わる大空の変化、特に雲の流れが不思議、只、今回は5分毎は少し長すぎたのかな、もう少し短い時間でシャッターを切った方が良かったのかな?、状況に合わせて5~6時間張り付いていてシャッターを切るなんてとても無理、でも、雲の流れは時間を縮めてみるとなんと美しい、見飽きないことは確かです。
所謂”秋”には、大気が澄んで期待できそう、心配は、日本の今後は四季が無くなる?、特に春や秋が極端に短くなる?、心配ですね。
”船津胎内樹型”
(a cave made from lava)
アルバムへのリンク;
「街角スナップ」
↑真ん中が洞窟の入り口(左)、コウモリさんも出迎えてくれました(右) ↓母の胎内(左)と父の胎内(右)
「船津胎内樹型(ふなずたいないじゅけい)」、これ何?、先日の河口湖飛行館訪問
(2018年8月14日
の話題) の帰途、看板を見掛け立ち寄ってみました。
一体何?、富士山麓によくある風穴とか氷穴と同じ?、でもここは「無戸室浅間神社(むつむろせんげんじんじゃ、別名;胎内神社)」とも呼ばれ、昔から信仰と結びついている、だから世界文化遺産「富士山」の一部(同時に国指定の天然記念物)とのこと、内部には「母の胎内」と「父の胎内」それに肋骨と称した場所がある、そこで神社の真ん中の入り口から意気揚々と入り込んだのですが、それからが大変、立って歩ける場所はごくわずか、ほとんど身をかがめて移動、特に母の胎内への往復は、濡れている地面を四つん這い状態、数日経った今日もまだ足が痛い状態が続いてしまっています。
そこで思い出されるのは、タイで13人の少年たちが閉じ込められた事故(タムルアン洞窟、6月23日侵入、7月8日救出)、水没した部分や距離がもっと長い、しかも明かりも無い状態、救出要員のお一人が亡くなられたことは残念ですが、全員救出できたことは、今回の経験からすると凄いの一言です。
我が反省事項として、この様な狭い処はヒロパパの体力から考え今後は遠慮すべき、自覚しました。
〇参考サイト;
●「富士山文化遺産構成資産⇐河口湖フィールドセンター」;http://www.fkchannel.jp/fieldcenter/tainaijukei/
”戦没者追悼式
正午、1分間黙とうしました”
(The war is useless by all means)
アルバムへのリンク;
「ファミリー」
今日は、”耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び”から73年目の終戦の日、写真は「全国戦没者追悼式」の今日正午の様子、黙とうをさせていただきました。
昨日も話題にしましたが、戦争体験者が少なくなっている現在、
記憶による口頭伝承は困難、写真、映像、文書等記録をどのように残してゆけるか、この残した記録をどのように公開してゆくか、我が家についても歴史的な遺産(ちょっと大げさですが)について、自分の分も含めて分かり易く整理整頓しておかなくては!と言いながら、ごみ屋敷と化している我が家、しかも整理整頓なんて我がもっとも不得意な分野、困ったな~。
”一式陸攻に初めて出会いました”
(could meet a Issiki-rikkou for the first time)
アルバムへのリンク;
「ファミリー」
↑組立て中の一式陸攻撃22型とその説明 ↓この建物が河口湖飛行館
昨日の遠出の目的地は
「河口湖飛行館(HPはここをクリック)」 、訪問の目的は、「一式陸上攻撃機(以下、一式陸攻)」の実機を見たかった、以前から、実機展示の有無を国内各地の飛行館的なものを調べたり、各務ヶ原にある航空宇宙科学博物館を訪問したことがありましたが、そこは実機展示は無し
(2006年6月30日
の話題) 、只、ここだけ「一式陸攻」の実機を組み立てている事を聞きつけていた、只、この「河口湖飛行館」は8月の1か月間しか開館していない、ということでこの時期の訪問でした。
何故この「一式陸攻」の固執しているの?は、我が親父が最後に乗っていた飛行機
(2013年11月10日
、2013年1月10日
の話題) 、特に何処に座っていたのか等内部構造を見ておきたかった、残念ながら内部構造の再現はまだ、しかも再現している実機は、山本五十六元帥(一番機;323号機)や親父が載ったもの(ニ番機;326号機)は一一型で、ここのものはニニ型とのこと、座席等は詳しく不明ですが多分は同じとすれば、その席でP38の機銃掃射を浴びて絶命したのではないか、その後海底に沈んだ?、その機体がどのようになったのか等国内の情報は見付からず想像するのみ、もしかしたら米国に詳細な記録があるのかもしれませんが調査先が分からない、現在はこの様な状況です。
実は、以前母親を連れてブーゲンビル島を含めその地を訪問する事を計画した事がありましたが、治安状態が悪いとの事で諦めた事もありました
(2005年1月27日 の話題) 。
明日は、終戦記念日、NHKでは「戦後73年・語り継ぐ戦争」という番組をシリーズで流しています。
「広島や長崎の原爆投下も同様、実体験を語れる皆さんは当時10歳としてももう83歳、実体験の語り部は少なくなる、今後は、映像にしても記録にしても正確に残して忘れない事、将来にわたり検証できるようにする事、同時に、将来にわたり戦争の悲惨さを未体験の若者に継承する活動をすること、これは必須、方法としては小中学校で近代史の講座を設ける等試みたらどうなんでしょうね。
尚、参考までに、「一式陸攻」の一一型とニニ型の違いを気が付いた限り箇条書きにしてみました。
①先頭部の銃座を囲んでいる透明部分がニニ型の方が広がっている
②側面中程の銃座が一一型は飛び出しているが、二ニ型は胴体と同じ平面
③プロペラが一一型は3枚、ニニ型は4枚
④垂直尾翼の形状が、ニニ型の方が丸みを帯びている
”思い立って急に遠出、でも大変な目に会いました
それと珍しいナンバープレート”
(today's traffic jam and unusual license plate of a car)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑大渋滞、困ったな~ ↓見掛けた珍しいナンバープレート、これ何?
思い立って急に遠出、何処を目指して・・・目的地はスバルライン、といっても富士山五合目はマイカー規制で行けない事は承知、このスバルライン途中にある「河口湖飛行館」が目的地でした。
何故そこを?は又明日以降話題に、今日は失敗した~の話題と珍しいナンバープレートを見掛けた、この話題です。
いつもの通り圏央道から中央道に入るべく意気揚々とスタート、ところが、八王子JCTに近づくにつれて渋滞は始まっている、その原因は中央道下りの渋滞、中央道は全てのろのろ、そうか!今日はお盆、実は、この時期は経験上今までは遠出を避けていた、これを忘れていた事、しかも月曜にだから渋滞はあっても少ないであろうとおう甘い考え、失敗でした。
しかも、中央道から大月JCTかた河口湖ICに向かう途中からものすごい前が見えないほどの豪雨でのろのろ運転、多分、渋滞が無い時と比べ3倍程度掛かったのではと思われます。
掲載した写真は、八王子JCTでの合流地点の中央道下りの渋滞の様子です。
こののろのろの中で、見掛けた珍しいもの、渋滞していたから気が付いたのですが、初めて見掛けた前の車のナンバープレート、”US AIR FOURCE、OV・〇〇〇 OFFICIAL USE ONLY(掲載した写真)”と記載されている、これより米軍のものみたいと分かりますが、一体これ何?、気になってしまいました。
まず、一番近い警察署にお聞きしてみました、が、この種のナンバープレートが存在する事すら知らず(窓口に出た担当者だけかもしれませんが)、陸運局に聞いてみてくれとの回答、そこで近くの陸運局に問い合わせ、ここの回答は、陸運局が管理しているナンバープレートではない為分からない、しかもそのようなナンバープレートが存在する事すら知らない(これも個人差かもしれませんが)、只、もしかしたらどこかの米軍基地の広報にでも聞けば分かるかもとのアドバイスあり、そこで今度は在日米軍の広報部に問い合わせ、回答では、個人的には、複数台見掛けている、公用車として出張・移動等に利用しているみたいとのこと、只、事故発生の場合の取り扱い、車検や税金関係は良く分からない、調べておくから又連絡してとのことでした。
例えば、自動車登録規則では、日本国籍を有しない者が所有する自家用自動車は、ひらがな一文字の部分が”Y、E、T、A”等(例;Y=国内で調達された個人所有車、E=非課税車両、T=本国から持ち込まれた個人所有車等)アルファベットになっている、それと大使館や領事館専用車は陸運局では管理していない、もしかしたら、丸外(大使館専用車)等と同様これも治外法権なのかな?、国内の誰がこの種の車両を管轄しているのか?、車検は?、税金は?はどうなっている、これらを明日以降又お聞きしてみます。
もしかしたら、世界各国のナンバープレート、特に米国各地のナンバープレートを付けた車
(2016年8月26日
の話題) が日本国内各地を走り回る時代が来る?、そんなことは無いか!。
残念なのは、この様なナンバープレートの車が国内公道を行き来しているのに近くの警察署の皆さんが無頓着(個人差かもしれませんが)の回答だった事、もし治外法権的要素を含んでいるのであれば当然学習しているはずですので大使館や領事館専用車と違うのかな?、等々明日以降詳細が解決すれば良いのですが。
追記(2018年8月15日)
在日米軍司令部広報部からの回答は、”防犯上の理由に因り答えられない”とのこと、もしかしたら、防衛省地方協力局又は外務省で答えが得られるかもしれないとのこと、そこで防衛省にコンタクト、ここの応答は、地位協定がらみは分からない、次に外務省にコンタクト、即答は得られず、質問事項を口頭に伝え明日再度コンタクトする事にしています。
それにしても在日米軍司令部広報部からの回答の”防犯上の理由”って何?、仕組みを公表するとテロ等に利用される?、それとも分からないことはこの理由で断る?、又は秘密にすることを前提としている?、もし秘密を前提にしているとするととんでもないお話ですよね。
追記(2018年8月16日)
外務省に再度コンタクト、担当の方より、まず関連する地位協定の条項は、第10条と第17条の3(条文はここをクリックしてください) 、 ●第10条には、①運転者試験や手数料を課さないで有効、②公用車両もナンバープレートを付ける事、③私有車両のナンバープレートは国内と同様(陸運局管理)を付けなくてはならない、と記載がある、但し、合意事項(昭和27年6月)に”米国陸海軍の所有する車両は、公用車両として日本の法令は適用されない”との文言がある、
●第17条は、裁判権についてですので省略しますが・・・、
見掛けた車は、もしかしたら”公用車”か?、とすると、大使館や領事館専用車類と同様日本の警察権が及ばない車両と想像する事ができます。
さらに、ナンバープレートの大きさは条文に存在するにしてもナンバリングの規則は、前述の条文内だけで米軍任せ?、又は、こうするよ!で情報を得て国内のどこかで承認している?、これらについては未だに未解明です。
もし、見掛けた車両が、我が国の法令が適用されない車両とした場合、国内の公道上を逆走しても罪に問えない事になる、怖いお話です。
追記(2018年8月16日)
今日までに判明した事、未解決な事を書き留めておくことにします。
解決した事・・・〇公用車という位置づけ、従って大使館や領事館専用車類と同様日本の警察権が及ばない車両である事、
未解決点・・・・〇ナンバープレートの大きさは地位協定に記載されているにしてもナンバリング及び表示等の基準については不明、〇しかも日本国が報告を受けて承認しているのか米軍が勝手に決めているのか、そのうえ、〇整備等の規則(国内の車検的なもの)が米国と同等それとも日本国内と同等なのか等々様々分からない事が多く残っています。
もう一つ、”防犯上の理由で答えられない”との回答をした在日米軍の広報部について、広報部は日本国民との接点のはず、対応の仕方を変えたほうが良いよ!って連絡しましたら、通話途中でプツンと切られてしまいました、なんと情けない対応、ますます米軍基地全体の不満・不安がつのるばかりです。
”高校野球を楽しんでいます
唯一応援していたチームが負けてしまいました”
(High school baseball is being enjoyed on a television)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑白山高校、負けてしまったョ~
8月5日から始まっている高校野球、テレビで楽しんでいます。
昨日は、我が只一、応援していた白山高校、残念~ん、負けてしまいました。
何故応援していたのかは、直前の話題
(2018年8月5日)
も参照していただければと思いますが、我が母校;旭ヶ丘高校の前身「愛知一中」が大正6年(1917年)の第3回大会で敗者復活戦から優勝した(詳細は下記サイトを参照ください)、白山高校が数少ない公立高校(三重県立)の参加校、しかも今までは、ほぼすべて地区大会では初戦敗退であった、頑張って欲しかった、こんな理由でした。
それにしても高校野球は面白い、試合展開がクルクル変わる、一旦観だすと目が離せない事は確か、今日も面白いシーンにたくさん出会いました。
それは、”振り逃げ”が成功した、しかも2塁まで行った事、原因はキャッチャーが後逸したためですが、記録上では、一塁までは振り逃げ、2塁進塁はキャッチャーの暴投で振り逃げだけの記録では二塁に行けないみたい?、一塁毎に進塁する度にその原因を記録しているのかな?このルールは良く分かりませんが。
もう一つ、今日の第3試合の石川・星稜高と愛媛・済美高の試合、7回までは星稜;7点に対して済美;1点で星稜が大量リード、ところが8回裏に済美が大量8得点し7対9で逆転、
ところが9回表に星稜が2得点し同点になり延長戦へ、延長戦の12回までに決着つかずタイブレークに突入、13回で先攻の星稜は2得点、これに対して後攻の済美は、彼らの校歌にある「やればできるは魔法の合言葉」の満塁逆転ホームランで結局13対11で済美が勝利した、この様な突然の展開と、それにタイブレークの試合を見たのは初めて、やはり目が離せなくなっています。
↑済美の8回とタイブレーク13回に注目です
それに、以前から気になっている事、それはくじ引きで先攻・後攻が決まる事、後攻は勝ち逃げが出来有利、これを避ける為アディショナル・チャンス・イニングの仕組みを話題にしたことがありましたが
(2015年8月10日
の話題) 、多分取り入れると試合時間が長くなる、だからこれが採用される事は無いのでしょうね。
でも、後攻のチームの勝率、それに勝ち逃げの数、これを遡ってでも検証したら、どのような数値が現れるのか、調べてみたくなりました。
〇参考サイト;
●「愛知一中、敗者から頂点⇐中スポ・KOSHIEN新世紀」;http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/column/koshienshinseiki/CK2015040102100023.html
”ある日のブランチ、マックで
プラスチックの分別、もっと学習しなくては”
(my brunch on some days at McDonald)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑ストローは紙製に変わる? ↓PP、PE、PSこれ何?を理解しなくっちゃ、でも記載のないものもある
頻繁に通っている訳ではありませんが、ある日のマックでのブランチ、これハンバーガーのセット、何をオーダーしたかは名前が難しくて覚えていませんが、注目は、コーラのカップのストロー、実は、マックやスタバではプラスティック製のストローを紙製に変えるとのニュースに接し現状調査?(大袈裟ですが)、勿論、計画中で実施時期は先のお話であること分かっていたのですが、このストローが再生されることが無くそのまま廃棄ごみになってしまっているからとのことです。
身の回りには様々なプラスチックが溢れている、買い物袋を始め、スーパーに行けば食品の包みはほぼ全てプラスチック、家庭内でも電化製品にも多用されている、プラスチック無しの生活は考えられない世の中になっています。
問題は、これらプラスチック製品の「3R」をもっと進めないと資源が枯渇する、もっと危険な事は自然破壊につながる、クジラの胃の中にはビニール袋(下記、注)がいっぱい、しかも日本の周辺の海洋はマイクロプラスチックのホットスポットなのだそうです。
このままだと地球が壊れる、一体どうしたらいいの?、ストローを紙にする等自然素材を利用する事やペットボトルのラベルを無しにして使用量を減らす努力は必要、更に正確に分別できれば、資源の再利用に貢献できるはず、その為には、我々がプラスチックって何?を理解しなくてはならない、ということで、各容器の記載を眺めてみました(掲載した写真・下)。
「リサイクルマーク」の”プラ”や”紙”、”アルミ”等、”プラ”には記載のないものもありますが「PP」、「PS」、「PE」等併記されている、この記号の意味は下記サイトを参照していただければと思いますが、この記号別に分別すれば多分リサイクルし易いのでは、我が自分自身の学習の為に、試しに、この記号の通り分けてみようかな~。
現在のここの自治体の回収は、プラスチック類は週1回、ペットボトルは月2回、ビン・カン等も月2回、同時に、近所のスーパーのある回収ボックスも利用している、ここには、紙、ペットボトル、牛乳パック等の容器、スチールやアルミ缶に分かれている、我が家ではこれも利用しています。
注;「ビニール袋とは」
昔は、「ポリ塩化ビニル」を原料とした為「ビニール袋」と云っていた、現在は、「ポリエチレン」や「ポリプロピレン」を原料としたものが多くなり、全体を指して「ポリ袋」と呼ぶ、ビニール袋はポリ袋の一種と理解しています。
〇紙パックの話題;
●「新しく発売され始めた牛乳パック」;
2017年11月28日
の話題
〇参考サイト;
●「特集ギャラリー:海に流れ出るプラスチック(2018年6月号)⇐NATIONAL GEOGRAPHIC 」;https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/052400259/
●「いろいろな材料(分類)⇐ZEROからわかるプラスチック 」;http://www.uclid-f.com/zairyou.htm
●「リサイクルに役立つマーク(一覧)⇐3R散乱防止啓発・食品容器環境美化協会 」;https://www.kankyobika.or.jp/recycle/mark-of-recycle
”大気の透明度、その要因分析、頑張ってみようかな”
(What is the factor which influences the clarity of the atmosphere?)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑今朝の富士山、快晴なのに見えていません
富士山の目視観察、順調に続けています。
掲載した写真は今朝(6時28分)の富士山?、といっても、快晴なのに見えていません。
この時期は、快晴でも晴れていても見えない日が続く事は昨年も経験している、昨年の例では、7月24日から9月上旬まで50日間見えなかった、これが昨年の不可視連続日数の記録だった、今年も偶然にも同日(7月24日)から今日にいたるまで19日不可視日が続いている、記録更新を期待している訳ではありませんが、注目しています。
さて、今日は快晴なのに見えていない、実は、この状態が貴重なのです。
この富士山の目視観察を続けている目的は、雪を被ったり融けたりとか漂う雲とかの景観を楽しむ事が基本ですが、もう一つ、大気の透明度を左右する要因は何かな?も見極めたい、その為には、快晴の日に注目して、その日の見え方(明瞭/普通/凝視/不可視)をグループ分けし、その時の湿度や気温、その他PM2.5等のデータ(下図)を蓄える、先日から悩んでいましたが
(直前の話題;2018年8月2日
) 、この手順から始めてみようと決めました。
↓今朝の北野測定所の測定値
想像として、それぞれのグループに因って湿度や気温に因る差、PM2.5やSPM等の差が現れるのでは、期待して頑張ってみますね。
〇参考サイト;
●「埼玉県大気汚染常時監視システム 」;http://www.taiki-kansi.pref.saitama.lg.jp/kankyo/Login!doLogin.action?UserGr=0
”No more Hiroshima and No more Nagasaki”
(No more Hiroshima and No more Nagasaki)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑グテーレスさんが参加
8月6日の話題に続き
(2018年8月6日
) 、今日は”長崎の原爆の日
(昨年の話題;2017年8月9日)
、忘れないためこの両日必ずこのHPでピックアップする事にしてます。
今年ピックアップしたトッピクスは二つ、
〇
国連事務総長;アントニオ・グテーレスさんが初めて参加・演説した事、以前、前アメリカ大統領;オバマさんが広島を訪問したことがありましたが
(2016年5月27日
) 、多分、国連事務総長は初めて、彼は自らを通して全世界に核兵器や戦争そのものの無残さを世界に広めて欲しい、出来たら今後は、日本で開催される国際会議に参加する各国の代表者の皆さんに、広島や長崎への訪問を勧める事を慣例化したら良いのに、もし特に我が国の政治屋さん達の誰も思いついていないとするとなんと悲しい事か、残念至極です。
〇もう一つ、いつもの事ですが、トップの所信表明にて今回も美辞麗句を並べているにすぎず中身のない演説や、特に被災者との会談でも「核兵器禁止条約」に一切触れず、勿論何故反対しているのかの理由や説明を一切していない、説得する自信が無いのか、説明しても分からないだろうとバカにしているのか?、なんとマー情けない政治屋達、これも残念至極です。
参考までに、現在の核兵器に関する主な国際条約の一部を表にまとめてみました。
”台風さん達にお聞きしてみました
皆さん、どうして日本がこんなに好きなの?”
(Why does Mr.Typhoon like Japan?)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑台風13号、近づかないでよ~ ↓台風14号も発生
台風の皆さんは、日本が大好きなのかな~、勿論、興味ないよ!って見向きもしないご仁もいますが、ほとんどの皆様は日本めがけてやってくる、しかもこの頃は、通常の通り道を外れ、行ったり来たり、ウロウロしたりと時間をかけて日本の徘徊を楽しんでいるみたい?、以前と違っているこの頃の台風さん達の姿です。
そこで台風さんにお聞きしてみました、
Q;「よく間違えないで来れるね?」
A;「高気圧の皆さんがちゃんと道案内してくれているからなんだ」とのこと、続けて、
Q;「この頃の台風の皆さんは、今までと違って、行ったり来たりと迷走したり
(2017年7月31日
、2016年8月31日
、2016年8月25日
の話題) 、逆走したり
(2018年7月27日
の話題) 、並走したり
(2016年8月20日
、2013年10月21日
の話題) とゆっくりしているみたいにみえるけれど、どうして?」
A;「案内してくれている高気圧の皆さんも日本が好きみたい、あっちもこっちも行ってみなッ!て勧められているんだよ」、
Q;「それでは、ハリケーンは南北アメリカ、サイクロンはインド洋が好きなのも同じなの?
(2011年9月4日
の話題) 」
A;「詳しくは聞いていないけれど多分それぞれ好む場所があるんだよ!」
Q;「それでは、日本の良い処は?」、
A;「礼儀正しく、親切で、街中は安全、しかも自然も豊かで、平和が保たれているから」とのこと、嬉しい限り、
Q;「でも、この頃、皆さんの仲間の低気圧が、近々では岡山や広島、愛媛、その他日本各地で大雨を携えて暴れ回っているよ、なんとかしてよ!」・・・これに対して云い難そうでしたが、
A;「我々は熱帯低気圧の一族、彼らは温帯低気圧の一族で高気圧の一族とは少し離れているにしても低気圧の範疇では近い仲間だけれど、ヒトの社会で云えば民族とか国が違っているのと同じ、でも、ヒトの社会と同じで折衝が難しいことは分かって欲しい、もう少し待ってよ!」
Q;「何時まで待てばいいの?」
A;「一番重要なことは、我々低気圧とか高気圧とかではなく、皆さん自身、ヒトとしての生き方、身勝手な経済優先ではなく自然保全優先の生き方に変えてゆく事が最優先・最重要だよ!」との言葉が、
この言葉、当たっていると思いますよ。
追記(2018年8月9日);記載し忘れていました、沖縄県知事;翁長雄志(おながたけし)さんがお亡くなりになりました。 沖縄の米軍基地をこれ以上増やさない、減らす事に尽力していた、前任の知事の辺野古の埋め立て承認を撤回をする事も計画していた、政府は唯一の解決策と称して、何故唯一なのかの説明もないまま何故沖縄にこんなに負担を強いるのか、政府は”振興一括交付金”をちらつかせて従わせようとしている、我が家の近くにも横田基地や厚木基地がありオスプレーもこの頃飛び始めている、我が自治体にも広い通信基地がある、政府の言う”唯一”とは、米軍基地を全国展開すると反対運動も全国に広がる、これを避ける為沖縄に集中させているのでは、なんと浅はかな考え方なのかと情けなくなってしまいます。
とにかく、ご冥福をお祈り申し上げます。同時に、後を継ぐ皆様は、その意思を継いでほしいと願っています。
”移転直後のサツキとメイの家”
(Satsuki and May's House just after the move)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑移転先サツキとメイの家(撮影;2005年3月29日) ↓自作の絵合わせパズル、復刻版
13年前、愛知万博訪問時訪れた「サツキとメイの家」、ご存じ、「サツキとメイの家」は以前は狭山丘陵にあった、でも、13年前に愛知県長久手市に移転し、既に七国山病院を退院したお母さんも一緒にご家族で楽しい生活を送っているはず、写っている周りの皆さんは、もしかしたら移転のお祝いでご近所の方が集まっていた時なのかも・・・というのはウソ・・・人気沸騰で傍まで行けなかった、だから周回路から眺めただけでなのですが。
何故、突然この話題に?、それは、我が家の近くに、附近の自然保全を担っている
「いき・ふれ(ここをクリック)」
がある、このオフィスに「となりのトトロ」のシーンが何処なのかを想像した紙芝居的なもがあった、そこに移転先の「サツキとメイの家」の写真が無かった、ということでお渡しした2枚なのです。
下のパズルは、我が家のお孫ちゃんやお友達にお渡ししていた自作のパズルの一つ、ここのお勤めのSuさんに、お母さんのTaさんとお子さんKaちゃんと一緒に遊んで頂こうとお渡ししたもの、アアでもないこうでもないとの楽しい会話が聞こえてきそうです。
”No more Hiroshima and No more Nagasaki”
(No more Hiroshima and No more Nagasaki)
アルバムへのリンク;
「戯言」
陜川の原爆資料館
今日は、広島原爆投下から73年、勿論9日の長崎にしても同じ、世界はこの日を忘れてはならない、でも、世界の皆様は、ごく一部の関係者を方を除いて興味の対象外なのでしょうね、残念ですが。
掲載した画像は、なんと韓国・慶尚南道(キョンサンナムド)陜川(ハプチョン)に昨年オープンした原爆資料館、何故ここに?は、広島、長崎での原爆に因る死亡者が広島で1万5千人、長崎で3万5千人、特に陜川出身の皆さんが多かった、以前から陜川は「韓国のヒロシマ」と呼ばれていた、ということでここに
資料館が出来たとのことです。
戦争による悲惨さ、加えて核兵器使用による悲惨さを人類は知らなすぎるのでは、しかも、他の軍事力を含め、力を誇示する為だけに保持しているだけにしてもなんと無駄なお金を使っている事か、イージスアショア―に掛けるお金をもっと子供たちの為に使ったら、自然保護に使ったら等々勿体ない・・・こんな使い方をされると税金を払いたくなくなる・・・お話を元に戻して、広島や長崎の悲惨さをもっと世界に対してアピールする必要がある、
韓国にもその拠点が出来た事はその一つと考えています。
負の世界遺産として、核兵器関連では原爆ドーム(1996年登録)が、同時にビキニ環礁核実験場(2010年登録)が、我々は、歴史を見直す、検証する事をもっと繰り返す事が必要そうです。
〇参考サイト;
●「慶尚南道陜川に韓国初の原爆資料館がオープン⇐HANKYOREH」 ;http://japan.hani.co.kr/arti/politics/28106.html
”今年の高校野球は100回目”
(the high school baseball selection match is the 100th time this year)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↓ヘリコプターから始球式用のボール落下、ちゃんとグランドに
↓試合日各日にレジェンド始球式がある
↓今までの優勝旗(左)とこれからの優勝旗(右)
今年も高校野球が始まりました。
いつもながら、特定の出場校を応援している訳でもない、強いて言えば、常連校よりあまり聞き慣れない出場校をどうしても応援したくなる、今回は三重代表の白山高校、地区大会ではいつも初戦敗退だった、でも今回は代表校となった、試合はまだ先ですが対戦相手は常連の愛工大名電高校、もしかしたら弱そうだから応援する?、これ失礼に当たる、それに、攻防がクルクル変わる試合が多い、この変化が又面白い、これも真剣に戦っている皆さんにとっては失礼に当たりますよね。
特に、今大会は丁度100回目、太平洋戦争の最中開催しなかった4年を含め(詳しくは後述)初回は103年前1915年から、
少なくともこの100年以上の歴史を持っているだけでも素晴らしい、これからも太平洋戦争の時みたいな障害がなく将来にわたり継続してゆく事を願いばかりです。
今回の100回を記念して、各日毎にレジェンド始球式を行い、その始球式に使うボールはヘリコプターから供給されるとの事、実は今まで気にしていなかったのですが、今回はその様子をテレビで観戦?、どの程度の高度から落とすのかはわかりませんが、今回は観客席ではなくグランドに着地しました。
さて、触れたくない話題にしたくないとは思いますが、現在スポーツ界では、特にアマチュア―スポーツ界のボクシングやアメフトで様々な問題が起こっている、全てが、一部の指導者が権力を握り、善悪、平等性を無視し思い通りに動かそうという自己満足の意図がありあり、まさに世界各地で起こっている独裁政治と同じ様相、その他東京医科大の入試における男女差別の問題、これ憲法違反、何故トップ又は指導者にこの様な人が増えてしまっているのか、情けない・・・。
(参考までに)
第一回大会;1915(大正4)年~1941(昭和16)年・・・太平洋戦争で中断・・・1946(昭和21)年~2018(平成30)年で今年は丁度100回目
〇昨年の高校野球の話題;
●「高校野球全国大会、全員が参加者、それに深紅の優勝旗」;
2017年8月11日
の話題
”子羊ちゃんが大空を飛び回っています”
(a movement of cumulonimbues)
アルバムへのリンク;
「風景・自然」
↑子羊ちゃんが大空を飛び回っています、探してみてくださいね
↓32倍のスピードで再生しています
VIDEO
昨日と同様ですが、”毎日、暑いですね~”が口癖になっているこの頃、昨日も今日も記録超えはなかったものの我がベランダでは40℃超え!、この状況は地球規模みたい、今日の名古屋は記録上初めての40.3℃(14:30現在)とのこと、神頼みしても聞き入れてもらえないし(昨日の話題)、もしかしたら大気の動きが鈍ってきているから?、理由は極地の大気の気温が上昇しているから?、そもそもはエネルギーを使い放題している人類の責任なのでしょうね・・・と言いながら我が家のクーラーは、寝るときはOFFにしてもその他は常時ON、対策として図書館にでも逃げ込もうかな。
掲載した入道雲、この入道雲の元気さも何かの指標になるのかもしれない、掲載した動画は32倍のスピードで再生していますが、この動きは昔と比べて違う?同じ?、比較は難しいとは思いますが入道雲の動きも不思議ですね。
”大気の透明度が落ちる原因は何?”
(What is the cause in which the clarity of the atmosphere falls?)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑快晴、でも富士山は見えていません、特にこの頃は
人と出会うたびに”暑いですね~”が口癖になっているこの頃です。
迷走?逆走?台風12号は現在東シナ海、経験上からの台風一過の爽やかなお天気なんて今後はもう諦めなのか?、我がベランダの気温計は既に40℃を超えている(10時現在)、我が家の観測史上の最高気温は44.3℃
(2018年7月23日
の話題) 、超えて欲しくないな~と神頼み、でも神様曰く、「自業自得だよ!、お前たちの意識を変えないと望みを叶えてあげない!」との厳しいお言葉が聞こえてきています。
さて、我が富士山目視観察では、昨年のこの時期と同様晴れていても見えていない状況が続いている、今日も然り、快晴みたいな天候なのに見えない、この見える・見えないの原因は何?を分析したいなと考えていますが、まだ未着手、そろそろ手を付けないとと焦っています。
抽出する対象日は、快晴又は晴れた日を抽出、それぞれについて、明瞭に見えた、普通に見えた、凝視しないと見えなかった、見えなかったでグループ分けする、このグループ分けする際季節別も考慮する、更に、この抽出された日の気象データを、我が家から一番近い気象観測所のデータから拾い出す(下記参照サイト)、この観測データは
PM2.5、オキシダント、二酸化硫黄、勿論、気温、湿度等々20項目ある、これらの観測データで特徴を拾い出す・・・等々手順は考えてはいるもののデータ(下記)が多過ぎまだ手を付けられないのが本当の理由、当然ながら湿度が高い時とか浮遊粒子状物質(SPM)が多ければ透明度が落ちるであろうとか、この日はこれが主原因、ある日はこれが主原因、又は複数原因と一つだけではなく様々な要因が影響する事であろうと想像は出来る、これら分析も難しそうと予想、これがいまだ手を付けられない原因なのでしょう、反省していますが。
↓今朝の北野測定所の測定値
〇参考サイト;
●「各観測所データ⇐埼玉県大気汚染常時監視システム」 ;http://www.taiki-kansi.pref.saitama.lg.jp/kankyo/Login!doLogin.action?UserGr=0
”火星は何故赤く見えるの?”
(Why does Mars look red?)
アルバムへのリンク;
「戯言」
↑ハッブル望遠鏡から見た火星(インターネットから転載)
昨日 の続き、この際だからもう少し”火星について理解してみようかな”と頑張ってみました。
①先ず何故赤く見えるの?、それに大気はあるの?
⇒赤く見える原因は、2年2か月ぶりに地球に近づくことが出来たので恥ずかしがって顔を赤らめているから・・・当然ながらウソですが・・・表面の岩石等に酸化鉄が含まれていて、しかも大気層は薄くこの地表が見え易いからが本当の理由、大気は殆どが二酸化炭素(95%)でその他窒素(2.7%)、アルゴン(1.6%)で、我々生物が欲しい酸素は地球の大気の約2割に比べて僅かに0.13%しかない、しかも大気圧は約750パスカルで地球の平均的な値;101.3㌔パスカルと比べると0.75%しかない(地球の160分の1程度で薄い)、それでは水は存在するのかな?、勿論この気圧状態では液体の状態での水は存在できない、只、火星の北極領域の地下に氷を発見したとの事、只、有機物の存在の有無についてはまだ分かっていないとのことです。
それでは、他の惑星やお月様もほぼ同じ状態と思われるのに何故火星程赤くないの?、以下つたない我が知識での推定ですが、他の惑星は、被っている大気的なものの反射、お月様は地球との距離が短いため、波長の長い赤以外の反射光も見えている為、これ当たっているのかな~。
(参考データ;地球の大気は、窒素;約78%、酸素;約21%、アルゴン;0.93%、二酸化炭素;0.03%)
②何故名前を火星としたの?
⇒「スイ・キン・チ・カ・モク・ドッ・テン・カイ・メイ」
・・・ヒロパパが小学生時代一生懸命暗記した惑星を覚える言葉、でも冥王星は現在準惑星に分類されていますが・・・
基本は、古代中国の五行思想からで惑星の呼称は中国語と同じ、火星は当然ながら赤い色から、その他の惑星の名前の由来はまだ未調査です。
③地球と比べて違いは?、()内は火星のデータです。
⇒●大気については①、その他を地球と比べると、●平均公転半径;太陽と地球の約1.5倍の位置を公転している(227,936,640km)、●公転周期;1.88倍長い(686.98日)、●自転周期;1.03倍でほぼ同じ(1.026日)、●赤道傾斜率;地球は23°25′でほぼ同じ、四季があるみたい(25.19°)、●表面重力;地球の1/3(3.71m/s↑2)、●直径(赤道面);半分程度と小さい(6,794.4km)、●質量;約11%で軽い(6.4191×10↑23kg)、●地表面の温度;20°~-130°、●日射量;約半分等々地球との違いがあります。
④将来、人類は移住できるの?、
地球上の生物が火星で生き抜くためには、限られたシェルター的なスペースだけでも地球と同等な環境が必要となる、水は地下の氷を解かして利用できるかもしれませんが、そのスペースは水が液体として存在する気圧の環境が必要、大気の構成ではどの様にして酸素を増やすかが問題、酸化鉄から酸素を分離して使う事が出来るのかどうか?とか、足りないものは地球から運ぶ、それにしても往復3年掛かる、でも、現在人類が持つ英知を駆使してゆけば将来可能になるかもしれない、これらは火星のみならず月に対しても同じかもしれません。
まずはレジャー的な宇宙旅行からスタートするのでしょうね。
問題は、地球が移住しなくてはならない状態に陥らない事が必須、現在地球が悲鳴をあげている下人は、化石燃料使い放題、放射能汚染を無視した原発、経済優先の社会を止める事が必要、自然保全政策をの優先すべき、他の惑星への移住は考えたくありませんね。
〇参考サイト;
●「PHOTOJOUNAL⇐NASA」 ;https://photojournal.jpl.nasa.gov/